1.新婚さんでも相変わらず
お待ちになった方にはお待たせ致しました。
【エンゲージ!】の続編、【マリアージュ!】をお届け致します。さて、第1話から波乱の予感が。
目指せ!【王家の紋○】(笑)
1.
舞子はひっくり返っていた。
勿論、ベッドの上である。もう髪の毛なんて逆立っていた。いや、寝起きはいつもこのヒトはこうだが。髪の毛の質が太くて癖毛なので、パンクもビックリ、といった風にあっちこちに跳ね捲っている。
「うお──────ッ‼︎痛い、痛い、痛あぁあい〜やや、若干の勢いでぇ」
ごろりん、と転がった。
「死ヌ───────ッ‼︎」
もう既に起きて家の中の事に従事していたレイクは痛み止めを手にして、白湯を持ってきた。
「舞子、薬と白湯だ」
がばっ、と彼女は数十㎝顔を上げて、しおしおと再び枕に戻った。それでもこれではイカン、と思ったのか、這いずって起きようとして、ポテっと落ちた。
正確には『落ちようとした』。素早くテーブルに回り込んだレイクが受け止めたからだ。
片手に毛布を掴んだまま、レイクは愛しい妻を膝の上に抱いて座る。
毛布をふわりと彼女に掛け、薬とカップを待たせた。
「飲めるか?」
ふうふうと熱を冷まして白湯を啜る彼女はうん、と頷く。
飲むだけ飲んで行儀悪くでれーん、と身体を伸ばし、舞子は楽な姿勢を取る。
「こ・更年期障害…?」
カップを遠ざけてやったレイクは面白そうに微笑んでいる。
「毎月こうでは確かに大変だな。まあ、俺としては抵抗なく丸ごと世話が出来る絶好の機会だし、浅く荒い息をする気怠げなあんたも色っぽくていいんだが…」
額に掛かる髪を手櫛でそっと梳いてやると、舞子は気持ち良さそうに目を瞑る。
この街に逃れてきて二週間。家を借りて、怪しまれない様に役所の嘱託システムエンジニアの職に就いたレイクだが、『愛妻』が働く事は決して許さず、代わりに簡単な家事だけをさせていた。
そろそろこの時期だと思っていたが、逃げている時でなくて本当に良かったと思う。彼女の生理の周期は不安定で、しかも本人が至っていい加減なので基礎体温を測ってくれないのだ。
現在、それをしているのは夫である自分である。
彼女の体調不良とイライラ加減よりは正確で的確だ。
「レイク〜何で休んじゃうのよう?仕事、行っていいのにい〜」
「大丈夫だ。生理休暇を朝一で申請するように連絡はしておいた」
「ナニが大丈夫だ、馬鹿ァ〜」
はぁはぁ、と荒い息をしながら、左手でポカポカ舞子が夫を叩く。
どうやら、レイクの妻バカは職場でも広く知られているらしく、比較的スムーズに受理されたらしい。一時雇いであるのと一日休んでも取り返せる能力を見込んでの事なのだろうが。
まあ、この男にとってはその所為でクビになろうが一向に構わない様だ。彼は何処にでも潜り込める技量と潤沢な資金を持っているのだから。
「俺としては舞子を一人にしておく方が問題だ。家で苦しむあんたを置いて、仕事なんか行ける筈が無かろう。毎月の問答だ、もういい加減諦めろ。毎度俺の返事は同じなんだからな」
「毎月、妻の生理痛で休むなよ〜頼むからァ」
ぱんぱん、とソファーの背凭れを叩く。レイクはそっとそのソファーを倒してベッドにすると、優しく彼女を俯せにして腹部に圧迫を掛けない様に緩やかにマッサージを始めた。
「いいじゃないかと俺は思うぞ?大体仕事を持ったのも、こちらが潜む為の偽装だ。本当は一刻たりとも離れていたくないんだから、まあ口実だ。あんたは大人しいし、『奥さんの散歩』は出来ないし。こちらとしては願ったりだ」
【奥さんの散歩】?
舞子は頭を捻る。──────それはひょっとして最近のあたしの日課の事?
実は舞子は知らなかったのだが、家事を済ませた彼女はてくてくと海沿いを散歩しているのだが、それが最近その辺りの名物と化していると専らの噂だ。
薄物を纏った彼女は海の照り返しに負けない様にきちんと化粧をして海風と波の音を楽しみに歩いているだけなのだが、それを見掛けた者達が偶然を装ってよく出くわす様に待ち構えていると。
先だっても彼女は思い余った船乗りの若造に告白されたのだが、その時に自分は結婚していると告げ、きっぱりお断りされた。
それで、【奥さんの散歩】と呼ばれる様になったらしい。
勿論、彼女はこの事をレイクに告げていない。言えば、家から出して貰えなくなると確信しているからだ。
…まあ、タワーからの救出後、三日どころか一週間軟禁した覚えがあるので、その辺は彼も文句は言えない。
「と、床擦れが、出来る…」と彼女が呟いた程寝台から出さなかった。
若いって、恐ろしい。
歳の頃なら十七歳。華の顔には獣相の一つもなく、明るく染められた赤茶色の髪からキャメルの狐耳がぴょこりと覗いている。
小さいアジア系の身体はクリーム色の肌で、子鹿の様な濡れた黒い瞳を琥珀が護ってキラキラと輝いている。
だが、中味は大年増。若造の一人や二人、平気で手玉に取れる女でありながら、彼女は自分が綺麗で可愛くて好きな男がそれを喜んでくれるなら満足らしい。
『モテたい、とは常々思っていたけど、実際にそうなると案外ウザい』だ、そうだ。
舞子はレイクの方を背中越しに振り返り、マッサージを施す手を掴むと、それを支えに身体を起こした。
これは分かる。抱っこの合図だ。
彼女は本当に猫の様で、いつもはあっさりしているのに偶に凄く構われたがる。
そういう時は遠慮せず好きなだけ構う。しつこくしても嫌われる心配が無いからだ。
素顔なのをいいことに彼女は首に手を回し、すりすりと頬擦りをする。
柔らかい頬が触れ、最愛の妻は、さり、とこちらの襟足を舐めた。
「…今、何をした?」
「…何にも?」
くすくすと含み笑う雰囲気。するりと忍んだ掌が夫の尻尾に伸びて優しく撫で回す。
獣種はこういう時不便だ。尻尾のリズムて気分がモロバレになるのだから。
「こちらが手を出せないと知ってて、わざと煽る様な事をする辺り…あんたは本当にタチが悪いな」
実は舞子は生理日前後が一番欲望が高まる。
それは禁忌を侵して彼女を抱いてからじっくりと確かめた事だった。
シャツの隙間から肌を滑る指一本に至るまで、こちらの体温を上げて楽しむ舞子は扇情的で妖艶な色気を醸し出す。
外見と内面のギャップに加えて、それが愛しい女だという事実がレイクの胸を熱くしていく。溺れさせていく。
「生理中のあんたの身体は雑菌に弱くなっているから俺は抱かない。────だが、お返しくらいはさせて貰うぞ?」
そう宣言して、彼女の身体を探ろうとして、
───────ピンポーン♪──────
「チャイムが鳴ったね?」「…放っとけ」
不機嫌そうな黒髪美青年の鋭い流し目が胸の谷間から覗く。
「どんどんしてるね」
チャイムが絶え間なく続き、レイクは舌打ちを一つすると漸く諦めて玄関に向かった。
「──────どちら様?」
「奥方の友人だ」
ドアを開けずに尋ねると、間髪入れずに返答が返ってきた。
女の声。きびきびとして低い。これは命令に慣れた声だ。監視アイから送ってくる映像は長身の白いコート姿を映し出している。雨が降ってきたらしく、少し銀に光る髪が水滴を纏わせ煌めいていた。
一人。歳の頃なら二十代中盤‥自分とさして変わらないだろう。何と犬種だ。それもおそらく血統書付き。眉を顰めてモニターを大家に無断で仕掛けた家の周りのカメラに切り替えるが、別段他に誰かが潜んでいる気配も無い。
少しシルバドに似た気配がする。だからでは無いが、タワーの匂いがしなかった。
これは追手では無い。そう判断して、振り返らずに『妻』に尋ねる。
「舞子。銀髪でパープルアイ、白ずくめの友達はいるか?」
「…?。…は?あ、そりゃブランか!」
ガチャリ。
鍵が開くのももどかしく、入ってきた人物は。
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1〜3話、8/19修正を入れています。8/28追加修正。