第2話
過去を乗り越えると言っても、具体的にどうしたものなのかはわからない。
いっそ鉄コンのクラブにでも入部してみればわかるのかも知れないが、あのクラブはたくさんの部員がいる。中途半端な時期に入部したのでは悪目立ちをしてしまうだろうし、私の目的は鉄筋を支配することであって大会で活躍することではない。そんな浮ついた気分では真剣に大会を目指す他の部員の邪魔をしてしまうだろう。陸上と違い、鉄コンはチームプレイなのだ。いや、陸上でも部内の雰囲気に温度差があれば結果に影響することもある。
保険室は教員室などと同じ本棟にある。いつもの1年校舎からではなく本棟の昇降口から出たため、演習場の前を通らない方が早い。
一部のクラブの部室や倉庫などがある旧校舎の側を通って寮へ向かう。
こちらの方へ来るのは初めてかもしれない。クラブ活動をしない私にとっては全く用のない区画だ。
なんとなく気になって旧校舎を眺めながら歩く。
一部のクラブの部室があるとは言っても、その数はそれほど多くはない。クラブ棟は別に建てられたものがあるため、旧校舎に部室があるクラブはクラブ棟に部室を確保できなかったものたち、要は弱小クラブだと聞いている。
かすかに管楽器のような音が聞こえてくる。吹奏楽部か何かだろう。しかし吹奏楽部ならクラブ棟に立派な部室と楽器などの保管用の準備室が与えられているはずだ。わざわざ旧校舎で演奏する必要などないはずなのだが、どこから聞こえてくるのだろう。
私は少し興味をひかれ、旧校舎に近づいて行った。
木造2階建ての校舎は長年の風雨にさらされても少しも朽ちてはおらず、学園の歴史と重みを感じさせる堂々とした佇まいに思える。もちろん普段勉学に励んでいる校舎と比べれば小さくみすぼらしいのだが、建物の価値というものは見た目や機能性だけではないということを全身で伝えているかのようだ。
音は2階から聞こえているらしい。さすがに校舎の中に入ってまで演奏者の顔を見ようとまでは思っていない。
しかし旧校舎にどのようなクラブが入っているのか全く知らないため、1階を少し覗いて、その活動を見学してみてもいいかもしれない。そう思う程度には、この建物やそこに住まう人々に興味が出てきていた。いや別にここで暮らしているわけではないだろうが。単なる比喩としてである。
現在の校舎は昇降口と玄関は別になっているが、当時は一緒になっていたのだろう。玄関兼昇降口と思われる場所から旧校舎に入った。
勝手なイメージから埃っぽい匂いやカビ臭さなどを想像していたが、そんなことはなかった。普段から人が出入りしているためだろう。
それほど多くはない、と聞いていたのだが、1階の廊下から見えるぶんだけでもかなりの数のクラブの部室があるように見える。クラブ棟と比べればそれほど多くない、という意味だっただけで、たとえば私がかつて通っていた学園のクラブとこの旧校舎のクラブではそう数が変わらない。
もとは教室として使われていたであろう部屋のプレートには、それぞれにいくつかのクラブの名前が窮屈そうに並んでいる。ひと部屋に複数のクラブの部室があるのだろう。
弱小クラブがこちらに集められているというような話を聞いていたため、どんな妙な名前や活動内容のクラブがあるのかと思っていたが、見た限りでは普通のクラブしかない。
1階は主に運動部が軒を連ねているようで、妙に懐かしく感じる陸上部の札も見える。
「陸上なんて王道のクラブのひとつだと思うんだけど、なんで弱小扱いなんだろ?確かにこの学園はそれほど陸上が有名というわけではなかったけど」
もし有名だったらさすがの私も気づいているし、たぶん受験していない。
パンフレットはろくに呼んでいないが、陸上が有名な学園はだいたい知っている。
「なんだ、知らないの?もしかしてきみ、外部生?」
「っ!?」
突然声をかけられて息が詰まった。
別に何か悪い事をしているわけではないのだが、帰宅部なのに部室を覗いていることに後ろめたさのようなものがあったのかもしれない。
「ああごめんごめん。別に驚かせるつもりはなかったんだけど。独り言が聞こえちゃったからさ。
1年生だよね、そのリボン。だとしても中等部からいる生徒なら知ってるはずだからさ。外部生かなって」
「……はい、そうです。高等部から編入しました。アストリットといいます。あの、あなたは……」
「私はフランツィスカ。まあ長いからファニーでもツィスカでも好きな方で呼んでくれていいよ」
あいにく私は初対面の人を愛称で呼ぶほど社交性が高くない。
「…フランツィスカ様、は、ええと、何年生でいらっしゃる…?」
「そりゃ見ての通り…。ああ、そういえばお昼にスープこぼしてリボンは取っちゃったんだった。3年だよ。ごめんね」
これまで目にしてきた学園生とは一線を画す存在だ。どちらかと言えば庶民の学園に多いタイプに見える。親しみやすいといえばそうなのだが、この学園にあっては異質だ。
顔だけ見ればロザリア様に迫るほどの美形だが、その雰囲気は対照的と言える。
「それで、どうしたの?こんなところで。季節はずれのクラブ見学?」
「はい。そのようなものです」
「え。冗談だったんだけど。でもだったらなんでまたこんな所へ?見学するならクラブ棟の方がいいんじゃない?綺麗だし人も多いよ」
クラブ活動を見学しにここに来たわけではなく、なんとなくここに来た結果クラブ活動でも見学しようと思い立っただけだ。深い意味はない。
何と説明したものか、と考えているうち、フランツィスカ様のほうから会話をつないできた。
「でも珍しいね。見学するってことは今クラブに入ってないってことでしょう?もう進級…ああ編入か、してから3ヶ月は経つと思うんだけど、何で今になって?」
「心境の変化です」
それ以外に言いようがない。
「心境の変化……。っふふふ。ちょっとおもしろいねきみ。よし、驚かせてしまったお詫びも兼ねて、お姉さんが案内をしてあげよう!どこか気になっているところはあるかい?」
旧校舎にいるということはこの人もどこかのクラブに所属しているのだろうが、そちらの活動はいいのだろうか。
「気になっている……というか、その前に先ず、さっきの私の疑問の答えを教えてくれませんか?
陸上部の部室がクラブ棟ではなく旧校舎にあるのはなぜなのでしょうか」
「あー、それか。そうだね。
正確にはそれは違うんだよ。陸上部の部室はちゃんとクラブ棟にあるよ。ここにある部室は陸上部と言っても、そうだな、第3陸上部とでも言おうか。要はクラブ棟の陸上部に入れなかった子たちのための陸上部だよ」
意味がわからない。クラブに入部するのに試験でもあるのだろうか。
「この学園、めちゃめちゃ人が多いんだよね。それでいて、全校生徒にクラブ活動を推奨してる。そうなるとさ、人気のクラブってものすごい人数になっちゃうと思わない?そんなに人数いたら大会にだってほとんどの人が出られないし、管理する先生も大変だよ。
だから同じような活動内容でも複数のクラブに分かれてて、たまにそのクラブ同士でコンペっていうか、まあ競争して、勝ったところからクラブ棟の部室を選べるってわけ。
陸上部で言えばクラブは3つ存在していて、クラブ棟には陸上部用の部室が2つあるから、負けた第3陸上部はここにいるってこと」
「でも、複数のクラブを作ったところで、どのみち大会に出られるのは1校分だけなのでは?」
「ああ、それは大丈夫。うちってオブスキュリテ学園って名前だけど、書類上はオブスキュリテ第1学園とオブスキュリテ第2学園が存在してることになってるらしくてさ。大会にはたいてい2枠分の出場枠があったりするから」
そんなことありなのか。
例えば陸上競技大会で言えば、大会に出場登録するにはそれなりの金額の登録料が必要だと聞いたことがるし、登録には国が認めた参加許可証が必要なはずだ。あれは確か税金と紐付けされていて、一定額以上の納税のない学園には許可証が発行されない。
つまり生徒数が一定以下の学園では大会に出場するのは困難だというルールなのだが、しかし逆に言えば、2校分の税金を支払ってさえいれば2校分の許可証を発行させるのも不可能ではないということなのだろうか。もっとも実際はひとつしかない学園の税金が2校分として支払われる事について制度上の問題がないならばだが。
「詳しい事はよくわからないけどね。2年のロザリアさんのほうがよく知っているんじゃない?
確か彼女のおじい様、政界の偉い人だったよね」
全然知らない情報だが、あまり関係ないためどうでもいい。直接そんな雑談をする機会なんてないだろうし、そもそも雑談というにはデリケートな話題だ。
「じゃあ、それで楽器の演奏が聞こえてきたんだ…」
「ああ、吹奏楽部に興味があるの?」
「あ、いえ、ちょっと気になっただけです」
この先輩のおかげで気になっていたことがすべて解決できた。
オブスキュリテ学園生らしくない雰囲気の先輩ではあるが、基本的に親切である、という気風だけはしっかり持っているらしい。
「でも、そういうシステムだったなら、例えばコンペで負けて旧校舎に来てしまったクラブの部員が退部して、コンペに勝ったクラブに再入部したりとかってことはないんですか?そうしたらこっちには誰もいなくなっちゃいますよね」
「そりゃシステム的には可能だけどね。各生徒の履歴書というか、入部申請する前にどの部に入っていたのかは全部記録してあるから、それを辿ればすぐにわかっちゃうよね。各クラブの部長には入部希望者を認めるかどうかの権限も与えられているから、普通はそんなの許さないんじゃないかな」
そういうことなら、この旧校舎に大勢の人がいるのも納得できる。
つまりここにいる人たちは、みな負けた人たちなのだ。
妙な親近感が湧いてくる。
「1年生なんかは最初はみんなクラブ棟の方へ行くからね。この時期はまだこっちには1年生はほとんどいないかな。人数が多すぎるクラブなんかは定期的に部内対抗戦みたいなこともやってふるいにかけたりして、それではじかれちゃった子とかはこっちに流れてきたりするけど」
それでフランツィスカ様は私に声をかけたのだろう。この校舎に1年のリボンをした生徒がいること自体が珍しいということだ。
「……クラブ棟の方に見学しにいくかい?」
私は少し考えた。
クラブ棟の見学に行くかどうかをではない。考えるまでもなく行く必要はない。
もともと陸上以外に取り柄のなかった私だ。その陸上を失った今、クラブ棟の活動に混ざったところですぐに旧校舎に来ることになるだろう。ならはじめからこっちでいい。
考えたのは別のことだ。
それは鉄筋だ。鉄コンのクラブはこの学園の中でも最も人数の多いクラブだ。当然複数の部が存在しているはずだ。そのすべてがクラブ棟で養えるとは到底思えない。この旧校舎にならば、私の精神的リハビリにちょうどいいペースのクラブがないだろうか。
もちろん負けた人とはいえ、今なお勝利を渇望し必死に歯を食いしばっている可能性もある。その時はおとなしく諦めよう。鉄筋を支配しなければ乗り越えられないと決まったわけでもないし、それなら他人様の努力や夢を邪魔してまでやるようなことではない。
「……フランツィスカ様、ひとつ案内していただきたいクラブが」
「ファニーでいいんだけど。あるいはツィスカでも。クラブ棟じゃなくていいの?どこのクラブ?」
「この旧校舎に鉄コン…、コンクエストデュエルのクラブがあれば、お願いします。フランツィスカ様」
フランツィスカ様は一瞬虚を突かれたように真顔になり、すぐに不敵に笑って言った。
「それなら向こうの……今は倉庫になっている、旧体育館の方だよ。そして都合がいいことに実は私もそちらに向かうところだったんだ。
何せ私が、その落ちこぼれ鉄コン部の部長だからね」
両親の目を逃れたアストリットを待っていたのは、また鉄筋だった。
挫折と親切、敗北と優しさとをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、
ここはオブスキュリテ学園の旧校舎。
次回「第3話」。
来週もアスタと部活に付き合ってもらう。