3.ブランシュ船長の事情
このお話では舞子が度々違う偽名を使う為にちょっと混乱されるかもしれません。
なのでこれからちょいちょい注釈を入れると思います。
因みに現在はソール・リダリル(リダ)と名乗っています。レイクはソール・レオン。
3.
「そうだ」
やはり間髪入れずに答えが返ってくる。
彼女は条件を具体的に示した小冊子を差し出す。
「私も商人だ。友人と離れ難いからとはいえ、損な取引はしない。だが、人は宝だ。優秀な人材を獲得する為になら船長として報酬は惜しまん。そちらとしても満更悪い話では無いと思うがどうだろう」
「─────艦のシステムには明るくない。無理だな」
一通り小冊子に目を通すと、レイクはそれを返して鰾膠も無く断る。
すると、彼女は緩く首を振った。
「そう早々と決めつけないで欲しい。うちの船は多くの船員とその家族を乗せている。既に小さな街といってもいい規模だ。それだけに運行システムに関わる以外にも色々と仕事はある。勿論、働きながら学んで貰っても構わないし、ちゃんと福利厚生の保証もしている。
それに──────旅は楽しいぞ?」
旅ならずっとしてますとは言えなくて、舞子は複雑そうな顔をしている。
「マリは君がいない昼の間、秘書の仕事を覚えて貰うのはどうだろう?丁度、私の秘書が後、二・三ヶ月もしたら産休に入るんだ。彼女もマリならいいと言っているし。
あ、嫌ならこれも断ってくれていいんだ」
益々マズい条件を提示してくる(いや、普通ならもうしゃにむに飛びつく良い条件なのよ?)。そんなブランにレイクは考えているフリを貫いている。勿論ダメだ。私がこんな人の秘書として表に立つなど危険過ぎる。
偶にマスコミの取材なんかもあるらしい。万が一でも映像が残るのは避けたい。
失うには大変惜しい友人だが、いつアジア系黒髪である伝説のフィメールと耳と尻尾はフサフサなのにその他には獣相が全くと言っていい程無い自分とを結び付ける者がいないとも限らないからだ。
ごめんねーブラン。
あたし、陰ながら活躍を祈っているからねー。
「そうだな…大変良い条件だ。だが、急には決められない。リダとも話し合わなければならないし、仕事の方も正規雇用では無いとはいえ、代わりが直ぐ見つかる訳でもないしな。
心が決まったら、艦に連絡を入れる。それでいいだろうか?」
「ああ。考えてみれば随分と不躾で急な話だ。考えて貰えるだけでも有難い」
うう!なんてイイ女なの、ブラン‼︎
そう妻が思って感激しているコトなど、レイクにはお見通しだった。
感情の高ぶりも混じって、浅い呼吸している舞子が彼女の肩口に凭れ、『右手』を握って引っ張ると、武器を持つ手を胸元にぎゅっと抱きしめたからだ。嬉しそうに。
ギリッ────────小さく歯軋りの音がした。
シルヴィアナ・ブランシュ船長はレズビアンでは無い。
今までの恋人は全て男だったし、それも自身より逞しいタイプが殆どで、なよやかな中性的な美形に対しては一度も食指が動いた事が無かった。
誰かに護られたいとか、守りたいというより共に並んで競い合い、成長したい、共にあるならレベルの近い、背中を預けられる程度に自信のある男との付き合いが好きだったし、そういう感じが例え恋愛という形で無くても性に合っていた。
庇護心は専らシルヴィアナ号の船員達に振る舞われ、特定個人に向けられる例などありはしなかったのだが…
『──────どうかしましたか?』
柔らかな声が、膝をつく自分の上から降ってきた、あの時。
『まあ大変!貴女、もう少し我慢出来る?こっちよ、早く‼︎』
あの時は彼女がまるで天使の様に見えたものだ。
春先の港を散歩していた彼女は白く薄いボレロを羽織り、クールピンクのワンピース。まるで春の先触れを告げる妖精の様で、とても綺麗だった。
自分の手を引っ張る柔らかい指は最高な人形の様に艶やかで、小さい。
『お礼がしたいのだが』
そう言った自分に、『何もしてないわ。んー、そうね、ならここでお買い物していったらどう?』と人差し指をカミカミしながら提案してきて。
手洗いを貸してくれた店が菓子屋だったから、彼女の選ぶ菓子を買い求め、その手に乗せて『ありがとう』で終わりにする筈だった。
『なあ、私の船でお茶でも飲みながら一緒に食べてくれないか?』
気がつけば、そう自分から熱心に誘っていた。
『え?あの大きな綺麗なお船なの?しかも貴女、噂の船長さん⁉︎ほあーアレでか!しかも人がいっぱい乗って居そうだわ…あーこう見えて、あたし結構人見知りなの。あんまり人前には出たくないし、こんな格好良い船長さんと並んだら見劣りする方向で目立っちゃいそう。
─────やっぱり、やめとく』
そう引きつった笑顔になった彼女がワケあり気味に言葉を濁し後退った。
逃してやれば良かったのに、踵を返そうとした瞬間に服の裾を掴んでしまった。
そのボレロを何故か放せず、ついじっと見つめていると、
『ふぐっ、そ・そんな捨てられた仔犬みたいな目はやめてッ。わ、分かった。ちょっとだけ、ちょっとだけよ?』
…無意識に泣き落としを仕掛けていた様だ。
人の良い、焦った妖精の手を握り、自船に連れて行く間、自分は曾て無い程の浮かれ気分だった。
この地上には彼女と自分しか居らず、この女を守るのは自分だけだというまるで男の様な矜持。振り返ると、にこりと微笑むその顔のなんとも可愛いこと。
『凄い格好良い艦〜。いやあ、やっぱ近くで見ると大きいわあ〜』
持ち船を女の子に褒められてあんなに嬉しかったのは初めてだった。…船だと訂正は忘れなかったが。
うちの船員どもなんか、船長がアイドルばりの可愛い女の子を連れて来るなんて思いもしなかった様で、揃ってハトが豆鉄砲を食らって吹っ飛び、その先の地雷源で爆破されたかの如き顔をしていて。
副船長であるラビスが船長である自分の個人的な客の前に出て来たのも初めてならば、きつく見える美貌を優しい微笑みで和らげ、締まり屋で名を馳せた彼が極上のフレーバーティーを振舞ってくれたのも初めてだ。
ブリッジの連中は挙って船長室のドアに張り付いて聞き耳を立てていたし、何かと用事を見つけては入りたがって困った。
仕舞いには船長自ら全員、叩き出した。
『あはは、あーっはははっ‼︎面白ッ面白過ぎッ‼︎』
それを見て遠慮無く甲高い声で笑う彼女の、その笑顔が眩しく、嬉しかった。
ブランシュは船に戻って、濡れたコートを受け取る女船員の顔をじっと見つめた。
「な・何ですか?船長」
「いや、君はとても可愛いと思って。スイニィ」
怜悧な美貌を湛えた長身の船長にいきなりそんな事を言われた彼女は、瞬時に全身を赤らめ、『はうっ‼︎』とか言ってその場に倒れた。慌てて担架で運ばれていく。
言った本人は状況に頓着せず、顎に手を置いて考え中だ。
その頭を片眼鏡を掛けたラピスが持っていた日誌で叩いた。
「何をする?」
「『何をする』じゃありませんよ。可愛い女の子が貴女の妖精さんと何処が違うのか検証するのは結構ですが、徒らに変な噂が立つ事はやめて戴きたい。
そんな妄想は脳内だけに留めておきなさい、船長」
ラビスはマリを『妖精さん』と呼んでいる。彼女が名前を教えてくれなかったからだ。
どうやら長い付き合いでブランシュの考えている事が分かったらしい。
「そう言えば、よく見るとお前も凄く綺麗だよな。ラビス」
「……デスから、船長。妖精さんは綺麗で可愛いから、貴女のお気に召したんじゃ無いんですって。やめて下さい、私までおかしな脳内検証に巻き込むのは」
線の細い副船長は煌めく金の髪を払って頬に滑り込む白手袋の指をもう一回、ペシッと日記で叩いた。
美男美女(?)で知られるこのコンビだが、艶っぽい噂になった事など一度も無い。
お互いに全くタイプでは無いのは確認済みだ。周囲にも知れ渡っている。
『妖精さんには会えたんですか?」
「ああ。少し体調を崩していただけだった。御主人にも挨拶してきたよ」
きびきびと働いていた筈の船員達の動きが鈍った。
どうやら聞き耳を立てていたらしい。じわりと近寄る者。用事のある振りをして立ち去らない者。物陰に隠れる者。
それらを紺碧の瞳で一瞥したラピスが大喝する。
「減給されたいか、貴様等ッ‼︎」
途端に蜘蛛の子を散らす様に辺りは人気が無くなった。
「それで妖精さんのお加減は?」
「お前も大概だよな」
副船長の変わり身の早さに溜息を禁じ得ないブランシュだったが、
「ただの生理痛だそうだ。ソファーに横になっていた」
と、どっこいどっこいのデリカシーの欠片も無い発言をしていた。
「おいたわしい。私も船の出港準備さえ無ければ見舞いたかったのですが…何処ぞの誰かさんが自分が行くと言って聞きませんでしたから。ああ、貴女に持たせたお茶とチョコレートは姫君のお気に召されましたか?」
ラビスもおかしかった。
彼もブランと同じ24歳。好みは頭の回転の良い、落ち着きのある年上の女性だった筈だ。それが年下の、しかも十代の娘にこうも入れ上げるとは。
もっともラビスに言わせると、「妖精さんはすこぶる利発で回転が早い」なのだそうだが。
同じ狐種で美人同士だというのも惹かれる原因かもしれない。
「ああ。良くマリの好みを覚えていたな、大喜びだったぞ」
まあ体調不良の理由が理由だけに一粒しか口に入れて貰えて無かったが。
「良かった。…それでソールとか言いましたか、彼女の伴侶殿は。どんな男だったんです?『あの話』、勿論切り出したんでしょう?」
実は彼等の転職話はラビスの考えだった。
出港の目処が付き、避けられぬマリとの別れに気鬱でどん底を彷徨っていたブランシュを見かねた彼は、態々役所まで出向き、自らマリの夫の評判を確かめてきたというのだ。商売以外には指一本、動かさないと云われたこの男が。
ブランシュは艦橋にある自分の椅子に腰を下ろした。
「いい話だが直ぐには返答出来ない、と言われたよ。多分、断る心算だろうな。
外見は精悍で隼の様に鋭く、黒い鋼の如き美丈夫で、あれだけの好条件を歯牙にもかけていなかった。…実にいい男だ。お前の言う通り、何故あんな仕事に就いているのかさっぱり分からない」
「妖精さんが選ぶだけの逸材だという訳ですね…」
僅かに眉根を寄せてラビスも表情を曇らせた。
二人ともこのままマリと別れたくは無かった。この船の多くの船員達も同じ気持ちだったろう。
『──────君の名前を教えてくれないか?』
そう尋ねた自分にマリは大きな黒い目を見開いて驚くと、やがて微笑んで首を横に振った。
『貴女が決めて頂戴。私はその名前に返事をするわ』
微笑ってそう言うから、戯れに一番好きな花の名前を挙げてみた。そうしたら、『いい名前』といたくご機嫌で頷いて。
重ねて問う気が失せてしまったのはその所為だ。
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続きが遅くなって申し訳ありませんでしたー!