NO・15
巨人のもとに向かった奏太は、苦い顔をつくる。激動による戦闘で、大通りは石畳がめくれて変わり果てていた。そこで、並ぶ店も廃墟と化して、見るも無惨である。
キリカが巨人から伸縮自在のゴムのように引き伸ばされた指先によって、身柄を宙で磔となっていた。
キリカの正面には空いた指先が向けられており、その指先は弾道ミサイルを思わせる速度でまっすぐとキリカに送られる。
「あれは、さすがに不味いだろ」
奏太の顔には珍しく、焦りの色を見せる。刹那、奏太の姿が間延びした。
虚空に軌跡をしるしながら驚く速度で駆け抜け、キリカまで数メートルはある高さを軽々と跳躍した。
キリカを拘束する指先を足場にし、首の皮一枚で接近する指先を鷲掴みした。
「随分と顔色が悪いな、女隊長――いや、キリカだっけ?」
「――ソウタ……なぜ、裸?」
青白い顔色にさせたキリカは、助かった安堵感も見せずに述べた。
「言っとくけど、俺は露出狂じゃないからな。全部、あの巨人のせいだ。まあそれいいとして、後は俺のほうでやっとくから、寝ていていいぞ」
「……そう。なら、お願い」
キリカは奏太の顔を確認すると、安堵するように気を失った。
「本当にギリギリだったみたいだな」
「オイオイ、魔人サマノ楽シミヲ邪魔スルッテ、ドンナ要件ヨ」
キリカが四肢を拘束している魔人の指先を、手刀で抵抗感もなく易々と切り裂く。手足を縛っていた指先から、キリカの身柄を確保すると、奏太らは魔人から離れた。
キリカを抱えながら下に逃れると、土が剝き出しの通りで、比較的石畳みが荒れていないところにキリカをそっと横に寝かす。身に装着された革鎧はズタボロに切り裂かれ、雪のように染みひとつなかった白い肌が、いくつもの傷を負わされて真紅に塗りつぶされる。
「寝心地がいまいちなところで悪いけど、少しここで休んでいてくれ」
意識のないキリカに語りかけると、奏太が立ち上がる。
「俺ノ身体ヲ傷ツケトイテ無視デスカー舐メタ態度ハ問答無用デ死刑ダッ、クソガ!!」
巨人の片腕が硬化され、金剛石すらも軟らかく思わせる五本の指先が、奏太らのもとへ猛然と降りそそがれた。
一拍置き、奏太の右手から亜音速の拳撃を飛ばす。風切りの怒声を上げて、見えない強打が空を走る。モルンヌ大森林でキリカに見せた、あの同等の衝撃波だ。
奏太の放った衝撃波に巻き込まれた指先は、塵と変えた。それだけではすまず、魔人の片腕事消し飛ばし、その背後で空に浮かぶ雲を削りとる。
あれだけサンドリーやイベリア、そしてキリカといった強者たちが、手こずっていた魔人の指を片側とはいえ、一瞬で葬ってしまう。
「――ッ!! クソッ、スグニ腕ヲ再生デキルトハイエ、勇者以外ニコンナ隠シ玉イルナンテ聞イテナイゾ。ナンナンダヨッ、テメエハヨ!!」
「俺はロッセリー商会の狩人だ」
奏太は魔人に距離を詰め、魔人は怯んで一歩退いた。
「クハッ、何ヲビビル必要ガアル! 下級トハイエ、俺ハ最強ノ魔人族。下等ナ人間ニ、負ケルハズガネエンダヨォォォォ!」
魔人はあっという間に右手を再生させると、両手を前に突き出し、その掌には魔人の有する魔力を半分以上が込められていた。先ほど受けた三百倍の魔力を、圧縮させた魔弾を生み出す。
この一発は、ルドルフ王国を消し飛ばす威力は事足りる。
「ククク、コレヲ放テバコノ大地ハ百年ハ草モ生エナイ更地トナル! モウ、勇者ノコトナド、ドウデモイイッ。テメエガイケネェダヨ、塵ト変エテヤルヨクソ狩人ガ!」
放たれる闇黒。まるで、黒い太陽が奏太ごと微塵も残さずに、消滅させようと押し寄せる。荒廃した大通りの建物が、崩れ落ちていく。黒い太陽が迫るにつれて、その原形を維持できずに次々と破砕されていった。暴風が吹き荒れ、その場に立つ奏太の髪を乱雑にかき乱す。
魔人が放ったそれは、一呼吸もしないうちに自分とぶつかるというのに、若者は泰然としている。その立ち姿は、不遜と思えるほど堂々とし、恐怖を寄せつけなかった。前方にいる巨人を黒瞳で見据えている。
黒い太陽が奏太を覆う――はずだった。
奏太と黒い太陽の距離がゼロとなり、激突する。黒髪の若者は、魔人の放ったそれを右の爪先で受け止めていた。一瞬の半分も満たない均衡の後、唸りを上げる黒い太陽が蹴り返された。それを目にして、呆気にとられる魔人。
凶暴な唸り声を発する弾丸は、魔人の脇腹に激突する。己の放った弾丸にえぐり取られた。そうして、円弧を描くように上向きに曲がると、内壁の天辺の一部を損傷させ、空の彼方へと消え去った。
「――アッ、アリエルワケガネエ……俺ノ魔力ヲカナリソソイダノニ……」
目も鼻も窪んだ表情から心情を読み取れないものの、だが口調から魔人が呆然自失しているのがわかる。
魔人が放ったそれを蹴り返した奏太の足は、実害がなくピンピンしている。ぼさぼさの髪を掻きながら口を開く。
「たく、平民街で好き勝手に暴れやがって。こっちは嫁候補が、ダンディーな男とただならない関係と知って、落ち込んでいる最中だというのに」
奏太は、モニカとギルダーの関係を、男女の関係ではないかと懸念を抱いていた。そもそも、ふたりとの出会いからそのような空気を漂わせており、奏太はぬけめなく敏感に察知していたのだ。マリナや従業員からの情報と、今回の鬼気迫るほどのギルダーを心配するモニカの姿は、奏太の懸念は確信へと成り変わる。
もっとも、モニカの哀しみはギルダーだけではなく、他の従業員やロッセリー商会を崩壊してしまったものも含まれているだろう。たとえそうだとしても、ふたりには奏太では踏み入れない、親密な絆のようなものを感じられるのだ。
運命を感じるほど魅了された女性が、自分では太刀打ちできぬほどのダンディーな男前とただならぬ関係。言い換えれば、ふたりが恋人という事柄は、青年の心をブレイクするものであった。いずれ知るだろう情報だったとはいえ、それが早まるきっかけを作った魔人に、怒りの矛先を向かってしまうのは致し方ないだろう。
「だが、それ以上に知った顔がひどい目に遭うのを見るのは――」
突如、空に舞う奏太が魔人の眼前に現れる。全身バネの男は、一足に上空まで跳ね上がっていた。
「俺は気分が悪いんだ」
平坦な声音で呟く。男の裡から発する闘気は、怒涛のごとく魔人を襲う。すると、魔人から身体への命令系統が切り離される。忌々しく唸るばかりで、手足を指一本動かせずにいた。
「クソガァァァァァァアアアアアアアアアアアッッ!!」
右手を握りしめると、強靱の筋骨を捩らせて、拳を後ろに引かれる。
魔人の胸部へ向け、下方から拳を振るわれる。後を追う形で大気が悲鳴をあげた。魔人の再生能力や物理耐性も、唸りの渦をまとった拳撃にとっては、すべて無力だと証明させようと力が込められていた。
ドオオオオオオオオオオオン!!
一瞬の間隙の後、轟く咆哮。魔人の崛起する胴に、風穴がつくられる。その背後に控える内壁や外壁が、大きく刳り貫かれていた。
魔人の驚愕する再生能力を上回り、欠損した身体をもとどおりに再生することはできない。呪詛の呻きのような声を漏らすと、ばらばらに爆散する。
身体の一部は、平民街に飛び散らして地に着き、雪解けの氷水のように溶けて消えてなくなった。魔物を狩る感覚となにも変わらず、奏太は魔人を一気呵成に葬りさる。
一躍から地上に戻り、
「……」
奏太はポリポリと腹を掻きながら、壊れた内壁と外壁を見る。魔人を倒すのに汗一つかかなかった奏太であるが、己が破壊したそれを目した瞬間から、急速に脂汗が噴き出す。
加減を間違えて壊してしまった防衛壁が、この国にとって重要性があるものなのは、この国に来て日の浅い奏太でも知っている。
防衛壁を直すのに、どれだけ修理費が膨大とかかるのか想像できず、頭が痛くなる。
「そうだ、魔人に押しつけるか。どうせ、平民街もこのありさまだし、防衛壁のひとつやふたつ壊れても変わんないだろ」
奏太がそのように目論んで、悪い笑みを浮かべた。さっきまでの頭痛が嘘のようになくなっている。
ところが、ウイング兵団のイディリオに奏太の肩に手を乗せられ、
「ソウタさん、少しお話があります。話の内容は主に魔人の討伐の件と、防衛壁の修理費についての件です」
「はぁっ、な、なんのこと!? 俺が来た時には、すでに防衛壁はあんな感じだった気がするけどっ」
「簡単に見破れないような嘘は、退屈で時間の無駄にしかなりませんよ。私は、奏太さんがキリカ隊長を救うところから、魔人を討伐するまで見ていましたので」
目論見は直ぐさま頓挫する。
振り向くと、左腕の肘からその先を失ってしまったイディリオがいた。応急処置として右手の袖を破き、止血と傷口を汚さぬように結んでいた。
「それ、大丈夫なのか?」
「ええ、応急処置はすんでいますので、まあソウタさんのお話は私の治療と、ごたごたが落ち着いた後になってしまいますね。申しわけありませんが、少々お待ちください」
大怪我しているというのに、落ち着いた口調で応えるイディリオ。目論見が誤算して、黒髪の若者は開き直ったように、悠揚迫らぬ態度となる。
「あっそ」
奏太は投げやり答え、イディリオに連れられ、ウイング兵団の施設へと歩き出そうとしたとき、顔を横に向けてある一点を探るように視線を送る。
「ソウタさん、どうしました?」
「いや、なんでもない」
「そうですか」
イディリオは首肯すると、奏太に背を向けて歩きだし、奏太自身もまた彼に連れられて続く。
奏太が目にしたのは傾く陽光の下、内壁の頂に人がたたずんでいた。
微風で揺らす白銀の髪に、紅のブラット色に染まった瞳。幻想的で、愛と美をつかさどる女神も、嫉妬させる完成された美麗のシルエット。彼女から、奏太のほうへ視線が向けられている。目を細め、口もとが少しゆがめられている。
その表情がどんな意味があるのか、と考えるほんのわずかの間。まるで蜃気楼のように朧気となっていき、最後にはその姿は視界から溶けてなくなった。