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武装要塞ゲームサークル(仮)  作者: 佐倉ホロ
intermission 01
8/25

緒方直人の取材記録 No.01

 2047年1月8日。アフリカ西部の小国であるK国、その国の首都ヤンバラグァに緒方直人はいた。後の資料の中に、彼についての経歴の幾つかが示されるが、そのほとんどが情報部によって改ざん、及び隠匿されているため、確かな情報は限られている。

 少なくとも、この日、彼がそこにいたことだけは分かっていた。

 目的は三年前から続いているK国の内戦取材だった。35歳、戦場ジャーナリストである緒方直人は、2000年代初頭、いや、あるいはそれ以前から続く内紛、テロによる犠牲者や兵士たちの姿を写真に収めてきた。時には、目を背けたくなるような残酷な情景さえも、臆することなくカメラを向ける。

 彼と共に仕事をしてきた仲間たちは大勢いたが、皆、一人、また一人とこの仕事を辞めていった。

 刀剣類や弓矢を使った古代の戦闘と違い、現代兵器を使った戦闘では、たいてい、人間は人間らしい形を保ったまま殺されることは稀だった。より合理的に破壊される。

 特に西アフリカの戦場は悲惨だった。筆舌に尽くしがたいまでに残酷で無機質な感覚で分解された人間を前に、正常な神経でカメラを構え続けていられる人間は、そうはいなかったのである。

 ある意味、緒方直人だけは異常だったのだ。

 そんな中、K国東部にある首都ヤンバラグァは、三日後には反政府勢力によって陥落されるだろうとの噂があった。逃げ出そうとする役人たちや政治家が、各々屋敷から家財一式をトラックに運び入れて忙しそうにしている。

 それを貧民街の薄汚れた半裸の少女たちが、不思議そうに眺めていた。

 通りには迫撃砲や爆弾で家を失くした骨と皮だけの死人のような人々で溢れ、中には放置された死体が、厳しい陽射しに晒されて腐敗しているのが見える。

 ほぼ白骨化した死体まであったが、誰もそれらを埋葬しようなんて考える人間はいない。

 時々、重武装した装甲車がその死体を何事もない様子で踏み潰していく。

 まさに地獄だ。

 そんな世界をカメラに収めていた緒方直人の表情は乾ききっていた。


「ここもそろそろ潮時だな」


 壮年を迎えて久しい髭ヅラのフランス人ジャーナリスト、シャルルが、そう言ってタバコを床に投げ捨てた。壁が砲撃であちこち破壊されていて、天井から太陽が見える。いつ全壊してもおかしくないようなその場所で、それでもその店は営業を続けていた。あっちこっち砂埃にまみれていて、椅子やテーブルの上は、じゃりじゃりとした感触がある。

 けれど、直人もシャルルも、それに他の客たちも、そんなことは一切気にしてはいなかった。それでもこのあたりでは、上等な店だと知っているからだ。


「武装勢力が三日後にここを陥落させるって噂も、あながちデマじゃないのかもしれない。役人たちの慌てぶりを見ただろう?」


イタリアから来た比較的若い男がそう言う。


「首都が陥落して現政権が倒されたら、アメリカも黙ってない。そうなりゃもうここら一帯、木っ端微塵だろう」

「CIAの情報通の話だ。連中、二日前にアジトを引き払ってる」

「オレは明日発つよ。こっちのガイド役だったヤツが逃げ出しやがった。そろそろ出ないとゲリラ共の餌食かもしれないしな」

「直人、おまえはどうするんだ?」


 もう一人のフランス人ジャーナリストで、比較的、直人と歳の近かった男が、グラスの中の琥珀色の液体を飲み干して問いかける。


「オレは西にいくよ」


 テーブルの上で、一人、一眼レフを手入れしていた直人が、手にした布巾をテーブルに放り投げ、手近にあったグラスを手に取る。


「西だって?」


 一人が意外そうな顔をする。

 K国の西部といえば、ひたすら農園地帯が続いている。あとは砂糖工場くらいだろう。前線とは正反対で、特に目立った軍事施設などもない。戦場ジャーナリストが農園取材などしても意味がない。せいぜい、小規模なゲリラ組織が麻薬工場か何かを運営している程度ではないか。


「なんだ? 西に何かあるのか?」

「まだ分からない」

「ふん、何かうまい情報があるなら言えよ」


 イタリア人の男がそう言ったが、直人はそれ以上多くは語らず、再びカメラを磨き始めた。周囲の男たちは、そんな直人が語りだすのをしばらく待っていたが、やがて、興ざめしたのか、再び、どうでもいい会話に戻る。

 気がついたとき、男たちの視界からいつの間にか直人の姿は消えていた。それが記録上、残っている緒方直人の姿が確認された最後の証言となっている。




 2047年1月25日。午前10時23分。コングォ山南を流れるビジ川流域に広がるK国最大の大農園、ヌヴァンツォ砂糖工場の敷地内にて、緒方直人はカメラを携えて立っていた。

 錆びた鉄柵で囲まれた敷地の中、強い日差しを浴びて、汗ばんでいる彼の横顔を一筋の雫が流れていく。

 この国特有の蒸し暑さのせいではない。カメラを一心に覗き込む彼の肌をよく見ると、寒々とした鳥肌が立っているのが分かる。 

 これまでどれほど残虐な光景を見ようと、決して動揺することのなかった彼が、今、初めてこれまで感じたことのなかった背筋の凍るような感覚を味わっていた。

 彼の目の前には、何百何十という人間の死体が横たわっていた。強い日差しの熱で腐食したのか、黒々と変色した肉や皮膚が、凄まじい悪臭を放って爛れ落ちている。その腐肉を貪ろうと、死体の山に群がるハエたちの羽音が、周囲の空気を不気味に震わせていた。腐って溶解した黒色溶液と共に内臓が、ぼこりと流れ落ちているのが見える。おぞましい死体の山だ。 

 いや、中には生きている者もいたのかもしれない。とても信じられないことだが。なぜなら、その死体の山は、炎天下の青空のもと、時折、不気味に蠢いていた。生存者がいるのかと最初は疑った。しかし、そうではなかった。死体が死体を貪り食おうと這いずり回っていたのだ。


「……な、なんなんだ。これは……」


ぐちゃぐちゃという耳に絡み付いてくるような不快な音を響かせながら、半分どろどろの赤黒い粘液と化している肉体を引き摺って、別の死体の腐肉を屠っている。

 中には、お互いに死肉を貪りあっている死体もあった。


「そんなバカな。生きてるのか? この状態で」


 ありえない。ここまで身体が腐って爛れ落ちた状態で生命を維持できるわけがない。では死体のコレらは、どうして動くことができる?

 答えの出ない問いかけが頭の中をぐるぐると回る。何か分かりやすい答えが出てきそうなものだ。なにせ、現に目の前で起こっていることなのだ。必ず、何か理由があるはずだ。

 なのに、まったく分からない。何かの病気か? それとも麻薬か何かの薬品でこうなってるのか? しかし、直人にはそんな話は聞いたこともなかった。

 ただ、ひたすらカメラを回して、目の前の恐ろしい情景を直視し続けることしかできなかった。

 その時である。

 ふいに誰かの手が直人の肩に触れた。神経が高ぶっていた直人は、思わず、飛びのいて振り返る。そこにいたのは、一人の黒人の男だった。薄汚れたグレイのTシャツに、ベージュのハーフパンツのラフな格好の男だった。いや、そのはずだが、今の彼のTシャツには誰のものか分からない血がべっとりと染み込み、ハーフパンツから伸びる黒い肌の脚には、彼自身のものと思われる血が流れていた。

 一見してガイドだと気付かなかった。


「ふ、ふぐ、ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐうぐぐうが!」


 男は、青ざめた顔をして寒さに震えるかのように小刻みに痙攣し、ケガを負ったのか右肩を必死に抑えていた。

顔中からは脂汗がひっきりなしに流れ、痙攣している。

 彼は直人に情報を売った男で、ガイドでもあった。確か名前は、

「ナ、ナリンジか?」


よく見れば彼が、現地のガイドのナリンジなのは間違いないはずだった。しかし、激しい苦悶と恐怖に醜く歪んだその顔は、直人が当初知っていた彼の顔とはかけ離れていた。


「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐガガガォィギ……」


 口からも鼻からも血の混じった黄土色の粘液を垂れ流し、まるで助けを求めるかのように、ゆっくりと手をかざして近づいてくる。

 その手はみるみるうちに、血管を浮かび上がらせ、紫色に変色していくのが分かった。異常だ。何かの病気のようだが、こんな病状は見たこともない。その姿に恐ろしくなり、ナリンジの震える手に触れられる直前になって直人は駆け出した。

 とにかく、目の前の光景から逃げ出したかった。あのグロテスクな死体同士の貪り合いも、明らかに何か、未知の病状を発していたナリンジからも、遠いどこかへ逃げ出したかった。

 初めてだった。今までどれほどの悲惨な戦場の光景を見ても、動揺することのなかった自分が、今、初めて感じているこの感覚、これは紛れもない恐怖そのものだった。


「なんなんだ!? ここは! なんでこんな……」


 必死にカメラを担いだまま走る彼の遥か後ろで、不気味な何かが這いずっているのを感じる。何かが追ってきているのか。しかし、全力で走る自分に、這いずっているあの化け物どもが追いつけるようには思えない。しかし、何かが背後にいるような気がして、背筋が震える感覚が彼を襲う。

 彼はとにかく全力で走った。

いくら疲れが来ようと、絶対に立ち止まる気にはなれなかった。

 やがて、大農園の中心にあった工場を、遥か遠くに背にするようになり、目の前にマングローブの森林地帯が見え始めたところで、ついに彼は立ち止まってしまった。膝を突き、肩で息をする。

 途端に、強い吐き気が込み上げてきて、一気に胃から込み上げてくる汚物を吐き出した。

 呼吸が出来ずに、一瞬、気が遠くなりかけたが、先ほどから心臓が破れそうなほどに、どくどくと脈打っていてそれどころではなかった。強い日差しに身体が火照りそうなのに、皮膚の上だけは、冷たく凍り付きそうな感覚がいつまでも消えない。

 そのうち吐き出せる限りを吐き出し、呼吸が少しだけ落ち着き始めた。


「はぁ、はぁ、はぁ……かはっ、くそっ。どういうことなんだ。テロ組織の大物が潜伏しているって話じゃなかったのか? あれは……あれは……」


 まだ全身の震えが止まらない状態だったが、ふいに、背後から、がさりという草を踏みつける音に、びくりとする。

 やがて、振り返った彼の目の前には、


「……」


 一見、案山子か何かに見えた。案山子が、のどかな地平の彼方からこちらに向かって、まばらに、ゆっくりと歩いているような光景だった。時々、バランスを崩して倒れるものもいたが、倒れてもまた起き上がるか、あるいは這っている。人間だとしたら、痩せすぎだし、ところどころ骨組みのようなものが見え隠れしている。

 人間のはずはなかった。人間のはずは……。







 午前10時38分。

 広大な農園地帯。まだ作物の植え付けがされていないこの一帯は、肥沃な土が盛られ、背の低い草が生い茂っている。来年にはサトウキビの栽培が始まるだろう。

 もっとも、そのトウキビ畑が何を肥料として育つかを思えば、ぞっとする。その黒々とした土に染み込んだ赤黒い血、腐ってどろどろに解けた腐肉、これらが土の奥に呪いのように染み込んだあと、それらを吸い込んで育つ植物は、どれほどグロテスクに育つだろうか。

 ただっ広い草原の向こう、陽炎の中、まるで悪魔が糸を繰る操り人形のような案山子たちが、覚束ない足取りで歩いている。

 殺意を絡めた強い日差しの中、西アフリカの奥地にある農園地帯の片隅で、倒れ込むようにして膝をついていた緒方直人は、遠くにまばらに見える案山子たちをぼんやりとした瞳で見ていた。

 まだ呼吸は整わず、疲労の限界に来ていた身体は言うことを聞かない。暑さで汗まみれだったが、全身がカタカタと寒さで震えているのが分かった。

 あの死人たちは、お互いの腐肉を貪り喰らっていた。明らかに未知の病原体と遭遇したような症状のナリンジは、あの案山子のような悪魔どもに襲われたのか。だとしたら、自分にも襲いかかってくるだろうか。

 恐ろしさのあまり膝が笑っているかのように震えて、なんとか立ち上がろうとしているにもかかわらず、うまく力が入らない。今までも、様々な戦場で取材を続けてきて、間近に死を実感したことは何度もあった。

 しかし、こんなことは初めてだった。


「はぁ、はぁ、はぁ、くそ、何がどうなって……?」


 その時、ふい彼の肩を何かが掴みかかった。ずっとあの化け物たち以外に、周囲に人間らしい人間を見かけてこなかった直人は、思わず化け物の一体が自分に襲い掛かってきたのかと思い込み、激しく抵抗した。

 恐怖のあまり、半狂乱になって掴みかかってきた手を反射的に振り払う。両手をばたばたと振り乱しながら、地面を這いずって化け物との距離をとろうと必死にもがいた。


「落ち着け! 落ち着くんだ!」


 しかし、そんな自分に対して、何もしないと主張するかのように両手を広げて声をかけてくる相手は、流暢な日本語を話した。男だ。

 そしてまだ生きている人間の男だ。直人はそう悟り、不意に、動きを止めて相手をまじまじと見返した。

 穿き古したデニムパンツに白いTシャツ姿の男は、年齢は直人と同じくらいか少し上に見えた。比較的痩せてはいるものの、貧弱な印象はない。無精髭がわずかに伸びた顔は精悍で、瞳には鋭角的な米軍仕様の黒いサングラスが掛けられている。すらりとまっすぐに伸びた身長、一切のムダのない筋肉、そして異常な空間においても冷静な面持ち、戦場ジャーナリストの直人には、まるで軍隊経験者を思わせた。


「あ、あんたは……?」

「ケガはないようだな。時間がない。ヤツらがここら一帯を“浄化”するまで、あと4分しかないんだ。立てるか?」


 直人が口を開きかけたところを、男はサングラスを外して周囲を見渡しながら遮るように話した。切れ長で落ち着いた強い瞳だ。こんな状況の中でさえ、彼の言葉はしっかりと落ち着いて響いた。強い力が、強引に直人の腕を掴んで立たせる。足に力が入らず、うまく歩くこともままならないが、なんとか立ち上がった。


「あ、あんた誰なんだ?」

「そんなことはいい! とにかく、北に向かって走れ! ほらっ」


 直人を引き摺って、男は無理やり唐突に北へ向かって走らせた。直人の背を後ろから押すようにして先に走らせつつ、彼は突然鳴り出した携帯電話を手に追いかけた。


「俺だ! 今、確保したところだ! いいや、ヤツら、証拠は何も残していなかった! とにかくもう離脱する。デイヴィ・ジョーンズの動きは? 

なんだって!? くそ!」 


 後ろで苛立たしげに叫びながら走る男に追い立てられ、直人は必死に北へと走った。一瞬だけ、後ろを振り返る。自分を追いかける男の遥か彼方に、やはり案山子たちの姿はあった。

 この男はアレを知っているのか? わずかな疑問が頭を掠めた。しかし、男はそれを許さなかった。


「後ろを振り返るな! 急ぐんだ!」


 ひたすら続くように見える草原地帯の彼方に、錆びた鉄柵が見えてくる。ちょうど鉄扉が設置されていて、出てすぐに一台の古びたレンジローバーが見えた。

 直人は、心臓が破裂しそうなほどに痛かったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ、な、何か聞こえる?」


 不意に、空の彼方から何かジェット機のような音が響いてくるのが聞こえた。


「いいから、かまわず走れ!」


 なんとか辿りつき、鉄扉を蹴破るようにして抜けると、ロックもされずに放置されていたローバーの助手席に、滑り込むようにして乗り込んだ。そしてドアを閉める間もなく、男は車を急発進させる。

 悪路の中、車体が激しく上下に揺れるのも気にせず、男はアクセルを踏み込んでいた。そんな車のダッシュボードの方から、携帯無線機のものと思われる呼び出しブザーが鳴り出す。


「取ってくれ!」


 男は運転に忙しいらしく、直人に大声で喚くようにして言った。ひったくるように無線機を受け取ると、怒鳴るようにして呼びかけに答える。


「俺だ。今、忙しい!」

『でしょうね。衛星で捉えたわ。とにかくそのままぶっ飛ばして』

「やってる!」

『空母デイヴィ・ジョーンズがRQ-1を2分前に飛ばしたわ。そっちに着くまでに1分しかない』 

「だろうな」


 直人にはよく分からない会話が続いているが、雰囲気からしてあまりいい状況ではないらしい。気のせいか、先ほど聞こえたジェット機の音が近づいてきている。

 直人は激しく揺れる中、ルームミラーで遠ざかっていく砂糖工場を見据える。

 すでに工場の建物は、ローバーの遥か数キロ彼方にまで小さくなりかけていた。直人は、ほっとして胸を撫で下ろしかけた。その時である。

 不意に、工場の遥か後方の空に、何かが一瞬光ったように見えた。

 次の瞬間。どこまで続く青空に、一瞬、ストロボのような光が走ったかと思うと、突然、心臓を叩きつけるかのような轟音が周囲数キロに渡って響き渡った。

 それと同時にルームミラーに映っていた地平すべてが、瞬時にして猛烈な爆風に飲み込まれる。まるで巨大な怪物が追いかけてくるかのように、強烈な衝撃波が遥か後方から信じられない速度で迫ってくる。

 瞬間的に建物が薙ぎ倒され、燃やし尽くされ、木々が押す潰される中、その爆風が必死に駆け抜けるローバーのすぐ後ろまで迫っていた。


「……や、やばい! もっとスピードを! スピードを上げるんだ!」


 後ろに迫る脅威から目を話すこともできず、直人はとにかく叫ぶ。


「分かってる! これでめいっぱい踏み込んでるんだ!」

「だ、だめだ。追いつかれる!」


 次の瞬間、後ろからトラックにでも追突されたかのような衝撃が襲った。ローバーが強い力に煽られて、方向が横向きになる。男が必死にハンドルを切るが、すでに制御が利かない状態だった。

 やがて横を向いたローバーをさらに衝撃が襲い、ついに車体が横転した。ろくにシートベルトも掛ける余裕がなかった直人は、一気に身を投げ出され、上も下もなくなった車内で激しく身体を叩きつけられる。

 そんな中、ダッシュボードに激しく頭を打ち付けた直人は、そのまま気を失った。







 目の前がぼやけている。クズ鉄の山が自分の上に覆いかぶさっているかのような錯覚を覚えたが、恐らく、状況としては似たようなものだろう、と直人は心の奥で毒づいた。

 気がついたとき、車は逆さまになっていて、天井に顔を突っ伏すような形で倒れていた。身体が不自然にねじれた状態で強い力がかかったせいで、間接が折れたように痛い。フロントガラスは完全に破壊されて、そこらじゅうに飛び散っていた。顔中、いや、身体中に切り傷や打撲が出来ているらしく、とにかく全身から血が流れていて、痛み以前に感覚が麻痺していた。

 口の中がガラスかもしくは砂か何かのせいで、しゃりしゃりとした感覚がある。なんとか身体を起こそうとして思わず咳き込む。

 いったい、どれほど気を失っていたのか。

 かろうじて車体の隙間から覗くの明るさからして、まだ陽は高いのだろう。それほどの時間が経ったようには思えなかった。

 とにかく、まずはここから出なくてならなかった。意識を取り戻してから、少しずつ戻りつつある感覚を確かめ、特に身体のどこかが何かに引っかかっている様子がないことに気付く。なんとか出られそうだった。


「くっ、うぅ、ぐぅぅ……」


 足や腕を動かすと、凄まじい痛みが全身を襲う。もしかしたら、どこか骨折でもしているのかもしれない。けれど、痛みに耐えてなんとか動き出そうと努力する。そんな中、突然、彼の目の前に手が差し出された。


「だいじょうぶか?」


 あの男だ。声からして、男の方は特に重傷を負ってはなさそうだ。直人はその手を握ると、男はしっかりと握り返してきた。


「気をつけろ。裂けた金属がむき出しになっている」


 冷静にそう言う男の言葉に従って、痛む全身を鞭打って這い出る。なんとか隙間から身体を引きずり出した。見ると、男の方もそれなりに切り傷や擦り傷を負っているものの、それ以上の大怪我はないかのように、しっかりと直人の前で立っていた。やがて、なんとか出た直人を逆さになった車にもたれ掛かけさせ、彼の足や腕の様子を慎重に確認する。


「右足が骨折してる。肋骨や背骨、首はだいじょうぶそうだ。この指を目で追ってみろ」


 慣れた様子でそう話す男の指示に従って、ぼんやりとしながらも直人は言われるままに目で追った。


「いいぞ、そのままじっとしていろ」


 そう言うと、男はいつの間にか取り出した救急箱から包帯を取り出し、手近に転がっていた木の枝を右足に添えた。


「痛むぞ」


 それだけを言うと、一気に包帯で強く締め付けながら巻きつけた。


「ぐわっ、く、くぅ……」


 男の何気ない軽い物言いにはそぐわない凄まじい痛みが一瞬全身を駆け巡った。その痛みに歯を食いしばりながら直人は耐える。


「あ、あんた一体、誰なんだ」

「きみに情報を送った者だ」

「なんだって? 情報屋はナリンジのはず」

「あの男は俺の代理だ。もっとも、ヤツは他からも指示を受けていたみたいだがな」

「どういう……」


 言いかけて男は、おもむろに手を離した。携帯無線機が呼び出しをかけていたのだ。


『無事みたいね?』

「ああ、でも見ての通りだ。足がいる」

『もうすぐヘリが迎えにいくわ。状況は?』

小包パッケージに破損あり」

『了解。もう少しだけ待って』

「急いでくれよ。すぐに抹消部隊そうじやが来る」


 直人は、男が通話している間、車から投げ出されたカメラを見つけた。あれだけはなんとか持ち帰らねば。なんとか手を伸ばし、カメラを取る。

 不意に、遠い空から新たな轟音が鳴り響いてくるのに気がついた。思わずカメラを抱え込み、身を固める。その様子に気付いた男が、直人に声をかけた。


「心配するな。お仲間だよ」


 彼が言う通り、先ほどのジェット機のような音ではなく、ヘリのローター音のようなものだと徐々に気がついた。程なくして一機のヘリが遠くの空に見えるようになると、男はヘリに向かって両手を振る。

 気付いたヘリがまっすぐこちらに向かって飛んでくる。頭上にまで到着するのに、5分とかからなかった。激しいローター音と吹き付ける風圧で周囲に砂埃を舞い散らせながら着陸すると、中から数人の迷彩柄の兵士たちが降りてきた。全員日本人だ。

 一瞬、男と何か話しているようだったが、回転を続けるローターの音でよく聞こえなかった。まもなく兵士たちが直人の傍まで駆け寄り、用意された担架に乗せる。慣れた様子で固定するとすぐさまヘリに収容した。

 その間、しばらく男は何かを思うように背を向けて、砂糖工場がかつてあった方向を見つめていた。その背は先ほどまでの頼もしさや強靭な強さはなく、どこか寂しげに映った。

 やがて、撤収作業が整ったのか、兵士の一人が男に声を掛ける。


「時間だ」


 言われて男は振り返り、無言のままヘリに乗り込んだ。すぐさまローターは回転速度を上げ、機体がゆっくりと浮上するのを直人は背中越しに感じる。なんともいえない感慨が、胸のうちにじんわりと染み出てくるのを感じた。もうダメかと思った。

 しかし、自分はまだ生きているのだということに胸が溢れそうだった。


「もうだいじょうぶだ」


 男はタンカで寝かされている直人を見下ろし、無表情にそう告げた。まるで、何かの報告をするように、生き延びたことにほっとした直人とは正反対な無機質な響きだった。直人はその言葉を受け、おもむろにヘリの脇から外を見る。

 そこには信じられない光景が広がっていた。先ほどまで必死になって走った、あの砂糖工場を中心とした農園が、周囲数キロに渡って跡形もなく消え去っていたのだ。

 まるで巨大な隕石が落下したかのように、中心に黒く焼け爛れた大きな窪地が出来ていて、そこから同心円状に灰が飛び散ったかのように、白く塗り固められていた。

 空には局所的で猛烈な熱エネルギーの解放があったことを示す巨大なキノコ雲が立ち昇っているのが見える。あたかも、それは人間の髑髏が空に浮き上がっているかのような、そんな不気味な光景だったことを直人は生涯忘れることはなかった。

 あそこにあった何もかもが消されたのだ。直人は、自分が絶対に離さないと誓ったその手の中のカメラを見つめる。もはや自分が見た真実は、この中にしか残っていなかった。


「あんた、誰なんだ?」


 直人は何度目かの問いかけを男に投げかけた。男は直人の傍の椅子に腰を下ろし、ゆっくりと視線を落とした。


「俺はR.H。仲間はアルと呼んでいる」

「いったい、何が起こっているんだ?」


 その質問に男はしばらく沈黙していた。しかし、やがて男は鋭い瞳で虚空の何かを貫くように、睨みつけながら呟いた。








「世界の終焉さ」







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