彼女
主な登場人物
島福朗…主人公、映像制作会社助監督、母親が病に倒れて帰郷。
島実也子…福朗の姉。
川瀬美希…福朗の母親の職場の同僚。
なんで、あの時……、
なんで、もっと優しくしてやらなかったのか、
なんで、なんで、
思い出されるのは、これまで母親へ投げつけた心ない言葉ばかり。
後悔ばかりが頭の中に溢れ返って、
気が狂いそうだった。
夏場なのが幸いして、
快晴、空からの景色はすこぶる良い。
星空がそのまま地表に張り付いたような
函館の夜景が視界に飛び込んできた。
機内の明かりが一時暗くなり、
無言の夜景サービス。
乗客はシャッターチャンスとばかりに各々夜景の見える窓へとりついた。
俺もただの観光であれば、どれだけ気が楽だろうと思った。
「当機はまもなく函館空港へ着陸いたします……」
機内アナウンスが入ると、シートベルト装着サインが点灯した。
そこから、機体は函館上空を旋回した。
そんなに直ぐには着陸しないのは知っているが、俺は気が急いて仕方がなかった。
あの街の灯の、どれかひとつの病院に、
母が管に繋がれて眠っていると思うと、想像するだけで気が気じゃなかった。
俺は空港から駅行きのバスへは乗らず、
直ぐタクシーで、母の入院先の五稜郭病院へ向かった。
その間も、
姉の実也子とは、携帯でやりとりしていた。
「……いま、着いて空港から向かってる、うん、うん、もうあと20分かかんないぐらいで着くわ」
姉は案外落ち着いていて、安心した。
姉は母に似て、誇大妄想狂なところがある。
ひとつ悪いことがあると、連鎖的に悪いことしか思いつかなくなる。
俺は、この劇的とも言えるマイナス思考の2人に囲まれて育った。
家族の中で、少しでもあの2人より先回りして考えて、最悪の事態を回避する。
そんな自意識が俺の中には自然と育まれていたのだ。
俺が母親のそばにいられたなら、
未然に病気は回避できただろうか?
「脳溢血だって……」
横浜青葉区のスタジオを出て、直ぐ折り返したときの姉の声は、湿っぽかった。
その声を聞いた瞬間、
「嗚呼、これは姉ひとりじゃ無理だ」と思った。
介護の仕事中に倒れたらしい。
幸い職場の同僚が迅速に対応してくれたらしく、一命は取り留めた。
医者も発見が早くて、不幸中の幸いだったと言ってくれたらしいが、
それでも母はいまだ目覚めない。
余談を許さない状況だ。
到着したのは面会時間終了ギリギリだった。五稜郭病院は俺が昔来た頃とは大分変貌を遂げていた。
行く手を阻むように増改築を繰り返し、まるで迷路のようだった。
「新宿駅並みだな……」
やっと見つけた受付で聞いて、病棟へは辿りつけたが、ナースステーションに看護師が見当たらない。
「勝手に入っちゃって良いのかな」
廊下は照明が落とされ、シーンと静まり返っていた。
リュックひとつ背負った独活の大木が独り、右往左往するばかり、そのうち病室のひとつのドアが開き、小柄な女性が、疲れた顔で出てきた。
薄手のコートを着て手荷物を持っている、どうやらもう帰路へつくようだった。
「あの、すみません、面会謝絶の病室って……」
と、話かけると俺を見た女性の顔つきが変わった。
「ああ、シマくん久しぶりじゃん……お母さん?」
キョトンとする俺の顔を見て、
女性はケラケラと場違いに腹を抱えて笑った。
「あたし、美希、美希」
「美希?……川瀬美希か」
彼女は、中学の同級生の川瀬美希だった。
「え、なんで?(ここにいる)」
という問いかけに彼女は答えず。
「こっちこっち、相変わらず、ぼーっとしてんね」
自分だけさっさと病室の前まで走って行き手招きしている。
廊下の物音に気づいたのか、病室の扉が開き、姉の実也子が顔を出した。
「ちょっと、美希ちゃんか……びっくりした、帰んないの?」
と、姉が美希へ親しげに話しかけている。
「二人は知り合いか?」
俺は恐る恐る二人へ近づいた。
「フクオくん……きたよ」
美希が嬉しそうに俺を指差して言うと、
姉がつられて俺を見た。
「よっ」
と、俺が軽く手を挙げると、
「……やっと、来た」
姉は深く溜息を着いてドアへ寄りかかった。
「……悪かったね、待った?」
と言う言葉も聞かず、姉は俺を病室へ引っ張り込んだ。
「……昨日、急に倒れてさ、もう大変だったんだから……」
男というのは、こう言う時ダメだ。
母親の顔をまともに見るのが怖い。
人の死に直面して初めて、男は女より意気地がないと思える。
「ほら、帰って来たんだから、お母さんに声かけてやってよ……」
姉は声は震えていても、気丈なもんだ。
俺はと言えば、何にも言えない。
母は、人工呼吸器に繋がれている以外、
いつもと変わらず眠っているようだった。逆にそれが事の重大さを感じさせた。
美希が見ているので取り乱して泣きはしないが、
「ただいま……」と言うので精一杯だった。
「何それ……」背後の姉の鈍いツッコミも、美希が同席しているが故だろうが、
何を言われても、それ以上何も言えない。
あとは子供のように
いや、俺は子供だから、
泣くしかないのだ。
「美希ちゃん、心配して、昨日も今日も、仕事終わったら様子見に来てくれてんのよ……御礼言いなさいよ」
俺がパイプ椅子を広げて座ると、
少し場が和んだようだった。
「どうも……で、何で?」
「あ、そっかアンタ知らないんだ」
と、姉が俺の顔を見て笑った。
「同じ職場なんだよ、私も介護やってんの……」
と、美希も朗らかに話に加わった。
「母さん倒れた時も、一緒にいて、延命措置してくれたり、救急車呼んでくれたり……」
「あの実也子さん、すみません延命措置はしてません、多分、頭だと思ったから触ってないんです、触れられないんですよ」
「へー、そうなの……」
「カラダはあっためたかな?」
「じゃ、してんじゃん……」
ガハハ、ガハハ
病室で笑う女二人、
女と言うのは、2人以上集まると、
即時、井戸端会議を開始する。
最初は俺に話かけていたはずなのに、
ものの数秒で蚊帳の外だ。
俺は姉たちを放っておいて、母の手を握ってみた。
暖かい。
当たり前だ。
「お母さんの手を離すんじゃないよ」
移り気で、何処でも迷子になる俺を、
いつも母は面倒臭さそうに予め叱っておいて、痛いくらいしっかり手を握った。
いまは、俺が自分から握ってやってるのに、握り返しもしない。
早く起きて、叱言のひとつでも言ってくれよ。
俺のそういう思いは多分“祈り”なんだろうなと思った。
神様なんか一度も信じたことは無いが、
祈って母が目覚めるなら、いくらでも祈ってやる。
「あんた、帰るでしょ」
姉が背中を叩いた。
「え、いや、姉さん、ずっとつきっきりなんだろう、変わるし…」
と、俺が言うと、
「あんた、なんていたってどうしようもないでしょう……一旦帰んな」
そんな姉の理不尽な言葉に、
なぜか、関さんたちの顔が浮かんだ。
「旦那と子供は、面倒見なくていいの?」
「旦那の実家……どうにもなんなくなったら、頼むから、疲れたでしょ」
「別に、まあ」
「どっちよ…」
完全に姉のペースだ。
この病室は既に姉貴に占拠されている。
姉が安心できるようにしてやろうと思った。
「美希ちゃん、送ってってやんな」
と、姉に言われたが、
美希とは病院を出て直ぐに分かれた。
「あたし、近いんだ……そこ渡って、入った先だから、すぐ」
「ああ、知ってる……まだ、実家いるんだ」
「まだって言うか……」
彼女の笑顔に少し影が差した。
俺には、彼女のそんな顔の意味が分かる。
深くは立ち入られたくない。
だから、知らない振りをして、
その場は分かれた。
昔書いた作品を現代に合わせて書き直しているところで、色々思い入れもあって、
時間かかってしまいました。
書き上げる決心がつきましたので、約一年ぶりに再開します。
ご期待頂いた読者の方にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
面白い作品に結実できるよう誠意を持って臨みます。
「カムイチカプのいるところ」
を宜しくお願い致します。