15.アルバイトとアイドルと私
機種変更でおかしな事になってます。iPhoneとiPadの二台を駆使して何とかお届け出来ました。
長く開けて毎度のことながら申し訳ない。
15、
端末の扱いをシタンから教わって、一生懸命アンケート内容を入力している舞子は集まる視線にも全然気付かずにいた。ポチポチと鳴るキーボードの音も今日は何かと途絶えがちで。
かと思えば、我に返ったスタッフが慌ててまた凄い勢いでそれを叩いていく。あちこちでその繰り返しが続き、シタンはとうとう舞子を休憩に連れ出した。その際付き合おうと腰を上げた全員のノルマ残を冷たく言い渡し、態々追わぬ様に釘を刺して。
「疲れましたか?」
「いいえ。早さはまだまだですけど、慣れるよう頑張ります」
チーフの問い掛けに奢りの香茶を手にした舞子は、全開の営業スマイルで答えた。
彼もまた若くこの上なく美しいアジア系の新人に戸惑った一人ではあるらしい。だが、公私混同する程常識と理性が無い訳では無い。ただただこの可愛いアルバイトの行く末が心配だった。
勿論、それが既に指導を越えた感情だとは気付かない。
「社員は余り、このフロアには来ませんが、確かに貴女はあんまり人目に付かない方が良いのかもしれませんね。御結婚なさっているのだし…食事は混んだ時間をずらしてなら取れるでしょう。ソールさん、少し早めか遅めかになるかと思いますが、どうですか?」
「お弁当ですし、全然構いません。むしろ助かります」
猫を被りに被った若妻は殊勝に頷いた。
完璧な微笑みが穏やかな青年の胸に一つ、小石を投げる。そして、波紋が見る間に広がって行く。
彼と同じ様に、地味に一つに纏められた彼女の髪がはらりと頬に掛かった。
「チーフ、私の様な新人に敬語をお使いになる必要はありませんよ。どうか、サクヤと呼んで下さい」
青年は丸い眼鏡を人差し指で押し上げる様にして、照れた顔を隠した。
「いえ、気にしないで下さい。僕は昔からこういう話し方なんです。でも、そうですね。貴女の事は″サクヤさん″と」
「はい」
打てば響くとばかりに朗らかに返事をする舞子に青年は思わず見惚れてしまう。
「何故、貴女の様な人がこんなアルバイトを…」
我知らず呟いた一言に室に戻り掛けていた舞子は肩越しに振り返った。
悪戯っぽくウインクをして背中を向けた。
「それは秘密です」
「サクヤちゃん、あんた偶には社食摂りなよ。ほら、あんたの好きなトマトソースの魚貝パスタだよ?オバちゃん、特別に作ったんだよ?」
見れば、確かに今日のパスタはカルボナーラ的なものやらコンソメ風味のスープスパだ。バイキングスタイルのお洒落な大食堂で少し早い時間に食事を摂っていた舞子は〝レイク作″のお弁当を食べていた。狸顔で人の良さそうな見た目の奥様はオタマを振りながら、そんな舞子に説教?をする。
「ねえダリアさん。あたしは仕事の都合で早かったり遅く来たりでそれだけで皆さんに迷惑掛けてる自覚があんの。だからね、待っててくれなくていいし、その上構ったりしなくていいのよ。隅っこでゴハン食べてるだけなんだから」
狐耳のアルバイト娘は携帯フォークを咥えながら、げんなりとして反論する。
「デザートは僕が作りました」
いつの間に後ろに立っていたのか、若いシェフのジャンが可愛い苺のレアチーズをスッと差し出した。つい反射で喜色満面で御礼を言ってしまい、見上げれば彼は首まで真っ赤になった挙句、セルフサービスの筈のお茶まで注いでいってくれた。
「ジャンのケーキは食べれて、あたしのパスタは食べれないってぇのかい!!」
「ノオ─────────ッ!!」
油断した舞子は天を仰いだ。大きく溜息を吐くと、食べ終わった弁当箱に特製パスタを詰め込んでいく。
『作りたてがウマいんだよ!! 』と怒るダリア二台『もう今は入らないから。大丈夫これ、真空パック出来るヤツだから』と宥める。
「とにかく、ね。あたしの事は全然気にしなくてイイから」
ぶーぶー文句を垂れる厨房のスタッフ達には、言う事聞いてくれる気はサラサラ無さそうだった。料理長が『明日はオレがとっておきのロールキャベツを作る』と宣言して拍手を浴びている。いや、だから。あんた等たった一人の例外の為にメニューに無いモン作るのヤメろ!!『勿論、トマトソースだ』とか言うな!!
最初は会長お声掛りとは言え、アルバイト風情が何を我儘言ってんだ、とか反感持ってたって、しかもカンカンに怒ってたって聞いたぞ!?
「いや、だってあんた見たら皆納得したもん。ねぇ?」と、ダリアさんが言うと、デカいフェレットな料理長が「むしろ、混んでる時なんかに来て貰ったら、社員の食事時間が大幅にズレ込んで困る」と宣った。
「そうですよ、皆サクヤさんに見惚れて食事どころじゃ無いですよね?」
これはジャン君。寸胴搔き回していた牛柄奥様のイオンさんが頷いて、
「そうそう。それにサクヤちゃんはサクヤちゃんで、きちんと此方に挨拶に来て筋を通してくれたじゃな〜い。『ご迷惑はお掛けしないよう気掛けますから』って、ちゃんと持参のクロス敷いてテーブルも汚さない様にしてくれたし、隅っこで急いで食べてて開場・閉場準備の邪魔にもならないし」
じゃあ、こんな風に食いモンで引き留めるのをヤメろや…。右手の甲をビシッと止め、空中に無言でツッコミを入れる舞子はちょっとやさぐれていた。
綺麗だと褒めてくれるのも、好意的に迎えられるのも嬉しい。
しかし、最近、愛情が胃に重たい。つか、もたれる。
舞子は素早くお弁当をしまうと、溜息を吐いて食堂を後にした。
アンケートデータの室に向かうと、途中でそのままゴン!!と廊下の壁に頭をぶつける。
ドア付近になんか、人集りがしていた。
一部の社員とメールボーイ達が何とか中に入れないか。覗けないかと相談している。
ガリガリとこめかみの辺りを掻くその娘は、騒ぎの理由が自分だという事をもう分かってる。
…………これは無視に限るな。
「あの、申し訳ありませんが、仕事に戻りたいので皆様そこを退いて戴けませんか?」
凛とした声で穏やかに、しかし、きっぱりと言い放つ。
するとモーゼの十戒の様にさあっと人波が割れた。その中をゆっくりと進む舞子は決して慌てない。慌てると我に返った彼等が中に入って来かねないからだ。
「あ、あの!!コレを」
〝受け取って下さい!!″その言葉を皮切りにプレゼントらしき包みを彼女が扉を閉めようとした寸前に押し付けた。そうなるともう止められない。色取り取りの箱や花束で前が見えなくなった舞子は、慌てた間に入ったシタンに代わりに扉を閉めて貰った。獣相の少ない綺麗な顔が超・ウンザリしている。と、同時に急に沸点に到達したらしい。
「ええ加減にしやがレェ──────────ッ!!」
それでも皆の邪魔にならないよう、無人の室の角に箱やら花束やらをぶん投げ、叩き付けたのは一抹の理性だろう。肩で息をする彼女をシタンが〝ドウドウ、落ち着いてサクヤさん″とか宥めていた。
バイト仲間その一、花の短大生マーシアは専ら自分の美貌にしか興味の無いナルシストであったが、「な〜る、ハガキを搬入して来たメールボーイ達から社員まで噂が一気に広がったワケね〜」と、呆れた様な、称賛する様な顔でウンウン頷いた。
彼女は自分と比較にならない、大物芸能人並みに桁違いのサクヤブームに乗っかる事を考えこそすれ、対抗しようなど微塵にも思わない。それよりサクヤに優しくして傍に居た方が注目度が上がると知っていたし、何故か自己中心的な彼女には珍しくこの美貌の新人を気に入っていたのだ。
「サクヤちゃん、ちゃんと人妻だって断ってるのにねえ〜」
バイト仲間その二、アーシェラがおっとりした顔に困惑を浮かべている。
「敵もさるもの‥だな。どれ一つとして名前が書いてない」
大柄な熊を思わせる大学三年生グラントが潰れた包みを手に取って呟いた。
すんませんすんません、と思い詰めた顔で呟きながらいきなり机に額をぶつけ続ける舞子をシタンを始めとした仲間が慌てて全員掛かりで必死に止める。
赤くなったデコを眠気対策用のおしぼりで冷やすのはシルバーセンターから派遣されて来た唯一の老人、長老のハワードだ。
「これはあんたが好んで引き起こした事態では無いし、そう気に病む事もあるまいて」
「……しかし、そろそろ限界ではありますよね……」
その五であるステファンが羊毛の様なふわふわの髪の毛を揺らして苦笑した。
その時、いきなり内線が軽やかな音を立てる。
沈黙が辺りを制した。以前もコレで『サクヤ』をデートに誘ってきた猛者が居た。頷いて、シタンが取る。
「─────はい。え!?あ、はい。………分かりました」
どうやら仕事上の指示だったらしい。一同は安堵の溜息を吐く。
しかし、シタンの穏やかな顔は一向に晴れなかった。
「チーフ、誰からだったんですかー?」
少年の域を抜けきれない感のあるマルコが空気を読めずに軽く尋ねた。
「社長秘書さんからです」
再び、沈黙が訪れる。全員がイヤな予感に眉を寄せた。
「サクヤさん、今から社長室に私と一緒に来て欲しいそうです」
「…拒否権は無さそうですね…」
「ありませんとも」
ドナドナ気分で舞子は力無く立ち上がった。
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次は社長と対決だー!




