NO・10
平民街は質素な建造物が数多く集合する地帯だ。国を管理する権力者たちが、平民街に管理運営費を出し渋り、街の住環境整備がいきとどいていないのが原因といえるだろう。
しかしながら、逞しい平民たちはお金がないなりに知恵を絞り、辛うじて街の運営をしているのが現状である。衛生面にも気を配って下水を各家庭に完備し、人の行き来が多いとおりには路面整備とゴミや汚物が道端で散乱とならぬよう、カルフェール伯爵家とウイング兵団を中心に街の住民らで協力体制を敷いていた。
貧しい平民街とは思えない暮らしぶりとなったが、貴族街のような華々しさや優美を主題とした街並みには到底かなわない。平民から搾取した街は、貴族が住むのに相応しい。より高度な魔法文明社会をモチーフに設計され、平民が聞けば卒倒する税金がつぎ込まれていた。各建物にはルドルフ王国の叡智が使われ、住環境と安全対策は平民街とは天と地の差がある。
なにも変わらないのどかな日常が、いつまでも続くと思っていた平民街の人々。それが覆された。平民街は圧倒的な暴力によって、ロッセリー商会を中心に見るも無残に崩壊された。
街のシンボルともいえる時計塔は上から半分がなくなり、倒壊した瓦礫が前の噴水へ押しかかる。人々は黒き巨人を目にし、嘆きの言葉を吐く。
「まったく、やはり魔人は限度を知らん」
カルダックは呆れたように言葉を吐く。
「まあ、予想の範囲内だ」
自分の商会が被害を及ばなければ、平民街がどうなろうと構わない、というのが貴族相手に商売している輩の考えだ。が、あまりやりすぎると、平民になにかと目をかけるカルフェール伯爵家、特に長女イベリア大将が口を挟んでくるのは明確だ。
イベリア大将は同格の騎士がふたりおり、総大将の次席に座る立場だ。いくら上級貴族と繋がりのあるカルダックといえども、彼女を敵に回すのは得策ではなかった。
イベリア大将が出張れれば、勇者が現れる可能性はけしてゼロではない。もし、姿を見せれば歴代最強の今代の勇者によって、魔人も撃退されるだろう。それを見越してどっちに転がってもいいよう、カルダック自身は魔人と関わる証拠を残さないように注意を払っている。
仮にロッセリー商会の生き残りがとやかく騒いでも、知らぬで押し通してうやむやにするのは他愛もないが、面倒が少ないに超したことはない。それでも、イベリア大将も口出ししてこられれば、少々面倒となる。証拠を残さないよう気遣っているのはそのための措置である。
魔人は予想以上の暴れっぷりには堪らず、ファインズが入れ込んでいるモニカやギルダーらが葬られる姿を確認できないまま、カルダックは護衛者を連れてロッセリー商会から退出した。後ろ髪を引かれるも、自分の身のかわいさは譲れない。
目下、東の一角にある自分の商会に戻っている途上である。自分たちがロッセリー商会にいたことが露見しないよう、フードを目深に被り直す念入りようだ。
商会に戻る道中で、平民の幼い少年が涙を浮かべ、母親の名前らしきものを叫んでいた。親とともに避難している間に、離れ離れとなったのだろう。誰もその子供には目もくれず、自分らの身を守るのに必死である。
カルダックは女子供だろうが、他人の命を救う奇特さは持ち合わせてはいない。その上、必要であれば笑んで他人の命を利用する。彼の成功は数多の命を犠牲にして、成り立っているといっても過言ではない。
突如、地が揺れる。魔人が放った魔法が近場で着弾したのだ。その振動にカルダックは立っておられず、たたらを踏むところを護衛者に支えてもらう。
前方の二階建ての商店がその衝撃でぐらりと傾く。その下には少年がおり、傾く商店が自分を覆い被さろうと気づいたときにはもう遅い。
ようやくその異変に感づいた少年は、恐怖におののき立ちつくした。
(ふん、運がないガキだ)
冷静に死にゆく男子の姿を、カルダックはなにも抱くこともなく傍観する。
半壊する商店であったその瓦礫の束は、重音を響かせて落下した。木製窓は粉々と破砕され、レンガ造りの建造物が崩れ去る。
それらが道一杯に広がって道を塞がれるも、幸運にも端を歩けば通れなくもない。
「おい、行くぞ」
言うと護衛たちは主人に従い、先を急ごうとした。
――そのとき、
「お前、男のくせに泣くなよ」
「だって、だって、お母さんとお父さんがぁ……」
横を振り向くと、瓦礫に押し潰されて死んだと思っていた少年は、なぜか生き残っていた。近くにはついさっきまでいなかったはずの若者が存在する。
(なんだ、あいつは……いつからいた?)
ただし、男の衣服はボロボロで、焼け焦げていた。上半身は裸で、下半身の薄い布地のズボンの片側は脚が丸見えとなっており、もう片側は炭となった焦げ跡と所々穴が開いていた。
状況からして、半裸の男が少年を助けた様子である。
「あー泣くな泣くな。おい、これ食うか」
男は気怠そうに何もない宙に手を放ると、商人にとって重宝される空間魔法でつくった倉庫からなにかを取り出した。
「何これ……」
「桃っぽい果物だ。美味いぞ」
カルダックが見たことがない果実だった。女性に好まれそうな薄紅色と、掌サイズの楕円形なもの。男は少年の前で食べて見せた。
それを与えた男の顔をよく見ると、特徴に覚えがあるのに気づく。闇色の髪と瞳、情報ギルドから聞いた、ロッセリー商会が雇ったという狩人と瓜二つだった。
自然と唇が弧を描き、その狩人に声をかけていた。
「お前が、ロッセリー商会の雇った狩人か? 確か名は、ソウタと言ったか」
「ん? 誰だ、おっさん」
「私はホームアルド商会の代表をやっている、カルダックという者だ。お前は自分の雇い主が大変なときに、そんなふざけた格好で油売っていてよいのか?」
「あっ? 誰も好きこのんで、こんな飽食みたいな恰好なんかするかよ。寝て起きたら裸当然の恰好で外に放り出され、家は消えてなくなっていたんだ。おかげで、クローゼットに収納した買ったばかりの服や靴が、全部パーだっ」
腹の底から憤慨して、不機嫌を顔に滲ませながら不満を吐き出す。
魔人が現れ、家が犠牲となっても自分の命が助かったのなら、安いものだと考えるのが一般的だろう。しかし、カルダックの前に立つ男は、本当にこの状況を理解しているとは思えない態度を取り、理解できずに胡乱な視線を送る。
ルドルフ王国の平民街で、商売敵に焦る様子を見せたくない、そのような思惑もあるのかもしれない。素人レベルの腕前しか持たないはずの狩人でも、従業員意識は少なからず持っているようだと彼は解釈する。
だが、もはやどうでもいい話だ。
モニカの父親は、虫唾が走るような綺麗事ならべる人間であった。カルダックはそれを嫌い、極力会わないようにしていたが、平民街での好意的な評判を耳にするたびに不快さが増していった。いつかは、目障りなロッセリー商会をこの手で潰し、先代を消そうと考えていた。
ところが、カルダックが消す前に、事故で亡くなってしまう。
朗報であるが、カルダックのいき場のない苛立ちは、ちっとも晴れずに満足のいく結果ではなかった。目障りなロッセリー商会そのものが平民街から一掃されれば、彼の腹底で沸々とわきあがってくる醜い感情を綺麗に洗い流すことも叶うだろう。
カルダックは目障りな従業員を目にし、
「そりゃ残念なことだ。おい、こいつを始末しとけ。ついでに、運よく助かったそのガキも、ウイング兵団に余計なことを喋られても煩わしい、一緒に片付けてしまえ。今なら、大抵のことは協力者の魔人が肩代わりしてくれる」
カルダックは、ふたりの始末を連れている二人の護衛者のうち一人に命令を出す。
その台詞を受け、怯える幼子は震え出して奏太の背後に隠れる。奏太もまた、現状を理解しているとは思えない飄々(ひょうひょう)としていたが、自分の腹を搔きながら軽く俯いていた。
「今から殺されると知って、余裕ぶった演技も止めたか」
皮肉まじりに嘲笑して述べると、護衛者を伴わせて歩き出す。瞬く間に護衛者に斬り捨てられ、すぐに任せた者も追ってくるはずだ。
「おい、どこ行くんだよ」
カルダックらが三歩も進まずなかに、背後から呼び止められる。その声は護衛の者ではなく、ロッセリー商会の狩人――奏太のものだった。
護衛者のひとりが、カルダックらの頭上を滑空して飛び越える。地面に投げ捨てられた護衛者には意識がなく、白目を剥けていた。
「何が起きた……」
恐々と背後を振り返ると、黒髪の男と少年は無傷で立っていた。
「おっさんが、俺の家を消した原因か?」
奏太の声音は落ち着いた口調なものの、急激な悪寒と恐怖が入れ混じってカルダックを襲う。傍らで控えるCランク相当の護衛者が、額から脂汗を流し、怯えた表情を浮かべて後ろに下がる
ここで初めて、自分の判断が誤ったのだと知る。もし、カルダックが護衛者を人形とせず、発言権を許していれば相手の異常さを申していたかもしれない。そして、普段どおりのカルダックであれば奏太に目もくれず、目利きを曇らせることはかったのだ。
カルダックの無言を肯定だと受け取った奏太は、ふたりのもとに近づいてくる。
(何故、俺はあの男の身体を見て、ただの狩人の素人だと思ったのだ)
奏太の身体は異常であった。衣服をまとっていない上半身と、片足だけを見ても、常軌を逸した筋肉の発達である。筋骨が逞しく、そしてしなやかさが共存している。腕や足は張り詰め、胸筋や腹筋は勿論だがつきにくい横腹筋も、細やかなおうとつがはっきりと浮き彫りとなっていた。
剣を振り回す騎士や傭兵の屈強の身体つきよりも、一回り小さく見えるのは、贅肉を極限に絞られた美事な姿態だからだろう。
黒髪の男がカルダック自身の処刑人のように映り、一歩ずつ迫るにつれて自分の心臓の音が煩く騒いだ。
「お前は……狩人の素人ではなかったのか?」
「確かに俺は、狩人を始めたばかりだ。まあ、戦闘経験はそれなりにあるけどな」
護衛者は剣の柄を握るも、抜く暇も与えられずに左足が腹に減り込んでいた。同時にカルダックは顔面を掴まれ、指先が食い込んだ。
蹴り飛ぶ護衛者は姿を消し、後方で瓦礫に突っ込んで派手に撒き散らす音が、彼の耳にとび込んでくる。
カルダックは頭部を締めつけられ、言葉の綾ではなく本気で握り潰されそうな圧縮に叫喚をあげてしまう。
「ぐああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
情けなく苦鳴の声を叫ぶ、カルダック。許しを求めようとするも、あまりの激痛から上手に言葉にならない。微々たる逃れる意思と抵抗する意思が、一瞬で霧散する。
自分の足が地面と切り離されると、真下に急降下されてカルダックの後頭部が、地べたに叩きつけられた。