恋と花火とりんごあめ
夏をテーマに書きました。読んで頂けると嬉しいです。
―1―
「うがー」
わたしは扇風機に向かって声を出してみる。
夏は、これをやらなければならない気になるのだ。
それも自分の家ではなく、田舎の祖父母の家に行ったときだけやるのだ。そのほうがなんだかノスタルなんたらな雰囲気にひたることが出来るから。
中学三年。夏。
わたしの名前は明里陽鞠と言う。
中肉中背の、髪は肩くらいで、これといった特徴もない、いたって普通。友達から言わせれば「ちょっと気が抜けている」とか、「悩みとかなさそう」とか、そんな言葉ばかりが返ってくる。
正直ひどいと思う。
わたし自身の成績は悪くない方だし、運動はちょっと苦手だけれども。
ごほん。
わたしにだって悩みはある。たえずぼんやりとした不安が、蛇のように、谷底から一斉に顔を出して、鎌首をもたげてこっちを見てくるのだ。
今年は受験の年。
県立の、滅多に落ちることはないと言われている学校に受験する予定なのだけれども、不安は募る。
もし落ちたらどうしよう、とか。
他にも色々、身体の変化とか、心の変化とか、なんで子どものままでいられないんだろうとか、明日のごはんとか、友達に彼氏が出来た話とか、受験とか、そういった物がぐるぐる、ぐるぐるぐるぐるうずまいて、収まって、またぐるぐるぐるぐる。
わたしは変わってしまうことが、どこか怖かった。
この祖父母の家というのはずっとあまり変わらなくて、だからすごく安心する。
「明里のじっちゃん、ばっちゃん、スイカのおすそわけに来たよ」
声のする方角に目を向けると、窓の外にはわたしと同じくらいの年の男の子がいた。
「もしかして――翔太?」
「うん? おー、陽鞠か、すっごい久しぶりだな!」
にかっ、と歯を出して笑うこの男の子の名前は柊翔太と言う。
背はやや低めで、しゅっとした顔に、ちょっと子供っぽさのある笑い。
遠縁の親戚らしく、小学生の時に、ここに来たときに良く遊んだことがある。
たぶん、わたしの初恋、だと思う。
今でも、ちょっとドキドキしている。
この気持ちは変わらない、簡単には変えられない。
「なんか、あまり変わってないね」
「ぐっ、いや、俺はこれからが本番だから。これから背も高くなる!」
「それ、小学校の時も聞いた気がする」
「ああっ、言ってはならないことを!」
ふっと、お互いに噴き出して、笑いあう。
中学に上がる前から、どこか異性と遊ぶというのが気恥ずかしくなってきて、段々と会う機会も少なくなってきて、最終的に4年ほど顔を見ていなかった。
この、もやもやとした気持ちに気付いたのが、彼と会わなくなってから。
もしも恋に尻尾があるのならば、きっと、猫の姿をしているのに違いない。
だって、尻尾を振っている癖に、近付いたら離れて行ってしまうもの。
―2―
翔太の持ってきた二番生りのスイカをかじっている。
まだぜんぜん甘いと思うし、とてもおいしい。
どうやらおじいちゃんが趣味で作っているスイカ畑が、猪によって食い荒らされてしまったという話を聞いて、翔太の家がおすそわけにしに来たという。
代わりに翔太には冬瓜を持たせるそうだ。野生動物の被害は助け合わないとやっていけない、らしい。
「ねえ陽鞠」
「なに?」
「明後日のお祭り、久しぶりに一緒に行かないか?」
一瞬、スイカの種を飲み込みそうになった。
「えっ? う、うん」
「よしっ、じゃあ、明後日5時に泥付き地蔵の前で集合な! いいか、明後日の5時だよ」
「そんなに釘を刺さなくても分かっているよ」
「いいや、陽鞠は前科があるからな。5時を6時と間違えてこなかったことがある」
「ぐっ、思い出さなければ忘れていたのに……!」
「1時間もまちぼうけをくらった俺の気持ちが分かるか? 寂しくて辛いんだぞ?」
「ゴメンナサイ……」
「じゃあ、明後日の5時だからな!」
そういうと翔太は帰っていった。
わたしは人知れず、にやにやとして、それをおばあちゃんに見られてしまった。
恥ずかしい……。
―3―
浴衣を見て、ぎゅっと抱いて、顔を赤らませて。
そんな様子におばあちゃんが、
「祭りが楽しみなの分かるけど、浴衣、しわになるわよ?」
と言われて正気に戻る。
「これはマリのお母さんが中学生のときに買った浴衣でね。その時にお父さんと出会ったのよ」「へぇー、そうなんだ」
「そうそう、おじいちゃんなんて、ボーイフレンドを連れてきたって、すっごい大騒ぎだったもの。しっかり覚えているわ」
鏡の前で、袖を通して行く。
薄い水色の生地と、藍色の蝶が翅を広げて、褄先を合わせ、腰紐を巻き、帯を結ぶ。
髪には桃色の椿の髪飾り、少しぎこちないな妻捌き、からころと下駄が鳴る。
しっかりと、5時に泥付き地蔵の前と辿り着き、翔太と合流する。
彼もおんなじように浴衣姿で、わたしとは違う、少し灰色でおとなしめ。
「じゃあ行こうか」
「うん」
なにやら気恥ずかしい雰囲気というか、ちょっと、なんともいえない空気に、お互いそわそわとしながら、距離を取って、歩く。
わたしはそのもどかしい感覚に我慢が出来なくなって、口火を切った。
「雰囲気、あんまり変わってないね」
「まあ、祭りなんてそんなに変化ないからね」
「そういえば、あのときもこんな風に一緒にお祭りに行ったよね」
「そうだね。それにあの川は、陽鞠が溺れそうになって助けたこともあったな」
「あれは忘れて。あのときのわたしはおばかだったの。泳げないのに、川の流れに身を任せれば大丈夫だって思って……」
「あの山の木に登って、落っこちたこともあったな」
「あのときは翔太がほんとうに死んじゃうんじゃないかって思ったんだよ?」
「ご心配おかけしました」
「分かればよろしい」
懐かしい思い出、昔話に花が咲き、お互いの時間を埋めるように打ち解けてきた頃。
りんごあめを売っている屋台を見附って、わたしはついじっと見てしまった。
「りんごあめだな。あれってまだ売っているんだ」
「一緒にお祭りに行ったときも、確か、りんごあめを翔太が買ってくれて」
「そうだったっけ?」
「うん。翔太が陽鞠にプレゼントって言ってくれたの」
「そ、そうだったっけ? い、いやーぜんぜん覚えていないなー」
と言いつつも頬を赤らめ、明後日の方角を向く翔太。
別に隠すことでもないのに、恥ずかしいのか、照れくさそうに頬を掻いている。
わたしはその様子がおかしくて、つい、「ふふっ」っと笑ってしまった。
「あ、笑ったな。まったく。そうだちょっと待っていてよ」
翔太は屋台に並び、買ってきたのは色鮮やかで真っ赤なりんごあめ。
にかっと笑い、わたしに差し出すと、
「ほら、あのときと同じ、陽鞠にりんごあめ食べて欲しいな」
きゅっと、胸が締め付けられるように苦しい。
あのときは、どうしてもりんごあめが食べたくて、でもお小遣いもなくって、そしたら翔太が買ってきてくれた。遠慮して食べられないわたしに向かって言った言葉。甘くてちょっと酸っぱい。忘れられない思い出。
心の奥底の燠火に、ぽっと、火が灯ったのを感じた。
嬉しそうな彼の横顔を見て、彼にこの気持ちを伝えたい。好きだと。
でも、それをしてしまえば、すべてが変わってしまう気がして、どうしても言えない。
嫌いだと言われたら、そんなつもりなんてないなんて言われたら。
変わってしまうことが、失ってしまうことがたまらなく、怖い。
わたしがまごまごとしていると、突然翔太が手を取った。
「もうすぐ花火が打ち上がる時間だ。早く行こう。良い場所があるんだ」
翔太の手がとても大きく感じた。
あのとき、一緒にお祭りに行ったときとおんなじで、とても頼もしく、安心する。
「なあ、陽鞠は来年、どこの高校に行くんだ?」
「県立の高校の予定だよ」
「そうか。そうなんだ」
翔太は考えるように一拍置いて。
「俺は来年も陽鞠と会いたい」
「…………」
「再来年も陽鞠と会いたい」
「…………わたしね、変わってしまうことが怖いんだ。高校も、出来ればずっと中学の仲間のままでいられたら、って思うの」
「俺もそういう気持ちになるときあるよ。なんか旨く説明出来ないんだけどさ。なにかに置いて行かれそうな焦り? そういうのを感じるんだ」
「翔太もそうなの?」
「だから、置いて行かれるもんかって、すっごいふんばってる!」
「ふふふ、なにそれ」
「でも、変わっていくことも、ちょっとは良いかなって、今は思えるんだ」
「どうして?」
「だって、陽鞠、すっごい可愛くなったんだもん」
「…………ばか」
自分の表情を見られないように下を向いた。
きっとにやついている。そのにやけ面をさらさないように、頑張って笑いをかみ殺す。
その後は二人無言で歩いた。
でも、気まずいとかそんなんじゃない、悪くない時間。
変わっていくのも、少しは怖くないって思えそうで。
やがて川沿いの花火がよく見える場所に辿り着いた。
あのときも来た場所。
周囲にもぽつぽつと人影がいた。
時計を気にして花火が上がらないかと今か今かと待ちわびているよう。
「陽鞠。そのりんごあめ、ちょっとだけ俺にも分けてくれないか?」
「いいよ。はい」
「いや、陽鞠は食べたままでいいよ」
そういって翔太はわたしが食べている方の反対側をかじった。
その瞬間。
爆発音とともに、空に花火が上がったのだ。
空に打ち上がるのは、火の花と、甘酸っぱいりんごあめ――――
ここまで読んで下さってありがとうございます。