25.虜囚の貴人
ふんふんふん、もうストック無いんで!数年振りの新展開なんで、このお話。本当に大筋しか決まって無いんで!
カインはカプセル型の再生プールに浮かぶ嘗ての主人を飽きもせず見つめていた。
獣相など欠片も見当たらぬ張りのあるクリーム色の肌は傷など一つも残さず、そこには僅かに薄いピンク色に染まる部分があるだけで。
「貴女は相も変わらず眩い程に美しい。全く…忌々しいくらいだ」
自分などが側に侍らなくとも女神の信奉者なら履いて捨てる程その足下に湧いて溢れる。
野薔薇は強く、触れられると錯覚する程度の距離で鮮やかに咲き誇る。
乾くと緩やかにウェーブを描く艶やかな茶髪が今は培養液に素直にゆらゆらと身を任せている。
『カイン…おはよう。あたしの僕は本日の調子はいかが?』
戯ける様な優しいその声が耳に蘇る。
ええ。貴女に見える、傅く栄誉を独り占め出来たあの日々に調子の悪い時が刹那にも訪れよう筈も無かった。ただただ幸せがこの身を包んでいた。
だからこその絶望。憎い、憎い。貴女が望んであの男を選んだ時、怒りで目の前が真っ赤に染まった。二度と奪われないよう、いっそ醜い傷を至る所に施して、誰の目からも切り離してしまいたい。そして己の楔で四六時中貫いて柔らかい耳朶を食み、毒々しい独占欲に塗れた睦言を注げば、貴女はこの手に堕ちてくれるのだろうか。
嗤う。
そんな爛れた妄想なら、別れた直後から何千何万回と脳内を隅々まで支配してこの俺を放してくれない。
白い胎を引き裂くのはいとも簡単。そんな安易に生を諦めさせて差し上げたくない。貴女が貴女たる明確な精神の軸をぽっきりと折って、絶望と快楽に口から涎を垂れ流す貴女が欲しい。何処までも俺だけに縋る様に。ああ、これは確かに狂気の沙汰だ。
「…おい、狂人」
心を読んだかの如くうっとりとカプセルを見つめるカインの背中に壮年の男の声が掛かる。
「………」
「そりゃそのお姫さんはどんだけ見つめても見飽きるモンじゃないがよ。…いい加減ある程度の事情は明かしてくれよ」
「…治療で必要以外は極力見るなと言った」
視線すら遮ろうというのか、カインは主人の前から退こうともしない。
「オレは非合法とは言えど、医者の端くれだ。患者を疚しい目で見るなんて…いや、確かに芸術的に綺麗だけどな?何だその目は⁉︎どっちだ?『何でこんな綺麗なモンを無視できんの?お前の目は岩石かなんかなの?』か『この嘘付きがッ、ゴミが麗しの女神の身辺に関わりたくて仕方がないんだろうが』のどっちよ?」
「関わるな、と言った」
何処かだらしない印象を白衣を着ていても受けてしまう、だが一見梲の上がらない風体のこの男は、闇医者の中でもセントラルお抱えの医師と肩を並べる程の腕を誇る。
だから、余計に今自分が抱えている『患者』の素性が信じられないのだ。
「『ユグドラシルに消えた【伝説のフィメール】』」
「……」
「あんたが何者だろうが詮索しなくてもエリート崩れなのはひと目で分かるさ。犬種で、オソロシイ程の色気滴る美男なんて親衛隊の面子ぐらいだろうが。おまけに大金と獣相の無い『女神の主治医』なんてエサで口を塞がれてんだ。コワイ顔すんなよ、どうせ他所にお喋りなんて死んでも出来無ェよ。由緒正しき野良のオレだが、一応犬種なんだ…何だよ、シバだぞ?殆ど雑種だけど、薄ら柴犬の血が流れてんだようッ‼︎」
コポ…と、音を立ててプールの液体が音を立てる。
「騒ぐな。お前の言う『姫君』の眠りに障る」
ただただ生真面目な顔をしてカインは医者を遮った。
「いや、姫さんなら起きてんぞ?」
ほれ、と医者は後ろを指差した。コポコポと排水音がして、カプセルのカバーがガシャンと開くと、目を見開いた舞子が「…うぐ…身体…重…」と呟いて、呻いている。
「マイコ様、御気分は如何でしょうか?玉体に何処ぞ塩梅の悪い所などはございませんか?」
「……むしろ…手厚く…て…びっく…な…だ、新手の、ゴーモンの、手…口?」
恭しく、そして柔らかく抱きとめると、カインは至福の微笑みを浮かべて濡れた黒髪を飽く事無く撫でる。
「いえいえ、先ずはあの男では無く私めこそを存分に足下に侍らせて戴きたく。その上で貴女様には閉鎖空間にて麗しき爪先まで何不自由無い生活をご用意致しますので、この先是非感涙を賜わる程に御命を惜しみ、矜持を捨てて僕の愛を乞うて下さいませ」
「────────うわあ、ドン引きィ〜(医者)」
「え…それ、典型的な、自白の為の、拷問じゃん…。痛い目の、代わりに、ハードめの快楽を、は…が…いやん、それ調教ふグゥ」
「怖ッ‼︎(医者)」
闇医師はぶるりと身体を震わせると、両手で自分の身体を掻き抱いた。
液体に浸かっていたのが嘘みたいに舞子はその身から水気が失われていくのを感じていた。
「ふふ、人聞きの悪い」
「とか言いつつ、姫ぃさん抱き上げて、強引に買い上げた俺ん家の秘密地下シェルターに行くんだよな、お前」
スリッパでカインの後頭部を問答無用で叩く。(あっさり躱される)
「邪魔をするな、シバ」
「だからよ、とりあえず診察させろや!姫さん今、カプセルから出たばっかじゃねぇか‼︎ただ寝せときゃいいってもんじゃねぇんだよォー!ましてや重力にぐったりでヨコシマな欲望の相手なんか務まるわきゃないってぇーの‼︎分かる?ねえ分かってくれる⁉︎」
躱されたスリッパをデスクにパンパン叩きながら泣かんばかりに訴えかけるが、岸壁に叩き付けられる波飛沫並みに効く気がしない。
「大丈夫だ、この上なく大事に抱くから」
「『大丈夫だ、この上なく大事に抱くから』──────いやソレ、イッコも分かってねぇから!オネガイ届いて、俺の切なるこの思い!」
「…そ〜だ、そ〜だ…ちょっと、お腹押したり…何やら、押し入ったりした…ら、おそらクゥ、プールのォお水とかー、ぴゅー…て、出る、気が…スルー」
疲労に目蓋が落ちそうになりながらも若干の下ネタを挟み、舞子は必死に医師の尻馬に乗る。
ロデオ並みに彼にしがみ付きながら。
柴さんとやら〜ガンガッて!カイン、もう私の言う事聞いてくれそうにないから。いや、そうじゃなくて、むしろ『お願い』は選択制になってる気がするから!
深い溜息の後にそっと舞子はカウチに下ろされる。
「手早く正確に頼む」
「がってん」
パパパパ、と吸盤を大きい血管のある所に貼ると、カチューシャの様なモノもそっと着けられた。思いがけなく優しい手つきに感謝していると、軽く目眩がして、首が備え付けのクッション目掛けてズレていく。
「姫さん、辛いか?背もたれを倒すからな?横になって眠ってしまっても構わないぞ?───────おい狂人、そこのハーフケットを取ってくれ」
言われた通り畳んである薄い毛布らしき物を取ると、渡す前に事もあろうに『くん』と臭いを嗅ぐ。
「失礼だな‼︎昨日、洗ったばっかで誰も使ってないわッ‼︎」
激おこプンプン(死語)になりながらも素早く幾つものモニターをチェックしていく。
「おう、本当に大丈夫だ。姫さん、クラクラするんだろ?その三半規管の揺れもじき止まるから安心してくれや。身体の傷痕も綺麗に再生したしな。後は少し腹に何か入れといた方がいいか。おおそこの色男〜、そっちのキッチンに飲むタイプのゼリーあるから取ってきてくれるか?」
無表情に一瞥を寄越した後、ふい、とカインは姿を消した。
それを見送って舞子は何気なさを装って、そっと耳に手を当てた。
「───────そっちも大丈夫だ。バレてねぇよ」
視線の合わさず、小声で柴さんが囁く。
「あんたの生命線なんだろ?ソレ。そんな極小ピアス外せないし、俺は気付かなかった」
発信機だと知ってて。知らないフリをしてくれる、と言うの?
「…違うの、これがあると、命懸けで、助け、に来る」
舞子は落ちる一瞬にシバ医師の腕を強く掴んだ。
「は…ずして…誰…も、もう…。こ…わして…」
そして女神の意識は闇に包まれた。




