#2:待て、そんなことより先輩のパンティ
そう、現実がやってきた。
はい、と返事をする前に、普段は鍵がかかっているはずの部屋のドアが、なぜか開いた。
息を呑みながら、ゆっくりとした動作で僕は振り返る。果たしてそこに『彼女』はいた。
【ここな】とは違う暗い影のある微笑みを浮かべて、彼女は今、そこに立っている。上げられたブラインドからの日差しを浴びて、まるで光の粒子が舞い上がるかのように亜麻色の髪は光沢を放った。
雪のように白い肌、気品に溢れ、ゆったりとした弧を描く細眉、慈愛に満ちた女神のような瞳とは裏腹に、凶器としか言いようのない存在感を感じさせる胸元と、きゅっとしたスタイルが艶かしい。
彼女がそこにるだけで空気すら清浄化され、活性化されるかのような錯覚を覚えた。ただし、現実には間逆の状況なのは間違いない。
「ゆ、雪音先輩……」
「時間切れです」
語尾にハートマークが三つは付きそうな甘い響きで囁いた雪音先輩は、その後、僕の耳を散々引っ張りまわし、お仕置きという名の拷問の限りを尽くした。
やがて、赤く腫れた両耳を涙目になって抑えている僕を横目に、雪の肌だったはずのセンパイは、頬を桜色に上気させて、部屋の東側にあるテーブルセットの上に手にしていた紙箱を置いた。
「アガナくんが悪いのよ。あれだけ連絡したら返事してといったのに、ずっと無視して」
雪音先輩は紙箱を置いてから、そのまま備え付け簡易シンクとコンロのあるほうへと向かい、慣れた手つきで湯を沸かし始めた。そして隣の戸棚から、彼女が買ってきたティーカップを2セット用意して、紅茶の用意を始める。
「ご、ごめんなさい」
無視していたわけではないが、いちいち言い訳などせず謝るのがもう癖になっているかのように、僕は条件反射的に応える。
改めて、雪音センパイの後姿を見つめてる。やっぱりセンパイがいるだけで、部屋の空気はもちろん、明るさまでいっきに変わったような気がした。
女の子がいるっていうことは、すごいことなんだなと思う。同時に、さっきはこんな部屋に女の子がいる様子なんて想像できないと思っていたものだけど、そうえいば、センパイはよくこの部屋にやってくることを思い出した。どうも、僕の中でセンパイは女の子というより姉弟みたいなものなんだと改めて思う。思うんだけど、時々、その妖艶な肉体を見ると冷静さを失うことがよくあった。
まあ、とにかくいろいろ奇跡だ。とはいえ、当の僕自身にとっては、その奇跡はずいぶん高くつくものだったのは言うまでもない。
今もじんじんと痛む耳がそれを伝えていた。
「今日は何をしていたの?」
眩しそうに瞳を細めていた僕に、今はいつもの優しい笑みを浮かべた雪音先輩が中央のテーブルに紅茶とケーキを運んできた。
僕の好きなチョコレートケーキと雪音先輩の好きなシンプルなストロベリーオンザショートケーキを、それぞれの白い皿に乗せ、戸棚から出した金色のシンプルなフォークを添えた。
「別に、【ここな】とゲームしていただけだよ」
今日は何をしていたか、雪音先輩はここに来るたびに僕にそう問いかける。
僕はその質問があまり好きではなかった。
ひきこもりの自分を彼女はことさら責めることはなかったが、そういった質問は、何か責められているような気がしたからだ。
何もせず、部屋に閉じこもって、無意味な時間を送っている山の廃工場の変人少年。
それがこの町で僕が人々に張られているレッテルだ。
そんな僕のいる廃工場に甲斐甲斐しく通い、世話を焼く工藤雪音という少女も、近隣の住民からは不思議な目で見られているだろう。
「わたしのメッセージ、ゲームしてて気付かなかったの? ひどいわね」
「ごめんなさい」
何度目かの謝罪を口にする僕に、雪音先輩はくすりと小悪魔のように笑った。
もっとも、雪音先輩は、僕と違ってこの近隣地域では名家として知られる工藤家の令嬢であり、それこそ、その美貌は、他校の生徒から何人も見初められて告白を受けるほどだ。
不思議と思われつつ僕のような変人という見方はされていない。それどころか、雪音先輩の父親が、生前は著名な学者として知られていた僕の祖父に師事していたことは有名で、彼女とはその頃から家族同士の付き合いがあった。そのことは周囲も知っている。
僕を今も姉代わりとなって面倒を見ている心優しい女の子という位置づけとなっていた。ただ、それがあまりに甲斐甲斐しいもので、少しばかり不思議と見られている程度だ。そして、その見方は大方正しいものの、微妙に真実とは違うものが混ざっているのかもしれない。雪音先輩にとって、僕は出来の悪いながら放っておけない弟というだけなのか。
「せっかく、東堂のケーキを買いに行ったから、キミの分、どれにしようか聞こうと思ったのに」
「あ、でもチョコレートケーキ好きだよ?」
「そう思ってそれにしたんです」
少しばかり自慢するかのように胸をそらしたセンパイは、意気揚々と応えた。
言うまでもないが、その豊満な胸をそらす動作は、本当に心臓に悪い。
それはさておき、それなら聞く必要なんてないだろと思った僕だったが、当然、そんなことを口にするはずもなく……。
胸を張ったセンパイの形のいい存在感のあるそれが、ぷるんと揺れたようで、僕は視線の向けどころに困った。
「せ、先輩は、今日は学校はどうしたの?」
なんとなく一瞬、彼女の胸に視線がいったことに罪悪感のような後ろめたさを感じた僕は、気を取り直すために、なにげない話題を投げかけたつもりだったが、かえって自分が言えた義理ではなかった気がして、さらに気分が落ち込んだ。
そんな僕の内心を見透かすかのような微笑みが浮かぶ。
「知らないの? 今日は中間テスト最終日で授業はないし、試験が終わったら午後はそのまま帰宅する日なのよ」
「あ、ああ、そうなんだ」
他人事のように呟き、センパイが淹れてくれた紅茶のカップを口につける。まだかなり熱いし、紅茶の風味も浸透していなかったが、僕は気にせず一口すすった。センパイ曰く、暑いときこそ、熱いお茶がいいんだとか。
雪音センパイもテーブルの椅子に腰を下ろして、ティーカップにその形のいい唇を寄せる。すると、やはりセンパイにとってもまだ熱かったのか。桜色の薄い唇をすぼめて、そっと紅茶に息を吹きかけた。
ただ、それだけのことなのに、先輩のきらりとする唇を見ているだけで、その妖艶さ、色っぽさに頭が沸騰しそうになった。
なんとなく気まずい気分になる。子供の頃、家族同士の付き合いをしていたときには、雪音先輩を見ていて、今のような気分になることはなかった。
しかし、最近は、彼女のふとした仕草や、それとなく見た彼女にドキドキしたり、後ろめたさや罪悪感を感じたり、とにかくそわそわした気分になって落ち着かなくなることがよくあった。
そして、そんな僕を見るたび、雪音先輩は僕の内心を見透かすかのように微笑む。その微笑みは、いつもの優しい微笑みではなく、どこか小悪魔じみた悪戯っぽい笑みだった。
「そういえば、シェルクラのデータどうだった?」
ふいに、思い出したように彼女は切り出した。シェルクラと略すことが多いけど、本来は【シェルクラフター】と言う。僕が先ほどまでノートPCで立ち上げていた箱庭作りゲームの名前だ。もっとも、実際にはゲームというわけではないんだけど。
僕らが今いるこの山、深桜山の風景、そこにある様々なものを出来る限り正確に再現したブロック状の世界は、実は雪音センパイと一緒に作ったものだ。
まあ、大半は僕が先ほども言ったように山中を駆け巡って集めたデータで、スキャンして作ったんだけど。
「ああ、今、【ここな】と見ていたんだよ。午前中に物理演算テストで基本的な障害がないのは確認済み」
「そうなんだ? よかった。最初の頃はなかなか物理テストをパスできなくて大変だったものね」
「まあ、大半の細かい処理は機械がやってくれるんだけど、それでもいろいろ慣れてなくて失敗しちゃったよね」
「それで? いつ実際に転移処理するつもり?」
「えーと、【ここな】と話していたんだけど、水源を作ろうかって言ってて、それだけならたぶん、物理テストのデバッグに時間もかからないと思うんだ。それを作ってからにしない?」
そう言って、僕は手にしていたティーカップをテーブルに置き、立ち上がって、ノートPCの方に向かう。センパイも後ろからついてきて、僕が座った椅子の背もたれにも身体を傾けるようにして、モニターを覗き込んだ。
僕のすぐ後ろで、センパイが身を乗り出してモニターを覗き込むことで、押し付けられた胸元から香る甘い匂いが、僕の鼻腔をくすぐる。なんとなく、やっぱり落ち着かない。
「【ここな】、水源の位置だけど……」
『はい、アガナ』
しばらく席を外していたせいで、モニターがスリープモードになっていたらしく、真っ黒だったけど、僕が呼びかけた瞬間、パっと画面が切り替った。先ほどの【シェルクラフター】の映像が浮かび、傍らには【ここな】が退屈そうにして立っているウィンドウが表示されていた。
「こんにちは、【ここな】ちゃん」
『こんにちは、雪音。アガナも言っていましたが、あなたのデータに特に問題はありませんでした』
「ありがとう」
『はい』
【ここな】は、センパイの存在をテレビ上部のカメラで確認していたらしく、ごく当たり前に挨拶した。淡白で無感情な語り口調は元々だが、最初はセンパイの存在を無視しているようなところがあった。
まともに挨拶を返すようになっただけでも、成長したものだと思う。
「うん、で、あとは水源を一つ作ってから、いよいよ転移処理したいと思うんだよ」
『かまいませんが、クリエイティブモードでこれ以上、変更を加えるのはお勧めしません。せっかく終了した物理演算テストを再度やり直すことになります。システムの設計上、“水源”部分だけをテストするようなことはできませんから』
「そっか……。また半日かかっちゃうかな」
『ベースシェルターのデータがかなり大きいですから』
画面上に別ウィンドウが開いた。そこには金属製のごつごつといた無骨なデザインの建物のようなものが表示されていて、ゆっくりとウィンドウの中で回転していた。
僕らが約3ヶ月かけて検討して作ってきた建物だ。それを見ながら、すぐ後ろのセンパイが口を開く。
「クリエイティブモードのデータを転移処理した後、サバイバルモードで水源だけを作ることはできない?」
『可能です。サバイバルモードでシステムを稼動させる場合、アバターを使った操作になりますから、基本的に簡易プロトコルで処理が実行されます。電力消費もそれほどかからないので、恐らく、クリエイティブモードでの処理のあとでも、使用可能でしょう』
「じゃあ、それでいこう。先にどこに配置するかだけでも決めておこうか」
僕はベースシェルターのウィンドウを閉じ、手近にあったゲームコントローラーをノートPCに接続する。ここからはコントローラー操作の方がやりやすかった。
「水は大事だから、シェルターのすぐ近くがいいわよね」
「ジャガイモ畑のところに大きめのタンクを用意したけど、あれは元々、とりあえずだったしね。畑を維持するのにも重要だな」
コントローラーを操作し、まるでその世界を歩くかのように画面の向こうの風景が流れていく。やがて、山の中腹にある、このスクラップ廃工場跡地を模した映像が見えてきた。本当にブロックで組んだおもちゃの世界だ。とても打ち捨てられた、陰惨な廃墟そのものと言える現実の様子を描いたものとは思えない。
「えーと、ここが僕らのいる廃ビルで、その前に……あった」
廃ビルを回りこんだ正面玄関の向かいに、それはあった。
僕らが三ヶ月かけて、あーでもない、こーでもないといろいろ考え抜いて組み上げたシェルター。
金属の塊で出来ていて、実際の高さは、だいたい三十メートルくらいだろう。ずいぶんとゴテゴテとした無骨なデザインだ。窓はなく、扉も普通の扉と違って、丸いハッチのようなものになっている。
だいたい学校の教室三つ分くらいの広さのフロアが、7階分ある。こうして見ると、ずいぶん大きく見えて、なんだか威圧的だ。
「このすぐ近くに水源か。やっぱり後ろがいいかな」
「そうね。ジャガイモ畑からも近いし」
シェルターのすぐ後ろは、現在、廃材置き場になっていて、とにかく年代物のほぼ風化寸前の廃車や鉄くずなどが放置されている。他にも使われなくなった家電の残骸が置かれていた。そして何より目を引いたのが、うず高く積まれた輸送コンテナの山だ。ざっとみて、五十はあるだろう。
実はこれらの廃材やコンテナは、シェルターを転移処理したあとには綺麗さっぱりなくなっているはずだった。
恐らく、綺麗さっぱりなくなったあとの廃材置き場は、だいたい学校のプール2つ分くらいの広さにはなるだろう。貯水池として申し分ない。それにすぐ隣には、沢が流れている。そこから水を流し込むこともできるだろう。
「よし、じゃあ、ここにしようか。あとでアバターを動かしてみよう」
そう言いつつ、僕はゆっくりと呼吸を整える。
「【ここな】、山に誰か入ってきてる?」
『スキャン実行』
基本的に私有地である深桜山は、麓の登山口ゲートが閉じられていて、他人が入り込むことはない。呆れた話だが、山の周囲に高い鉄柵を張り巡らせているので、わざわざそれを昇って入り込むような物好きも滅多にいなかった。それでも、ごくたまに比較的昇りやすい登山口ゲートを乗り越えるような酔っ払いや地元の不良グループが面白半分に入ろうとすることがあった。彼らがいると少し面倒だ。何よりシステムが稼動しているときに、僕とセンパイがいるゼロ・ベース・ポイントに設定している地点以外の場所にいるのは危険だった。
『問題ありません』
今度はノートPCのモニターではなく、70インチテレビの巨大な画面上に【ここな】の全身が浮かび上がった。
その姿の横に、僕と雪音センパイのいる部屋と、僕らの姿をシルエットだけの簡単なCGで描いた映像が表示される。さらに、そこから映像がズームアウトして、山全体をイメージした三次元マップを表示させた。
今現在のリアルタイムの深桜山にいる人間の様子を描いているのだ。どうやってこんなことを可能にしているのか、いまだに僕にも分からない。
「よし、じゃあ、やってみようか」
「いよいよね」
いよいよだ。ここ三ヵ月、シェルターを造ること自体は、そんなにかからなかったものの、いろいろな自然の物理法則との兼ね合いから、何度もエラーが発生してやり直しを余儀なくされてきた。なかなか難しいのだ。
ゲーム内でできることを実際の現実の世界に反映させるなんてことは。
そう。このシステム、【クァンタム・セオリー】は、ただのノートPCじゃない。そして、その中で起動している【シェルクラフター】は、ただのブロックを組み合わせて物作りするゲームでもない。
ここで作ったものは、現実の世界に反映させることができる。
何をバカなことをだって?
それを今から証明してみせるのだ。
『電力供給異常なし、デバイスコンタクト、リンク確認。物理演算デバッグを読み込みます。……ファイルOK』
【ここな】の声がテレビの方からいつも以上に事務的な口調で響き渡る。どこか彼女の意思がそこにないかのような機械的な動作だった。
やがて、僕が操作しているノートPC、【クァンタムセオリー】が、徐々にウィィィンと唸るような機械音を響かせ、それは時間の経過と共に大きくなっていく。
さらに、キーボードの隙間やちょっとした排気ファンなどの隙間から閃光のような白い光が溢れ出してくる。何かPC内部で未知の発光現象が起きているかのような、通常の電子的な発光現象とは何かが違っていた。
ちょ、ちょっと……爆発とかしないよね?
突然、プシューっという何かのガスが勢いよく吐き出されるような音が両脇から僕を驚かせる。
「うわぁぁ!?」
思わず仰け反る僕と違い、センパイは冷静だった。
「落ち着いて、アガナくん。だいじょうぶよ」
「う、うん……」
なんで、センパイはこんなに落ち着いているんだ? 動揺してしまった自分が恥ずかしくて、思わず顔を背けながら応えるものの、センパイの落ち着きぶりがなんとなく不思議だった。
それとも僕がビビり過ぎてるだけ?
けれど、そんなことを考えている余裕はなかった。まともに会話するのも難しいほどの騒音が室内に響き渡り、それはさらに大きくなっていく。
山の中の廃ビルでよかった。町中じゃ、うるさくてとても動かせなかっただろう。
そのうち両脇のモノリスからなのか、ものすごい突風が吹き込んできて、まるで部屋の中で竜巻が発生したかのような暴風に襲われる。
『Now compiling, please wait......』
凄まじい騒音が鳴り響く中、【ここな】が普段、聞かせることのなかった流暢な英語音声で呟くのが聞こえた。
その時だった。
一瞬、何か窓の外でキラっと青白く光る閃光を見た気がした。わずか数瞬後……。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!
何かが窓のすぐ外で凄まじい爆発を起こしたかのような激しい轟音が、僕の耳や心臓を容赦なく叩きつける。
「ぬおああああああああああああああああ!?」
今度こそ驚きのあまり、僕は椅子から転げ落ちた。すぐ後ろにいた雪音センパイは、そんな僕をあっさり避けたけど……。思わず床に背中を強く打ちつけてしまった僕は、廃ビルが一瞬、地震か何かに遭遇したかのようにわずかに揺れているのを感じ取ったが、それはすぐに収まった。
代わりに雷がくすぶっているかのようなゴゴゴゴという音が、遠くに聞こえるが、それも徐々に聞こえなくなっていく。
バクバクと高鳴り続けているノミの心臓が落ち着きを取り戻すまで、僕は動くことができなかった。
そんな僕に寝覚めの一発とばかりに、すぐ傍の棚からフィギュアが一体落ちてくるのを顔で受け止める。姫ノ宮ココナのフィギュアだった。
それ以降、まるで何事もなかったかのような静けさが周囲を取り囲む。
「再現補正0.000000001%、物体強度は理論値を超えて適正範囲、コンパイル……完了……」
【クァンタムセオリー】の画面上のログを見つめ続けていた雪音先輩は、表示されたログを呟くように読み上げていた。そんな彼女を、椅子ごと転げ落ちた僕が見上げ、先輩が僕を見下ろす。
見方によっては、先輩のすらりと伸びた黒ニーソに包まれた脚、さらにスカートを覗き込もうとしているヘンタイのようだ。
あ、見えた……。
いや、待て。そんなことよりパンティ。
いや、違うぞ、成功だ。成功っていま先輩のパンティが……あ、いや、センパイが。
え? 黒?
いやいや、今、成功っていってなかった?
しかもなんかセクシー過ぎない?
何いってんだ? 僕は……。
ん、んんんんんんんん?
――成功?
ゆっくりと起き上がって、センパイと並んで【クァンタムセオリー】のモニターを覗き込む。そこには、コンパイル実行完了の文字と『CreationDate :Wed.Jun 09 15:58:23』という最終ログが点滅していた。
「えーっと、つまりこれは成功なんだよね?」
『その通りです。すべての動作が正常に処理されました。現在、デバイスを冷却中……』
「アガナくん」
センパイが僕の隣でいつの間にか後ろを見ていたことに気付く。彼女は東側の窓の向こうを指差していた。
僕の視線が、その先を追う。
そこにあったのは……。
「マ、マジ……?」
山の中腹にあるここ、スクラップ廃工場の廃ビルの東側には、ただ廃材置き場と最近作ったジャガイモ畑が続いていただけだ。西側の窓際から東を見れば、特に何も見えはしない。
窓の向こうには、ただ青空が広がっているだけのはずだった。数分前までは。
「す、すごい……」
センパイもさすがに驚いたかのように、呆気に取られている。無理もない。三階建てのビルの最上階、その窓の向こうにあったのは、先ほどまではなかったはずの剛直な金属の塊で出来た巨大な壁だった。
「と、とにかく、外に出てもっとよく見てみよう」
「そうね」
僕とセンパイは、どちらともなく部屋を出て、急いで階段を駆け下りていく。その間にも視界の端には、各窓から見える巨大な建造物の壁面があった。それが気になって、つい顔をそちらに向けながら階段を駆けていく僕は、時々、転びそうになりながらも、なんとか玄関から外に飛び出した。
玄関の外のちょっとした空間は、今やその巨大な建造物の作る影で、ほんの少し薄暗くなっていた。
それになんだか夏真っ盛りにもかかわらず、周囲の空気は冷え冷えとして冷たい。どことなく霧がかっているようにも見えた。
僕とセンパイは、飛び出した先で立ち止まり、思わず見上げる。巨大で無骨な金属の塊が僕らを見下ろしていた。大きさはやはり学校の教室二つ分は裕に収まりそうな広さで、高さは7階はある。全体的に黒を基調とした配色をされていて、あちこちにデコボコとした凹凸があり、およそ優雅さや建造物としての美しさといった雰囲気はない。代わりに堅牢で難攻不落の要塞のような貫禄があった。
それはまさしく、僕とセンパイとで3ヶ月かけて考えたベースシェルターそのものだった。ただし、【シェルクラフター】の中のブロックで積み重ねて作られたおもちゃのようなそれとは、到底、似ても似つかない雰囲気がある。
「本当に、こんなことが可能なのね」
ゲーム内で作った物体を、現実の世界にある物質を使って瞬間的に創造することができる。この明らかに現代文明において、オーバーテクノロジーという他ないシステムを、僕は亡くなった祖父から受け継いだ。この超技術がいったいどこからきたものなのか、詳しくは分からない。けれど、なんのためにあるかは知っていた。
遠からず人類社会は崩壊し、僕たちは滅亡する。それがいつ、どこで、どのようにして始まるかは分からない。けれど、それは遠くない未来で確実に起こる出来事だと知っていた。それに備えることが、僕の目的、僕のゲームサークルだ。
『……本日、午後7時45分、アフリカ、シエラレオネのコロン大統領、またリベリアのサーシェフ大統領、ガーナのクォーティー大統領が、同時に非常事態宣言を行いました。また【国際協力医師団】の代表、ガルバート・オコナー氏は、「この原因不明の奇病は、わたしたちの対応が追いつかないほどの早さで悪化し拡大しつつある。各国の指導者たちは、この奇病への対策が失敗しつつある」とし、国際社会が一丸となって対応し、異例の措置を講じる必要性があるという見解を強調しました。これを受けて、長谷部首相は記者会見にて、感染対策に4000万ドル相当の支援を行う方針を表面しました』




