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「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに、」という歌を歌いながら…


〜「アイヌ神謡集」より〜

     1


 移動の時は、いつも窓側と決めている。

ロケバスも、電車も、飛行機も、

ただ単に、席を選ぶのが面倒だからだ。

自分ではなんとなくそう思っていた。


「おまえって、いつも窓んとこ座るのな…」

 ロケバスの中で後ろに座っていたカメラマンの関さんが、俺の頭を小突いて言った。

「すみません、変わりますか?」

「いや、いいんだ」

 無精髭だらけで浅黒い関さんの、くしゃくしゃの笑顔が視界に入って安心したのも束の間。 「何で?」 と続けた。

「えっ?」 俺は少々困惑した。

「この間の、静岡の時も、九州の時も、電車でもバスでも…かならず窓際な?」

「すみません」

「責めてんじゃねぇよ。不思議でさ…見てたんだ」


 いつもは、ファインダーを覗いている鋼のように鋭い眼光が、俺の横顔へ向けられている。

 業界じゃ鬼の関と恐れられる重鎮だ。

 

俺は映像製作会社の社員だが、関さんはフリーランスで活動している。立場としては関さんの方が下請けということになるが、俺は若くて経験もない。関さんに偉そうな口なんか聞いた日には、逆に業界から干されてしまうに違いない。

 二ヶ月前、高円寺で一緒に飲んでから、妙に気に入られてしまった。

興味のない奴には口もきかないくせに、

俺には事ある毎にこうやって絡んで来る。

どうせ暇つぶしぐらいにしか考えていないとは思うが、

「嗚呼〜、なんか腹減ったな….お前、なんか食いもん持ってない」

「持ってないっす」

挨拶代わりに股間を触るし、撮影中でも構わず尻を撫でてくる。そっちの気でもあるのではないかと疑いたくもなるほどだ。

 

 独身らしいし、可能性はある。

 少し不安になっていた。


「あのう、多分、母親が…ですね…」

 ふと、母の思い出がぼんやりと蘇って来た。


「へぇ、お母さん…」

「母がいつも窓際が良いって…外の景色が見えるからって言っていたような、気がします、だからって訳じゃないんですけど、なんとなく窓際の方が得してる気がするんでしょうね」


「へぇ、お前、マザコンか」

「まあ、どちらかと言うとそうでしょうね、父が子供の頃に他界してるんで」


 関さんはそれを聞くと急に険しい顔になって、黙り込んでしまったかと思うと、眠ったのか目を瞑ってしまった。

 その時は少し煩わしかったので、ちょうど良いと思ったが、

 お陰で、乗り物に乗る度に母の事を思い出すようになってしまった。




 「羽田発、函館行き ANA557便」


 羽田空港第2ターミナルの発券機の前で

俺はまたついつい窓際の席を選択してしまった。 母の顔が脳裏を過る。

 次第に呼吸が苦しくなり、体の力が抜けて、その場に立って居られずにしゃがみ込んでしまった。

俺は何度も覚悟していたんだ。

だからいつも見送りに来る母に「さようなら」とは言えなかった。


 こらえても、こらえても涙が止まらない。

 見かねた空港の女性職員が、俺を優しく抱き起こしてくれた。


「大丈夫ですか?…医務室の方へ…」

「いや、行かなきゃないんで、すぐ良くなります。」

「でも…」

「ちょっと、辛いことがあって…でも、急いで…行かなきゃないんで…」


 職員は、なんとなく察してくれた様子で、搭乗口の付近まで付き添ってくれた。

 搭乗口の待ち合い室でも、飛行機の座席に座っても、涙はとまらなかった。

 結局、北関東のどこか上空あたりで機体が雲の上に出ると、いいかげん泣き疲れて子供のようにそのまま寝入ってしまった。


  寝入りばら、

 その数時間前のことを少し思い出した。


 横浜青葉区にある某撮影所、とあるスタジオ。

その前室のテーブルの上に置いてあった携帯があんまりなるものだから、衣装部の美代ちゃんがスタジオ内まで持って来てくれた。

「島くん。携帯置いてくんなら、電源切っといてよ!…どうせ女からなんかかかってこねぇん だからさ!」

「はい、すいません」

(切れる訳ねぇだろが、このブス!)と思いながら着信を見ると、姉からだった。

「大丈夫なの」

無線越しに、監督からの声。

「はい、スタンバイOKです。」

「じゃ、回すよ」 と監督の声

「はい、ヨーイ…ハイ.」

 関さんのカメラのフィルムのリールが回り始める。

 その微細な操作音だけを残して、スタジオ全体が静まり返った。


 撮影が一段落してから、俺は前室で携帯の電源を入れた。

 姉からの着信はゆうに10回を超えていた。

 メールが5件。

 音声発信とメール送信を交互に繰り返していたようだ。


「どうなってるの、なんで出ないの急いで電話ください」

 いちばん新しいメールだけでは、訳が分からなかった。

 履歴を遡って、一番古いメールを開いた。


「お母さんが、倒れた」

 

 たった一行で、俺の体は凍り付いた。


 強ばった顔のまま手元がおぼつかない俺に、声をかけて来たのは、 やはり関さんだった。

「島ちんお前なんか、あったんだろう」

「…いいえ、なんでもないっす。」

「お前さ、自分じゃ気づいてないかもしれんが、なんでもない顔してネェんだよ、よっぽどの事だろ」


「関さんには関係ないっす…」


「関係ネェってんならもっとシャキっと仕事しろコノヤロー、さっきっから震えてんぞ具合でも悪いのか?」


「大丈夫っす。」


「大丈夫じゃねえだろっつってんだよ、コノヤロー」

 関さんの嗄れた怒号が、スタジオの高天井に反響した。

 好き勝手ガヤガヤしていた、現場のスタッフ、キャストたちの動きが一斉に止まり、

辺りはシーンと静まり返った。


「母が倒れて…」

「悪いのか、お母さん」

俺は答えようにもそれ以上は声が出なかった。涙がこみ上げてきて、押さえるので精一杯だった。

 関さんはスタジオの奥の方の薄暗いところを眺めながら、顎の無精髭をジョリジョリ撫でて10秒ほど止まっていたが、ふと廊下の方へ顔を向けて


「お前…帰れ、いても使いモンになんねぇや…」

関さんは言いにくそうに、

ボソボソと小声で言った。


 俺は真っ先に怒りをぶちまけた。

 この5年間テレビで耐えて来て、やっと念願だった映画の現場に入れたのに、ここで、引き下がれない。

 今日の撮影は最大の山場なんだ。 (いつも山場だが) 俺は、とにかく何でもいいからこのスタジオに居なければならないと咄嗟にそう感じた。

「あんた、ウチの会社の人じゃないでしょ、なに勝手に言ってんすか?」


「じゃあ、同じ会社の奴ならいいのか?」


 関さんは迷わず、監督とプロデューサーを呼び寄せて何やら笑顔を交えながら、事情を説明しているようだった。

プロデューサーはただ頷いて、こちらを見たが来なかった。

監督は面倒くさそうに俺の前まで来た。

「シマ、お母さん倒れたのか?」

 監督は身じろぎもせずに、いたって冷静な口調で言った。

「はい。」 と俺が答えると、

「帰れ。」

「嫌です。」

「帰れ。」

「帰りたくありません。」

監督はため息を吐いて、関さんの方を見た。

「ぶっちゃけ、助監の換えは、いくらでも居るんだよ、息子はお前ひとりだろ?」 と関さん。

関さんの言うことに監督は全く異存がない様子で「カワサキ、シマ抜けっから、お前、チーフな…」すかさず無線で伝令を発した。

俺より下っ端のカワサキが遠くからこちらを見て、手を挙げた。

監督は、何もなかったようにモニターブースへ戻ってしまった。

 俺の背中をポンと叩いて、関さんもカメラの方へ歩いて行ってしまった。


 さっきまでずっと仲間だったスタッフ全員が、急にみんな他人のように誰も俺と目も合わせない。

 

 俺は敗北を確信した。

 そのままスタジオを出て、前室の机の上へ台本を叩き付けた。


「うるせーな、おいシマ!」美代ちゃんが衣装室から顔を出した。

俺が無言で頭を下げて立ち去ろうとすると、美代ちゃんが呼び止めた。

「無線で聴いたけど、北海道帰んでしょ金あんのアンタ」

「大丈夫っす深夜バスで行きますから…」

「アンタ、ちょっと急ぎなんじゃないの、飛行機ですぐ帰ってやんな」

美代ちゃんは財布から万札をあるだけ出して、俺の手に無理やり握らせた。

「貸すんだからね、後でちゃんと返しなさいよ!」

「はい」

俺は一礼して立ち去った。


 カワサキの威勢の良い声が壁の向こうから聞こえる。

『ラフシュ!」

「はい、オッケー」

「じゃ、本番いきまーす。」

「本番」

「ヨーイ…ハイ!」


俺のいない場所でカメラは回り始めた。


 


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