始まりの猫は語る
「ん~~、美しい空!ひろーい草原!あたたかい空気に木の香りっ!」
そよそよと風に靡く草が寝ころぶ者の頬をなで、空には鳥が羽ばたき声を上げてコミュニケーションをとっている。木から飛び立ったと思えばすぐに戻ってきた。口に何か咥えているのを見る限り、この辺のどこかに巣があるのだろう。
「何度この場所に来ても全く同じ景色にはならない。飽きなくていいね」
青々と広がる空に太陽が照り大きな雲も通り越して地を照らすのは、不思議と懐かしい気持にさせるが深く考えず毛繕いをはじめる。
たちまち魚のような形の雲を見かけては腹の虫が鳴る。
「お腹すいたし、そろそろご飯を食べにいこうかな」
よしっと頷き、仰向けになっていた体を起こすと、目的の場所を目指して4本の足を動かしだす。
近くの森に入り5分くらい歩くとおよそ10m幅の緩やかな川に辿り着く。そこで顔を洗う。
水面に映るのは橙色の毛並みがベースでおでこに楕円形の模様がチャームポイントの愛くるしいにゃんこ。
いつからこの姿だったのか。
残念なことに原因も記憶も覚えていなくて、気付いた時にはこの姿。
以前の僕は猫の姿じゃなかったと思う。
もちろん記憶自体ないから確証はないけど、なんとなくそう思うんだ。
性別も女か男かも覚えていない。
それにこの目の色。
緑…赤……?いや、青っぽく見える時もある。
僕自身なぜなのか分からないけど多色みたいだ。
ま、覚えていないことを熟考した所で、記憶の欠片さえすっぽり無い現状だ。記憶を取り戻すために何か行動するっていっても、当てずっぽう感が否めない。
今現状出来ることといえば、この世界を知ること。
僕はこの世界にいる。ならばこの世界を知れば自ずと記憶の欠片が見つかるはず。
僕は一体何者か。なぜ記憶を失っているのか。
僕の身に何があったのかを。
パシャパシャと音を立てながら川の水を使い身綺麗にしていく。
湧き出た水はとても清らかで空気でも流れてるかのように澄透る。ただしすごく冷たい。
「顔も体も綺麗になって喉も潤ったぁー」
この川の水はかなり美味しい。それに頭がスッキリとして晴れ晴れした感覚になり、身体の汚れもあっという間に落ちる。
「っ……くぅーっちべたい!きもちい」
お次はご飯を確保すべく川から離れ、いつも通る道に沿って目的の場所に向かう。森の奥深くに入り、暫くすると開けた場所に辿り着く。中央には光が差し神秘的な大樹が優しく葉を僅かに揺らして静かに存在し、幹には樹洞が形成されていた。
どこか懐かし気持ちを感じさせるこの場所はいつ来ても神秘的である。樹洞の中には敷物を敷き、丁寧に、綺麗に、食べ物が並べられている。
「今日も沢山あるなぁ。誰かが毎日お供えに来ているのかもしれないけど」
食材を無駄にしない為には、腹を空かせた僕がいただく。まさにwin-winの関係さ。
…僕のこれは善行為だよ?
「今日も素敵なご馳走を頂きに来ました。ありがたく頂きます」
感謝を忘れずにお礼を一言とお辞儀をして頂く。
大きな葉がお皿変わりとなり、その上に木の実や魚、お米で作られたおにぎりだって置いてある。
おにぎりは風呂敷の上に載せてある。おそらく木の実などは別の者で、おにぎりだけ人間が持ってくるのかもしれない。
木の実や魚などはこの場で食べ、おにぎりは風呂敷で包み口でくわえて後のおやつにとっておく。
「最高に今日も美味しそうな物ばかりだね。今食べてもいいけれど、すぐに食べちゃうのは惜しいから、後でゆっくり味わって食べるんだ」
おにぎりを包んだ風呂敷を咥え、テクテクと次の目的の場所に向かう。
「僕はこんな風に平和にのんびりと過ごしたい」
「でも…」と続き足を止める。
「何か大事な事を忘れてる…。なにか僕には使命があったはずなんだけど…。こんなに不安になるのは、記憶にない記憶…のせい…なのかな」
ヘタリと両耳が垂れ下がる。
この世界で意識が目覚めたのはつい二週間前。
森での日々は、狩りや小動物との交流をしながら穏やかに過ごしていた。
しかし、時折心の奥底に消えない違和感を感じることがある。
「こんな風に平和でいてはいけない気がする…」
と。
普段はこんな気持ちにならないのに、なぜだか今日は気が沈んでしまった。
自分は誰なのか、名前も性別も不明なまま日々を過ごす事は常人…いや常猫では耐えられない。
きっと記憶をなくす前から精神が強かったのだと思われる。
「…ハッ、いかんいかん。何を弱気になっているんだか」
この森から目的地まで大体2時間くらい。猫の歩幅は小さいが、特殊な力を持ってるので一瞬で到着できる。
「今日は力を使わずゆっくり行こう」
一度気分が沈んだときは、風を浴びながら歩くのが一番だよね。
俯いてたって上を向いてたって、どちらにしろ事が起こることは止められないんだから。
気を取り直し歩み始め、以前この近くの村付近で聞いた昔話を思い出す。
今いるこの森はローテイグという神聖域であり、人間は安易にこの森に立ち入らない。
神が棲む森として崇められているから。
ローテイグで神を見たという最後の情報は300年ほど前に遡る。
その頃のローテイグは神聖域と知られていなく、人間は〈簡単に立ち入るような場所じゃない〉・〈神様の話は聞いていたが実際居るのか不明だから特に気にしない〉ぐらいな認識で、度胸の強い者はこの森に生息する珍しい動植物を狩ったり採ったりしていた。
そんなある日。村一番の強い狩人が森に生息している一頭の鹿を、弓で射殺した。
村に持ち帰った狩人は嬉々として御馳走だと笑いながら、村中に知らせ回った。
だが鹿の亡骸を見た村の長は、その姿を見るなり手足や口を震わせ涙を流した。
あまりの喜びに打ち震えているのだと思った狩人は、長の元に駆け寄り言った。
「これで長も寿命が延びるぞ、今日は宴だ。吉日だ」と。
皆大喜びであった。ローテイグの森の動植物は極めて質がいい為、高値で取引されるのが殆どだ。
なぜ長の寿命が延びることを望んだのか。
それは、狩人が長の息子だから。
彼はある時、酒場で噂を聞いた。
ローテイグに生息する動物の肉を食べると、寿命が100年延びると。
現実的に考えれば100年なんて生きれるはずがない。
だが、彼にとっては100年と言わずとも、長生き出来るだけでいいと願い、病で寿命が少ない長のため、噂で聞いたローテイグの動物を狩る決心をして森に入った。
村一番の腕利きで有名だった彼は怖いもの知らずで、狙った獲物は必ず仕留め帰っていた。彼自身その経験からの自信があり、今回も無事仕留められた事で歓喜した彼は
長の一言で硬直した。
なんと彼が仕留めた鹿は神の御使い様だと長が呟いたのだ。
膝から崩れ落ちポロポロ涙を流す長を見た彼は、一気に血相を変えた。身体中の血が引き、歓喜と共に興奮していた熱が冷めていき、今までにない感覚の汗が吹き出てきた。
頭部を鈍器で殴られたような感覚と共に思考が一瞬停止する。
確かにこの鹿は真っ白い色に金の瞳で、近寄り難い異様な雰囲気を纏い神々しさも相まって変だと気付いていた。
僅かながらに彼は変だと気付いていたのだ。
だが、それ程までに効果があるのだと思い込んでいた。
敬愛する父親の病を治したいという熱望が盲目的に彼を動かした。
すぐさま何という愚かな行動を取ってしまったのかと自責の念にかられ、後戻り出来ない後悔や罰当たりな事をした恐れが湧き出て長に謝る。
謝ったことで死んでしまった鹿は生き返らないのに謝るしか出来ないでいた。
幼い頃に母を亡くし、この世で唯一血の繋がりもある敬愛する父親の涙が胸を刺し、動揺と深い自己嫌悪に吐きそうになる。
長は息子のしてしまったことは自分のせいでもあると言い、今後の対処は自分に任せなさいと優しく、涙は流したまま微笑んだ。
彼はどうするつもりだと聞いた。
だが長は「大丈夫だ私に任せなさい。お前は私の為にしてくれたことを、嬉しく思っている。生まれてきてくれてありがとう。この村を、頼んだぞ」と罵倒や怒気を一切せずに、反対に自分の事を思って行動してくれたことに対して感謝の言葉を述べた。
意味が分からずどうする事も出来ない彼が唯一出来たことは、親を信じる。
ただそれだけ。
そしてその日の夜。
長は一人で森に入り、それきり戻らなかった。
戻らない長がどうなったのかを察した彼はそれから二度とローテイグに入らないと誓う。
長の命と引き換えに、村に災いが起きなかったのだから。
後悔と償いにと、小さい時に長から聞いていた神話を代々受け継がせ聞かせた。
その為300年経った今でも、ローテイグには毎日村の長と代表者がお供え物とお祈りを捧げに来る、という風習が出来上がった。
同じ過ちを繰り返さない為に。
まぁ、さっきの大樹は神の宿る木ではないけど、精霊の棲み家だと知っている。
そう、さっきの大樹は浄化効果のある木。精霊の棲み家だ。
ある一件をきっかけに仲良くなった友達だ。
その友達の精霊にご飯を毎日お裾分けして貰っているという訳だ。
そんなこんなで村人達の昔話を思い出し歩いていたら、いつの間にか目的地がもう目の前になった。
僕はそこを目指してまたテクテクと歩きだした。
目指したそこは、昔話にでてきた。
過去に罪を犯した村。現在アラディーと呼ばれる中規模の街。