26.エリュシオンの光と闇
ギリギリまで頑張った。全集中の呼吸で。決して、旦那がレンタルしてきたキメツの所為じゃあないっすよ。
「ん?───────せ、船長‼︎これ、小鳥さんの!」
艦橋に衛生員が転がらんばかりに飛び込んで来ると一目散に女船長にあるデータを突き出した。
「何だ…これは」
陸海空汎用テラノス級アトミック商船舶船長シルヴィアナ・ブランシュは簡易空間ディスプレイに映し出された簡素なグラフに釘付けになった。
それは船のアイドルである少女の生体反応。
別れて直ぐに心拍がある一定のラインまで落ち、命の危険がある昏睡状態に陥った事を示していた。
「ディール、今直ぐ位置を割り出せ!今直ぐにだ‼︎」
ブランシュが航海士にシルヴィアナ号のメインアナライザーへのアクセスを急がせる傍らで副船長は血の気の引いた顔を抑え、それでも最善を尽くそうと彼女の夫を含めたあらゆる関係機関に片っ端から連絡を取り始める。
航海長はといえば、艦とは切り離した端末で都市中の監視カメラにハッキングを開始し、こちらも必死に行方を追い始める。
都市エリュシオン──────── 神話に登場する死後の楽園の名を掲げたこの大都市はあらゆる娯楽を提供する娯楽都市との異名をも轟かせている。冠するヒュータイプは銀髪、菫眼の男性体である。
芳名をラダマンテュス。気性は闊達自在で市政にも意欲的で他都市の人間体にも人気の種提供者でもある。
彼と彼のシンクタンクは彼の代でこの都市を大きく変化させた。
名の示す通り彼の地は潤沢な地下資源に恵まれて繁栄していたが、それに頼りきった歴史の末に徐々に衰退し始めた為、ラダマンテュスが大鉈を振るって商業と娯楽の都市に生まれ変わらせたのだ。
選ばれた者が幸福を甘受できる、神々に愛された英雄たちの魂が暮らすとされる島の様に。
が、それは同時に地表が【地に潜る者】にとって格好の隠れ蓑に変わるという事でもあった。
清濁併呑の眠らない都市、それがエリュシオン────死して尚、欲望と機会に満たされた活気に溢れた楽園なのだ。
「──────何コレ、結構潜伏長かったからわざわざこんなん見せられなくてもそこそこ知ってんだけど…何故今更エリュシオン観光案内・注意喚起なの?」
舞子はシェルター内のベッドの上で頬杖ついて3Dホログラムを見せられていた。
「いえ、何に惹かれてこの都市を目指されたのかと思いまして」
「…キミ、あたしの反応を見て分析してたんか…聞けばいいでしょうが、フツーに」
「答えて戴けるので?」
ベッドサイドに控えた『僕』はニコリともしないでそう恭しく尋ねてくる。
「勿論だ。嘘は言わないよ、あたし」
「そう、でしたね。貴女様は一度も『嘘』は仰らなかった。ただ、素直に自分に必要なモノだけを選ばれただけだ」
その他を残酷に切り捨てて。
「……世界にあたしが【落ちて】きた時、拾ったのが昏い過去を持つあの人だった。たとえ今、時を巻き戻してどの過程を誰に、何に置き換えてもカイン、キミが好きな【今のあたし】にならないんだよ。表皮と支配DNAは関係無いって言ってたよね?なら、諦めて貰うしか無い。睡眠洗脳もな!」
バイザー型のソレをグイぃイイイイイイと手で押しやりながら鼻に皺を寄せる。
小さく舌打ちしながらサイドテーブルの上にコトリと置かれたソレを思いっきり蹴り飛ばし、落下、破壊。
それを無言で二人で見やっていたが、徐に僕は高そう&ヨダレの出そうなケーキを差し出して『アーン』してくる。
「手作りですよ?」
「…と、言う事は【お薬】入りかッ‼︎」
「………ソンナモノ、一欠片もハイッテイマセンヨ?」
「オノレ流暢に言葉を連ねてはいるが、何故か右脳から樹状細胞辺り経由で『あれはカタカナ混じりのウソじゃあ!』とお知らせが来ています‼︎」
「まったく気の所為でございましょう」
「ならリトマス試験紙持ってこいやあッ‼︎」
「久方ぶりの荒ぶる貴女様も身震いする程魅力的で、ちょっと我慢がブチ切れそうなのですが…」
「聞いてないッ‼︎しかも、口説きにすかさず下半身具合をぶっ込んでくる荒技をも繰り出してくる!自業自得だけど、カインの壊れ具合がトリプルアクセル並みに高速で捻りが利いていて心が痛むー」
「じゃあ、寝ますか?」
たっぷり時を止めて、舞子の脳が再起動した。
「何が、『じゃあ』だ?」
明らかに『腕枕で共寝』では有り得ないニュアンスの『寝る』に、舞子は性的なエッセンスを感じて眇めた眼差しを美貌の犬種に向ける。
「罪悪感を少しでもお減らしになりたいのでしょう?快楽に流されるのも一興かと」
「…そんなモンではどうにかもならないから、こうして捕まえたんじゃあないの?」
怯えた方が良かった?泣き喚いて、癇癪の一つでも起こした方が燃えた?
小首を傾げた美しい女性は皮肉の響きもなく、純粋にそう視線で訴えてくる。
その身をこうして以前の様に任せる程には【悪い】と思っているのだ。
何という傲慢さ、そして慈悲深さ。こちらの胸に抱く溢れんばかりの恋情を欠片も疑っていない。
何という、────────────【信頼】
「貴女という女性は…」
「まあ、単に剥いても面白味は無いけど。食っちゃ寝生活だから最近胃の辺り中心にぽっこりしてるし」
右手で目と額を覆って憂えば、ニッと笑って野薔薇は野生的にキラリ輝いた。
「そんな些細な変化で私が止められるとも?随分と見縊られたものだ」
「いや、ちょっとでも幻滅してくれないかなと」
「丸々通り越して球体に成られたとしても、それはそれで趣きとやりようがございます」
「いやいやいやいや、球体に趣きは無いだろ。有り無しで言うと割と余裕で『無し』よ」
「そんな些細な「些細じゃ無いだろおヨォ!球体はァ⁉︎」」
組んず解れつ戯れあっていると、不意にジャジャ、とノイズが走り、シバ(闇医者・現舞子の主治医)の声が誰何の声が部屋に響く。
侵入者、だ。
その声音に警告の響きを感じたカインはバックパックと舞子をひょいと背負い、壁の一面からタブレットらしき物を外すと手早く室内を『変えていく』。
在るべき所に無い筈のモノが。不可視の壁が現れるとその先に微かな音と共に『通路』が現れる。
どうやらこの部屋はただのシェルターなどでは無かったらしい。
何だか、この成り行きにデジャヴを感じながら大人しく舞子は担がれていた。
逃げ出すにしても今じゃない。それ位の落ち着きは取り戻していた。
「…言うまでもありませんが、貴女様の為にもお静かに願います」
ほらね。騒いだら主人を気絶させる気だったよ、このイヌ。
まあ、相手が分かんないから無闇に突っ走る気は無い。カインは恐ろしい程に本気だから。対処を一つでも間違えば、彼の身の内の狂気に咬み殺されると思え。そっとカモフラージュしてある極小のピアスに触れる。結局、シバさんは隠すだけで取り外してはくれなかった。
レイクかブランか…どっちが早い?『草』と呼ばれるあらゆる都市野良犬ネットワークに繋がる彼か、商人の目と何よりGPS的な『目印』を辿ってくる筈の彼女達か…。
だが、地表に出たあたし達に対峙したのはまさかの人物だったのだ。




