NO・4
ウイング兵団は八日ぶりに無事、ルドルフ王国へ帰還することができた。国を一歩出れば命が危ぶまれる環境である。隊員たちは強張っていたが、それから解放されて硬くしていた表情筋がほぐれを見せていた。
通常利用される外門から入国すると、平民の人々が歓呼の声と労いの言葉を飛ぶなか、魔導車が走行して通りすぎる。
ウイング兵団の所有する建屋のひとつを、魔導車専用の格納庫とさせていた。建屋の中は、縦にも横にも広く、何十台もの魔導車が停車を可能とする。
キリカは長かった魔導車での進行が、ようやく終わりを迎えて安堵する。国を出れば道は舗装されておらず、車内の振動が激しいために快適な移動とはいえなかった。それでも、一昔前まで馬を利用した移動に比べれば段違いに速く、乗り心地も車体の衝撃を緩和する緩衝装置が備えつけているため、文句などいえない。
「キリカ隊長、少しお話がしたいのですが、つき合ってもらえますか」
キリカは無言で頷いて了承する。だが、本当なら早々に宿舎に戻り、温かいお湯で汗を流したいと思っていたのだが、その矢先にイディリオから話をふられて内心舌打ちしてしまう。彼が話しかけてくる時は大抵面倒な用件だ。
キリカはイディリオに格納庫の奥に連れていかれ、神経質そうな細目で周囲に人がいないのを確認した後、重い口を開いた。
「あの、ソウタと名乗る男をどう思います?」
平常どおり、平坦な口調で問いかけてきた。
「サンドリーに話したとおり、ただ者ではないのは確か」
キリカは脳裏に、あの平たい顔をした黒髪の男を思い浮かべる。ウイング兵団は各騎士団と比較しても、肉弾戦なら引けを取らないと隊員全員が自信を持ち、それだけの鍛錬を積んでいた。その中でも、隊長らの精鋭の威圧感はけして軽くなく、Cランクの魔物なら問題なく葬れる。
それなのに、あの奏太という男はなんの緊張感もなく、落ち着いた雰囲気で近寄ってきた。一目見れば、剣を持ったことのない人間でも、穏やかな雰囲気ではないのは勘づけたはずなのに。
「それは、人間かどうかわからないと?」
「いえ、おそらく人間。イディリオが考えているような、魔族ではないと思うわ」
イディリオは、奏太がルドルフ王国に害を及ぼすのではないかと心配しているのだ。しかし、キリカの勘では異質さを感じるも、人に弊害を与える嫌悪感は抱かなかったのだ。
「そうですか。キリカ隊長の勘は的中率が高く、信じるに値するものです。ですが、それでも人は間違を犯しやすい生き物。なにかの間違いが起きてしまい、平民街の住民に危害が加えられてしまったら大変ですからね――あ、勿論キリカ隊長の勘を信じていないというわけではないので、気を悪くしないで下さいよ」
多少不快に思わなくもないが、イディリオの臆病とも受け取れる思慮深い堅実な思考判断のおかげで、ウイング兵団の窮地を何度も救ってきているのは事実だ。
「そう。で、つまりなにが言いたいの?」
「あの、ソウタと名乗る男ともう一度接触してもらい、縁を深めてほしいのです」
「なぜ私が……と言うのは愚問ね」
イディリオの無論だと、感情を映さない目で述べる。目の前の男の意見はもっともなものだ。あの怪物を国の中で放置するのは、ウイング兵団の存在意義を問われてしまう。
もっとも、この案件はウイング兵団の許容範囲を大幅に超え、国が預かる案件である。しかしながら、カルフェール伯爵をのぞけば、敵対する貴族の謀略と、自分らの出世のことにしか頭にない連中が大半だ。
ウイング兵団は、最初から彼らを当てにするつもりはない。
「この案件は慎重に扱わなければなりません。短絡的な貴族にあの男の存在を知られれば、彼を逆鱗されるような横やりが入るのは明白です。
そのような最悪な未来を迎えないためにも、彼がどういった人物か知る必要があります。監視を置くにも、私たちの隠密能力では十中八九気づかれるでしょう。勿論、情報ギルドにも依頼して、彼についてくれぐれも慎重に探りを入れてもらうようにお願いしますが、彼の話では別大陸出身というお話ですので、あまり彼について情報は期待できないでしょうね。
ですので、信頼する隊員に監視をかねて、彼の友人となってほしいのです。面識があれば、なにか不測の事態が起きても対応ができますからね」
その適任が、我がウイング兵団ではキリカ隊長だと、イディリオは言う。
また、情報ギルドはその名のとおり、情報を売買するギルドだ。表では新聞を一般に販売し、裏では新聞には載せられない情報を売買している。情報ギルドが所持する秘法の魔道具は、遠距離でも連絡可能にするものを最大限活用し、情報収集能力を高めていた。
「話は理解できるけど無理ね。私には荷が重すぎるわ」
「キリカ隊長が無理なら他の者では勤まりませんよ。戦闘力は当然として機転が利き、天性の勘の働きは、危機的状況を察知するのが抜群に高い。それはつまり、どの隊員より生きて帰ってくる可能性があると言うわけです」
「……」
「宜しくお願いしますね」
イディリオから無理難題を押しつけられ、キリカは気が滅入る。
話は終わり、イディリオと別れた。無事生きて帰還したことを労い、先に魔人討伐から帰還していたイベリア大将が食事会を開いてくれたが、それには参加もせず宿舎で早めに布団に入って身体を休めた。
翌日、キリカはイディリオから聞いた情報を思い出す。
「彼の珍しい黒髪黒瞳の男が、ロッセリー商会に頻繁出入りしているそうです。ちなみに、この平民街で私が知るかぎり、彼の外見的特徴はひとりもいません」
キリカもイディリオと同じく皆無だ。
その推測から、その商会で見張っていれば、対象者と出会える可能性は高い。しかし、待てど暮らせど、奏太とは出会えなかった。
夕餉となり、これから飲み屋の定員が、慌ただしく客の対応に迫られる時間帯に突入する。今日は無理だと判断したキリカは、一日中張り込みをおこなっていたので空腹だ。行きつけの食堂に向かうことにした。
飲食店のコウラクは、ソバと呼ばれる食事を提供している。ロッセリー商会から、割と近い位置だ。
客の入りは上々で、長い間ルドルフ王国で経営しているだけあって、安定して癖になる味つけに人気のある店だ。
もともとは、今の亭主の祖父は別大陸の出身で、冒険者だった。未知の大陸に憧れて荒波を渡り、アルバーニア大陸へとやって来たのだ。冒険者を引退してからはルドルフ王国で、故郷の平民が好んで食べていた麺類を再現し、商売を始めたのだ。そのためか、キリカはこの国に訪れるまで、ソバという食べ物を食した経験がなかった。
通りを歩き、キリカはコウラクに到着する。戸口に手をかけて店内に入ると、賑わいの声があがっていた。
「いらっしゃい!」
景気のいい声を発したのは、店の亭主だった。年齢は四十をすぎており、祖父が冒険者なだけあって、体格は戦士に見間違えさせるほど立派なものだ。顔は四角く、目もとの小皺が目立つ。活気よくソバを作っていた。
店はカウンター席と、テーブル席が三つしかなく手狭だ。夕飯時もあって既にテーブル席は満席となっており、カウンター席もほとんど埋まっている。
「おお、キリカ隊長じゃないか、久しぶりだな」
「任務で国を離れていた。それより、相変わらずの繁盛ぶりね」
亭主は表情をくずして、笑みで答える。その間も手を止めることなく、軽快な音を鳴らして食材を切り刻む。
「おかげさまでな。いつものでいいか?」
「ええ」
キリカはカウンター席で、大柄の男性客の隣に座り、しばらくして亭主から陶器で作られた深皿の器が運ばれてくる。器にはスープが入っており、その中には麺や若干厚みのある肉と、数種類の野菜が添えられていた。
「お待たせさん」
亭主は唇の端を吊り上げ、注文したソバがキリカの前に置かれる。食欲がそそる香ばしい匂いが、鼻腔まで漂ってきた。
「おっちゃん、ソバのお代わり」
ソバのお代わりを注文したのは、初めて出会った真っ白な紳士服と変わり、漆黒の衣服を着衣する奏太であった。
* *
ルドルフ王国にやって来た初日に、たまたま入店したコウラクは、奏太がいた世界では中華そばである。ラーメン好きの奏太にとって、嬉しいお店だ。
ロッセリー商会でジャージを作った奏太はそれに身を包み、初日から毎日通い続けているお店に今日も訪れた。いつものようにソバを注文して美味しく食べていると、偶然にもウイング兵団のキリカがひとりで入店し、ふたつ隣の席に座ったのだ。
陰はあるものの透明感のある顔立ちの十五、六の少女を前にして、どちらかといえば年上が好きな奏太であり、ましてやモニカのようなグラマラスでもない彼女との再会は喜色満面にはほど遠い、非常に平素なものだった。
男性客の食べ終えて退くと、キリカは隣に移ってくる。
「任務どうだった?」
「特に問題もなく終わったわ。新たな任務を与えられたけど」
「へーお役人さんは大変だな」
「誰のせいで……」
ぼそぼそっと、何かを呟くキリカ。
それに反応を示さず、奏太は二杯目を受け取り、麺をすする。二杯目を食す間、隣の席では凄い勢いで器から、麺や汁が消えていく。
「亭主、お代わり」
「その細い身なりで、変わらずいい食べっぷりだな」
亭主は呆れたように、二杯目の用意をはじめる。他の者なら替え玉ですむのだが、初めて狩りをして懐が潤っていた奏太やおそらく平民街では高給取りであろうキリカには、汁まで一杯いっぱい飲み干してしまう。店を経営している者にとってはありがたい上客だ。
亭主から二杯目を受け取り、キリカは疑問を呈する。
「仕事は何やっているの?」
「それがな、運よくすげータイプな、魅惑的な代表に拾ってもらえたんだ」
ロッセリー商会の専属狩人として雇ってもらえたと、嬉しそうに語って聞かす。
狩りは一日だけ出かけただけで、奏太はここ数日ギルダーやモニカ、商会の従業員から仕事の合間を利用して、常識や世界情勢について教示してもらって暮らしていた。知的好奇心には縁のない奏太であるため、生活に困らないざっくりとした情報しか彼の耳は通さなかった。
「驚きね。予想だと、冒険者になると思っていたのに」
キリカが話す冒険者には、ブラック企業のイメージしか奏太にはない。遠出して野宿といった環境は、サバイバル生活で辟易している彼には、興味も魅力もまったく抱くはずがなかった。そして、モニカたちから教えてもらった情報と照らし合わせ、その考えは概ね正しい。
冒険者の仕事は万屋だ。狩人と同じで魔物素材の入手以外に、薬草の採取や商人の護衛といった依頼主の頼みを応えるのが仕事である。実力のないランクが低級であると、少ない報酬で雑用依頼ばかりさせられる。
つまり、冒険者とは奏太の世界でいうと、日雇いの派遣社員に近い立場なのだ。命がけの派遣社員など、日本の常識を持つ奏太としてはありえない話だ。
奏太は、現在ロッセリー商会の正社員として雇ってもらっている。報酬は歩合制で、他の狩人と違うのは全面的に支援をしてくれるという契約を結んでいる。狩場も比較的に近いため、野宿する必要もない。
ようやく人間らしい生活に戻れたというのに、文明を離れた生活は御免被りたいのが正直な気持ちだ。
「なあ、どうして冒険者になりたがる奴が多いんだ? あんなブラック企業に入りたいなんて正気に思えないぞ」
「ブラック企業がなにかは知らないけど、基本的に冒険者になりたがる連中は、名誉と大金よ。高ランクの魔物を倒せば、自分の名が売れれば騎士団に取り立ててもらえる可能性も得られる。
ダンジョンがある地域だと、ドロップアイテムや魔石を入手して生計を立てているのが大半。どういう仕組みか謎だけど、ダンジョンには宝箱がたまに発見され、金銀財宝に魔道具といった物が手に入り一生遊んで暮らせられる。でも、その分階層を深くもぐらないといけないから危険は増すけど」
キリカから冒険者の説明を受けて、やはり興味が湧かない。
「狩人も冒険者と引けを取らない戦闘力だけど、歴代の勇者の中に冒険者がいるということで、取り立てるなら人気職の冒険者になりがちだわ」
「なるほど、けど、ないな。やっぱり、俺は安定した仕事で働き、夜はベッドで眠りたい」
「そう、変わっているわね。男の子だったら、勇者や賢者に憧れて、冒険者になりたいと思うのが普通。貴方の住んでいた平和な国柄の違いのせい?」
「かもな」
平成の日本育ち人間で、現実に過酷な職業に就きたいと思う者は、奇矯な存在だ。説明が面倒であっため、奏太はキリカに話を合わせて同意する。
「狩人のほうが魔物と戦いばかりで、危険な仕事よ」
キリカは奏太の言い分は、矛盾していると言いたいようだ。ところが、魔物を脅威に感じない奏太にとって、日帰りできる狩人はホワイトな仕事としか思えない。さらに雇主も美人で信用できる人物なのだ。なんの不満も抱かずに、人生を謳歌できている。
「近場であんないい狩場があって、魔物の狩りするだけなら最高な仕事だろ。わざわざ遠出したり、洞穴にもぐったりするのは俺としては勘弁だ。それに、俺は勇者も賢者に憧れる男子という年でもない」
キリカは奏太の返答に、そう、と一言返して食事を続けた。二杯目を食べ終え、キリカが三杯目を注文し、
「自分の国に帰りたいと思わないの?」
「まあ、帰る方法がわからないし。とりあえず、この国でグラマーな美人の嫁さんをつかまえて、のんびり暮らすのが目標だな」
この世界が宇宙の果てにある惑星なのか、それとも次元が違う魔法文明が発展をたどった地球なのかはわからない。もとの世界に帰るということは、砂漠の中であるかもわからない砂金を探すようなもの。
十代の頃は、一目惚れした初恋相手の綺麗なお姉さんを救おうとし、無茶をして死にかけたことがあるが、奏太はもう二十歳をすぎた大人だ。エロスと欲望を多分に優勢しがちであるが、希であるが現実を直視する。
あの傑物の二人なら自分がいなくとも、間違いなく幸せに暮らせるだろう。むしろ、奏太より面がよく、将来性のある男と出会って相思相愛となっていそうだ。自分を卑下するような考に至り、内心泣けてくる。
時間はかかったが、後ろ向きの考えばかりしていても致しかたない。地球に帰れる可能性はかぎりなくゼロ。人間あきらめが肝心だとすっぱりあきらめ、残りの人生はこの世界で平穏無事に暮らすことにしたのだ。
奏太は説明が面倒になりそうな地球の話をはぶき、彼女に自分の考えを述べた。ちゃんと聞いているかわからない顔と、味気ない返事がキリカからかえってくる。キリカは無言で三杯目の器を店長から受け取り、そばをすすりはじめた。
それから、二人は中華そばを満足いくまで食べ、店を出た頃には辺りは暗くなっていた。ここで、何事もなくお別れをするはずであったが、
「ねえ、貴方は今、どこの宿に泊まっているの?」
「ん? 俺はどこの宿にも泊まっていないぞ。家買ったからな」
「……」
無表情のキリカは無言で、その瞳にはなにを言っている、と語っているようにも奏太には思えた。
「前に見せた魔石があるだろ? あれ売ったら九百万ヘルで売れて、宿に泊まるより家買ったほうがいいと思って買ったんだ。まあ、気に入った家が高額だったから所持金だけじゃ全然足りなくて、雇主に金を借りちゃったけどな」
価格以上の物件だった、と奏太は口もとを綻ばせて話す。
実際、九百万ヘルで買える家など、立地としては恵まれない物件となってしまうため、お願いして給料の前借りをしたのだ。やはり、日本人の庶民感覚を色濃く残っている奏太にとって、自分の持ち家を持つのはひとつの目標である。勢いとはいえ、自分の城を持てたのを嬉しく感じてしまう。
「考えなしの買い物に思えるけど」
キリカに家の場所を問われ、彼女に場所を教えると小さく頷いて別れた。
奏太は腹を掻きながら、キリカを見送くる。
青白い月光が、優しく奏太の身体を撫でていた。夕日が沈み、夜空には満天の星空が無数に輝いている。日本なら都会から離れ、空気が澄んだ場所に行かなければ見られない圧巻な光景だ。
天空に浮かぶ銀砂のきらめきを目にすると、胸が感慨にあふれる。黒髪の青年は、首から下げられたシルバーリングに触れたい衝動に駆られた。
いつもは白シャツの奥に収められたものだ。紐に通されたふたつのリングには、それぞれ別の女性と奏太の刻印が入れられている。
その指輪を指先で遊ばせながら、記憶を呼び覚ます。
魔物が跋扈する荒野に投げ出された奏太は、アルバーニア大陸では魔物と呼ぶ化物に襲われた。そこが、広大無辺の牢獄なのか、はたまた永続的なダンジョンなのかはわからない。
終わらない悪夢では、最初は魔物から逃げるばかりであったが、ない知恵を必死にしぼってどうにか倒せるようになる。次第に奏太の意識は霧がかかったようにかすんでいき、感情が薄れる頃にはすっかり機械的に魔物を葬っていた。当時の記憶は曖昧で、細部がぼやけている。
覚えているのは、凍てつく大地、灼熱の大地、砂や岩石ばかりの大地、降雨と雷光がやまない大地、極端に重力がかかった大地など。様々な大地にはそこで適合した魔物が生息し、どれも人間が暮らすには過酷な環境である。
気がつけば、絶海の孤島で横たわっていた。目覚めると、霧にかかった思考や乏しい感情が、日本にいたあの頃に戻っていた。
しかし、是が非でも日本に帰りたかった衝動が、どういったわけか今では嘘のように希薄となっていたのだ。奏太が日本へのおもいを断ち切ることができたのも、こういった要因が大きい。
記憶と心情がちぐはぐして、どうにも違和感を覚えさせる。
二つのシルバーリングを掌で転がしながら、奏太は帰路へと歩き出した。