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96.『トゥメラ』

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 本当に、それは波であった。朝日に煌めき揺れる水面。濁流のような勢いで押し寄せ、されど澄み切った蒼は濁ることはない。

 それは、人であった。狭い坂道を駆け下り、こちらへ向かってくる人の群れ。反射する水面は彼……否、彼女たちの纏う鎧にあった。

 空よりも鮮やかで、海よりも深い。矛盾した印象は、光の当たる角度で彩度が変わるからこそだろう。どんな宝石だって彼女たちの纏う武具には敵わない。そう思わせるほどに美しく、呑み込まれると理解しても逃げ出そうとは思えず。

 そうしているうちに波はダガンを、そしてエルドが纏めていた男たちを取り囲む。それでもまだ波は押し寄せ、十数では収まらない。

 昨日教えてもらった通りであれば、坂の上は行き止まりのはず。あるのは儀式につかう広間だけで……本当に、どうして上から来ているのか全くわからない。

 唯一ハッキリしているのは、ディアンが思っていた応援とは規模が明らかに違うということ。近隣地域からなんかでは決してない。

 布の面積こそ多く、されどスカートになっているのか足は半分曝け出されている。それでも鎧を着込んだその姿は……おそらく……。


「エルド、これは……」

「……さすがに、俺も予想外だ」


 深い、深い溜め息。それは本当に想定していなかったのだろう。ディアンと同じく近隣地域か、あるいはもう少し上の立場の者と思っていたはず。

 確かにここは教会の指定地で、多少なりとも被害はある。……だが、よもや彼女たちが出てくるなんて。さすがのエルドも、そして項垂れるゼニスにだって想定できていなかったらしい。

 押し寄せた波によって障壁は解除され、まずは遠方で手下たちの悲鳴が聞こえる。それから輪の中心でダガンの罵声も。

 体格が体格なので辛うじて姿が見えているが、それがなんだというのか。


「なんだてめぇら!」


 突きつけられる武器に宿る光まで蒼い。見覚えがあるのは、ディアンも一度それを手に持ったことがあるから。そう、全員装備しているのはミスリルで作られた剣だ。

 普通に揃えようものならどれだけの金がかかるか。想像するだけでも恐ろしい。あそこまで実現できるのは、それこそ教会……つまり、聖国であるからこそ。

 渦のように囲い込んだそこに、一つ割れ目が生まれる。その中心を悠々と歩く姿は、やはり女性の姿をしていた。

 片側に寄せて編まれている淡い金の髪。新緑を思わせる瞳は鋭く、まるで彫像のように美しい造形。

 だが、その立ち振る舞いは武人そのもの。決して、可憐なお嬢さんなんかではない。


「下衆に聞かせる名などない。女王陛下の名の下に、我々はアイティトス・ダガン全員の身柄を確保する」


 淡々と述べられる声は鈴が転がるように可憐であるのに雄々しく聞こえる。体格差はそれこそディアン以上にあるし、身長で言えば彼女の方が低いまである。

 それでも怯むことなく対峙するのは、既に勝敗が決しているからなのか。


「俺様を捕まえるだぁ……? ふ、ふははははははは!」


 これこそ噴飯ものだと笑いが響くが、むしろどうしてそんな態度を取っていられるかがディアンにはわからない。

 既に手下たちは意思消失し、見ていて哀れなほど。為す術もなく返り討ちにあい、為す術もなく捕まる。それも、絶対に罪を追及されるとわかっている相手に。

 否、彼らが本当に恐れているのは裁かれることではなく、


「馬鹿にするなよこのクソ尼どもが! この俺様が、女に負けるとでも思っているのか!?」

「……やはり、獣に言葉は通じないか」


 予想していた通りだと、呟く顔が僅かに歪む。寄せられた眉は、それでも不快感を抑えた努力であろう。

 ダガンが腕を振り、鉄球が回り始める。その勢いは凄まじく、掠っただけでも大事は避けられそうにない。

 それでも彼女は動じることなく、静かに構えるのみ。


「どいつもこいつもふざけやがって! まずはテメェからだ! お前ら全員――」


 言葉は、最後まで紡がれなかった。

 一度瞬いただけだ。それでもう全てが終わっていた。本当に、全て、文字通り。

 振り回されていた鉄球は粉々に砕け、その傲慢な腹に深々と突き刺さる拳。剣は鞘に収まったまま、一度も抜かれることはなかった。そう、一度も。一度だって。

 聞くに堪えない呻きと共に、バラバラと落ちていく鉄片。その棘が全て落ちきる前に、巨体が地響きを鳴らして崩れ落ちる。

 あまりにも呆気なく、あまりにも……圧倒的。


「隊長!」

「大事ない。お前たちはコレを運んでおけ。残りの者は手はず通りに」


 呼吸の乱れもなければ、髪型もそのまま。何事もなかったように指示を出す姿は、まさしく上に立つ者の風格が現れている。

 淡々と任務を果たす部下が、一撃で倒された男の手になにかを装着するのを見る。重々しい枷は、身動きを塞ぐだけではない。

 その者が重罪人であること。そして……刻まれた紋は、精霊の加護から遮断するためのもの。

 今この時において、ダガンは。そして彼らの部下は、一時的とはいえ加護無しと呼ばれる状態になった。

 それが今だけか、生涯になるか。それは、彼らの罪の程度によって変わるだろう。

 人にとって、精霊からの加護を奪われることはあまりに辛いことだ。

 その用途がたとえ邪なことに使われていたと分かっていても、普通の者なら恐ろしくて想像もしたくないこと。

 最初から加護の与えられていないディアンには、真にその辛さを理解することはできない。だが、この場の処理としてそれが間違っていないことは確信できる。

 一部は指示の通りダガンを運び、一部は手下たちを連行する。そして……一通り手配し終えた、隊長と呼ばれた彼女が向かうはディアンたち。正確には、苦い顔をしているエルドの元へ。

 表情は険しく、眼光はますます鋭い。あり得ないとわかっていても、今にも射貫かれてしまいそうだ。

 それは、ただの一般人がエルドのそばにいるという不敬に対してであるなら離れるべきなのか。悩んでいる間にも距離は詰まり、その膝が地面につく。


「お怪我はございませんでしたか、『中立者』様」

「……見ての通り、大事ない」


 僅かな沈黙は諦めか、それ以外か。告げる言葉は低く、柔らかさの欠片もない。

 彼女の頭は垂れ、視線は絡むことなく。これが本来、エルドが受けなければならない対応であると知らされるには十分過ぎる。


「女王陛下直属部隊、トゥメラ隊隊長。アプリストスが娘――」

「ここは聖国ではない。正式な挨拶は不要」


 喰い気味に言葉を遮っても、ディアンの耳を塞ぐには遅く。そして、一部であろうと理解するには十分すぎる。

 予感は的中し、一層身体が強張る。そう、彼女……否、彼女たちこそ、本来は聖国にて女王陛下の御許にいる軍隊。その中の精鋭部隊、トゥメラ。

 本来聖国にいるはずの彼女たちがここにいるということは、門を使用したということだ。

 ……つまり、それだけ大事になっている、ということで。


「全てはこの町の状況を把握した後に。それまで本題に入ることは禁ずる」


 告げられているのは彼女であるのに、温度のないその声に背筋が冷える。

 淡々と響く声は耳慣れず、なぜこんなに動揺するのか自覚もないまま。


「……仰せの通りに」


 降り注ぐ声に対し、俯く彼女は動じることなく。立ち上がり、それから改めてディアンに目を合わせ……胸に当て、深く一礼をしてから去るまでの動きに淀みはない。

 見覚えのある動作は、いつぞや立ち寄った教会で司祭にされたのと同じ。つまり、教会最上者に対して行われるもので。


「――さてと」


 息を吐き、振り返り。そうして、ようやく絡んだ薄紫はいつもの通り。

 苦笑する姿に違和感はなく。それなのに胸の底は渦巻いたまま、なにも落ち着けないまま。


「とりあえず飯にするか」


 ……だからこそ、待ち望んでいたはずの言葉に、ディアンは頷くこともままならなかった。

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