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マエブレもなく  作者: ショウゴ
1/37

NO・1

半年ぶりの新作ですが、宜しくお願います(プライベートの関係で、月・火・水に更新予定です)

 薄暗いが、広々とした空間。壁と天井ともに岩に囲まれており、その岩には(ひかり)(ごけ)がいたるところに生えていた。そのおかげで、この空間が闇夜(やみよ)で覆われることはない。


 部屋の奥からは、強烈な威圧を発する部屋の主が存在する。


 地面まで垂れているつやのない白銀の髪に、大胆に胸もとを開けた華やかなドレスでその身を包む。目元は髪で陰り、視認できない。身体全体からは、(よど)む沼のような負の感情が噴き出していた。尋常ではない怨恨(えんこん)が、冷気に織り込まれてこの場を支配している。足を踏み入れた瞬間、どす黒い濃密な死の幻影が身体の中に侵入され、強く己を保たなければ気が触れてしまうだろう。

 

 両手から伸ばされる禍々(まがまが)しい白い光を発する鎖は、自分の手足のように操り、虚空(こくう)を浮いている。赤い唇で弧を描き、声もなく笑んでいる。一方、対面に立つのは白装束を身にまとう黒髪の若い男。その背には、竜の刻印が施されている。


 白銀の髪は悠々(ゆうゆう)と姿を呈しているのと反対に、若者は致命傷を負ってないものの、胸中に穏やかではない。相手の傑出した強さに、一切余裕がなかった。

 

 広大(こうだい)無辺(むへん)牢獄(ろうごく)の最下層までくるには、一筋縄ではいかない魔物が無数生息していた。


 良好な精神を維持できず、魂はすり切れ、人間の身で最下層までこられたのは奇跡といっていい。

 

 ふたりの応酬は何万、何十万、あるいはそれ以上に及び、幾度もの凄絶な激突が繰り返されていた。壁も地面も天井も衝撃(しょうげき)(こん)が残され、戦闘の壮絶さを窺えさせる。両者が神速で交差するたび、大気を大きく震わせた。

 

 白銀の髪の女は鎖を投げ放ち、若者を襲う。それを上方に跳躍して避けるも、次に左から薙ぎ打たれた。腕で防いでまともに食らわずにも、衝撃を殺せずに吹き飛ぶ。強烈な一撃に、壁に叩きつかれた。


 身体が岩壁にめり込み、すかさず追い打ちの一撃。だが、タッチの差で横に飛んで逃れ、難敵のもとに疾走した。彼女との距離を一息に詰めると、痛烈の拳を打つ。数々の魔物の肉体を四散させてきた、威力が込められている。瞬きする間に、左右から稲妻(いなずま)のごとく駆け抜け、拳が乱舞する。

 

 猛撃(もうげき)の連続――にも関わらず、依然女の余裕は途絶えることがない。闇の中に白い軌跡を描き、絶妙なタイミングでことごとくあしらわれてしまう。直撃することができない。それでも、連撃は間断(かんだん)なく、加速していく。


 手数は増大していき、両腕は残像化とする。対して、女は優美な舞踊(ぶよう)するような動きで、回避していく。なおも拳は止まず、ひとしお薄暗い大気を切り裂きながら、右から強打した。

 

 当然のように空を切る。だが、避けられるのは読んでいた。若者は胴をくるりと凄まじい勢いで回転させて、左足が敵手の側頭部を痛打しようとした。


 相手は最低限の動きで一歩退き、完璧な間合いを把握してそれが目もとを通過する。半円を描いた足蹴りは風を巻き起こし、白銀の髪の前髪がひらりと吹かす。目元を覆っていたものが露わとなる。左右の瞳は髪の色と対照的に彩られ、瞳孔(どうこう)は血の色となっていた。

 

 どれほど憎悪と悲嘆をすれば、あのような瞳をできるのだろうか。感情の起伏が乏しくなってしまった若者であったが、一瞬動きが鈍くなってしまうほど背筋に寒気を走らせた。


 そのときだ、若者の首に鎖を巻きつかれる。眼前の女は笑みを消すことなく、それは嘲弄(ちょうろう)しているようにも見えた。

 

 若者の身体は重力が切り離され、投げ飛ばされた。部屋の中央、硬質な地面に身体が叩きつけられる。推進力は止まらずに地面を深くえぐり、掘り返されていく。その勢いは驚異的で、この部屋の端まで届いて頭から激しくぶち当たる。普通なら、即死の威力である。破壊音とともに()ぜた壁の残骸が、若者に覆い被さった。

 

 間髪いれず、白銀の髪は両手を前に向け、膨大な魔力の(しゅう)(かい)が放出される。

 

 それとほぼ同じくして、小山となった瓦礫を散らして、黒髪の若者がその中から飛び出した。どうにか立ち上がるも、危機的な状況に変わりはない。白光は広範囲なもので、若者を押し潰そうと突貫する。

 

 若者はそれを、躊躇なく殴りつけた。膨大な魔力を込められた魔弾に、打ちつけた拳の皮膚が焼けただれる。


 拳撃が押し戻され、地面に縫うように立つ両足が後退されてしまう。そうはさせまいと、若者が全身の力を踏ん張り、人並み外れた膂力(りょりょく)は押し返そうとした。しばし、せめぎあってその状態は続き、彼の体力を奪っていく。このままでは、いずれ白光にその身が取り込まれてしまうだろう。


 若者は獣のように声音を張り上げ、拳を振り抜いた。魔弾をちりぢりに分散される。木っ端微塵となった魔弾の残滓(ざんし)が、若者の後方に流れた。壁に突撃して炸裂音(さくれつおん)を響かす。


「――帰るんだ、あいつらのもとに……」

 

 独り言のように、掠れる声でささやく。若者の顔には感情らしきものが浮かんでおらず、その目は凍っていた。だが、彼からは断固たる強い意志が、瞳に宿っている。


 まるで、夢であったような、幸せだった日のおぼろげな記憶に残る二人の女性。それを思い出すたびに、黒髪の男を突き動かしてきた。必ず生きて、彼女らのもとに帰るのだと。たとえ脳からこぼれ落ちようとも、身体の芯には頑として譲れない記憶が刻まれていた。


 空気に緊張をはらんで重くなる。今にも両者は突撃しそうな気配を漂わせ、それからほどなく、けたましい轟音が響き渡った。過去最高の強敵との死闘は激化する。

 



 相原奏(あいばらそう)()には二人の幼馴染みがいる。ひとりは高飛車の天才超人のお嬢さま、本条(ほんじょう)華奈巳(かなみ)。もうひとりは喧嘩最強の万能乙女、立花(たちばな)(なつ)()


 彼女らは癖が強い性格から、クラスで孤立するタイプであった。奏太と夏希は昔から同じ小学校であったが、華奈巳は小五の年に転校してきた。お互い妙に馬が合い、奏太は大変だとは思いつつも、三人が親友となるまでにはそう時間はかからなかった。


 華奈巳が転校してきた同年、三人は同じクラスとなり、奏太の波乱万丈な人生は加速していく。ふたりと出会ってから、奏太の運気は下降してか災難の連続で、ときには自分の欲望に忠実な奏太は自ら飛び込むことも度々あった。


 そんな関係が中学生まで続き、三人の関係に異変が起きる。

 

 中学校生活の終わり、突然幼馴染のうちのふたりが、家庭の事情で海外留学をすることになる。言うまでもなく、そのふたりとは華奈巳と夏希だ。


 夏希はもともと孤児であったのだが、華奈巳の執事とメイドの夫婦の養子に引き取られ、彼女の護衛兼秘書として育てられている。夏希は華奈巳のつき添いだ。


 これで、彼女らとは頻繁に会える機会もめっきりなくなっていくのかと、奏太は寂しくなると思っていたが、大学は日本の学校を受けると述べられた。


 ただし、華奈巳の口からは、東京の大学は難関な場所に指定される。


「奏太、日本(にほん)明進(めいしん)(じゅく)大学に入学しなさい」

 

 日本明進塾は一九八八年に創立した学校だ。教育目的は、日本の将来を補う優秀な人材を育てるためとし、幼小中高大一貫性の学校だ。


 卒業生は政治家、官僚、学者、医者、警察といった学校の教育目的どおり、相違なく日本の中心部で活躍している。

 

 実力さえあれば大学からでも編入でき、名の通ったトップ企業に就職を約束されている。

 

 日本明進塾大学の入学試験は日本一難解と評判にもかかわらず、将来安泰もあって入試希望者は毎年多く参加していた。華奈己はそんな大学に入学しろと、奏太に言う。


 拒否権のない命令である。

 

 もし、断れば有無をいう暇も与えず、あらゆる手段で教育という名のしごきで、苦痛を味あわせる。最終的は命令を受けざる得ない状況に運ぶのだ。


 数々の過去の命令からでも、トップレベルの難題であった。


 華奈己のおかげと、もともと心臓に毛の生えた人間だった奏太は、すっかり強靱なメンタルとなり、我慢強い人間へと成長を遂げた。ただし、頭脳系に難がある奏太には、大学入試など不可能に近い。(さじ)を投げてしまうところを、当然のようにそれを読んでいた華奈巳は、メイド長直々から家庭教師を務めてくれるように指示を出していた。


 そして、月日が流れる。


 優秀な家庭教師と、過去最大級の努力により、奏太は華奈己に指定された大学へと奇跡的に合格することができたのだ。

 

 少年は決めていた。入学できたらあの幼馴染に告白することを――

 

 この日のために三カ月間バイトをし、安価ではあるが指輪を買っていた。

 

 彼女と再会を果たす。


「好きだ。結婚を前提に俺の彼女になってくれ」

 

 結婚を前提と彼らしい痛々しい台詞を、奏太はいたって真剣な表情で話す。

 

 三年ぶりの彼女はよりいっそう美しくなっており、目が奪われる。奏太の想い人とは、夏希であった。

子供の頃は、イケメンの美男子にしか見えなく、その端正に嫉妬した奏太は喧嘩を売ってしまったのが最初の出会いだった。喧嘩友達として、毎日のように殴り合っていたというのに、奏太自身もまさかその相手に惚れてしまうとは思わなかった。


 肩で切り揃えられた黒髪に、半分北ヨーロッパの血筋から目鼻立ちがくっきりとし、絶景のカリブ海を連想させる(あお)(がん)。一六〇後半はある、すらっとした背丈に出るとこ出て、健康的に引き締まった肉感的な女性だ。

 

 出会いの頃から変わらず眼光は鋭く、義理の父に磨かれた闘気は周囲を寄せつけない。まるで、歴戦の軍人のような立ち振る舞いには隙はなかった。一見して畏怖を与え、近寄りがたい人物に思えるが、実は彼女は家庭的な女性と、ポイントの高い女性である。  


 奏太自身も頼んだのもあるが、何度も料理を振る舞ってもらい、毎度奏太の舌をとろけさせる。他の家事もメイドの義理の母から叩き込まれ、家事スキルを極めさせていた。

 

 それを抜きにしても、表になかなか出さない魅力は満載だ。彼女は色恋には初心で、照れ屋なところがある。なんでもそつなく熟す彼女とのギャップが可愛らしく、そこが奏太を惚れた要因だ。


「本当に……華奈巳ではなく、私でいいのか?」


「ああ、ずっと好きだった」

 

 上気する彼女を、奏太は抱擁して身体を密着させた。


 奏太はこの日ために買った指輪を渡そうとし、


「あーその、なんだ。夏希に受け取って欲しいものがあってな」


「……なんだ。これ以上は、私の気持ちが持ちそうもないのだが」

 

 奏太は指輪が入ったポケットの中へ手を入れたタイミングで、二人のもとに声がかかる。


「ありえない」

 

 夏希はどうか知らないが、奏太はその声の主の存在にまったく気づかなかった。

 

 恐る恐る、声のするほうに視線を向ける。そこには予想したとおり、もうひとりの幼馴染――華奈巳がいた。

 

 日本を代表する大企業の末娘で、天からニ物を与えられた女性である。何をやっても、直ぐにプロ並みに熟す天才少女。

 

 腰までかかる黒髪と、すっきりした輪郭に収められる強固の意志の象徴、黒瞳(こくとう)。神が端正に造り上げたような優美な小顔は、誰をも一目で釘付けにさせる。背丈は夏希と同じていど。無駄な脂肪は一ミリもなく、ウエストは深くくびれて細い。


 染みひとつない純白な肌は、世の中の美肌女性が色褪せたものへと変えてしまう。夏希に比べればバストやヒップに物足りなさを感じるが、それでも均整を崩さないていどに盛り上がった乳房。悩殺的な深い谷間をつくる大きな美乳という表現が正しい。


 色っぽい膨らみのあるお尻から股下は、日本人離れした健康的に引きしまった美脚が長く伸びている。同性なら嫉妬され、彼女に殺意を覚えるほどのスタイルだ。

 

 しかし、絶世の見栄えを持ちながら、彼女の高圧的な性格と(ごう)(ぜん)たる態度が仇となり、奏太や夏希といった身内以外、周囲から彼女と接しようとする物好きはいない。


「奏太、貴方は昔から私がいないと選択を間違える男よ。それは、これからも同じで私にしか正せないわ。貴方に相応しい人は私だけなの。わかったら、私に謝罪しなさい」


 そうすれば許してあげると、静かな怒気を露わにしながら、命令口調で彼女は目を細める。その瞳はゾッとするほど冷たいものだった。


 中学の頃と変わらず、高圧的なお嬢様だ。気の小さい者なら腰を抜かして、泡を吹いていただろう。慣れている奏太でも、三年前より彼女の威圧は凄まじくなっており、圧迫感を抱きたじろぎそうになる。

久々に子供の頃から一緒にいた幼馴染と再会し、三人そろったというのに素直に喜べる雰囲気ではない。その要因を作ったのは、奏太自身が招いたものだが、難解な大学に入るために過去にないほど努力し、三年も惚れた夏希と離れ離れを耐えるのは耐え難いものである。


 彼女たちと違って、奏太のスペックも顔立ちも凡庸。惚れた異性が才女で、美少女なのだ。恐れられているとはいえ、奏太のように夏希のよさに気づいた金髪碧眼の男どもが言い寄って来るのではと、三年間ヤキモキしっぱなしである。


「感謝はしている。夏希は俺が失敗すると注意してくれるけど、なんだかんだいって甘いからついついその優しさに甘えてしまう。だが、華奈巳はそんな俺の性格をよく理解しているから、昔から逃げ道をふさいで尻を叩いてくれていたからな。そうでもしなきゃ、俺なんか大学なんて入れないバカだ。

けどな、それと恋人の話は別だ! 彼女にするなら夏希のような可愛らしくて、俺なんかのためにつくしてくれる、家庭的な女性がいいに決まっているっ」

 

 そう口にして、夏希の肩を組んでひしと抱く。普段見せない羞恥な姿を露わにする初々しい彼女は、どうしていいのかわからずに奏太の胸もとで瞳を伏せた。普段は鉄の女のように凛々しい少女が、今は乙女の顔を見せている。


「甘え下手なお前に、こんな可愛い姿ができるのか?」


「や、止めてくれ。私だって人に甘えるのは苦手だ。けど、その…奏太の前だったら……」


「ああ、わかっているって」

 

 奏太は締まりのない顔をさせ、気恥ずかしそうに彼の胸に頭を預けた。すると、夏希の甘い香気が奏太の鼻孔をくすぐった。


 やはり、自分が選んだ女性は間違いではなかったと、奏太は緩んだ表情で噛みしめる。


「……」

 

 眼前でのイチャつきを見せつけられ、華奈巳の美しい片眉がピクッとわずかに上がった後、小さく舌を鳴らす。


 彼女が舌を鳴らすさいは、本気で腹立しいときに出る癖だ。数秒も満たない間をあけ、彼女の潤いを帯びた薄い唇が動く。


「そう。わかったわ」


「悪いな。けど、三人の関係を崩すつもりはないぞ」

 

 彼女は、息を呑む絶世の美女に間違いはない。だが、幼馴染としての関係は問題なくても、やはり恋人や嫁としてはいろいろと問題はてんこ盛りだ。彼女の言う言葉には間違いはないとはいえ、高圧的に命令する女性が友人ではなく、恋人になると考えただけで、奏太は身震いを起こす。


「じゃ、私も奏太の恋人になるわ。言っておくけど、拒否権はふたりにはないから」

 

 無論のこと、将来を誓ってね、と美少女は強気な口調でいう。


「はぁ? 何言っているんだ、お前」


「いつも、突飛な発言ばかりしている華奈巳だが、さすがにそれは許容できない」

 

 夏希も賛同できないと反対するが、華奈己はあからさまに素知らぬ顔をさせて、二人から視線をそらす。


 そもそも、日本は一夫多妻制を許されていない。軽口だと聞き流したい話であるが、残念ながら口にしている当人は不可能を可能にする豪の持ち主だ。簡単に軽口だと受け取れない。


 彼女は聞く耳を持たずに話を続ける。


「私たちの国籍を一夫多妻制が許された国に移すか、それとも日本の法律を一夫多妻制に変えるかどっちがいい?」


「おっ、おい、脅しても無駄だぞ! いくら華奈巳でも、そんなことができるわけないだろっ。しかも、法律を変えるなんてありえるかっ」


「私は、やるといったらやる。それは、貴方たちも直に見てきたのだから、理解しているはずよ」

 

 彼女の瞳には揺るぎはなく、自信を帯びた微笑を刻む。本気なのだと物語っている。華奈巳の家は、日本政府も強く出られないほど世界的に有名な財閥だ。彼女の天才的な頭脳を使えば、本気で法律さえも変えられそうである。


「「……」」

 

 華奈巳はやると言ったら必ずやり遂げる、鋼鉄な意志を持つ。なぜこのような我がまま娘に、神は面倒極まりない才気を与えてしまったのかと、奏太は天を仰いだ。


 反対に、高圧的なお嬢様は奏太のその表情を見て、勝機を確信したように不敵な笑みを浮かべる。


「奏太が稼げる金額なんて期待できないのは理解しているから、私の指輪は夏希と同じものでかまわないわ」


 結局、彼女に勝ち目が見出せない奏太と夏希は、しばらくして強制的に三人と婚約を結ぶことになった。




「いったい、何が起きたって言うんだ」


 男は呆然とし、見知らぬ大地で立ちつくしていた。彼の名は相原奏太。年は二十二で、大学を卒業して半年がすぎていた。


 少しでも落ち着きを取り戻そうと、先ほどから右手に持っていた陶器のコップにそそがれたコーヒーを、喉の奥に流し込む。豆から挽いたものが、すでに冷めて(ぬく)くなっていた。


 冷めたコーヒーの苦味を口の中で広げるも、思考停止した頭は復活することはなく、さらに嫌な脂汗も引くようすが見られない。


 奏太は、つい五分前まで、華奈巳の邸宅にいた。彼女が仕事をする傍らで、のんびりと革張りのソファに腰かける奏太に、夏希が淹れてくれたものを飲もうとしていたはずだった。それが、なんの前触れもなく、好きなメーカーのコーヒーを一口飲もうと唇に触れた瞬間、雄大な景観に圧倒される。まるで、テレビで見たアフリカの平原を思わす風景である。


 左手には連なる深淵の森からは、背中に戦慄(せんりつ)を走らせる猛獣の遠吠えが聞こえる。


「あいつらは……いないな」


 この場には奏太以外おらず、今さっきまで一緒にいた二人の幼馴染はいなかった。

 

 ポケットからスマートフォンを取り出し、電波を確認するとアンテナが立っておらず、県外となっていた。これでは誰にも助けを呼ぶことができない。


「どうみても、日本って感じじゃないし。まさか、本当にアフリカじゃないよな」

 

 灼熱の太陽が蒼天の空で燦々(さんさん)と陽射しが降りそそいでいるというのに、日本の春ほどの適温で、高温でうだる暑さが珍しくないアフリカとは違う。奏太は違和感を覚えた。

 

 森の奥からは未だ、なんの獣かわからないが遠吠えが奏太の耳まで届いている。


「おいおい、本当にどこなんだよ」

 

 突然のもの凄い震動が襲う。震源地が近いのか、奏太の身体がよろけさせた。鈍い激突音が鳴りわたり、その発生もとは森からでそこに視線を送ると、口をあんぐりとさせて愕然とする。


「な、なんだよ……あれ」

 

 奏太が目にしたのは、特撮映画で出てくるような怪獣の二匹が暴れていた。


 マンモスの造形に類似した、現実に巨大生物が獰猛な雄叫びを上げ、もう片方は巨大アナコンダを樹木よりもさらに身体を大きくして姿を現し、鋭い牙を覗かせながら威嚇している。奏太の知識ではせいぜい、マンモスもアナコンダも全長は十メートルほどであるはずだ。


 心臓に毛が生えてなおも、現状自分の身に起きた災難にはさすがに冷汗が止まらない。取りあえず気を落ち着かせようと奏太は、もう一口コーヒーを飲んだ。


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