20.俺の屍を超えてゆけ(気分)
顔がデカいから違和感を感じて使って無かったレディスマスクが60枚出てきて当面安心していたら、工場長の舅がコーヒーフィルターと不燃布(二重)で夜なべして作った手作りマスクをコッコフ◯ームの玉子と引き換えに持って行ってしまいました…。アレは「息子のヨメが俺の為に作ってくれた」と自慢しつつ、人の褌で工員の人に恩を売る気満々っす。爺ちゃん、それはウィルス対応のスプレーを振り掛けて使うんだよう…。
「だからー、サクヤちゃんさえ付き合ってくれたら、契約書にサインの一つも二つも軽〜くやっちゃうって言ってるんだよ?」
取引先の若き実業家が受付でゴネている。無下には出来ない相手である事は舞子にも分かっていた。だから、こうしてニッコリ青筋を立てて微笑んでいる(器用)。
そうしてもう何度目かも分からなくなった返事を返す。
「ほほ、モラン様。私は現在暦とした勤務中でお仕事は“受付”のみですので、何処にもお付き合い出来ませんのよ。大体サインなら書類に一つで充分ですわ。ええ、確か貴方様も本日は当社とのアポイントは無かった様に思いますが」
「サクヤちゃんに会いに来たんだって‼︎お付き合いって、俺が何処かに行こうって言ってるワケじゃないって事くらい、もう分かってるんだろう?大体、昼御飯も晩御飯も一度だって一緒してくれないじゃない〜君」
「でしたら尚更です。私はこう見えて歴とした人妻ですから浮気も不倫も愛人契約も、そして一夜限りのメイクラブには興味の欠片もありません。契約の件もアルバイトですのでこの身を呈してまで社に貢献する程の愛社精神に溢れている訳でもございませんし、相手にする者をお間違えですわ」
バチバチと火花散る猛攻も【サクヤ】は果敢に受け流す。
「誰が一夜限りなんて勿体無い真似するよ⁉︎ほら、ここにさ(タブレットに婚姻届らしきフォーム)さらさらっと君の名をサインしてくれれば、君はエリュシオンの上流階級に今日から仲間入りだよ?」
「────────重ねて、重婚のお申し出もお断り致します」
ひくひくと痙攣する表情筋に笑顔の限界を感じた舞子はそっとハイヒールを片方脱いで、後ろ手に構えた。
と、同時に彼の担当らしき営業社員が現れ、丁寧にモランを受付から剥がして連れて行ってくれた。
「ふう、しつっこいッ‼︎」
靴を持つ手をさりげなく押さえて牽制していたシルビアが“ドウドウ”と宥める。因みに内線で通報したのはリンナだ。
「全くあの人も懲りないわね」と苦笑する。
「やっぱり名札の上に“既婚”って…」「効果無いじゃん、アレには」
くぅ、と靴を取り落とす舞子にシルビアが被せ気味に突っ込む。
「くっ…ご飯に行ってきます‼︎」
プンプン怒ってリンナに縦ロールに巻かれた髪を靡かせると娘は踵を返した。
ご飯の前に二階に寄り、慣れた元の職場のドアをコンコンとノックした。
扉を開けてくれたのはやはりシタンだ。
受付の制服を見に纏い、艶やかな化粧をした舞子は彼らにとって見違える程に可愛く、何時もに増して綺麗だった。全員が揃って息を飲んでいる。
「…サ、サクヤさん…?どうしたんですか…」
「うう、五分でいいですからお邪魔しても構いませんか?お昼時間なんです」
彼が戸惑いながらも頷くと、パブリックスペースである一角に華麗な受付嬢は椅子を一つを持ち出してテーブルに突っ伏した。
「サクヤちゃん、せっかく栄転したのにこんなとこでまたお酒無しでクダを巻いてどうしたのォ?」
久しぶりに見慣れたヤサグレ姿を見て、舞子に特に懐いていたルカがリスの尻尾で呑気にパフパフと叩いた。
「古巣で安心してやさぐれているんです。─────皆さん、お構いなく」
マーシアが呆れた体で立ち上がり、舞子のその口に爽やか系のグミを押し込んだ。
「まあ噂は色々聞いてるわよー。気が強い割には地味で小動物めいた言動しかしてないのに、どうしてあんたの周りは勝手に賑やかになっていくのかしらねぇ」
そうその類稀な容姿にも関わらず、単調な作業である筈のアンケート統計を端末に嬉々として打ち込んでいた様子を微笑ましく見守られていた舞子は、この部屋の同僚達から至って“地味”に性質だと受け取られていた。
そしてそれは当然の結果で。何しろ彼女は暇さえあれば収納型タブレットで漫画や小説を読んでいる。偶にはゲームなども嗜んでいる様だ。爪なども色が派手な時もあるが、長さは短く、柄も3Dプリントのお手軽さだ。アクセサリーはクリスタルビーズか天然石のカジュアル形態なもので、チョーカーなら革紐、ネックレスならプラチナかシルバーで。人柄と冗談は面白いと好まれるが、話題の中心にはなりたがらない性質らしくて、常に一歩人の輪から下がっているイメージだった。
「サクヤさん…すみません、僕が要らぬお節介を焼いた所為で…」
シタンが憂い顔で舞子に謝ってきた。
「ああ〜ご、ごめんなさい〜チーフ、そんなに謝らないで下さい。ちょっと現実逃避したかったのと元気を貰いたかっただけなんです‼︎もう大丈夫ですっ、つか心配かけてホントすみません〜」
ガタン‼︎と席を立つと舞子は全力で謝りながら、脱兎の勢いで室を後にした。
「サクヤさん…」
途方に暮れた表情のシタンを何故かそこに居た全員が『ぽん』と肩を叩いていく。
………………………
「何なんですか…皆さん」
憐れみを込めた視線がチーフに集まった。そして徐に“ふぅ〜”とか大きな溜息があちこちからし出すと、固まったシタンを他所に皆は勝手がってに自分の作業に戻っていった。
知らぬは本人ばかりなり。赤くなったシタンの脳裏にそんな諺が閃いて消えた。
「んー、ちょっと遅くなっちゃったかな?」
またもや食堂でお馴染みの一戦を繰り広げて来た舞子は、白い帽子を押さえると慌てて廊下を猛スピードで競歩する。
今日は酢豚もどきだった。何故好みを把握されているのか…甘酸っぱい揚げたお肉が憎かった。
「サクヤ、早く早くっ」「うん、辛うじてセーフね(笑)」
一番早く昼食を摂った舞子は笑顔で席に滑り込んだ。
「良かったねぇ、間に合ったよ‼︎」
シルビアが目を輝かせて舞子の両手を取ってニギニギする。何でか嬉しそうな同僚に舞子も嬉しくなって微笑んで尋ねた。
「で?何に間に合ったの?」
その無邪気な問いにリンナがココア色の髪を傾けてにっこりと微笑った。
「貴女が懇意にしているシルヴィアナ号の艦長さんが商談でお見えになるのよ(→BYバイバイ後も艦で流されちゃった例のコンサート映像でバレた事件)」
「それも今から直ぐにね‼︎」
久しぶりに有名人の友達に会えるよ?と言い掛けたシルビアは、机の陰にゴソゴソと沈む舞子に怪訝な顔をする。
「何、してんのよ…アンタ」
「お構いなく」
「いや、構うでしょー。え、何、業務放棄してんの」
あ、お見えになったわ。と、リンナの緊張した小さな声がした。シルビアとリンナは席を立つと綺麗に一礼をする。ヴィルヘルムの声もした。どうやら社長自ら出迎えをしているらしい。
うわぉブラン、大物〜ぉ。舞子は内心冷や汗ダラダラのまましゃがみ続け、同僚の冷たい視線を浴びながらそう思った。
ざわめきが脇を通り過ぎる。
一行はブランシュ(彼らの言う処の船長)とラビス(副船長)の二人だったらしい。短く受け答えする美声に聞き覚えがあった。
一方、ヴィルヘルムは三席の内の一つがカラなのに気付いて、暫く視線を送ったが、そのままブランシュに声を掛けながら通り過ぎた。
「……行っちゃった?」
「うん」「ええ」
同僚達が短く、答えを返した。
腰に手を置いて呆れた様なシルビアと『感心しないわね』と言いたげに腕を前で組んだリンナの前にバツが悪そうに舞子はそろりとカウンターから顔を出す。
「何よ、友達じゃなかったの⁉︎」
「いや、もう、その…あの」
「あの麗しい方と喧嘩でもしているの?サクヤ」
「て、ワケでも無い…んだけど、ね」
二人の鋭い追及に遂にはカウンターの端まで追い込まれた舞子は、背後に迫る長身の白い影にまで気が回らなかった。
「それは是非、私にも聞かせて欲しいねマリ。何故、この私を避けるのか、とか」
後頭部を白い手袋に優しく添えられ、舞子は思わぬ仰け反った態勢を取らされる。
「どうしてデルビスの港町にいた君が今、こんな所で働いているのか、とかを」
ずるり、とそのまま一気にカウンターから引っ張り出して無理矢理彼女を“お姫様抱っこ”に移行した無礼な相手は……。
皆様も対策に苦労なさっていらっしゃる事か思います。お身体に気をつけて。次回はあの人大暴れです。




