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マエブレもなく  作者: ショウゴ
13/37

NO・13

 ウイング兵団と魔人が争っている地点から後方に離れた場所に、ウイング兵団の拠点施設が存在した。その中に救護室が備えつけられていた。


 もともと、怪我が絶えないウイング兵団は、専属の優秀な薬師が用意されており、医療器具や薬品が充実している。

 

 部屋の中の壁やカーテンには、植物、動物、鉱物といった生薬の独特の匂いが染みついていた。見慣れない薬草や昆虫、魔物の切り取った部位を棚に置かれ、あるいは陶器に液状の薬品が収められている。

 

 ベッドは怪我人で埋まり、部屋に入りきらない患者は別室に寝かされていた。大量の患者にウイング兵団の薬師だけでは捌き切れず、民間で開業している薬師を募って慌ただしく対応していた。

 

 救護室に新たな患者が運ばれる。意識は失っており、歳は三十五、六のひとりの男だ。


「ギルダー!」

 

 横たわる男の姿を認めた若い女性が、痛ましげに眉をひそめる。モニカだった。身内が救助されたと受け、急いで駆けつけたのかまばゆい金髪が乱れ、寝ている患者のベッドに側に寄る。


「命は辛うじて繋ぎ止めたみたい。でも、無茶な魔法を使った代償は、けして軽くない」

 

 キリカは薬師から聞いた容態を、達観した口調で彼女にそのまま伝える。

 

 ギルダーが使用した魔法は、命を削って通常以上に魔力量を増大させるものだった。生命力は命の源である。一度失えば、二度と取り戻せないもの。無事回復しても、長くは生きられないだろう。


「……そう。ありがう、キリカ隊長」


「礼は必要ないわ。私たちは魔人の侵入を許すミスを犯したのだから」


「そんなことない。ウイング兵団はいつも尽力をしている、わよ……」

 

 俯くモニカは、声音が弱々しく、儚げであった。


 自信家の彼女は魔人と戦時中でも、大きなエメラルドグリーンの瞳を希望に輝かせ、平民街を切り盛りする大商人である。それなのに、そこにいるモニカは別人のように深刻に陰りを帯びていた。

 

 奏太を監視するさい、イディリオから渡された資料によれば、モニカは両親が早くに亡くなって以降、彼女を支えたのは従業員だった。特に彼女の護衛者もおこなっていたギルダーとは親しかったようだ。幼い頃から、剣や魔法の手解きをしてきたギルダーを慕い、信頼を置いている。その彼が命がけで魔人に抗い、重症と聞けば胸中穏やかではないはずだ。

 

 後からやって来た彼女の秘書に、背中にそっと手を添えられて慰めの言葉をかけられた。


「今さら遅いけど、彼や平民街を惨劇した奴らには償わせる。そうすれば、少しは胸のしこりもマシになるはずだから」

 

 いつもと変わらない白い面と、無機質な声。だが、それには凄みを帯びていた。キリカの全身から危険な香りを醸し出し、そのガラス玉の瞳には殺意の灯火が湛えられていた。




 キリカは民家の屋上から目にしたものは、類に見ない卓越した戦闘だった。


 燃え盛る業火の舞踏(ぶとう)。紅蓮の炎をイベリアの全身にまとっており、魔人を威嚇(いかく)するように火花を散らす。


 イベリアは魔人の触手の迎撃をまぬがれ、灼熱の切っ先で水平に振るい引き裂く。そして、ダメ押しにウイング兵団のトップであるサンドリーは、怒号を発して超特大の閃光を魔人へとほとばしる。


(相変わらず、あの二人はでたらめね)

 

 ふたりの途方もない魔力量をつかい、魔人に一級品の魔法が飛び込む。雷鳴のごとき爆発とともに黒煙を昇らせ、下半身を残して魔人の姿を覆い隠す。


 黒煙は時間が経つにつれて薄れていく。それと一緒に、忌々しい巨人の姿も消えるのを望むも、健在であった。


「ナア、クタバッタト思ッタカ? ホンノ少ォォォシダケ効イタケド、所詮人間ト魔人デハ越エラレナイ壁ガアルンダヨ」

 

 キリカが触手だと思ったのは、魔人の指だった。両指を戻して胸もとに両手を持ってくると、小さな黒点を作り出す。()り込まれた魔力は尋常じゃない膨大なものだ。


「消エテナクナレ、下等種族」

 

 黒点から高密度の圧縮されたものを、一気に解き放つ。大通りの道幅を埋めつくす奔流(ほんりゅう)は、螺旋状に描いて平民街を直進する。

 

 キリカの横を通り抜け、無残に潰れた噴水広場を消し飛ばす。その先にはウイング兵団の建物があった。中には、多くの重症な患者も眠っている。

 

 無情にも、奔流はウイング兵団の建物にそそがれた。耳をつんざく爆音。その一帯は建造物が造られた土塊(どがい)事掘り返され、真っ赤な炎に包まれる。この惨事を愉悦するように猛り狂う熱風は、キリカのもとまで(あお)ってくる。


 残酷な光景が、キリカにあの忌々しい過去を思い出させる。故郷を焼いたあの真っ赤な光景と、幼いキリカを育ててくれた老人との永久の別離――

 

 あのときも、悲鳴や怒号の声が飛び交っていた。キリカは何もできずに、育ててくれた冒険者の老人に守ってもらうしかなかった。


(今度は違う)

 

 キリカが亡くなった者らへやってあげられるのは、無念を晴らしてやるしかできない。

 

 民家の屋上から飛び下りると、極限に気配を絶って狭い路地裏を走り抜けた。キリカの技は接近に強く、肉薄した戦いこそ活きる。そのためには魔人にさとられぬよう、間合いを詰めなければならない。その動きには一片の無駄がなく、疾風が路地を駆け抜ける。

 

 魔人とは真横に位置し、路地も挟んで民家三つ分離れた場所までやってきた。距離にして、百メートル弱だ。これ以上は、感づかれる恐れがあって近づけない。


 運よくイベリアやサンドリーは、魔人の攻撃から生き残ったらしく、敵愾心(てきがいしん)を燃やして猛進(もうしん)と攻める。ふたりの形相は鬼神の憤怒そのもので、その矛先を魔人にぶつけて熾烈(しれつ)を極めていた。

 

 情の厚い彼らだからこそ、冷酷(れいこく)無残(むざん)に大切なものを奪われれば、その怒りは凄まじいものだろう。

 

 キリカが知るふたりの動きより、三割増しに鋭く、そして力強かった。

 

 イベリアは聖炎を帯びた槍で、触手を非凡な技量で無数の空洞を開けていく。背後から鞭のようにしなるそれを、器用に柄を回して背を向けたまま穂先(ほさき)を貫く。どれも、触手を聖炎で焼き焦がす痕跡を刻み、確実に魔人にダメージを与えた。サンドリーはイベリアのよう、物に付与魔法をかけるのは得意ではなかったが、怒りに任せて繊細な魔力制御が必須な付与魔法を、無意識に成功させている。長剣には神々しい光をまといつかせ、魔人に豪快に振り切った。

 

 ふたりのおかげで、魔人は周囲に気が回っていない様子だ。それによって、キリカは自分の攻撃に集中できる。

 

 闇魔法は魔人に多くの使用者がおり、それもあって人には不吉な属性として差別的属性であった。闇属性の適性があるキリカは、差別対象として酷い仕打ちを受けて生きてきた。


 彼女を育ててくれた傭兵の老人は、人の偏見で希少性のある属性を(ないがし)ろにするのを、愚かな行為だと教授される。今あるものがすべてではなく、限界を自分や人の概念で決めつけるなと口を酸っぱく言われ、ときには工夫して能力を高めよと。

 

 その教えのとおり、キリカは精一杯自分自身の能力を高めるのに執着して生きてきた。そして、キリカには闇属性の適性だけではなく、火属性の才があるのに気づく。残念ながら火属性も一緒に鍛錬を重ねてきたが、闇属性ほど才には恵まれていない。

 

 しかし、鍛錬を続けたおかげで面白い技を完成する。


 名は《シャドーフレイム》

 

 闇属性と火属性の融合だ。属性の相性もあるが、過去に属性同士の合わせ持った魔法がなかったわけではない。ただ、勇者や賢者クラスではないと、とても使えない合成魔法である。その破壊力は二属性を合わせることによって、二倍にも三倍にも膨れ上がる。

 

 魔人の隙をついて、キリカは疾走する。


 細剣に闇属性と火属性を融合させ、民家の屋上を前屈みな体勢で走り抜け、利き足で踏み切った。首へと刃を押し当てる。


 キリカの殺意に呼応して、脈打つ闇でも炎でもない属性は、真っ黒な炎を従えて一閃した。魔人の背後から流れるように美しく、首を横に滑るよう刈り取る。闇の炎で斬られれば、もはや冥府の炎から逃れられない。骨の髄までしゃぶりつくすまで止まらない。


 一太刀を入れたその瞬間、キリカらの勝ちが決まる。

 

 ゆっくりと傾く魔人の頭部は、頷くように前へと倒れる。鮮血はないものの、確かな手応えはあった。

 

 頭は地面へと落下し、斬った切断面から広がっていく真っ黒な炎が、頭部や首から下の身体を包んで燃え盛る。

 

 窪んだだけの目や鼻が、天へと見据えていた。それを見て、なにが起きたのかとイベリアやサンドリーは愕然(がくぜん)とさせた顔をするも、危なげもなく着地するキリカの姿を視認して歓喜の声をあげた。


「驚いたぞ、キリカ殿っ!」


「まったくだ。しかし、よくやった!」

 

 眼前の彼らは自分のことのように満面の笑顔を浮かべる。


「二人が魔人の気を逸らしてくれたおかげ。それがなかったら、魔人の首を刈るのは難しかった」

 

 キリカは笑みを見せないながらも、内心は安堵させていた。これで魔人にやられた皆の仇敵(きゅうてき)を討てたのだ。


「サンドリー、ウイング兵団が」


「ああ、わかっている。魔人の遺体を確認後、生き残りの隊員たちを治療にあたろう」

 

 サンドリーは哀しみを瞳に宿し、精悍(せいかん)な顔立ちで返答した。キリカは頷いた。イベリアとサンドリーとイディリオを中心に、ウイング兵団を作りあげたのだ。その怒りと哀しみは、キリカには計り知れない。


「サンドリー殿、我々カルフェール騎士団は魔人討伐に役に立てなかったが、救助には奮闘するつもりだ」


「そんなことはありませんよ。カルフェール騎士団が平民の救助を尽力してくれていますから、我々は気兼ねなく魔人に集中できたのです」

 

 ウイング兵団の戦力のほとんどを魔人討伐に割いていて、平民街の住民を避難させる隊員が満足とは言えない。それでも、魔人をこちらに意識を向けるためには、戦力は割けなかった。イベリアらの救援はまたとない助けといえた。

 

 サンドリーはイベリアへの心からの感謝から、破顔する。


「はうっ」


 まっすぐな感情をぶつけられ、イベリアは気恥ずかしそうに長い(まつげ)にふちどられた瞳がたゆたう。二人の甘酸っぱいやり取りにすっかり、緊迫した空気に弛緩(しかん)を生んでしまった。


 ――ドスン!!


 得体の知れない影が空から降ってきた。そして、キリカの眼前で立っていたイベリアとサンドリーの姿が消える。

 

 正体は魔人の右手だった。首を失った巨人の右手が、彼らを押し潰したのだ。風塵(ふうじん)が起き、キリカの蒼の髪を揺らす。


「クハハハ!! 近クデコソコソト隠レテイタノハ、最初カラ気ヅイテイタンダヨ、マヌケ。俺ハ首ヲ切ラレタグライデハ死ナネェェェノ。ドウダッタヨ、ワズカバカリノ勝ッタ気分ハ?」

 

 魔人の頭は小刻みに振るわせて、嘲笑する。


「……化物」

 

 キリカは驚きと、きちんと死を確認しなかった己の愚劣さに怒りを噴きあげ、反対にその口調は冷ややかであった。


「期待外レナ、ツマンネエ反応ダァ。下等種族ハ仲間意識ガ強インダロ?」

 

 魔人は取り乱すキリカの姿を期待している様子だ。しかし、この残酷で絶望が渦巻くこの世界では、自分の感情を切り捨てなければ生き残れない。

 

 今回も、懊悩(おうのう)と怒りに激情しかけた心情を瞬く間に抑制してしまい、波紋一つ立てない冷静さまで押し戻す。


「……」


「マア、イイカ。コレカラピーピート、泣イテ愉シマセレバ」

 

 地面に着いた右手をゆっくり上げる。そこには、サンドリーがイベリアを抱え込む姿があった。魔人の手が迫るのを察知したサンドリーは、地面に減り込むもイベリアだけは救おうとしたのはさすがだろう。

 

 魔人の頭は煙のように霧散すると、次には首の上に頭が繫がって、キリカが放った合成魔法も圧倒的な魔力で強制的に払いのけてしまう。全身にまとわりつく冥府の炎を、突風で消化してしまうように。


(これが、人類と魔人との差……)

 

 イベリアやサンドリーのような一流の戦闘力から攻撃を受け、キリカから首を斬られても、ほとんどダメージを受けた様子はない。

 

 それに反して、イベリアは二種類の属性を融合する《シャドーフレイム》は、かなりの魔力を消費して精神を酷使するため、一日にそう何度も使えない。然るべき相手と、使いどころを考える技であった。

 

 いつまでも、この場に棒立ちなどしていられない。

 

 サンドリーなら無駄に生命力が強い男だ。必ず生きていると信じ、魔人から彼らとの距離を取ろうと図る。キリカは狭い路地裏を選び、突っ切る。


「クハハハ、ソウコナクッチャナ。狩リノ始マリダッ、逃ゲロッ逃ゲロッ!」

 

 だらりと下げた両手を(うごめ)かせ、指先だけが追撃する。追いにくい路地裏に逃げ込もうとも、射出された指先は民家の家を蜂の巣のように貫通させ追尾した。

 

 精神と魔力欠如の不調が、キリカの戦闘能力を大幅に低下しているのが(いちじる)しい。簡単に行き先に先回りされ、三匹は蛇行(だこう)しながら近づいてくる。


 キリカは剣で応戦する。左右から接近する黒蛇の片方を薙いで弾き返し、ほぼ同時にもう片方を蹴り上げた。息をつく暇もなく、正面から僅差で訪れた三匹目を、掲げた剣を振り落として地面に沈下させる。

 

 残された魔力を全身に巡らせて身体能力を増幅させるも、たった三度の黒蛇を押し返すだけで手や足を痺れさせてしまう。常人の肉体のままなら、腕の骨が砕ける衝撃だ。


 三匹の黒蛇を対処するのに気を取られている間に、四匹目は人を簡単に胃袋に収められそうな大蛇が、指先をロープほどに縮小させてキリカの足元へと忍び寄らせていた。


 それの気配は見事に隠密に接近され、察知したときには脚を絡め取り、抵抗できずに宙吊りとなる。天地が逆転された状態から、民家の壁に叩きつけられた。激突した壁を突き破り、鉄球を放出するかのように次々と建物らを穿孔(せんこう)していく。


「……っ!!」

 

 キリカの口から吐血と、頭部から血が垂れる。このまま手をこまねいては殺される。この先どうなろうと、ここで全部出さなければ終わってしまう。

 

 キリカは再び《シャドーフレイム》を呼び覚まし、脚に絡め取る黒蛇を切り刻む。拘束から逃がれ、脚の自由となる。無残に風穴があけられた民家の床で、片膝をついた。


 頭部から流れ出る血が、着地のさいにピチャピチャと床にしたたり落ちる。しかし、止血する時間など与えてはくれなかった。


 魔人の攻撃は止まない。


 《シャドーフレイム》をまとえば、硬化した魔人の身体を斬るのはできるが、すぐに再生され結果的に冥府の炎も通用しないのだ。有効な手段が浮かばず、残り少ない魔力を浪費させていく。


 木材の天井を貫通して、雨下(うか)のようにそそぐ九匹の黒蛇に肉を削られる。床に転がるキリカは、怪我を無視してその勢いに乗ったまま、二階の出窓から飛び下りた。


 ところが、それを読んでいたかのように、下の階から旋回して殺到していた。それを回避する手段は今のキリカにはない。


 ――しかし、キリカの心は折れなかった。

 

 宙を舞う使い手の身体を酷使して、目障りな九匹の黒蛇をシャド-が揺らめく刃を振るう。九匹の黒蛇は同時攻撃といえた。ほぼ間を置かず、キリカへ立て続けに襲いかかり、それに対し、蒼の疾風は極限に集中力を高め、太刀筋が唸りを上げる。


 一匹、二匹と斬り裂き、卓越した剣技が黒蛇を一掃していく。三匹、四匹目となると、苦しいながらも辛うじて切断する。五匹、六匹は、一本の剣では捌ききれず、二本の足を使い、足蹴りを打ち込んで退()ける。七匹、八匹目には無傷といかない。血飛沫が相次ぎ飛び散っている。


 七匹目は反射的に身をひねって、黒蛇をかすらせつつも横切らせる。怪我に動じることなく、それに剣撃が炸裂した。間髪入れずに転じ、上体を半回転させてしならせる。いささかもたわみもない足撃(そくげき)が、空中で八匹目を正確に捉えて放たれた。軌道がずれ、八匹目は狙いと違って、あらぬ方向に飛んでいく。


 ここまで、彼女の戦士技巧(ぎこう)の高さから、どうにか致命傷を負わずに切り抜けようとした――されど、九匹目で捕まった。


 腹へ強烈な衝撃波にえぐられ、息を詰まらせた。空に打ち上げられ、なおも黒蛇はキリカに噛みついたままだ。


 しかし、キリカは(あえ)ぎながらも冷静沈着に、手に持つ得物を黒蛇に串刺しにする。黒炎が残量の魔力を出しつくすように串刺しにされた黒蛇から、業火がそこかしこに燃え広がった。そこから、華奢な身体つきからとは思えない膂力(りょりょく)で、横に切り裂く。


 ほんの少しの隙が生まれ、少女は見逃さずに無造作に黒蛇を蹴り、大きく距離を取った。体感的には久しぶりとも思える地面に着地し、キリカは膝を着く。


「アレヲ捌キキルトハ驚イダ。ダガ、ソレモモウ終ワリニナリソウダナァ、下等種族ノ女」


「……」

 

 魔人の言うとおり、キリカの魔力も体力も、とっくに限界を迎えている。息せき切って、乱れた呼吸が整わない。今すぐにでも、意識が混濁(こんだく)するのを気力のみで抵抗していた。震える身体に叱咤し、ゆらりと立ち上がる。彼女の強き心は、簡単には砕き折れない。それを証明するように、金色の瞳を彩る不屈の輝きは色褪(いろあ)せず、絶望や陰鬱(いんうつ)といったものが(つゆ)ほども浮かばせていない。


「ナンダソノ目? 気ニイラナイナ」


 魔人が述べている間、十本目の黒蛇がキリカの背後に忍び込んでいた。だが、キリカには同じ手に、通用しない。


 もはや、《シャドーフレイム》をつくり出す魔力はなく、気力だけで剣を振るい、黒蛇に打ち込む。切れ味が削いだ一撃であった。軟体動物から硬化された身体に、刃を通すことはできない。


 足腰に力を込めるも、彼女の身体は紙切れか木片のように、軽々と吹き飛んだ。数メートル飛ばされ、その身は表通りに転がる。もう、立ち上がる体力も残されていないが、それでも蒼髪の娘は、傭兵の老人にもらった魔剣を離さない。


 再生した黒蛇は、四肢をがっちりと捕まる。宙に浮かばせられながら、完全に動きを封じられた。今度こそ逃れられない。


「狩リノ真似事シテミタケド、ドウダッタ?」

 

 魔力の底をつき、キリカの顔は病人のように蒼白(そうはく)であった。もはや、魔人に掠り傷もつけられない。だが、ささやかな抵抗とし、敗北を認めたわけではないと、無言で魔人へと視線を送る。


「自分ノ無力サヲ悔ヤミ続ケテ死ネ、雌豚」

 

 強さを求め、しかしキリカの力は魔人に届かず、ここで生涯を終える。一矢報いることもできなかった。悔しいがもともと魔人と戦いで、その勝算は低いもの。それでも、彼女が挑んだのは、私怨が大分含まれている。

 

 放たれた黒蛇は、キリカの身体を食い破ろうと肉薄する。

 

 キリカは自分の死が押し迫っているというのに、最後まで表情ひとつ変えず、また瞬きせずに黒蛇を眺めていた。黒蛇はイベリアの聖炎を帯びた槍とは似ても似つかず、邪悪なオーラを滲ませる呪われし槍のようだ。

 

 最後にジタバタと、焦燥感(しょうそうかん)に駆られるような情けない姿を見せれば、傭兵の老人に呆れ果てられるだろう。キリカは物思いにふけながら、自分の死を受け入れた。

 

 おぞましい穂先は、彼女の数ミリ手前まで詰め寄り――止まった。


「随分と顔色が悪いな、女隊長――いや、キリカだっけ?」

 

 同じソバ好きの男。奏太が、片手で黒蛇を掴まえていた。


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