5.アイドルの在り方
いや、原稿はあるんですよ…ハイ。後は気力なんですよね。うん。
5.
己に自信のある者ほど彼女を大事に思い、傍に相応しいのは自分だ、と思うのだ。
でなければ、計算高いラビスが可愛いビーズ(天然石クラス)をセットでマリに贈るまい。
そうして遊び慣れたクロノスが彼女の不意の笑顔に見惚れたり、船長に嫉妬の感情をあからさまに見せたりしないだろう。
中年親父の機関長は彼女が来ると態々熱くない場所に丁重に移動させ、『仕事の邪魔だ!さっさと出て行け』とお馴染みの台詞で怒鳴りつける事もしない。
料理長はおやつを作ってそわそわと待っている。秘書のエアデールは彼女の為に座り心地の良いクッションを手作りし、木の優しいフォルムを描く椅子もこっそり経費でカタログ発注していた。
女船員達はこぞって彼女を構いたがり、小さなお菓子を折を見ては握らせている。
『この船の人は気持ちの良い人ばかりだねぇ。ブランが自慢なのが良く分かるよ』
と、マリはにこにこと嬉しそうに微笑っていたが男装の麗人たる船長は何だか船ぐるみで詐欺を働いている気分に陥り、色々な種類のもの滲んでいた。
すんませんすんません。こんな愛想全開なのはキミ相手の時だけなんだよ。
こいつ等、平時は心底ヒトをヒトとも思わぬヒトデナシばかりです。
ブランシュは何だか彼女の足下に土下座して、額を床に打ち付け、懺悔したい気分に襲われた。
目の前の緊急事態を眺めれば、俄然そんな想いが胸に迫る。
「だあっ、エリュシオンと各中継都市には航空許可申請したのかッ⁉︎何っ、未だだと‼︎お前の頭に詰まってんのは味噌か?大鋸屑か、ああんッ?とっとと済ませろ!おいそこッ、ルートのシミュレーション如きにいつまで時間掛ける気だ‼︎」
航海長が自身も素晴らしいスピードでコンソールパネルに指を走らせながら、ブリッジを指揮している。
走り回る乗員達にも一つとして無駄な動きが無い。上官に怒鳴られても不満一つ言わない。
「船長、機関部からです。新米が全員『邪魔だから』という理由で追い出されましたッ‼︎おやっさん、いえ機関長が無茶苦茶です。げ、エレメンタルクロームを使わせろと怒鳴ってますが、どうなさいますか?」
それは緊急時にのみ使用を許可する超爆裂な圧縮型小型燃料だ。
「船を壊さん程度なら許可すると言ってくれ」
了解しましたッ、という返事にやや遅れて船体が僅かに揺れる。…使ったか。
「船長、遊撃・輸送班のサラマンデルとシルフィードが一番近いと言う理由で、都市エデンにと部品の買い出しに戦闘機で直接出向きました‼︎あ、通信が?─────切り替えますッ!」
マリが『顎髭の人はちょっと…』と怯んだ為、その自慢のブツを惜しげも無く綺麗に刈り取ったジョルドがディスプレイ一杯にその童顔を晒した。
『おう、船長。サラマンデル隊報告すんぞ?小隊全五機中、二機の機体に先日の工作員による破壊工作のダメージが残ってる。
主に駆動系なんだが、それ自体はうちの連中と整備部の腕利きが死に物狂いで修理してっから問題無ぇんだがよ。電磁フィールドのパラメーター表示に使う部品をエデンに発注しててな?どう急いでも届くのが明日の朝一、っつーからそれから組み込んだら俺ら【説得】混ざれねぇだろ?そーゆーワケで、ちょっくら行ってくっからー』
軽〜くジョルド小隊長が言い終わると、画面が二分割される。
割り込んできたのは、女受けする顔とマリに保証され、乙女の様に顔を赤らめた歴戦の兵であるクリストフだ。
『勝手をしまして申し訳ありません、船長。シルフィード隊も似た様な状況でして。
燃料は共にボーナス天引きで構いません。我々は少なくとも二〇時には帰投致します』
ぶつ、と音がして映像が消えると同時に通信打ち切られました、と声が上がった。そんな事は言われなくとも分かっている。恐らく操縦に専念したのだろう。近いとは言ってもそれは船での距離。エデンまでは普通に飛んではそこそこの距離がある。この先は時間との戦いだから、二機の隊長機は史上最速で飛んでいるんだろう。
「仕方あるまい。エデンとワルスニ空港の管制塔、自治区双方に受け入れと発着の許可、それと念の為に工房にも連絡を入れといてやれ」
そう〆ると、傍で腹心がこれまた誰かと交信している。
「─────ですからね、ナウーム。闇マーケットに物の情報が流れるって言う事は即ち、只で手に入れたがる馬鹿も増える、って危険性を分かっているんでしょうね?こうして此方が真っ当に交渉している間に貴方を始末して丸ごと戴く方が早い、って判断する輩が今まさに量産されてるワケですが、自覚あります?」
鬼気迫る表情で猫撫で声。
至って冷静沈着な顔を貫いている彼の背後に伝説の魔王の姿が垣間見えた。
画面の向こう側で小心者の商人が完璧にビビって泣き出している。
「シルヴィアナ号のこのラビス・アルブリッヒ相手に値を釣り上げようと交渉した努力は認めましょう。
ですが、今私は十年に一度有るや無しやの不機嫌周期でして……ねぇ分かるでしょう?ああ〜このままでいくと、貴方が亡くなる前に主砲でうっかりそちらの鉱山をぶち抜いてしまうかもしれませんね。今の内にお別れの挨拶を済ませておいた方が宜しいでしょうか…?」
ああ、明日の為に早めに後顧の憂いを断っておこうという腹積もりか。この分だと本日中に納入手配まで済ませられるな。
船長の背中に、「脅し?本当にそう思いますか?」という絶対零度の声が遠ざかっていく。
次にブランの前を横切ったのは白い服に身を包んだ一団だった。
「何処へ行くんだ?ローレン」
スリットが太腿まで入った服を着た料理長は亜麻色の髪を揺らして、お色気たっぷりに振り返った。
妖艶な熟女が足を止めると数人の弟子と十人程度の新人も彼女に従う。
だが、普段ならそんな様子にも余裕たっぷりな微笑みを浮かべる筈のローレンが今はとても似合わぬ険しい顔をしている。
「ブランシュ…お買い物よ、勿論」
「貴女が態々買い付けに出向かなければならない程の物なのか?」
ローレンのお買い物とは食材の事だ。だが、普段なら産地を特定し、後ろに控えている部下に市場や量販店、はたまた仲買人にヴィジホン一本入れさせれば済む。
「…貴女、蜜蜂ちゃんが体型をとても気にしているのは御存じ?」
『ハニーちゃん』=マリか。あだ名の多い子だ…。
「いつもあたくし、一生懸命お菓子を作るんだけど、いっぱい食べてくれないの。でも、いつもとても哀しそうなのよ。蜜蜂ちゃんは甘い物が大好きなの。だから、貴女が太ってきたら責任取って若返り屋のメディカルカプセルに入れて戻してあげるから、って言ったんだけど、旦那様をほんのちょっぴりもガッカリさせたくないからって」
悔しそうにハイヒールの踵を涙目で踏み均す、泣き黒子の垂れ目美女を周りが慌てて宥め出す。
そんな冷たい旦那、捨てちゃえばいいのよッ‼︎とか言いつつ、はっ、と顔を上げ、
「そしたらね、ブランシュ!何と抽出するだけでお砂糖の甘さとコクに匹敵する穀物があったのよ!しかも、こんな辺境の土地に‼︎しかも、カロリーは殆ど無いの〜なのに血糖値すらそんなに上がらないのよ?」
…成る程、それで彼女を呼び寄せる為のエサとして大量に買い付けようとした、と。
ところがこの地方でも注目され始めたばかりのVIP御用達食材で、どうにも欲しい分だけ手に入らなかったらしい。それで御大直々の出陣と相成った訳だ。
「絶対に意地でもブン獲ってきてみせるわ!船長、幸運を祈っててね」
ウインクを決めた女料理長にプランは一枚のカードを放った。
ピシリと音を立てて、それが彼女の右手に収まる。驚き、なぁに?と手の中を覗き込んで絶句する。
「都市タカマガハラのフィメール姉妹、イン様とヨウ様の肉声とサインが入った3Dブロマイドだ。超レア物だぞ?貴女の交渉をスムーズにする為に使うといい」
マニアで無くともダイアモンド・カードに匹敵するお宝を震える手で胸元にしまい込むと、ローレンは船長の頰に感謝のキスを降らせた後、集団を二つに分けて船の備蓄班と別れて意気揚々と出かけて行った。
つまり、結論としては万人ウケするアイドルとはこの船限定でマリの事なのだ。
副船長には『妖精さん』で航海長には『小鳥ちゃん』、料理長からは『蜜蜂ちゃん』、機関長なら『お嬢』で遊撃隊長二人からは『天使』。
そしてこの船長からは『マリー・ゴールド』と。
そのどれにも彼女は照れながら『はい』と返事を返す。ソール・リダリル─────それが本名と言うが…勘だけで言わせて貰えばかなり嘘っぽい。呼ばれてからの反応が数秒遅いのだ。
リダリル。どうもピン、と来ない。アジア系に付ける名前でも無い。
だがそれが偽名だとして、果たして一体何の必要に迫られている?あれだけの男が妻ありきの上できちんとした職に就かず、嘱託に甘んじているのは何故だ?
二人がこの街に流れてきてまだたった二週間だというラビスの報告が嫌な予感をかき立てる。
引っ越したばかりだというのを差し引いても、あの荷物の少なさは有り得ない。
この勧誘に失敗すれば、恐らく高い確率で二度と彼女には会えない気がする。
マリを知らなかった頃ならまだしも、知ってしまった今では冗談じゃない、と長身の美女は眦をきつく吊り上げた。
絶対に、成功させてみせる。
見事な銀の髪を無造作に一本に縛ると、ブランシュは船長自ら総点検・全チェックに乗り出すべく、各部署から追い出され、右往左往する新米達に良く通る声で細かく指示を飛ばした。
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