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第二回・文章×絵企画

黒鍵の音の無い、

作者: 夕凪

牧田紗矢乃様主催の【第二回・文章×絵企画】参加作品です。


 陽一様の音。に文章をつけさせていただきました。

 URL : http://10819.mitemin.net/i162697/


2/16追記

日時予約ミスにより、このような大遅刻となりました。申し訳ありません。

黒鍵の音の無い、



 面白味の無い人生を、歩んで参りました。


 あなた様に、このようなことを申し上げるのも不思議な心持ちです。ですが、もう、何を言っても問題にはならぬとわかっております。

 語り部の心得はございませぬが、聞いていただけますか?



 わたくしの家は、花家と呼んで間違いはございませんが、華家と呼ぶにはいささか身分の足らぬ、どこにでもあるような家でございます。

 仮にも花家を名乗ることができるのですから、それなりには裕福に暮らしてはおりましたが、皇家は元より、華家と比べれば大したものでもございませぬ。

 わたくしは裕福に女ながらに学園に通わせていただき、友人にも恵まれ、幸せに暮らしておりました。


 いえ、はっきりと申し上げましょう。

 わたくしの家は、花家ではありますが華家目前にしてそこに上ることのできない、万年花と呼ばれる不名誉に有名な家なのです。

 その原因が何かと問われますと、わたくし、らしいのですが。


 

 わたくしが生まれたのは我が家が花家と呼ばれるようになり百数年、そろそろ華家となろうとする頃。雪深い夜だったそうです。

 故にわたくしはーーー、まあ、これはお話しても仕方ないことですわね。

 

 母は妊娠がわかったとき、同時に心の臓を患っているということが発覚しまして、本来ならばお医者様に、わたくしを産むことは許可できないと、そう宣告されていたそうです。母は病床にありながら明るく朗らかだったらしく、屋敷の者に慕われていたようでした。そんな母でしたから、わたくしを産むその時は、屋敷中が固唾を飲んで出産を見守ったのだそうです。


 そして、母の命と引き換えに、いえ、そのあと三年ほど母は生きていたのですから、この言い方は適切ではございませんね。言うなれば母の寿命と引き換えに、わたくしは生を受けました。


 この三年間は、わたくし、とてもしあわせでした。

 母のそばで横になって、母の子守唄を聞きながら微睡む午睡のなんと心地よいことか。母に手を引かれて歩く庭がきらきらと輝いて、わたくしの行動一つ一つに、母がころころと笑ってくださっていたあの頃は、とても……。

 はっきりと記憶があるわけではございません。ぼんやりと、思うだけにございます。


 そして、そんな日常がしばらく続いた頃、母がなくなりました。


 母の死は仕様の無いことでしょう。わたくしを産んだことが、少なからず原因のひとつであったとしても、わたくしにはどうしようもないことです。そうでございましょう?


 わたくしは、その頃からいくつもの習い事をさせていただいておりました。

 花家、華家ともに最も大事とされる華道、それから茶道、舞踊、外来語をいくつかと将来お家を取り仕切るための教養、そして、洋琴を。


 あまり出来の良くない生徒でした。

 もともと、興味の無いことにはとことん食指が動かないたちだったものですから、洋琴以外は壊滅的と申し上げて過言ではなく、とくに茶道と舞踊のお師匠様が困ってらしたのはよくおぼえております。

 洋琴は、母が弾いてくださっていたので、わたくし、とても好きだったのです。

 花家の娘としてやっておいて損はないという程度のものでしたので、洋琴の手習いの回数はそう多くはなかったのですけれど、恥ずかしながら及第点を頂けたのはそれだけでしたの。


 父は、必要な習い事のひとつもこなせず、ただ、洋琴を爪弾くだけのわたくしに、唯一、ただひとつだけ、命令をしたのです。

 

 嫁げ、と。


 もともと、花家の女にとって結婚は家を結ぶためのもの。そのように、生涯添い遂げるお相手を決められるのは当たり前のことでございます。それについてはわたくしには何の含みもございません。

 

 ですが、お相手の身分が少々、いえとても高かったのです。加えて、わたくしはその頃齢十を数えて少し。これはそう珍しい年齢でありません。お相手が三十歳を越えていなければ。

 私のお相手として父が縁を結んだのが、華家筆頭、皇帝陛下の従兄弟様でございました。幼き頃から話題に困らぬお方で、……女性問題や賭博など、あの方を語る話題は事欠きませんでした。


 そんな方に嫁げと、そうわたくしに言った父は、わたくしを視界に入れておりませんでした。父の目には書類の文字しか映っておらず、幼心に、父はわたくしなどどうでもいいのだと、悲しむより何故かすとんと理解してしまいました。


 ああ、お相手のことはこのくらいにしておきますね。

 実際わたくしはかの方と結婚することはなかったのですから。結局、その事が我が家を万年花などと呼ぶきっかけになってしまったのですけれど。



 ふふ、どうしてか愉快な心持ちです。今まで、このようなことは口に出すことはおろか、考えることでさえ身を引き裂かれるような痛みを伴っておりましたのに、今は全く。


 それからわたくしは、今までの習い事に加えて花嫁修業を行うようになりました。

 結婚の時期はおおよそ五年後とされ、それまでに筆頭華家の奥方にに相応しい立ち居振舞いを身に付けるようにと。

 


 そんなときでした。

 西方の国々と交易を行っている商人が、わたくしの家に参りました。母が生きていた頃はこの方より洋琴を購入し、調整なども頼んでいたものですから、わたくしが洋琴を好きで得意だということを覚えていたのでしょう。


 商人は、わたくしに珍しい洋琴があると差し出しました。


 壁に合わせて置く型の洋琴は、わたくしがもっているものと形が違うのはもちろん、大きさも小さく、色は白く、なんだか玩具のように見えました。


 蓋を開け、保護の為の布を取り去ると、そこにも色はなく、ただ白い、飲み込まれるような白い鍵盤だけがならぶ、不思議な洋琴でした。


 商人が言うには、西方の変わった職人が最後に作り上げた洋琴だそうで、黒鍵がないために単調な曲しか引けないが音色が素晴らしい、ということでした。

 わたくしは、その珍しさにか、その妖しさにか、どちらとはわかりませぬが魅入られ、最後のわがままだと、父に購入を願い出ました。それほど高価ではなかったことと、すでに婚約は整い花嫁修行にはいっていたこともあり、父は難色も示さずに購入してくださいました。


 それからというもの、わたくしは空いている時間はずっとその洋琴の前に座っておりました。時に弾き、時に撫で、時に頬をよせ、そしてまた弾く。

 

 狂ったように。


 白鍵だけで弾ける曲は多くはございません。思い付く限りを弾き続け、


 弾き、続け。


 3年ほど過ぎ、わたくしは病を得ました。母と同じ心の臓の病でございます。

 父の意向で結婚は延期もされず、ふらふらと体調の良い日に花嫁修行をし、洋琴を撫でる生活を送り、一年と経たず起き上がれぬようになりました。


 洋琴は、わたくしの寝室に移動させました。

 もう手をあげることでさえ難儀する体でしたので弾くことは叶いませんが、そばにおいておきたかったのです。弾けずとも、視界に入れておかねば落ち着かなかったのです。それこそが病だというほどに。





 そして間もなく、わたくしは息を引き取りました。

 そして瞬く間に、わたくしは洋琴となったのです。


 どう申し上げれば近いのか、今もってはっきりとは解りませんが、宿る、あるいは取り憑いた状態だったと思うのですが、そこで弾けないまま、弾かれないまま、洋琴としてわたくしの家を見続けました。


 わたくしが鬼籍に入ってすぐ、父は再婚いたしました。驚くほど父に似ている男の子をつれた女性と、楽しそうに笑いあう父を見たとき、ああわたくしは本当に要らない子だったのだと理解いたしました。母との間に愛があったか否かは判断しかねますが、わたくしとの間に愛はなかったのです。

 それをまざまざと見せつけられて、わたくしはおそらく、狂いました。どうでもいい子なのだと幼いとき理解したはずですのに、なぜでしょうね。


 わたくしが使っていた部屋は、そのままその男の子が使うこととなりました。それにより、洋琴(わたくし)の置き場は居間に移りましたが、父も、女性も男の子も、家人すら、洋琴(わたくし)には見向きもしませんでした。わたくしは多少の退屈を覚えながらもそこに居続け、華家に成り損ねた家という醜聞が流れ始めたことを知りました。

 そもそも、わたくしが嫁ぐことこそが華家への道でしたし、わたくしが申し上げるのもおかしいかと思いますが、父の才覚はそれほど良いという訳ではございませんでした。いえ、父は無能であったということではないのです。現状維持は可能ですが、成り上がるほどではないというか……。やはり肉親ですもの、悪し様には思えませんし、贔屓目がないかと言われると自信はございません。



 そしてゆるやかに、我が家は衰退していきました。必死に華家へ成ろうと努力していらっしゃいましたが、それは成果を見せず、父は女性に贅沢を許し、男の子に教育を施しーー自分の代での華家成り上がりは諦めたのでしょう。それに嫡男ということもあってーーその教育はわたくしが受けたものより数段厳しいものでしたが、わたくしが見る限りあまり成果があるようには見えませんでした。

 


 そうして今度は父が身罷り、その男の子が当主となったころ、洋琴(わたくし)は打ち捨てられ、気づいたらここに居りました。


 たくさんの時間を過ごし、幾人かのお話を聞きました。

 あなたには、わたくしはどう見えているんでしょうか。


 気になりますが、聞いても詮無いことでしょう。なにもおっしゃらないでくださいませ。わたくしには、あなたは不思議な女性に見えます。人では無いような。

 わたくしはどのように見えているのでしょうか。おっしゃっていただかなくても、なんとなく分かる気はいたしますけれど。


 

挿絵(By みてみん)





 ようやっと、お話しすることが叶いました。

 ようやっと、この身の上を聞いていただけました。


 ありがとうございます、見知らぬお方。きっとあなたは、まだお話にはなれないことでしょうし、どのようなご経験をされていらっしゃるかは存じません。ですが、きっと、あなたがそれをお話しできるときが来ますよう、今お祈り申し上げます。




 願わくば、このどことも知れぬ場所からのお早い脱却を。

 わたくしは、ずいぶんと時間がかかってしまいましたから。

 

 

企画を主催してくださった牧田紗矢乃様。特設サイトの設営などありがとうございます。お疲れさまでした。

 絵に文章をつけさせてくださった陽一様。陽一さまの説明書きを読んで思い付いたお話です。趣旨がちがうと思われなければいいのですが。ありがとうございました。


2/16追記

予約投稿ミスによりこのような大遅刻となってしまいました。申し訳ありません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 話している女の子が存外楽しそうなことと、イラストの女の子が笑顔ですので、そんなに悲壮なストーリーではなかったと思います。 女の子は、霊というよりはピアノの精のような感じになったのでしょうかね…
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