11.本の中身は何でしょうね
ふふふーん、もう謝る時期ですらないから開き直ってお届けします。…まだ原稿あるんスけど。何故…。
11.
大衆向けの極々一般的なチェーン店のレストランで。
耳付きフードを被ったままウェブブックを開いて待っていると、手洗いから帰ってきた愛しのレイクが前に座った。
「─────あんたは本当に本好きだな。好きなだけ読めばいいとは言ったが、その中には一体何冊分くらい入ってるんだ?」
小さなカードに百冊くらいの情報が入り、差し替える事で無限にストック出来るコレは、現状あたしの必須アイテムだ。
「まだ七十冊くらいだと思うよ?旧日本語表記を選べる本がもっと多ければいいんだけどね…。この世界に来る前はあたしの部屋は本塗れだったんだから」
あたし達が仮の住処を引き払い、やってきたここ、都市エリュシオンは奇しくもシルヴィアナ号の次の寄港地である(後に判明するまで知らなかったけど)。
そんな都会の一レストランの隅っこであたし達は食事を取っていた。
「だが、人前でBL本はどうかと思うぞ?」
ぶふぅッ‼︎
あたしはスープを思いっきり拭いた。そして、激しく噎せ返る。
「─────かッ⁉︎がはっ、ぐふッ‼︎」
慌ててウエイターが駆け寄り、レイクがそれを制して片付けの方をさせる。回り込んで舞子の背中を軽く叩いたり摩ったりした。
「勝手で済まない。何を熱心に読んでいるのか知りたくてな」
気管にスープが入って苦しそうに真っ赤になった新妻は、息も絶え絶えに尋ねた。
「…み、見た?」
「うん?ああ、俺が旧日本語が読めないと思っていたのか…。語学は得意分野だぞ?」
そういやこの人…前はトラブルシューターみたいな仕事をしてて、あちこちの都市を渡り歩いていたって言ってたっけ。
いや、言葉の方は睡眠学習でどうにかなったのよ、あたしも。
でも、文字の方は手を介するからか地道に覚えないといけないらしくて各都市固有のものなんかまだまだ、といった感じで。簡単な読み書きのレベルに毛が生えた様なもんだった。
あたしが平時に使ってた『旧日本語』ってば都市ユグドラシルでは結構使えたんだけど…後は都市タカマガハラくらい?だ、そうで。
だからメジャーじゃないと思ってすっかり油断して結構とんでもない本を往来で堂々と読んでたんだけど───────
この人の事、すっかり忘れてましたー!
「べべべ別に、じぇんぶそんな本ばっかじゃないもぉんッ!」
紙ナプで水漏れしそうな鼻を押さえながら、苦しさに涙を流して抗議すると、
「そうだな。最近のマイブームなんだろう?履歴が20冊と比較的新しかった」
履歴ィ?こ、この人は携帯端末だというのにいつ、そこまでェ─────⁉︎
「どの隙にそんな隠語で(ボーイズラブ=BL本のコト)しらっと聞けるくらい詳しく中身を見たワケっ⁉︎殆ど肌身離さず携帯していたつーのに、いつッ?つか、幾ら旦那様と言えど、プ、プライバシーの侵害よッ!乙女のほんの密やかな楽しみを覗くなんて‼︎」
声を小にして(大に出来るか!)抗議すると、青年は端正で危険な香りのする美貌をやや陰湿に歪ませ、ニヤリと微笑った。
「愛する妻が肌身離さぬ物だから、余計に知りたくなるんじゃないか。まあ、俺には全く興味の無い分野だが、確かに昔から一部の女性達の中では消えずに綿々と受け継がれている文化らしいな。特に頭から否定をするつもりもないから安心して今まで通りどんどん買い増やせばいい」
くッ…何て悪辣な!
あたしがテーブルの上で拳を握り赤くなって屈辱に打ち震えていると、内緒話をする様に心地良い声が囁く。
「それにソレを読んだ直後のあんたはいつもの二倍くらい感じやすくて色っぽい。夫としては実に嬉しくて大歓迎だ。なんなら今晩お気に入りの本を真似てやろうか?」
ぎくり、と身体が固まり、視線が外にズレる。
しっ、知らない筈よね…ドレがソレとか分からないよねッ?ねッ?
不審に思われる位高速でオードブルを突き回しながら必死に話題を逸らそうと思い付いた事を口にした。
「それはそうと、なーんかドタバタとあの街の住居引き払っちゃったね。もうブラン達も居なくなったんだし、もう暫くそのまま居ついても良かったんじゃないの?」
窓の外に広がる都会は夜に差し掛かりながらも闇に沈む事は無い。
海辺の田舎町などとは比較にもならなかった。
煌々と灯りが大都市を飾り、眠りに就く暇を知らない。
今は家具付きの小さなアパートの一室に落ち着いている舞子もユグドラシルに居た時は逃げ回る生活が主だった為、充分に都会を堪能している場合では無かった。
その為、ほぼ初めての都会が物珍しく、楽しんではいたのだが…。
「奥さん、あんたは知らなかったらしいが、あの有名な船が思いがけず滞在した所為で地元民がややミーハー気味になってしまってな。それこそスターブーム到来とでも言おうか。だが、船はあっさりと飛び立ってしまった。話題に飢えた彼らが思い付いた事…それが実に厄介だったんだ」
『ヘェ〜』とか相槌を打ちながら、お魚にソースを絡めてもぐもぐ食べる。
「あたし達になんか関係したの?ソレ」
白のハウスワインをこちらのグラスに注いでくれたレイクは頷いた。
「題して『オレ達の街からもスターを出そう』キャンペーン」
超・イヤな予感がして顔を顰めていると、
「予想ドンピシャだ、奥さん。彼等が目を付けたのが『散歩』で大人気のあんただったのさ。俺は幸いにも役所勤めだったからな。逸早く周りの動きを察する事が出来た」
「は?役所…絡み…?」
「一大イベントにしたかったらしいぞ?地方局も提携して乗り出していたらしいし、それで衆目を集める前にさっさと引き払った、という訳だ」
淡々とレイクは事実を述べているに過ぎないのだが、あたしは食欲を失ってげっそりとした。
フォークを置いて、ワインを喉に流し込む。
「─────また、あたしなのね」
照明を仰ぐその目は軽くやさぐれていたと思う。
「自棄になるな、サクヤ」
今度の偽名を出して、静かにレイクが諌めた。レイクは『ソール・レオン』のまま。
頭が悪いあたしはくるくる変わる偽名についていけないし、世間から注目されているのは常に伝説のフィメールである『あたし』だからだ。
「…いい加減ウンザリもするわよ。大事な旦那様にしなくてもいい苦労を強いているのは一体誰だと言うの?みーんな、あ・た・し。─────あたしの所為なんだから」
こんなチェーン店っぽい気軽なレストランに入ってさえ、あたしは周りから見られている。
濃いココア色の薄いスウェード地のワンピースは黄色人種であるあたしの肌の色に合っていてお気に入りだったが、その理由の一つには周囲に無理なく溶け込む事が出来るからだ。
だから本来なら誰が見ても美形で長身のレイクの方に視線が集まりそうなものなのに、自然と人の目はこちらへと動く。
「それこそ本来転倒だ。あんたが逃げ回らなければならなくなったのは、一体誰の為だ?─────俺に惚れた所為だろうが」
悠々と肉を食べ終えたレイクは自信満々に微笑むと、パンの籠をこちらへ押した。
「あんたの細胞の一片すら誰にも渡したくなくて独占した。それは俺が死なない限り続く、俺にとっては単なる真実だ。生きる意味を護る為に、奪い続ける為にこうしてあんたを連れ回している。それは迷惑か?」
あたしは慌てて首を振る。嬉しくて嬉しくて顔が綻ぶのを止められない。
「旅は思ったより楽しいよ。あたしは本以外に執着している物は特に無いしね。それもこうして携帯出来るし」
にっこり微笑んだあたしに旦那様も意味ありげに微笑んだ。
「『その命を護る為に王を弑逆した美貌の近衛隊長と、誇り高い美少年の王子様』だったっけか?最近のお気に入りは」
ぐはぁッ‼︎と、あたしは又もデザートを行儀悪くも吹いた。
「何故ッ⁉︎何故、それを知っているッ⁉︎」
「三日三晩、監禁されて堕とされる。ふむ、かなりマニアックではあるが、心境は分からないでもない。サクヤ、久し振りに跪いてやろうか?」
お互いに悪役の様な形相で見合っている。
舞子はクライマックスで倒されるソレで、レイクに至っては余裕綽々だ。はい、この人は妻を一週間丸々軟禁致しました。
「『私は貴方だけの犬だ。犬を相手に羞恥など感じられなくてもいい』か。言えるぞ?ふふ、何しろ俺は暦とした犬種だからな」
妖しい微笑みを浮かべて美貌の夫はアレコレ企みながら、この上なく若い外見を持つ妻の顎を指ですい、と持ち上げる。
元々レイクは舞子を自分の虜にする為にはあらゆる事をする気でいる。相手が同性という事とその描写にはげんなりしたものの、謙った形を取りながらも相手を自分だけに縛り付ける近衛隊長の執着と手腕には大いに共感させられたのだ。
「なーんか不穏なコト…考えているでしょーが」
「三日三晩か」
「やらないで、拝むから」
指をやんわり押し退け、舞子は食後のコーヒーを啜ると鰾膠も無く撥ね付けた。
「──────で、態々こんな大都市を選んだ理由は何なの?」
真剣な黒い瞳がそれを包む小さな琥珀と共に照明に輝く。
「あの後、エルモの店が大きくなって、更にこの辺にも支店を出しているらしい」
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次回、なんちゃって乙女、健康診断です。
そして、レイクはエルモパパンに説教されます。




