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98.命令

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 最後のページも読み終わり、戻した本の内容を反芻する気力はなく。小さな息は、狭い部屋に反響する。

 食事を終え、まだエルドが帰ってこないと踏んで資料室へと場所を変え。もう一時間は経っただろうか。

 威圧感は斜め前から後ろに。変わらず不要な護衛は続いているが、先ほどより気にならなくなったのは気を逸らす術を手に入れたからか、単純に慣れてしまったからか。

 窓のないこの空間では、太陽の位置で時間を知ることはできない。

 時計もなく、感覚だけが頼り。だから、まだ十数分も経っていないかもしれないし、本当は数時間経ったかもしれない。

 知れるのはエルドと再会した時。そして、その時はまだ来ない。

 せっかく貴重な資料を読めるというのに手に取る気になれず、足が離れれば鎧の擦れる音がついてくる。

 それだけが耳に馴染みがあるのは、過去に何度も聞いているからだ。その対象が自分ではなくとも、そばに付くよう言われていれば嫌でも覚えてしまう。

 聞こえるはずのない足音、いるはずのない金の髪。己を呼ぶ幼なじみの声を振り払うよう進んだ先は、昨日も見た石版の元。

 長年野ざらしにされたそれは、確かに美しいとはいえない。歪な断面は鋭く、文字だって潰れているし、刻まれている言語はディアンが知っている時代よりもっと前に使われていた文体だ。

 読めるのは教会の一部の人間だけ。それこそ、エルドほどの者でなければ。

 他の巡礼地に同じ物があるかはさておき、精霊と人間の繋がりを示す貴重な資料に違いない。

 こうして棚に飾られ、いつでも閲覧できるようにしているのは保存という観点からも正しい。

 たとえその意味がわからずとも。この言葉にどんな意味が刻まれていたか真に知る者がいなくとも、その価値は変わらない。


 ……だからこそ、違和感が勝る。

 昨日はそれどころではなかったが、時間を持て余したいま、その思考を止める者はいない。

 この町について教えてくれた老婆は、この石版は最初町の入り口に飾られていたと言っていた。

 厚みからしても地面にしっかりと置かれていたはずだ。そして、本当に入り口にあって、それが劣化したのだとしたら……残りの割れた部分に気付かないはずがない。

 必ず土台があり、そこに残された石版の一部もある。撤去した可能性もあるが、たとえ一文字でも貴重な資料。捨てたとは考えにくい。

 ……いや、それ以前になぜ修復しなかったのか。

 教会の指定地になるほどの場所。当時も教会による管理が行われていたはずだ。破損したらすぐに気付くし、壊れたとなればもっと。

 この地由来の伝承。いかに神聖で、重要な場所かを示す手がかり。資金がないならまだしも、聖国に限ってそれはあり得ない。

 そもそも、朽ちたというには断面が綺麗すぎる。砕けたと言われたほうがよほどしっくりとくるほどに。

 破壊されたならなおのこと、新しく作り直せばいいだけの話。

 あるいは、そうできない特別な理由が存在しているのか? 貴重な歴史を、こんな隅へ追いやらなければならない。それだけの理由が。

 一文も残されていない翻訳。解読するには困難な部分。まるで意図的にそうしているかのようだ。

 あったという証明だけを残して本当の意味まで朽ちさせようとするような……本来の意味があったということすら、いつか忘れさせようとするような。

 ……でも、それはなんのために?


「……?」


 考えすぎるのは自分の悪い癖だと、別の棚を見ようとしたところで、後ろについていた一人の視線に気付く。

 向けられた先はディアンではなく、壁。そこに飾られているタペストリーに対して。

 眼光が鋭いのは最初から。だが、その光はより強く。同時に、どこか悲しいように見えるのは錯覚か。

 そっと辿った終着点。いくつも並んだうちの一枚。どれを見ているかなんてわからないはずだったのに、ディアンには目星がついてしまう。

 ……おそらく、精霊に花嫁が嫁ぎ、他の者が嘆くように見えたあの一枚だろう。

 他はどれも幸せそうなのに。どれも温かく、優しく見えるのに。

 彼女たちなら意味が分かるのだろうか。この一枚に綴られた歴史を。これがなにを示しているのかを。

 ……でも、きっと。それは、ディアンが思っている通りの光景で。


「お、ここにいたか」


 扉の開く音と聴き慣れた声。今まで考えていた全てを飛ばすにはそれで十分だった。

 勢いよく振り返った先。待っていた男の姿に、自然とディアンの表情が和らぐ。

 圧には慣れたとは言え、いつまでも味わっていたい状況ではなかったし……これでようやくエルドも休める。

 昨日から疲れているのは彼も同じ。成り行きとは言え後処理もしたのだ、いくら彼でも疲れているだろう。

 食事は済ませただろうか。いや、多分まだだ。彼だって一晩抜きの、さらにこんな時間までなにも食べていないのはさすがに堪えているはず。

 いや、まずは労いの言葉をと、踏み出したはずの足が阻まれる。

 視界に割り込む影は二つ。ディアンに背を向けたまま腰に手をかけ、見据える姿はエルドに対して行われるべき対応ではない。


「……おいおい、やるべきことは終わったんだ。夕暮れまでには山を降りたいんだが」


 途端、苦笑が真顔に戻る。だが、それも一瞬。すぐにまた苦笑いに戻っても声は固い。

 なぜ阻む理由があるのかと、遮られたディアンは動けぬまま。そうでなくとも、ゼニスに足元を固められては動くに動けない。


「『候補者』様をお守りするよう、女王陛下からのご命令です」

「俺が危害をくわえるって?」


 冗談だろうと、笑う顔こそいつもの通り。だが、肌を刺す雰囲気がそうではないと示す。


「……ゼニス」


 呼びかけに対し、彼はなにも答えない。声も、尾も、何一つ。ただ、その蒼だけがエルドを貫いている。


「隊長とも話はつけている。もうここに留まる理由はないし、お前たちがそいつを守る理由もない」

「無理矢理話を切り上げた、の間違いでは?」


 訂正は扉の外から。開かれたままのそこから入ってくるのは、先ほど見かけた隊長と呼ばれた彼女と部下たち。

 狭い部屋は瞬く間に蒼に覆われ、前だけでなく後ろまで遮られる。人数こそ数えられる程度だが、そういう問題でもない。

 縋るような視線はエルドには届かず。ディアンの瞳に薄紫は映らぬまま。


「なんのために我々がここまで来たとお思いですか」

「……証拠は渡した、牽制としても十分。あとの諸々は俺にはどうしようもない」

「えぇ、この町に留まる理由はございません。……繰り返し申し上げます。至急、聖国にお戻りください」


 息を呑んだのは見上げる瞳の鋭さか、その言葉か。深い溜め息にどんな意味が込められていたのか。


「答えは変わらない。今は無理だ」

「なんのために、わざわざ我々が門を介してここに来たと?」

「……頼んだ覚えはない」


 否定に力はなく、故に弱々しい。こんな声を聞くのは初めてだ、なんて思う余裕は最初からない。

 帰れない理由は……ディアンにあるのだろう。

 正式ではないとはいえ、一緒に連れて行くと宣言したのは彼だ。女王陛下の命であろうと、精霊に立てた誓いは絶対。破れば昨日のダガンように……とは言い過ぎだが、なにかしらの罰は下るだろう。

 ディアンに加護を与えている精霊はいない。故に、咎められるのはエルドだけだ。

 そして、それを知っているのはディアンとエルドの二人だけ。


「っ……あ、の」


 割り込むべきではない。だが、エルドから伝えることはないだろう。

 彼はディアンとの約束を守ろうとしているだけ。でも、それは互いに同意している限りのこと。


「宣言の、破棄を。そうすれば、なんの問題も……」

「宣言?」

「おい……!」


 エルドの静止も聞き流し、隊長がディアンの前へ向かう。俯いてはいけないと上げた顔は、どうしても強張ったまま。


「正式な、ものでは……で、すが、形式とはいえ、宣言を交わした以上、破ればなにかしらの咎が……『中立者』様は、それを、気にかけて……」

「……貴方様は、なんとお誓いに?」

「……女王陛下に謁見の後、全ての真実を明かすと。私は、それを信じると」


 そんな内容で宣言を立てたのかと呆れられても仕方ない。その程度でわざわざ精霊に誓うなんて、聞いたこともないだろう。

 言いだしたのはエルドだが、同意したのはディアンも同じ。その視線に貫かれるべきは彼だけではないと、逸らしそうになる瞳が歪む唇を捉える。

 ……だが、それは呆れではなく。柔らかなもので。


「なら、問題はありません」

「え……」

「『候補者』――いえ、ディアン・エヴァンズ様」


 視線は下に。問いは喉の奥へ。見上げる形から見下ろす形になり、跪く彼女に無意識に引いた足はゼニスに引き留められる。

 

「女王陛下直属部隊、トゥメラ隊隊長。アプリストスが娘、リヴィと申します。我らが女王陛下の命により、貴方様を迎えに参りました」

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