第5話
「あー。そうか左利きかあ。知り合いに一人もいなかったから完全に失念してたよ。そうか、そりゃ違和感があるはずだね」
鉄筋というのは、感応石を通して操縦者の意志が伝わることで動作する。もちろんダイレクトにそのまま伝わるというわけではない。入力された意志の信号に含まれるノイズを選別するフィルターや、信号を増幅するアンプなども内蔵されているらしい。その上でさらに安全装置のリミッターが設けられ、それらを通った信号が鉄筋の制御機構へと届くのだ。
操縦者の利き腕や利き足によって、このフィルターやアンプの調整が変わってくるらしい。
「身体に合った調整の機体があれば話が早いかと思ったけど、それならどのみちイチから合わせるしかないか。オリガ、悪いんだけどさ──」
「いいえ、それには及ばないのではないかしら?もう一機あるでしょう?それも左利き用に調整された機体が」
オリガ様はそう言うと、旧体育館の端にある布の塊のようなものの方へと歩いて行った。
他の機体と違い厳重に梱包してあったため、鉄筋ではなく別の設備か何かが置いてあるだけだと思っていたが、あれも鉄筋だったのか。
「オリガ、それはウチの備品じゃ……」
「そうね。これの管理を任されているのは我がゴーレム研究会。だから、ウチからそちらに貸し出すということにするわ」
「……いいのかな?いいんですかこれ、先生」
「私はゴーレム研の顧問ではないからなんとも……」
展開についていけずに戸惑っていると、オリガ様が私を手招きした。
オリガ様を手伝い、かぶせてある布をはがす。
布の下からは、他と同様マットな質感の暗緑色に塗装された機体が現れた。
しかし他の機体と違い、少しスリムなように見える。全高もやや小さいようだ。
「これは…?」
「この機体は、この学園の初代鉄コン部の部長を務めていた人物が使用していたものよ。もう何十年も前の話だけれど。相当酷使されたみたいで、ボロボロの状態で形だけ保存されていたものを、ウチが引き取ってレストアしたのよ。研究用というところかしらね。だから所属はゴーレム研というわけ」
だとしたら、記念の品というか、少なくとも勝手に使っていいものではない気がする。何かの功績を残した人物ゆかりの品なら、記念館とか、博物館などに展示するのがふさわしい。
「ああ、その方自体は特に何かを為したというわけではないの。強いて言うならばこの学園で鉄コン部を立ち上げたというくらいかしら。当時はまだ人数も集まらなくて……。たしか、大会に出たはいいけれど、途中でメンバーの機体が破損して、それで人数規定を満たせずに不戦敗、だったかしら」
「ああ、まあ、そうだったかな。個人としての技量は高かったと聞いているけどね。でも本当にいいのかい?それのレストア、相当手がかかってるって言っていなかったっけ?」
「そんなもの、大した手間でもないわ。この子だって、倉庫の隅でほこりをかぶっているよりは、外を走るほうがよほど幸せなはずよ。たとえそれで壊れてしまったとしてもね。
それに初代部長殿は左利きで、この子も左利き用に調整されている……。
ここでアストリットさんが来るのをきっと待っていたんだわって思うのは、さすがにちょっとロマンチストにすぎるかしら」
「少なくとも君らしくはないな。まあでも、嫌いじゃないけど。
どうするアストリットさん。だいぶ古い機体だけど、乗ってみる?」
何十年も前の機体とは思えないほど、堂々とした佇まいだ。デザインは確かに今のものとはかなり違っているが、私はこの方が好みかも知れない。
「……よろしければ、ぜひ」
「現役の機体ほどにはメンテナンスは密ではないけど、それでも月イチくらいで診てはいるから。今すぐでも動かせるはずよ」
操縦席のシートの革なども新しいものに張り替えてある。
資料用としてレストアしただけならば、ここまでする必要はないんじゃないかと思う。
オリガ様……ゴーレム研究会の人たちも、もしかしたらいつか誰かが再びここへ座ることを夢見ていたのかも知れない。
バイザーだけは新しいものを用意されていた。規格が同じなのかわからないが、これは現代のものがそのまま使えるらしい。
私はこれまた古いデザインの操縦桿に手を添え、起動を念じる。
バイザーに外部の様子が映し出される。
遠くまで離れていく先生や先輩方の姿が見える。
周囲に人がいなくなっているのを確認し、私はゆっくりと動き出した。
──つもりだったが、足をもつれさせて転んでしまった。
それを見たオリガ様が駆け寄ってくる。
「ごめんなさい!忘れていたわ!その子は歩行用のサポートプログラムが入れてないのよ!歩くには4本の足をそれぞれ操縦者が制御してやらないといけないの!」
鉄筋の制御にはいくつものサポートプログラムが働いている。
歩行や走行に関するものもそのひとつだ。
人間には足は2本しかないため、4本足の鉄筋を操作するために適切な制御命令を出すのは難しい。そこで操縦者の意思を大まかに「前進」や「後退」、「旋回」などの動作目的に応じて自動で制御するようプログラムが組まれているらしい。そういえば、昨日も手などは意識して動かしていたが、歩いたりなどはそこまで意識していなかった。
ということは、もし4足歩行の動物の動きを脳内で再現できるのなら、この状態でも動かせるということだ。なにより今そのプログラムがサポートされていないということは、かつての操縦者はそうやって動かしていたということに他ならない。
『大丈夫です。離れてくださいオリガ様。やってみます』
4足歩行で走る動物なら、昔は映像端末などでよく見ていた。少しでもタイムを縮める参考にならないかと、研究と称してよく両親にせがんで映像ディスクを買ってもらっていたものだ。
遠くの国にいる、陸上最速と言われる野生動物の動きを思い出す。
あの野生動物は、トップスピードもさることながら、その加速力こそが素晴らしいのだと映像番組では紹介されていた。
あの動物は寝そべっている状態からでも、数秒でトップスピードまで加速していた。
あれはどのように動いていただろうか。
出来たとしてもまさかここでそれを再現するわけにはいかないが、ゆっくりとならいいだろう。
自分には4本の足がある、と想像してみる。私の下半身は今、あのネコ科の猛獣のそれだ。
ゆっくりと立ち上がり、獲物を見定め、足音を殺し、静かに近寄る。
気がつくと鉄筋は私の思う通りに動き、ゆっくりと歩いている。
あのぎこちないような、引っかかるような感覚もない。おどろくほどにスムーズだ。
今はまだ、歩くだけで精いっぱいだ。両腕にまで意識を払うことはできない。デュエルなどとても無理だろう。
しかし絶対に出来ない、とは思えない。訓練すれば、たぶん私は6本の手足を操れる。そんな気がする。
そして愚直に訓練するのには慣れている。
体育館の中央あたりまで歩き、そこでいったん停止して、鉄筋を降りた。
「ええ…。本当に昨日初めて鉄筋に乗ったの…?フルコントロールで歩くとか、大人のプロ選手でもそういないよ…」
「プロ選手にいないのは、必要がないからよ。サポートプログラムがあるなら、操縦者は直感的な指示だけで戦えるから。でもそれが気に入らないからということで、あえてフルコントロールで操作するプロもいるわよ。外国選手だけど」
フランツィスカ様とオリガ様が話しているが、私はあまり聞いていなかった。
これだ、と思った。
この、フルコントロールという手法で完璧に操作し、そして現役のプレイヤーに勝利してこそ、私はきっと鉄筋を許すことができる。鉄筋を完璧に支配し、上から目線で「許す」と言えるのだ。
「あの、本当にこの機体をお借りしてもいいんですか?」
「アストリットさんはお気に召したようね。ええ、ポンコツ鉄コン部に貸し出すわ。条件は、研究用としてこれからも機体の整備はウチに任せてもらうこと。どうですか?先生」
「私からは、よろしくお願いしますとしか言えないわ。……ありがとう、オリガさん」
「あの、ありがとうございます。オリガ様」
ゴーレム研には実質何のメリットもない申し出だ。これがたぶん、先ほどオリガ様が言っていた最大限の協力なのだろう。
ありがたく受け取ることにし、頭を下げた。
「サポートプログラムは、左利き用のものがどこかにあったと思ったから、それを調整して──」
「いいえ、せっかくですが必要ありません、オリガ様」
その場にいた全員が唖然と私を見る。
「このままの仕様で十分です。私が練習すればいいだけですから」