幕ノ前 黄昏の魔女
私が覚えている一番最初の記憶。今ではもう、ほとんど忘れて薄れているからとても抽象的だ。
ただ一つの色。
"赤"
思い出せばそれだけが思い浮かぶ。
どういうわけか、私には親がいない。友人も赤の時より古いものはいない。寂しくはないが、不思議ではある。
今となればどうでもいいのだ。それなりに幸せで、それなりに友人もいる。贅沢を言うのなら軍人でないならもっとよかった。
さて、親友のメリッサの話だ。彼女はどこからどう見ても愛らしい。それはいいのだ、むしろ好ましいのだ。私が言いたい所は二つある。一つは彼女の容姿だ、あまりに幼すぎる。これでは将来嫁の貰い手が変なのでなければ良いのだがといらぬ心配をしなくてはならない。そしてもう一つだが、これはこれから私が語るだからあえて後付けで書く必要もあるまい。
「なぁ、メリッサ。その口がいっぱいになるほどの太い葉巻はなんとかならないものか?」
ついでに付け加えとく、犯罪の匂いしかしないぞと。
「あー、これ吸ってるとねおとんの匂いするからやめないしやめたくない。」
これについては初めて言及したがよほど彼女の父親はタバコ臭かったのだろうか。それとも……。
「おとんはね、いっつも葉巻吸ってた。そんでいっつも笑顔だったんだ。」
そういえば、彼女の生まれた村を戦線放棄して後退してからもう5年と少しが立つ。
「なら、やめなきゃいいさ。なぁ、私にも一口吸わせてくれよ。どんなものか試してみたい。」
そう言うと、メリッサは葉巻を長めにゆっくりと吸って味を整えてこっちによこした。
「いくらでも。でもリヴィが吸うなら私が吸う必要なくなっちゃうね。」
それを聞きながら私は渡された葉巻を彼女に倣ってゆっくりと大きく吸い込んだ。
なるほど、甘い。それで頭が真っ白になる。メリッサがやめられないのも少し分かる気がした。
そして、少しして、むせた。
「ゲホッ、ゲホッ。なんだこれ、甘いのに無茶苦茶苦しいぞ。」
それを見て、メリッサが大笑いする。そして一通り笑った後に苦笑いしながら言う。
「私が葉巻やめるのはもう少し先になりそうだね。」
大笑いまでされたのは癪だから私も笑ってやる。
「違いないや。でもお前にそれは似合わないからさっさとやめさせてやるよ。売ってる店教えろ、このロリババア!」
メリッサはムッとしたような顔をする。
「ロリババアってなにさ!ロリでもババアでもないんだけど!ピッチピチですー。でも大人ですー。僻みなら他所でやってくださいこの、イケメンおっぱい!」
彼女は素直だ。だから大好きだ。
「おーい、悪口になってないぞー。」
私たちの喧嘩なんてこんなもんなんだ。いつもすぐ終わる。
「うるさい、悪口思いつかなかったの!」
だいたいこいつは人の事悪く思ってないと悪く言えない。だから、私の悪口はもう四年は聞いてない。
「お前さ、それ可愛すぎるぞ。」
これは本音なのだ、そしていつも言っているのだが……。
「……。ありがと……。リヴィはかっこいいよ。」
と、いつもこうなる。毎度毎度赤くなって褒め返してくるから私も何かに目覚めてしまいそうになる。
10年後もずっとこんなすぐ終わる喧嘩がしたい。そう思いながらそっとメリッサの髪を手で梳く。こうするといつも照れ臭そうに、ちょっと嬉しそうに笑ってくれる。
「ねぇ、もしもこの戦争が終わったらどうなるのかな?」
メリッサは急に真面目になって真っ直ぐにこっちを見て言う。
「勝っても負けても、私たちみたいに親友がいる人も家族がいる人も大勢殺しちゃった私たちが普通に生きていけるのかな?」
私はメリッサより強くありたい。メリッサの頼れる私でありたい。だから、笑った。無理やり笑いながら言った。
「わかんないけど、普通の定義なんてないだろ?私たちはきっと私たちなりの普通を生きていくんだよ。だから深く考えるだけ損だ。」
心の中ではメリッサと全く同じ事を考えていた。罪の意識に苛まれて、幾万と聞いた断末魔の悲鳴を夢見てしまうのかと。
「そうだよね。今は考えるのやめた。でも、私は思うんだ生き残った人は死んだ人の分まで死んだ人の家族や友人の分だけ幸せにならなきゃいけないって。だからどうやって幸せになるか考えてるの。もちろんあなたの事幸せにする事もね。」
素直に言えば嬉しい。でも、なんか癪だ。
「馬鹿、お前は自分の幸せだけ考えとけ。私の幸せは私が勝ち取る。ついでに余った幸せはおまえに押し付ける。拒否権はないぞ、おまえが幸せになるのは私が決めた義務だ。お前がかーちゃんの胎の中にいる時から決めてたんだよ。」
癪だからあくまで私がメリッサを幸せにするように言い換える。
「ありがとね。」
メリッサはそう言うと空を見上げた。
「リヴィア軍団長!敵襲です。」
戦火とは後衛には時に忍び足で迫ってくるものだ。
「なにっ!六軍はどうした?」
私が尋ねると、敵襲を伝えた魔術斥候が言う。
「壊滅したとの事……。」
重く、噛みしめるような声だった。
「わかった。お前は第二軍、遊撃後方隊への支援要請。魔術兵は砦壁さいへき上で防御魔法優先。一般兵は弓を射掛けろ。南方方面は弓は打つな。私とメリッサが出る。」
ここで引くわけにはいかない、後ろにはいくつもの村が、市民がいる。
「はっ!」
短く返事すると魔術斥候は転移魔法を唱え始めた。
我が国ルーフェンは現在二カ国による同時侵攻を受けている。南方山の国アリンゴス、北方氷の国フロスガー。南方前線軍第五軍、北方の第六軍。それぞれ後方に三軍と四軍が含まれている。北方前線軍は山脈の間になるホワイトロック砦を拠点としていて戦略上の要所を押さえてはいるものの、地形的に転移魔法を使うのはとても危険である。また、ホワイトロック山岳地方に存在するメイズストーンと呼ばれる戦死した魔術師の魔力が凍ることによって生まれた鉱石が魔法術式を乱し高度な制御が必要な転移魔法の失敗率をほぼ100パーセントにしてしまう。自らの魔力をそのまま使用するタイプの魔法の行使には問題ないが魔力を加工して使うものはほとんどがこの影響をもろに受ける。
しかし、ここ以外の場所は地形的に的による包囲が可能な地形なのだ。魔術師による包囲は厄介なもので一時間とせずに砦ごと破壊する魔法陣が出来てしまう。
閑話休題
私は黄昏の雲のような真っ赤な羽を広げてメリッサを抱えて南門の前まで飛んだ。
「メリッサ、やることはわかってるな?」
「いつも通り、全部蹴散らして生きて帰る。でしょ?」
メリッサは笑ってみせる。
「その通り。死んだら殺すからな!」
私も合わせて不敵に笑ってみせる。
「イエッサー!」
すでにわらわらと取り囲もうとする魔術師を彼女が暗闇の魔法で覆い尽くす。彼女の魔法は恐怖の闇そのもの。闇の中には常に断末魔が木霊し、混沌が犇く、五感全てが苦痛を訴え、やがて気が触れて死んでいく。おそらくメリッサの魔法は最も残酷な魔法だ。
「サーじゃない私は女だ。」
対する私は彼女と背中合わせに自らの赤い領域を作る。私の魔法は血の魔法だ。自らの魔力を血に変え相手の体に入り込み体内の全ての血を引きずり出す。そうして集めた血は骨にも爪にも皮膚にすらできる。赤い羽根もその延長だ。だから赤い領域の中では骨の刃や鋭い爪の棘。入り込む隙間を作る道具ならいくらでも作れる。そしてそれは、私の魔力の本質、自らの血で肉で骨で殺してやりたい。そんな残酷な願いの形だ。魔力自体が血と、血の変質、それを孕んでいる。
メリッサは魔力切れを起こすがそれまでは私が処理できる程度に敵を減らしてくれる。対する私は戦闘が長引けば長引くほど赤の領域を広くすることが出来る。それゆえ視野に入る敵なら全て殺せる状態を作れるのだ。
つまり私たちはお互いにお互いの隙を埋め合っている。だからこそ親友になれたのかもしれない。
この砦での戦いは熾烈を極めた。全方位から砦ごと焼き払うような多量の炎弾が飛来し、防御魔法も幾度か打ち破られた。対する第二軍の攻撃は苛烈ではないものの敵の兵数を確実に減らした。それから五分と経たないうちに敵軍魔術将、通称鋼のアラムが南門方面、私とメリッサの前に現れた。筋骨隆々たるそのいでたちは魔術師と呼ぶにはあまりに無骨で、鎧を纏わない戦士のように見えた。
メリッサは魔力低下による疲労のため一時的に後方に待機させた。わずか五分で彼女が殺した敵兵実に千五百。敵軍三万の僅かに5%ではあるが彼女が殺して見せたのだ。そして、彼女が作った屍体から流れ出た血で私の魔術は南門戦線を全て覆うほどの規模へと成長した。ゆえに、アラム襲来に対し全力を、自ら磨き上げた魔術の極限を叩き込んだ。
「ほう、骨の剣山とは凄まじいものだな。そしてこの魔力、ルーフェン第四軍指揮官紅血の魔女リヴィア殿とお見受けする。」
アラムはそれを受けて傷一つないままそこに立っている。
「そういう貴殿はフロスガー南征軍将軍アラム殿と見た。私の魔術を防ぐとはなかなかの手練れと見える。」
そう言いながらもう一つの極地、血を全て集めて凝縮して、一つの小さな刃にする。
「両大将が会い見えたのならすることは一つ。」
そう言いながらも相手の魔力は動いている。動いているのに何も見えない。次に来るのは斬撃か?打撃か?炎か?氷か?
「一騎打のお誘いかな?受けて立とう。」
そこまで言い終わった時に不意に肩を小さな手が掴む。
「ダメだよリヴィ、貴方じゃ勝てない。」
振り返ればそこに親友の姿が、メリッサの姿があった。
「私が戦う。だから、他を全部任せてもいい?」
そう言って、手に持った儀礼用の短剣で手を少しだけ切り血を地面に垂らす。
「そこまでされたら、断れないね。オッケー、大将首はお前に譲った。」
先程骨にした血は戻らない、だからメリッサがくれた少しの血にほんの少しの魔力を絡めた。私の魔法は燃費の良さは究極だろう。たが残念ながら私自身は魔力をほとんど持っていない。ゆえに僅かに一滴の血が重要になる。
「死んだら承知しないぞ?」
背を向けたままメリッサにいう。こういう時はメリッサも背を向けたままこう言うんだ。
「貴方もね。」
南門は一時戦線を縮小し一瞬の危機を迎えたがアラムを単身押しとどめるメリッサのお陰で十分ほどで元の戦線を超え西へ東へ戦線を拡大する。その分北方に守備兵力は集中し北方は真っ直ぐ戦線を押し上げている。
その頃、砦内に数十というごく少数の転移魔法陣が出現する。第二軍、機動大魔導士隊の到着だ。此れにより主兵の士気も上がり兵力が逆転するまでに至った。
刹那視界の端にアラムの剣に貫かれるメリッサを見た。
「ははは、心の臓を貫いたつもりだったが。もはや心臓が無いとは、もとより死ぬつもりだったか。あんなことを言っておきながら……。」
というのがアラムの最後の言葉だったらしい。
剣は背骨から伸びるあばら骨数本とその側の筋肉、および肺を貫いて致命傷を与えた。が、先に死んだのはアラムだった。彼の心臓には深く、彼女の魔法が、ありとあらゆる苦痛を与える闇が心臓まで、心まで届いていたのだ。
刺し違えたのだ。アラムの剣はメリッサの魔法より早くメリッサに届き、メリッサの魔法はアラムの剣より早くアラムの命に届いたのだ。
「メリッサ!」
崩れ落ちるメリッサを見た時思わず全てをやめ駆け寄った。
「メリッサ、死んだら承知しないって言ったじゃ無いか。」
頬が熱かったきっと私は泣いていたのだろう。
「ははは、死んだら……殺して……くれるんでしょ?」
息も絶え絶えにメリッサが言った。
「馬鹿野郎、死ぬな!お前は死な無いんだ!私の親友だろ?」
ただ、死んでほしくなかった。私はメリッサが大好きだった。
「あはは、リヴィの親友でも……人間……なんだよ。……ごめんね。」
「もう喋んなよ!本当に死んじまうぞ……。」
そう言うとメリッサは笑った。
「喋らなくても……死んじゃうよ……。だから言わせて?」
言葉が出てこなかった。重くて、大きくて、苦くて、しょっぱくて苦しい何かが喉の奥に詰まって息もできなかった。
「私を……殺して。これ、持って行って。」
そう言いながら彼女はブラウスのボタンを外し胸を晒した。
そこに、肌色の皮膚はなく小さな暗い穴が開いていた。そしてその中で一際暗い水晶のようなものがある。魔術師なら誰でも知っている、これは彼女の心臓を変質させたもの。
「アボイタカラ……。」
別名、賢者の石、または魔術の心臓。作り方は二つ。生きた心臓に儀礼用の剣を突き立て命ごと石にしてしまうか、自ら渡す相手になんらかの形で誓いを立て儀式を行うか。前者は心臓の変質の際即死するが、後者は死の直前無限に近い魔力を行使できる状態で一時間だけ生きる。
メリッサはその一時間てアラムを斃し、私に心臓を託すつもりだったんだろう。二人掛かりでも勝て無いとわかったのだろう。彼の心臓には賢者の石が埋め込まれていた。
賢者の石の恩恵は三つ、石になった心臓の持ち主の力および思考、魔力を行使できる。魔術師であることによる生命の摩耗の完全なる阻止。ある一定までの魔法の完全な無力化。魔術師なら誰もが欲しがり、誰もが焦がれる。その効果は生前のその人物との絆の深さで大きく変わる。殺して奪ってもかなりの効果なのだ。託された親友のものは一際大きな力になる。
ふと思い出した。「もちろんあなたを幸せにすることも……」とメリッサは言っていた。私は心で喜んでいた。これが契約、そして後衛に下がっている間に儀式を行いそれを終えてアラムと対峙した。
「わかった、殺してやるよ。お前の心臓もらってやるよ。大好きだよ……メリッサ……。」
そう言うと暗い結晶をメリッサの心臓を目をつぶって一気に引き抜いた。
「あ……り……が……。」
言い終わる前にメリッサは息をやめてしまった。そしてだんだんと冷たくなっていった。
これまで喉の奥に詰まってたものが不意に濁流のように口から噴き出した。それは慟哭だった。骸を抱え、心臓を握りしめて慟哭した。
一通り泣くと不思議と涙は堪えられた。すると、不思議なことに親友の死を嘆くより戦いを終わらせなくてはという使命刈られた。だから私は敵の将軍アラムの首を切り掲げた。
「皆の者、聞け!我々はフロスガー国将軍、アラムの首を頂戴した。生きてるものは矛を収めよ!尚も仇を討とうというものは私にかかってこい。貴様らの将を下したメリッサは死んだ、故に彼女の将たる私が貴様らの仇だ。」
そう叫ぶと将を失ったフロスガーの兵は散りじりに去っていった。
こうして、この戦いは終わりを告げる。




