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旅の初日を終えた私達は鬱蒼と樹々が繁る森の中で一夜を過ごし、夜明けと共に目覚めた私は一向に目覚める気配がない幼馴染の姿に思わず顔を顰めました。
「もうっ、あなた。いい加減目を覚ましなさいよっ。夜が明けたら出発するって昨日約束しましたよね」
私は下草へ横たわり瞳を閉じ眠り続ける灰色のローブを着た幼馴染の傍らで肩を揺すり続ける。
頭上に繁る樹々の間からは朝の陽光が眩しく射し込んでいた。
「えーっ、まだ夜だよぉ。お空に星さんたちも光ってるぅ」
漸く被った灰色のフードの奥で碧色の瞳を開けた幼馴染だが、幼女のような愛くるしい甘ったるい声を上げ不満そうに口を尖らせる。
「まあっ、疾っくに清々しい朝を迎えているのに、惚けるのは止めて欲しいですわ」
私もフードの奥から翡翠色の瞳で甘ったるい声を睨みつける。
「やだやだぁ、もうちょっとだけぇ」
しかし甘ったるい声は身を反転させ、顔を隠す様に下草へ突っ伏してしまった。
「もうっ、そもそもあなたが翼を持ち空を駆ける伝説の馬ペガサスの姿を拝みたいっていうから出掛けていますのに何て身勝手なのですか。それならこの旅は中止にしますわ」
私は纏っている灰色のローブの裾を持ちながら立ち上がり、伏臥を続ける『ねぼすけ』へ向け吐き捨てた。
すると強硬策が効いたのか甘ったるい声が漸く瞼を擦りながら身を起こした。
「まあっ、世話が焼ける子だわ。この先を考えるだけでうんざりね」
私は愚痴を零しながら踵を返し樹々の間に繁るやぶの中へ分け入った。
「あーっ、置いてきぼりは、だめぇ」
甘ったるい声は碧色の瞳の焦点が合わず、覚束ない足取りで私を追って来た。
時は過ぎ、天空に座する陽が高くなった頃、私達はそれぞれ銀色に輝く愛馬へ跨り深緑豊かな樹々の間を進んでいた。
「ねぇねぇ、今日ペガサスさん見つかるかなぁ。わくわくするぅ」
後方から甘ったるい声が一転して胸を踊らせ、この旅の目的達成を期待する。
「まあっ、こんな近場に棲息しているのなら、伝説とは呼ばれませんよ」
私は甘ったるい声の安易な願望に対して否定的にならざるを得なかった。
何故なら天駆ける馬は到達するのも困難で誰も住まない遥か西方で暮らしていると云い伝えられ、民衆の前にその奇異な姿を現すのは皆無だったからだ。
「えーっ、もしかして、こっちまで遊びに来ちゃってたりするぅ。だって鳥さん達みたいにお空を飛べるんだよぉ」
甘ったるい声が納得出来ず木漏れ日を見上げる。
「ふふっ、そんな訳無いと思いますけれど、それなら私もおうちへ戻れますわ」
私は頬を緩ませつつ手綱を揺らし馬の脚を急がせる。
甘ったるい声に散々駄々を捏ねられ止む無く一緒に旅へ出た私は一刻でも早くこの達成出来る見込みもない探索行を終えたかったのだ。
やがて私達は周囲が見渡せる丘へ到着した。
「まあっ、あなた。あちらをご覧になって。あれがきっと海と呼ばれる場所なのですわ」
私は濃緑の樹々で覆われた先に広がる青々した大海原を翡翠色の瞳で捉え指し示し、興奮のあまりソプラノの高い声域を響かせる。
森の中で暮らす私は一度も海を見る機会が無かったからだ。
「あーっ、海さんだぁ。久しぶりぃ」
そこへ甘ったるい声が少し遅れて親しげな口調で前方へ叫んだ。
「何ですって。何故存じているのですか」
私は驚きと疑問を隠さなかった。
それは幼馴染の甘ったるい声から海へ出掛けた話は聞き覚えが無いからだった。
「えーっ、この前もわたし、海さんへ入って、魚さん達といっぱい遊んだよぉ」
何と甘ったるい声は意気揚々に睡眠中の記憶を辿る。
「もうっ、あなた。寝ている間は瞳を閉じていますから、何も見えていない筈です。決して久しぶりなどではありませんよ」
私は流石に付き合い切れず口を挟んだ。
「ねぇねぇ、夢は見るって云わないのぉ。えーっ、わかんなぁーい」
しかし甘ったるい声は不満そうに頬を膨らませる。
「まあっ、それならおうちの寝台でペガサスを待つ方がよっぽど会えそうだわ。何でわざわざ私まで連れて出掛ける必要があるのかしら。こちらこそ意味不可解ですよ」
私は愚痴を零しつつ大海原を暫く眺めた。
そして私は一つの解決策を思いついた。
もし甘ったるい声の夢の中に伝説の馬が登場すれば、このうんざりな旅を穏便に終えられるのではないかと。
その後私は海へ向かわず甘ったるい声を引き連れ再び森の中を進んだ。
陽は傾き樹々の隙間から漏れる光が朱色へ変わった頃、前方に古びた木造の小屋が現れた。
「あーっ、ロレタドゥナ=フベーストゥトだぁ。今日はお外で寝なくて済むぅ」
甘ったるい声が宿泊施設へ到着したのを理解し、馬を降り大いに燥ぎ回る。
「ふふっ、あなたの出番ですよ。このロレタドゥナ=フベーストゥトへ伝説の馬達が遊びに来ているかもしれませんわ」
私は小躍りする甘ったるい声へ向け頬を緩ませながらもこの旅を今晩で終わらせるべく無理やりこじつけてみた。
「えーっ、ペガサスさんって、とびらさん開けられるのかなぁ」
甘ったるい声は期待に反し疑念を零しつつも軽やかな足取りで馬を連れ小屋へ向かい、正面に設えられた扉の中心部に右手を当てながら呟き始める。
数分経った後、扉は何の前触れもなく突然静かに開いた。
「ねぇねぇ、急いでぇ。このとびらさんはそんなに待っててくれないよぉ」
甘ったるい声が私に手招きを送り馬と共に扉を抜ける。
「ふふっ、あなた。それぐらいは知っていますよ」
私はさも当然の口調で笑みを零し甘ったるい声に倣った。
「エメル」
甘ったるい声が手から砂を落としながら呟いた。
同時に閃光が走り甘ったるい声の頭上に拳ほどの球体が現れ、まるで陽光のように扉の先の空間を照らし出す。
「まあっ、あなたが真っ先に光球を出してくれるなんて。たまにはしっかり頭が働いてくれますのね」
私は驚き翡翠色の瞳を見開いた。
「えーっ、たまに、じゃなぁーい。とびらさんが閉まったら真っ暗で何も見えなくなっちゃうから光球出したのにぃ」
甘ったるい声が不満を抱き頬を膨らませるなか、扉は誰も触れていないのに何の前兆もなくゆっくり静かに元の状態へ戻った。
それはまるで、自らの意思を持っているかのようだった。
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