第六章怪物と主神
アリンゴス南方第二拠点、クラウドキングダムにて。私たちは自らの正気を疑いたくなる光景を目にした。巨刀二本を振り回す怪力乱神と常に極光を全身から放ち続け見方を瞬く間に回復させつつ敵の体力を奪い殺さず戦闘不能に陥らせる天の主神が我が軍に味方し、戦っているかのような光景。
一つは私にとっては何度か見たことのある光景だ。ベルタの魔法だ。ベルタの魔法は、明らかに地上の理を逸脱したものである。それは神に等しい魔法。生命の操作。ベルタの持つ魔力の一つは生命そのものを魔力として認識する。それに関する全ての情報もだ。残りの寿命、体力、魔力、その生命の体についたほんの小さなかすり傷ですら操作し癒し奪い与えることが出来る。そして彼女自身が持つ命の総量は幾多の戦場を越えて今では心臓を貫かれようが首をはねられようが死なない程度。無限といっても差し支えない。
だが、それ以上に異様なのはそれと張り合っているただの人間だ。魔術師ですらない、怪力だけがとりえの男だ。剣のひと振りで城門を切り開き大地を裂き、城壁を切り崩す。十の兵が槍で一斉に突き刺そうとも、その後ろから百の兵が矢の雨を降らそうとも、はるか遠方から千を超える岩が飛来しようともその全てを切って伏せてまっすぐ中心へと駆け抜けていく。重たいはずの二本の巨剣をものともせず、疾風の如く駆け抜けていく。そして敵陣最奥で声が上がった。
「双方戦をやめろ!これより我らの決闘にてこの戦雌雄を決すこととする!」
聞いたことのない声だった。おそらく敵軍の将だろう。その後も薬によって正気を失った兵は問答無用でこちらに襲いかかってきたがそれはすべて不機嫌そうなベルタによって虫の息になるほどに体力を奪われていた。
決闘にはいくつか盟約がある。一つ、両軍のすべての兵によって見届けられること。一つ、決闘が始まったら戦闘をやめること。一つ、決闘には誰も手を出してはならないこと。一つ、どちらかの将もしくは両方が決闘に参加していること。
盟約の一つは破られたが、ヴラドは決闘を強行した。
その際、ヴラドがベルタに向かって満面の笑みで言った。
「大将首いただき。」
ベルタはただ短く。
「黙れ。」
と返すだけだった。
両陣営は城壁の上から決闘の行方を見ている。今にも一合目というところで砦に暗い影が落ちた。
それもその筈だ、クラウドキングダムは晴れることはない。おそらくこれまではベルタが魔法で雲をどけていたのだろう。天の利が敵にあっては、こちらの被害が増えるからである。しかし決闘にはベルタは手を出せない。天候を変える魔法も解かなくてはいけないのだ。
ほどなくして雨が降り注ぐ。ゴロゴロと雷も鳴り始めた。それに最悪だ、ヴラドの相手は天帝と評される魔術師カナロア。かつて三人の友と共に戦い生き残った最後の一人。火水風の三属性の魔法と天候や地面を自在に操る魔術師でその奥義は落雷を自在に操るとまで言われている。
「勝てると思うか?」
思わずメリッサに問うた。しかし、返事は帰ってこない。
「メリッサ?」
またも返事は帰ってこなかった。
そんな中無情にも落雷が決闘の開始を告げる。落ちたのは、まさにその寸前までヴラドが居たところ。
ヴラドはそれを前方に突進することで躱しそのままカナロアに切りつけようとした。寸前、激しい雷鳴が五つ鳴る。カナロアの周囲に落雷が起きて雷の防壁がカナロアを包んだ。
間一髪ヴラドは方向をずらすことで交わしてみせたがそこに飛んできたのは火球の連弾、だった。轟音と爆音が鳴り響き霧がヴラドの周囲を覆った。
カナロアはそこに容赦なく幾多の水球を打ち込みながらほくそ笑む。
「詰みだ。」
次に響いてきたのは水球の弾ける飛沫の音でなく落雷の轟音だった。それも二つ。
一つは天からの落雷、水球を伝って乱反射しながらヴラドに向けて落ちた。もう一つは周囲の霧からの落雷。ほぼ水平にブラドに向けて放たれた。
風が鳴り響き、霧が晴れていく。霧の中でヴラドは立っていた。
「何故だ!?」
カナロアが明らかな同様を見せている。
「いやぁ、死ぬかと思った。」
ヴラドは笑っていた。不敵に、豪快に。
「なぜ死んでいない?」
ヴラドにとって答える義務はない。しかし、ヴラドは答えた。
「雷って、人体より剣に向けて落ちてくるのな。」
霧が完全に晴れたときブラドの横には地面に突き刺さって湯気を上げている剣があった。ヴラドは完全に剣を手放していたのだ。
「ならばっ!」
そう叫びながらカナロアが手をヴラドに向けた。瞬間、ヴラドの服が裂け少量の血が舞った。しかしヴラドはのんきに口笛を吹いている。
「面白い技持ってるなぁ、何されたか全くわかんなかった。」
眉ひとつ動かさない。きっとヴラドにとってはかすり傷なのだろう。
しかし、カナロアも通じるとわかったからには畳み掛けてくる。両手で風を操り凄まじい突風がヴラドを襲った、かに見えた。
次の瞬間風が逆向きに流れる。
「奥義、刀扇ぎ!なんてな。」
ただ刀を振っただけだ。しかし、馬鹿げた大きさとそのスピードが凄まじい突風を起こし風を押し返したのだ。
それを見て、カナロアは一瞬怯みつつも次の術を用意していた。
それは、津波だった。近くに海もないのに急に津波が起きたのだ。しかしヴラドは一歩も動かない、それどころか待ってましたとばかりに剣をひと振りすると津波を割ってみせたのだ。
「こういうのは一度やってみたかった。」
そう言いながら大笑いしている。カナロアはそんな隙をついたつもりで炎弾の連打を始めた。その直後炎弾がかき消され、カナロアが軽く吹き飛ぶ。
「案外、怖いもんだろ?石っていうのは意外と優秀な武器なんだぜ。」
吹き飛んだカナロアを見ると近くに拳ほどの城壁の破片が転がっていた。ただ単純に投げたのだ。ヴラドの怪力で。
ヴラドは向き直ると剣を天に突き上げて叫んだ。
「お前らの大将は見ての通り気絶している。戦闘不能だ。まだ暴れ足りないやつはかかってこい、俺が相手してやる。もっとも、俺の獲物は少々作りが荒っぽくてな。これで切られたらひき肉になっちまうかもしれんがな?」
敵軍は明らかに戦意喪失しているのが見て取れる。それを見たヴラドは声を落としてもう一度語り始める。
「アリンゴスの兵隊さんたちよぉ、お前ら何のために戦ってる?いま、向こうでへばってる連中を見ろ!国のために戦って戦って戦い抜いて、終いには心まで奪われるかもしれないんだぞ。それでいいのかよ?」
アリンゴスの軍は、いや民たちは剣を手放した。ヴラドはさらに続ける。
「俺たちはこれからお前たちの本国に攻め込む、襲いかかってくるやつ以外は殺す気はねぇよ。だからお前らは家族を連れ出しにいけよ。そんで逃げろ、こんなひどいことをする国に尽くす必要はないんだ。もし、俺の提案に乗るつもりなら隊列に紛れて一緒に行こうぜ。前の砦のやつらはみんな、斬りかかってきちまった。大将の魔術師も薬漬けで決闘なんて受けてくれなかった、だから全員殺しちまった。すまねえ。」
ヴラドは本当に強い男だった。一人でも多く生き延びさせたい、手の届かないところの人間まで守りたい。それを圧倒的な力によって叶えようとした。
「本気なら……。」
カナロアの弱々しい声が聞こえる。
「本気なら、私もその隊列に加えて欲しい。」
腹に大きな礫を喰らい、倒れていたカナロアが起き上がりながら言う。
「もちろんいいよな?」
ヴラドが私に問いかけた。その時私は思ったのだ、この男の目指す夢の先は私のそれと同じところだと。
「代わりにお前が守って見せろ。私は自分の軍を守るので手一杯だ。」
ヴラドに返した。かつてたった数人の部下ですら守れなかった私に守ることが出来るのか、自問し出た答えだった。私には守れない、だけど、この男なら守って見せるかも知れない。いざという時はベルタもいる。足でまといのたかが数百人、この二人にはものの数ではないだろう。そう思えるのだ。天上の主神と見紛う最強の魔術師とそれと張り合えてしまうただの人間にはきっとそうなのだろう。
「だそうだ、ついてこいよ。俺が守ってやる。」
そう言い、カナロアに手を差し伸べる。
「酔狂な男だ、敵軍の人間を守るなどと。」
そう言いながら、カナロアはヴラドの手を握り返した。
「そんな酔狂なところ、嫌いじゃないがね。見直したよ、本当に強いじゃない。」
そう言いながらベルタは立ち上がろうとするカナロアの傷を癒し、ヴラドの傷も癒してみせた。
「でも、認めたわけじゃないからね。あんたが無理やり手を出そうって言うなら、私も容赦しないよ。」
敵前で修羅場の続きが始まってしまった。どうして規格外に強い人間っていうのはどこか緊張感にかけるのもなのだろうか。
「無理やりは趣味じゃねえって。言ったろ?あんたを倒して口説くって。」
大真面目な顔をしたブラドの答えに思わず私は吹き出してしまった。
「隊長?」
近くの兵士が不思議そうに伺ってくる。
「みなよ、さっきまで戦場だった場所で姑の婿いびり、その仲裁には敵の大将と来たらこりゃ喜劇だろ?」
ヴラドならいいかと思えてくる。ヴラドなら私の夢をあずけてもその終点まで連れて行ってくれる気がする。
「あぁ、それは確かに喜劇ですね。ところであの男に惚れてるんですか?」
惚れていないといえば嘘になる、人に惚れた。
「馬鹿を言うな、そうそう簡単に口説き落とされてたまるか。堅牢を誇ったマジシャンズエンドの砦の主は心も堅牢だからね。」
そう言って笑って見せてそのままカナロアに向かって歩いていく。
「カナロア殿、私はリヴィア・ブラッドだ。今日いっぱいこの砦で休ませてもらいたいのだが構わないか?」
私がカナロアに問いかけるとカナロアは向き直り鋭い目つきで答える。
「その前にお聞きする。あなたたちは、あの者たちを元に戻す術を持ち合わせておられないか?」
そう言いながらカナロアが目を写した先には薬に狂わされた兵士たちがいた。
「ベルタ……?」
回復に関してはベルタが魔術師として最高だろう。もちろんその逆もだ。故に私はベルタに聞いた。
「無理だよ。傷は直せても、壊れた心は直せない。死んだ肉体は蘇らせても、離れた魂は戻せない。壊れたばかりならなんとかできるけどもう無理だ。」
ベルタが言うと、カナロアが瞳を隠しながら言った。
「そうか、すまない……。」
言いながらその兵たちを殺した。苦しまないように、一瞬のうちに。
その日の晩は弔いの夜だった。薪を積み上げ、その上で死者たちを焼いた。カナロアは死んだ兵士たちのために涙を流し、ヴラドは一言も話さず酒を飲んでいた。
それとは関係なく私は一つ不安なことがあった。メリッサのことだ、ずっと反応がないのだ。
「メリッサ、もう返事はくれないのか?」
私は砦の一室で呟いた。返事は帰ってこなかった。しばらくして、ベルタが来た。
「リヴィア、ちょっといいかな?」
いつもとは違う、真面目な、まっすぐな目をしていた。
「ベルタ。どうししたんだ?」
ベルタは、少し目を伏せながら言った。
「メリッサちゃん。そろそろ、限界かなって思ってね。」
優しい声だった。
「返事がない。でもメリッサはずっと前に死んでいる、だから当たり前のことだ。」
私は涙を飲み込みながら答えた。
「アボイタカラはね、魂の楔になるんだよ。だけど、その楔は徐々に薄れていって、最後には外れてしまうんだ。話してなくてごめんね。」
私はベルタの目を見た。
「大丈夫。メリッサはもういないんだ。わかってる。」
ベルタは続けた。
「私の心臓にもアボイタカラがある。かつての友人だよ。それが教えてくれた、楔が外れそうになると未来が見えるんだって。」
私は訪ねた。
「それが今の私に何の関係がある?」
ベルタはただ話を続ける。
「アボイタカラの楔はね、自ら外そうとするか宿主に干渉するたびに一気に緩む。だからきっとメリッサも今は楔が緩んでる代わりに未来が見えるんじゃないかって思ってさ。」
メリッサの見てる未来がどんなものなのか少し気になった。
「話したかったのはこれだけ。ごめんね。」
そう言うとベルタは部屋を出ていった。
「メリッサ、実感がわかないよ。どっちみちあんたは死んでたんだ。」
そう言いながらほんの少しだけ目頭が熱くなった。