第七章 終戦記念日
夜明けとともに、伝令の魔術師がクラウドキングダムに来た。伝令が持ってきた内容は、吉報であった。
「こちらの戦線は先日制圧を完了いたしました。この様子ではこちらも同様ですね。」
伝令は軽く笑った。
「あぁ、見ての通りだ。それで、決戦か?」
問を返すと、伝令は軽く頷いてみせた。
「本日より、作戦最終段階。アリンゴスの王都での決戦となります。準備が出来次第王都に向け出陣されたし。」
士気は十分とは言えないが、ここで時をおけば敵を利するのみ。私は頷きながら答えた。
「わかった、こちらもすぐに出陣しよう。そちらも準備が出来次第頼む。」
「分かりました。こちらも指揮官に伝えましょう。」
そう言いながら伝令はすぐに転移の魔術で戻っていった。
出陣だ。最後の出陣、これで戦争が終わる。そう思いながら我々は夜明けの暁とともにアリンゴスの敗残兵を含む総勢二万の軍団でクラウドキングダムを後にした。
行軍の途中にカナロアが私に話しかけてきた。
「リヴィア殿でよろしいかな?」
カナロアの扱いは現在客将といったところ、礼を欠くわけにも行かない。
「いかにも。何用でしょうか?」
問を返すと、カナロアはいきなり頭を下げた。
「あなたが大将だと聞いた。折り入って頼みたい。私の娘を、助けて欲しい。」
どういう意味かわからなかった、助けが必要な状態だとは思えない。なにせ、敵軍である我々は非戦闘員を殺すつもりは毛頭ない。平和に向けた最後の戦争をしようとしているのだ。
「私の娘は、人質なのだ。私がかつて王国のやり方に逆らった時に連れて行かれてしまったのだ。私が、クラウドキングダムを守り続ける限り娘の命は保証すると。私は守れなかった、ならせめて自らの手で救いに行く機会を得ようと負けを認めたのだ。」
驚嘆した、アリンゴスのあまりの腐敗に怒りすら沸いた。
「王都は我らが滅ぼしましょう。腐敗した政治に関わった人間の最後の一人までこの手で殺しましょう。あなたの娘はあなたが救うのです。だから頭を上げられよ。私達は、あなたの娘を救うことはできない。手助けしかできない。」
私は拳を強く握りながら答えた。
「感謝します。手助け頂けるだけでも助かります。」
強く頷くと、ベルタを呼んだ。
「ベルタ!」
ベルタはすぐに来た。
「なんだい?」
私はベルタに頼んだ。この軍内部でもっとも信頼できる人間だからだ。
「百人ほど預けるからカナロアと一緒に行動してくれないか?」
ベルタは頷いた。
「任せなよ。でも、あんた相当頭にきてるね?」
私も頷いた。
「虫唾が走るっていうのはこういう感覚か?」
ベルタはさっきの話を聞いていたようで皮肉を返してくる。
「こっちが聞きたいよ。」
物はついでだ、ヴラドの役割も確立しておこう。
「ヴラド!」
ヴラドはすぐそばにいたのでこちらに視線だけを写した。
「はいよ。」
能天気な返事だ。能天気が許される男だから仕方ない。
「お前にはルーフェンの敗残兵たちが家族とともに逃げるのを手伝ってやって欲しい。」
半分は裏切らないかどうかの確認。たった一人で事に当たらせる。ヴラドなら簡単にこなすだろうが、裏切る人間なら、いや裏切らない人間でもおそらく裏切る。
「最初からそのつもりだ。大船に乗ったつもりで任せておけ。」
しかし、この能天気ぶりだ。裏切り素振りも一切ない。しかし、念には念を入れよう。
「終戦記念日は、私たちの結婚記念日だ。絶対に死ぬなよ?」
これが私の楔。正直この男の側ならばいても構わないとは思っている。
「リヴィア、本気?」
ベルタが訪ねた。
「本気だ。この男となら別にかまない。」
表情を隠しながら答えた。
「フッハハ、こりゃ想像以上にいい女だ。」
そう、言うとヴラドは顔を背けた。そして続けた。
「焦るなよ、俺は裏切ったり、死んだりしない。終戦記念日はまた来年も来る。」
すべてしっかりと隠したつもりだ、だけどどうやら見透かされていた。
「くさいセリフになるが、俺の夢はな、楽園なんだ。全員幸せで、戦争なんてない。俺の楽園の住人にはお前も入ってるんだぜ。」
少しだけ嬉しいと思った。
「なら勝手にしろ。」
そう言いながらまた顔を隠す。
「ま、コイツが裏切っても私が殺すだけだから。あんたは、何も気にせずまっすぐ突っ走りなよ。それにこの男は、信用できる。人間としちゃ規格外だけどね。」
ベルタがそう言ってくれると安心する。母親の言葉は違う、そう思った。
「わかった。」
短くそう言うと前を見据えた。眼前には金城鉄壁堅牢な城門。黒い鋼で作られた絶対不可侵の門が立ちふさがる。
「さぁ、決戦だ。」
私がそう言うと、ヴラドが刀を振り下ろしあろう事か城門を切って破って見せた。非常識にも程がある。一体どれだけの力と技を持っているのだろう。
「道は開いたぞ!」
ヴラドが陽気に言ってみせる。この非常識さにもさほど驚かなくなった自分が少し怖い。クラウドキングダムでの戦いを見ているとこれくらいならできる気がしてしまうのだ。
「突撃!」
剣を前に突き出し叫ぶ。瞬く間に、アリンゴス駐屯兵は制圧され、あるものは隊列に加わり市街地開放に味方し。あるものは正気を失った兵を涙を流しながら殺す。
ものの一時間、その間に市街地開放は終わった。そこにいたのは忠誠の薄い兵士と傭兵で水増しされた軍隊だけだった。
私率いる中央侵攻軍、及びベルタとカナロアが率いる捕虜解放軍はそのまま市街地を一気に駆け抜け王城へとたどり着き。そこで別方面の同盟軍と合流した。総勢二万五千、過剰なほどの戦力だった。
王城へ入ると捕虜解放軍と中央侵攻軍の二手に分かれた。驚く程人気がない。もぬけの殻といっていいほどだ。一抹の不安を感じながら進軍するといきなりいきなり道が爆ぜた。爆炎が広がり何百人も何千人もの兵が一瞬にして灰になった。続けて火炎の奔流が向かってくる。私は思わずそれに向かって突進した。もう、殺させない。それしか考えてないった。
火炎の奔流を血の乱回転でなんとか防ぎ切った。
煙が晴れていく。その先には虚ろな目をした少女が一人立っていた。見たことも聞いたこともない魔術師。だけどひと目で分かった、まともじゃないと。
兵たちの動揺が見て取れる。当たり前だ、さきほど死んでいった彼らの友たちは骨すら既に残っていないのだ。
「進軍せよ……。」
私だって怖い。目の前の少女にはもはや人の心と呼べるものなどかけらほども残っていないだろう。離れていても、眼差しでそれが分かる。
「どうした!私は命令を下したぞ!最奥まで進軍しさっさと王の首を取ってこい!」
叫んだ。力の限り叫んだ。己の恐怖を抑えるために、兵士たちの恐怖を払拭するために。
眼前は既に橙の一色に染まっていた。炎だ、炎の壁が迫って来る。後方には、守るべき兵がいる。避けるわけには行かず、魔法で受け止めた。かなりの量の血液が、私の魔力が音を立てて蒸発する。
先程まで呆然としていた兵が我に返り進軍を始める。全員全力で走って戦域を離脱する。
「ご武運を!」
立ち去る兵たちはその一言だけを残して走り去っていく。
「さて、どうしたものか。相性はおそらく最悪、勝てるかどうか。いや、まともにやったら負けるかな。」
つぶやきながら少女に向き直る。
「来なよ、化物!私が相手になってやる!」
少女に向かって叫ぶ。少女はぶつぶつと何かをつぶやいている。虚ろな目は私など見ていない。瞳の中には何かが蠢いているようにも見える。それは少女が宿すにはあまりにも禍々しい、あまりにも残酷なものだ。生きた絶望というのがもっとも近いだろうか。
三度、視界は赤に染まった。地獄の業火とでも例えようか、尋常ではない熱量が向かってくる。血の翼で間一髪避ける。
次の瞬間、真っ赤だった視界は一転して蒼に変わった。
掠めた、ローブの端は灰にすらならず、蒸発した。もはやそれは炎ですらない、熱の塊。周りのありとあらゆる物を鋳溶かし、かき消す圧倒的な破壊の権化だった。
徐々に熱が、逃げ込んだ地面まで迫りつつある。このままでは詰みも時間の問題だ。そうならないためにも、床を壊し逃げる。逃げた直後、先程までそこにあったはずの堅牢な石の床が融解し、溶岩の雨が降り注いでくる。間一髪、避けて、壁を破り外へ外へと逃げていく。
数秒のうちに城の一角が完全に融解し、遮蔽物がなくなる。
そして、見たのだ。中心に在る、この世のものとは思えない物を。
暗い、炎だ。光さえも焼き尽くす真っ暗な炎。それが人の形に燃え盛り、四方八方に炎を吐き続けている。近づくこともままならない。
いくつもの火柱が、こちらへ向かって伸びてくる。一つ一つが必殺の熱量と、意思を持っているかのような誘導性と、音のような速度を持って襲ってくる。その光景はさながら灼熱地獄が逃げ出した亡者を捉えるがごとく地を覆い、空を覆う。焼かれた大地から立ち上る煙が太陽を覆い隠し戦場は闇に沈む。嗚呼、進軍していった兵たちは無事だろうか。一人でも王の下までたどり着けただろうか。そんな不安ばかりが脳裏をよぎる。そんなこと考えている時間なんてないとわかっていても。
幾多伸びる、火柱の一つに捉えられる。足をわずかに掠めただけで皮膚は焼けただれ、肉は焦げ、強烈な痛みと死の恐怖を伝えてくる。
「ああああ!」
思わず叫んだ、圧倒的な痛みに慟哭し支えを失った自分の体が地面に向けて投げ出される。地面に落ちきる寸前、血の翼を広げて空へと逃げる。
しかし、逃げた先の空は地獄そのものだった。下から伸びてくる炎の柱は異様に早く、上へ逃げようにも空は炎に包まれ逃げる場所がない。絶望した瞬間に気がついた、火柱が四方八方からこちらに向かっている事に。死を覚悟した、血の乱気流を使ってもこの熱量を跳ね除けることなんて出来そうにない。
死を覚悟して、身が焼かれるときを待った。
次の瞬間、何かが爆ぜた。炎が四方八方に散る。何が爆ぜたのだろうか。何が起こったのだろうか。混乱していると、頭の中に聴き慣れた懐かしい声が響く。
『リヴィ、最後だからよく聞いてね。』
紛れもないメリッサの声だった。
『あの魔術師はもう、心が壊れてる。だから、私の魔力は効かない。それどころかどんな魔術師の魔力もあれの前では無力、だから魔力を直接防御に使ったらダメ。魔力で風を起こして防御して。一分間だけ、凌げばあとはなんとかなるから。』
メリッサの声は最後に行くにつれて薄れていった。なんとなくわかってしまった、本当に最後なのだと。
気が付くと背後に地面が迫っている。死を覚悟し、飛ぶことをやめてしまったことを今になって思い出す。それと同時にメリッサとの最後の会話がどれほど短い時間だったのかを自覚させられる。それは、きっと会話というより感覚的共振に近かったのだろう。
焼けただれた皮膚を魔力で覆って無理やり立ち上がる。ふと流れていた涙を拭って無理やり前を見た。不思議と世界が静かに感じる。
「ありがとう……メリッサ……。」
ほかの言葉なんて思いつかなかった。空も、地面も真っ赤に燃えているのに少しだけ寒く感じる。頭蓋骨がギリリと音を上げている。いつの間に私は歯を食いしばっていたのだろう。今泣いてなるものか、今死んでなるものか。親友がつないでくれたんだ、二度も私の命をつないでくれたんだ。
胸の奥が固く感じる。石でも入ってるみたいに重たく感じる。それでも前を見る。繋がれた命を手放さないために。生きて帰るために。
私を殺したと思って止まっていた炎が動き出す。もう一度私を殺しに、私に向かって空から、大地から、右から左から。見渡す全てが意思を持った炎に包まれ、私の命を奪いにやって来る。
「思い出せ、あの時メリッサは何をした!」
声に出して、意識を記憶に無理やり集中させる。思い出せと、心の中で何度も叫ぶ。そうしている間にも、着実に近づいてきてる。死のゆらめきが、灼熱の炎が致死の熱量で私の全てを奪いに来る。
皮膚を焼くに足る熱が私を捉える寸前ひとつの案が生まれた。
「死んでやるものか!」
そう叫びながら血の羽を強く羽ばたかせ前方に突風を起こす。その反動を相殺し前へ進むため背中の後ろで二枚の羽を打ち合わせる。すると前方には指向性のある風が起こり、それとは別に全方位に風が巻き起こり前に逃れる一瞬の時間を作り出す。そして間一髪、死を逃れた。しかし、さらに押し寄せる炎の津波は確実に、私の逃げ道を奪っていく。何度逃げ道を作っても、それをはすぐに閉ざされる。逃れるたびに分厚い炎の壁で。
足りない、今のままでは。何もかもが足りない。速さも、風も。それならばと、翼をさらに二枚増やす。増やした翼をデタラメに振り回して四方八方に広がる乱気流を起こしながら、無理やり前に飛ぶ。まっすぐ。ただまっすぐ。炎の中心にいるただひとりの少女を目掛けて。焼けただれた足を手を引きずってただただ前に。
それでも足りない、中心に向かえば向かうほど熱くそして強く炎はこちらへ向かってくる。それでも前に進まねば、いつかは必ず殺される。しかし、血を持って叩けばあっという間にそれは蒸発し。骨を持って斬りつければ、またたく間に溶けて刃を削がれてしまう。両腕を削がれたまま戦っているようだ。手も足も出ないとは、このことか。ならばもっと、精密に大量の魔力を送れる位置まで近づいかなくてはならない。だからこそ、手が届くほど近くまで前へ。
驚く程あっさりと前に進めた。
右へ左へと迂回しながら、着実に距離を詰めた。
しかし、進んだ先にあったのは地獄だった。
気が付けば、互いの距離は十メートルといったところ。そこで、囲まれた。それもこれまでに交わしてきた炎とは桁違いの熱量を持った雷のような青白い炎。ただ、近くで燃えているだけで肺の奥まで焼けてしまいそうだ。
乱気流を起こして逃げようとするが、いくら扇いでもその炎に穴を開けることはできない。
その時、後方から凄まじい突風が吹き荒れ、体がその突風とは逆方向に投げ出される。
「やれやれ、手のかかる司令官殿だ。」
眼前には地面に突き立てられた大剣、そしてその奥にか仁王立ちする男が一人。
「ヴラド……。」
私は、思わずその男の名前を呟いた。次の瞬間にヴラドに向かう幾多の青白い炎柱を見てわれに帰った。
「そこをどけヴラド。殺されるぞ!」
私は見たのだ、城壁に埋め込まれる鉄柱が一瞬のうちに溶けて消えていく様を。しかしそんなことは、この化物じみたただの人間の前には問題にすらならなかった。ヴラドはじめんに突き刺さる大剣を握るとそれを重心としてもう一つの大剣を振り回す。その剣は一瞬炎に熱せられ真っ赤な灼鉄と化すが、二度目の空振りで覚めて元の鉄の色を取り戻す。
「大丈夫だよ、このくらいへでもねぇって。さ、しっかり捕まれ。俺以外の増援にちょっとばかり過激な奴がいるからな。」
そう言い放ってヴラドは私を抱き抱え、大きく空へと跳躍した。一瞬あまりの跳躍にあっけにとられたが、思い出したように背中の羽で羽ばたく。
「しっかり捕まるのお前だ。」
そう言ってもっと高くそして後方に向かって飛ぶ。先程まで居た地面を津波がさらっていく。夥しい蒸気が爆風の如く押し寄せてくるがそれをヴラドが剣圧で押し返す。剣に一瞬振り回され加速する。ヴラドは剣を含めるととてつもなく重く、高度が維持できず徐々に落ちていく。
「飛べるのはすごいけど、俺を持って飛ぶのは辛いだろ?落ちようぜ、この津波のど真ん中切り裂いてやる。」
ヴラドが呑気に言うものだから、それに甘えて羽ばたくのをやめる。ものすごい速度の落下だ、総重量百キログラム弱の落下だ。当たり前かもしれないがとんでもない速度で地面に吸い込まれる。
地面に激突する寸前ヴラドは剣を振り下ろすことで落下の衝撃を相殺し、津波を切り裂いてみせた。津波が切り裂かれた先にはカナロアが居た。
「やっぱり楽しいな、津波切り。」
そう言いながらヴラドはカナロアに歩み寄る。
はるか後方に人影が二つ。こんな地獄の釜の中に向かって歩いてくる人間なんて二人しかいないだろう。一人はベルタ、地獄を地獄と思わない化物。一人は、ユリア地獄の渦の中でも私のためなら来るだろう。
それは、あまりに心強く一瞬気を抜いてしまうのに十分な口実だった。そしてその気の緩みが焼かれた足の苛烈な痛みを思い出させた。一瞬ふらついて立ち直るが今尚苛烈な痛みは続いている。
「大丈夫か?大丈夫なわけねえな。足焼かれてるんだ、立ってる方が人間としてどうかしてる。お前は頼もしすぎるんだよ。」
そう言いながらヴラドは立ち直った私を片腕で抱き寄せる。そうしている間にも幾多の炎が向かってくる。しかしそれはこれまでに比べて圧倒的に熱量に劣る紅い炎。それらはカナロアによって難なく消される。何故だろうか、攻撃をためらっているようにも見える。
「申し訳ない、あれは私の娘なのです。」
カナロアが口を開く。
「何があったかは知りません、何が起きたのかは知りません。私の知るあの子は。娘は本来優しく、明るい普通の子供。消して魔術師などではなかったはず。」
そう言いながら唇を噛み締めるカナロアの表情はどこか絶望を滲ませている。
どこからか、押し殺したような嗚咽が聞こえる。
「ああああああ!!」
そしてそれはほどなく叫びへと変わった。涙を流していたのは、炎の中心にいた少女だった。そして、狂ったように炎の濁流をでたらめに吐き出し始めた。それは、明らかにカナロアを含めて全てを焼き尽くす炎。全てを殺すための炎。
その火の手は未だ離れているユリアとベルタにも及んでいる。
こちらでは、ヴラドが片手間でその炎をなぎ払い、向こうではベルタが炎を防いでいる。全く問題にはなってないが、自らの無力が悲しい。
延々と続く炎の濁流の中で、徐々に空はの炎は勢いを落としてゆく。幾度も重なる炎と水、二つの魔力がぶつかることによって空は分厚い積乱雲に覆われていく。
そして上空の湿度は、飽和し、臨界を迎え雨が降り出す。まるで天の川をひっくり返したようなとてつもない空から降り注ぐ津波が炎の勢いをそいでいく。それは私たちにも大きな足かせになった。足元はぬかるみやがて水が溜まり水没する。炎はいかなる高温で繰り出されようとも、その勢いを、熱を、射程を奪われやがて今立っているその場所が炎の射程から外れる。それによりはるか後方のベルタとユリアが合流に成功する。
「ユリアとリヴィアが少しの間回復に専念。それ以外は全員防御に専念。それでその後反撃に転ずる、それでいいか?」
ヴラドが言い、ベルタとユリアが頷くがカナロアが反論する。
「ただ防御では魔力を無駄にする。次の手を打って反撃開始後5手で詰みと行きましょう。」
そう言い放つカナロアの横顔はどこか悲嘆にくれ、そして殺意に満ちていた。子を殺すことを決意した、母親というのはどんな気持ちなのだろうか。我が身に置き換えれば、ユリアを殺す。そんなことは考えたくもない。
その後ほんの短い間だが、ベルタとヴラドが全てを防御に回しカナロアは正体不明の次の一手に全身全霊をかけていた。ユリアの魔力はさすがの回復特価型、焼けただれた傷がまたたく間に癒えていく。
その間にカナロアがそれぞれの次の手を提案した。
「機動力はリヴィア殿、攻撃はヴラド殿、その間の援護は私とベルタ殿で行いましょう。ユリア殿は、最後の後詰め万が一継戦不能の場合に備えて欲しい。」
そして、回復が終わり反撃の時が来た。
「ブラド、あんたを抱えては飛べないからあんたが跳んで私がその浮力が生きてるうちに放り込むよ!」
そう言うと、ヴラドの背中を両手で掴む。
「悪くないねぇ、共同作業と行こうか。」
そう言いながらヴラドは跳躍する。その高さは実に3メートルほど、そこに羽ばたきによる推力を合わせさらに上昇し前進する。それと同時に雷鳴が轟き青白の極光が後ろからほとばしる。地面に落ちる轟音と閃光に紛れてヴラドを前方にほおり出す。
それに合わせてヴラドは姿勢を変え空中で二本の巨剣を使い加速し、少女の横をすり抜け二つの用途でそれぞれの剣を振るう。一つ目は、まとっている炎を吹き飛ばすため直接は当てず掠める。二つ目は少女の胴を狙って、一切の躊躇なく二つに切り裂くはずだった。
振り抜かれた剣は、柄から先が溶けて消えている。
しかし、その直後。滝のような雨が少女を直撃し、炎が完全に消し止められる。
いつの間にか、落雷に隠れて近寄ったのか少女に肉薄していたカナロアが短剣で少女の胸を刺していた。頭から、足の先までずぶ濡れなのに、なぜかわかった。カナロアは泣いていた。
「ペレ、ごめんね。」
カナロアは、そう言って短剣を引き抜いた。
崩れていく少女の胸元には何かが光っている。ひと目で分かった。賢者の石だ。
こうして、獄炎を纏う魔術師の少女は死んだ。カナロアの娘は死んだ。ペレという、不幸な少女は死んだ。
しかし、疑問が二つだけあるのだ。なぜ、あんなに近づいたカナロアが死ななかったのか。なぜ、少女の心臓は賢者の石になっていたのか。
狂わされて尚も自分の母親は殺せなかったのだろうか。狂わされていることを自覚して自ら死を選んだのだろうか。どうあれ、今は我が身の出来事でないことを安堵するばかりだ。




