23.身勝手と我儘
「馬鹿、あたしは貴方達を侮辱したのよ?なのになんで、怒らないの?何でまだ守ってくれようとすんのよ…ねぇ…馬鹿じゃないの?」
透明の雫がぽたり、ぽた、とテーブルクロスを濡らしていく。ブランシュは舞子を抱き締めた。
「そうだな、私達みたいな船乗りは多分、馬鹿なんだ。君が幾ら口で“酷い”と思っている事を言っても、どうしてもそれだけが真実とは思えない」
「お人好しにも程があるわ‼︎あんな大きな艦、中に貴女の大事な人達が大勢働いているのよ?巻き添えで誰かが死んだら一体どうするのよ!船長⁉︎あたしの追手は寧ろそれを利用してくる。こちらにとっての精神的なダメージと物理的に人減らしを狙って嬉々として斬り捨てる。小娘の心情を一々汲み取ってくれる様な甘い相手じゃないのよ‼︎船員にうっかり巻き添え食らわせて、後味悪い想いを抱いてこれからを生きるなんて全く冗談じゃないわ!」
「じゃあ、何で泣いているんだ?マリ。君がその『馬鹿』達が好きだからじゃないのか?」
泣きながら舞子は微笑った。困った様に微笑った。
「シルヴィアナ号の人達が大好きなの」
「私も私達も、貴女が好きなんです。たとえ少々心無く罵られたとしてもね」
美貌の副船長は彼女の指先を握り、騎士の様に胸に抱いた。
「駄目よ、だって」
喘ぐ様に舞子はぶちまけた。
「もう、一人、死んでいるのよ」
また溢れる様にそのアーモンド型の目から涙が流れる。続けてえぐ、としゃくり上げる。
「あたしを護る、と。あたしを愛していると、そう言った。何処までも、共に、と。なのに、目の前で撃たれた」
狐娘は取られていない方の手で胸を押さえた。愛する男の前では吐けない弱音がほろほろと零れる。どうしても止められなかった。
「夫の次くらいにはきっと綺麗で強い男性だった。それでも死んでしまったの。あたししか見えないと幸せそうに言ったわ。だから彼を不幸にしたとは思わない。でも、死んだらそれでおしまいなのよ‼︎」
「…『夫』なら死なない、と思っているのか?マリ」
肩を優しく抱いておちつかせて後、するりとその前にしゃがみ、見上げる様に視線を合わせるブランシュに舞子はゆるゆると首を横に振る。
「縛るものをあたし以外に持たないあの人は、貴女達よりも生き残る可能性が高いわ。加えて、このあたしの二本の腕なら一人は守れる」
静かに決意を知らしめる。
「あたしは彼の“生きる楯”よ」
そうして、彼女の目が遠くを見据える。
「そして、もう一人。あたしが敵の手の中で、夫の手に戻るためだけに利用して全てを捨てさせた男が、いつかこの身に追い付くでしょう。あたしは彼にその見返りに『殺される約束』をした。だから、彼が夫を貫く瞬間にあたしが楯となり、あの人を守り、彼に償うつもりでいる。───────それがあたしの決めた生き方」
「ヒロイズムに酔い、二人の男を地獄に突き落とすつもりか?君は」
酷く歳に似合わぬ目をして舞子はブランシュを見た。
「いいえ。ただそうしないと、終わりがないのよ。二人共」
漸く涸れた涙の所為で喉がひりひりと傷んだ。舞子はカップに視線を落とす。
「『彼』は裏切られた想いを忘れられない。『レオン』はあたしを護る以上、何処までも逃げ回らなければならない。堂々巡りがメビウスの輪の様に続くの。何れ疲れて重荷になるわ。それが…何より怖いの」
ラビスの手を両手で握って、寂しげに舞子は微笑った。
「ごめんなさい、綺麗な女の子じゃなくって。あたしはね、自分が嫌われるのが何より誰より嫌いなだけな馬鹿な娘なの。貴方達の事を心配してるんじゃない、誰かがあたしの所為で傷ついて、それが原因で嫌われたり突き放されたりするのが辛いだけなの。だから、好きになった人達には偶に会って、いいとこだけ見せて仲良く友達付き合いをして貰えればそれでよかったの」
嫌われるのが嫌なら、繕えばいいのに。
きっと自分達は何処かでそれを嘘だと見抜いても、きっと信じてしまうのに。
「だから、嫌われる前に切り捨て、私達に嫌われようと言うのか?ほんとに君は極から極に走るな」
ブランシュは軽々と舞子を抱え上げて、椅子に腰を下ろした。
「言っておくが、私達は百戦錬磨の商人だぞ。そこのラビスも私も人を見る目には自信がある。だから君の弱い処くらい、とっくの昔に見抜いていたさ。だが、今聞いた事だけが真実では無い事も知っているぞ」
白い指が薔薇色の頬を撫で、髪を梳いた。
「『嫌われるのが嫌なだけ』?なら、何故そんなに死んだ男に心を残している?憎まれた男に『君を殺す権利』と言う生き甲斐を与えたのは何故だ?自分の事だけを考える優しくない女なら、何故そんなに君を愛した者達に縛られているんだ?」
舞子は分からない、という顔をした。頼りなく、心許ない女の顔だった。
胸を突く、護る者の心を打つ、そんな表情に二人は心を奪われる。
「何もかもが貴女の所為では無い。全てを背負おうとするのはいっそ傲慢というものですよ?貴女の罪は我知らず男の心を奪ってしまう事だけ」
「今は分からなくていい。初めて知ったんだな?自分の本当の気持ちを…マリ。何て武器用な生き方だ。君程綺麗ならもっと高慢に生きてもいいだろうに。誰にも言えずに秘めていたのか?ああ、可哀想に…」
違う、違うと舞子は首を振った。そんなに思って貰える程、キレイじゃない。
貴方達はあたしがヒュータイプだから、その見えない遺伝子の中の鎖に囚われているだけなのよ‼︎
許さないで。あたしをそんなに優しく許したりしないで。
「ずっと責めていたんだな、自分を。─────大丈夫、マリ。大丈夫。私は君が『何者であろうと』好きだ。君のその意地っ張りで、強がりで、本当は弱くて…そして一途なその性格が気に入っているんだ。ちょっぴり打算的で即物的でもね。だから、たとえ他の誰が君を見捨てても、私が地の果てまでも見付けに行くよ」
舞子の時間が刹那、止まった。
“知って”いるの?私が『誰』だか、知っているの?ブラン。
「『楽になりたい』と思っても、面倒事が嫌いなクセに君には誰も見捨てる事は出来ないんだろう?怖がりなマリ。ソール氏に君がああも固執するのは、勿論『愛』があるからだが、一つは君を巡る争いを減らす為もあるんだろう。君は頭が良い。その溝で人を遠避け、自分の前に身を投げ出す人数を減らしているんだ。そう、ただ逃げるだけと言うのなら楯は多い方がいいのだから」
そっと指先を握り、親指の腹で優しく摩りながら、細い腰を更に抱き込み、ブランシュはその形の良い唇で舞子の頬に触れるだけの接吻をした。
ラビスが船長をその冷たい双眸で無視でも見る様な感じで見ている。
「妖精さん、自分のタイプだと思ってもみなかった人を好きになるなんて、日常的に起こる事なんですよ。たとえそれが魔法の様に見えても、『貴女の所為』では無いのです。何を選ぶかなんて所詮は本人が選ぶ事。その為に頭には脳が詰まっているんですよ」
自分の身に何が起こっているのか、判断した上で感情に従っているのだ。
ラビスはそう自分に言ってくれている。
それでも舞子は弱く、いやいやをした。
「嫌よ…貴女達が好きなのよ。少しも怪我なんてして欲しくないの。元気でいつも笑って空にいてほしいのよ」
ブランシュは慈しむ様な表情で額を舞子の額にコツン、と合わせた。
「それが君に対する私達の願いでもある事に何故、気付かない?」
「う…あたしは我儘だから、いいの‼︎」
舞子は詰まった感じで地団駄を踏む。暴れる娘を船長は軽々と押さえ込んだ。
「そういう事なら尚更譲るつもりは無いぞ。私の我儘は半端じゃないからな?」
なあ、ラビス。そう船長に振られた副船長はモノクルを二本指で押し上げた。
「ええ。妖精さんのそれなんか、比べ様の無い程に無茶苦茶な人ですよ、船長は。『白銀の魔女』はうちの船内でもこの女性の通り名なんですから」
出来る事と出来ない事をきっちり見極めてから、両方のギリギリの処を全力でゴリ押しする。それがシルヴィアナ船長の持論である。
しかも有言実行の人であったので、人の業で不可能な事以外は今まで全てやり遂げてきた。出来ない事の方が少なかったくらいだ。
舞子は暖かな色味の手のひらで船長の頬をぴっ、と揉む様に伸ばした。
「馬鹿ッ‼︎」
驚いた彼女の腕を擦り抜け、衝立の後ろに回り込んで首だけ覗かせる。
「助けになんか飛んできたら、もう手も握ってあげないからッ‼︎」
「ッ‼︎─────────それでも、来る‼︎」
一瞬つまりながらも、ブランシュは叫んだ。舞子はくるりと踵を返してテラスを飛び出した。耳には銀色のピアスを煌めかせたまま。
煌く蝶を捕まえ損ねた手は握り込まれ、瞳は厳しい『白銀の魔女』のまま、その行方だけに目を凝らした。
数秒後、首を揺らして溜息を吐くと、女船長は椅子にどさりと腰を下ろした。
「…船長、妖精さんに『手も握ってあげない』とか言われたぐらいで落ち込むのはやめて下さいよ」
ラビスが眉間の皺を揉みながら、テーブルに突っ伏す船の長を咎めた。
「…だって、あの柔々した手をだぞ?そしたら当然、抱っことかもさせて貰えない筈で…。なら、マリが来た時に私は一体何処に居たらいいんだ?」
ぐすん、とか聞こえてきそうなくらいの落ち込み様に副船長は手元の端末を開き、彼女の現在地を確かめる。
「貴女は妖精さんが関わると、まるで男の様になりますね?自覚がありますか、船長?まるで愛しい人に振られた野郎みたいなヤサグレ方ですよ」
いよいよ、次回、ストックがきれます!Σ(||゜Д゜)ヒィィィィ千文字分ぐらいしか無いィ!




