第七話 「短くしたらクンコじゃん?」
帰ったらリインにお赤飯を炊いてもらおう!
大成功を納めた『気付かれずにさり気無くウタ窓だそう作戦』に、内心ほくそ笑みつつ――目の前に出現した自身のウタ窓を操作し、職業見学会の組み分けを眺める。
北の『第四都市ヴィルヘイム』に有る工業地区と、西の『第七都市メルトン』にある牧草地区。
僕は将来、何の仕事に〝つける〟のだろう?
それどころか、仕事につく事が出来るのだろうか? とさえ思う。
スポーツ選手は肉体強化系の独擅場だ。技術面より肉体融合率が優先されると言っても良いくらいに。
ビジネス系はまだ望みが有るだろうか? 基本、操作系向きだが強化系が就職出来ないわけでもない。ただ……書類作成や情報伝達までもアルスに依存しているため、僕の場合一日中ウタムウタムと連呼する運命が容易に想像できる。
最も操作系の力を必要とする運送業など論外だろう。強化系が自転車での宅配をしていたがあれは例外。基本、運送用や乗客を乗せるにはアルスリニアの免許が必要だ。アルスリニアには自転車のようなハンドルも、ペダルのような動力もない。
操縦席の増幅器にて、操作系の力だけで地上から数ミリ浮かし目的地まで移動するのである。力の強いものはバス会社に就職し高待遇を受けるらしい。
望みは強化系の仕事だが、彼らは正に肉体が資本といった仕事をする。簡単に言えば力仕事なのだが、それを僕がやると三十分で動けなく自信がある。
土木建築、採掘、引っ越しどれもまともに出来る自信がない!
後は……客商売……無理にきまっている。ホストか? マンマルの僕を目的にお店に来る人間など居るのだろうか?
なら販売業なら? カウンター越しに僕の旋毛とお客様が話すのだろうか? それとも踏み台とセット?
この体質にこの体格で、将来の就職は狭き門なんて物じゃないのだ――将来の職業はほぼ閉ざされている。
後は――。
やっぱり農場か……。
西の『第七都市メルトン』
都市全体が牧草地として家畜の飼育、加工を行っている。
広大な牧草地に、牛や豚のみならず馬、山羊、羊、鶏、挙句の果てにはダチョウまで飼育されている。
そのように多種多様の家畜を放牧するものだから、まるで動物園の様な都市となっている。
種類の多さに、システム化が全く進まず。未だ手作業による仕事が多い割に、強化系が必要なほどの力仕事も少ないという――強化系融合率の低い人間の為のセーフティーネット的な役割を果たしている。
朝早くて夜遅いってのが無ければな~。
しかし、贅沢は言ってられないのである。僕にとってはほぼ一択なのだから。
色々考えている内に、僕とスメラギさん以外の全員が見学先の選択を終えたようだった。
スメラギさんは全体のバランスを取るために最後まで選択を遅らせていたのだろう……僕も似たような理由だ。
僕が選んだ選択先の人数が〝極端に少なくならないため〟に……。
僕が『第七都市メルトン』を選択すると、スメラギさんが『第四都市ヴィルヘイム』を選択した……ほんと律儀な人だ。
「それでは、組み分けも終了しましたので今日のHRを終わります。先生も戻って来られないようなので、各自判断で下校して下さい」
騒がしい教室の隅まで、その凛とした声は響き渡る。
一度教室を見回す。僕の方に視線を向けると、連絡事項の時とは違ったやさしい口調で話しかけられた。
「モリイ君もお疲れ様、結果は職員室に届けておくから、先に帰ってもいいわよ」
「あ……ありがとう! でも、いいの? みっちゃん、職員室にいると思うよ?」
スメラギさんの好意に喜びながらも、HR前の風景を思い出す。
生徒と教師とは思えないあのやり取り。出来れば第二ラウンドが訪れるのを回避してあげたいと考えたからだ。
「いいのよ、どうせもう帰ってるわ。あの人、勝手ですもの」
そう言うとダークグレーの髪を軽くかき上げ、みっちゃんが出て行った廊下の方を眺めて――少し寂しそうな顔をしていた。
「それじゃあ、あの……お疲れ様。ありがとうスメラギさん」
「また明日ね、モリイ君」
僕なんかにも、とても柔らかい笑顔で別れの挨拶を言ってくれる。まるで絵から抜け出した程の美しさに、僕は目は奪われ、スメラギさんが教室を出ていった後も、しばらく廊下の方を眺めてしまっていた。
いけない! 今日もマリ達と校門で待ち合わせをしてるんだった!
また痛い目に合されてはたまらないと、やや駆け足気味に教室を出ようとする――。
慌てて飛び出したのがいけなかったのだろう。この学院で一番会いたくない人間の腹に、顔面からぶつかってしまったのだから。
「うっふ! てんめ気を付けろ! ん? なんだ? パンツじゃんか」
「ごっ、ごめん! ニジバヤシ君! あの、僕……慌てていて!」
ニジバヤシと呼ばれた赤毛の男子生徒は、突如腹にぶつかってきた旋毛に不思議がる。強化系の彼にはたいした衝撃ではなかったのだろが、少し驚いたようだ。そして、その旋毛の持ち主を思い出した彼の口からは、本来人名に付けるはずの無い名前が出てきたのだった。
パンツ――ニジバヤシは僕の事をそう呼ぶ。
「久しぶりだなー、パンツ! クラス変わって全然見なくなったからなー。ほら、オマエ小さいじゃん? だから廊下とかじゃ絶対見つけられないもんな! まだ学校来てるようで安心したわ」
全然見ないのは当たり前だ〝僕が避けている〟のだから。
ポンッ、ポンッと頭に軽く触れながらニジバヤシは笑っている。
「あの……僕、急いでるから! ニジバヤシ君も元気そうでよかったよ、それじゃ――」
「おっと! まあチョット待てよ、久し振りなんだからよ? 俺も友達待たなきゃいけないし。少し付き合えよ、な?」
そのまま周れ右して、立ち去ろうとする僕の頭をガシリと掴んで振り向かせる。あまりの握力に頭蓋がきしみ、強制的に振り向かされたことで首の筋肉に鋭い痛みを感じた。
「いっ――つ! ニジバヤシ君! い、痛いよ!」
「おっと、スマン。パンツが逃げようとするからだろ? せっかく仲良くしてやってるのにさぁ、少しくらいこっちに付き合えよな?」
直ぐに頭を解放してくれたのは良いが、肩をガッシリと掴まれ逃げ出すことができないようにされてしまった。
このままではニイバヤシの友達とやらが来てしまう。ニジバヤシは教室の前で待っているのだ。それはつまり、待ち人がクラスメイトだと言うことで――。
「ニジモンおっまた~! って、あれ? モリイじゃん。なに、ニジモン知り合いなの? ってかパンツってなに?」
僕の後ろ、教室の出入り口から声がする。
「おーう、アカハター。お前が遅いから、チョ~ット旧友と親睦を深めててな。パンツってのはホラ、コイツのあだ名。俺が付けたんだ」
良いセンスしてるだろ? と笑うニジバヤシ。掴んだ僕の肩をアカハタの方に振り、よたつく僕は二人に挟み込まれるような形となる。
……終わった……。
そう思った。
事実、とても短い平穏だった。あの憎いあだ名で呼ばれなかった期間、僅か三ヶ月。
「ん~……ってか何でパンツなん?」
「おぅ。そこよ俺のセンスが光るのは! モリイの名前ってクニヒコじゃん? 短くしたらクンコじゃん? でソッカラは簡単で。クンコ、ウ○コ、ウ○コパンツ、パンツって具合よ。」
僕を挟んで、ご丁寧にあだ名の理由を説明される。よほどセンスが良いと思ってるのだろう、ニシバヤシの表情はとても自信にあふれてる。
「なーるほど! さすがニジモン! いい味出してる~!」
「だろ? こいつ小さいし、とろいから友達全然いなくってさ、だから俺が特別にあだ名付けてやったんだよ。そしたら今まで皆シカトしてたのがこいつの事パンツって呼ぶようになってさ。なあパンツ? 友達出来てよかったよな!」
良い訳、無いじゃないか! あだ名を付けられてからの、一年間続いたさげすむような目! 確かに話しかけられる回数は増えた! でもそれは僕の望んでいた形じゃなかった! これだったらまだ、腫れ物に触るような距離感の方が居心地良かったのに!
「あの、あの! いや、流石に……もぅパンツは良いかなって……」
心の中では暴風雨なのに、口から出るのは蚊が鳴くような声しか出せなかった。情けない。どれほど苛立っても、それを外に出すことが出来ない……怖いから。
「何いってんだよ、せっかく皆話しかけてくれるようになったんだろ? それにウタ窓、出せるようになったか?」
「ぃゃあの……それは……まだだけど」
出せるようどころか、けして出すことが出来ないのだけれど。
「そうそう、ニジモン! 聞いてくれよ! さっき職業見学の組み分けしてた時なんだけどさ。モリイ――じゃなかったパンツがさ。ウタ窓出す時になんて言ったと思う? コイツ『念頭タム』って言ったんだぜ!? クラス全員笑い堪えるの必死だったんだからマジ」
「うわ、ソコは笑ってやるべきだろー!? ほうって置かれたらパンツが可哀相じゃんか、絶対ー笑わせにきてたんだって! なあ?」
そう言ってニジバヤシは僕の肩に手を置く――な? そうだろ? ほら、ココ美味しい場面だぞ! とニジバヤシの目が語っている。
もぅ……死んでしまいたい。
何が作戦大成功だ! 何がパンツだ! クラスの人間にあだ名が広まる。辛く苦しい一年がまた始まる。可哀相な視線から蔑む視線へと変わってしまう。教室の中では誰も助けてくれないんだ。誰もがアカハタのように僕に話しかけるのだ『よう、パンツ』『おはようパンツ』と――。
「ぁぁ……」
声が……漏れてしまう。もう何も考えられない。これから先に希望が持てない。
目線はいつの間にかつま先を向いており、視界はグニャグニャに歪んでしまう。
何故僕はこんな目にあわなければいけないのだろう。
何も悪い事してないじゃないか。人より体が小さくて、人が出来る事が出来ないだけじゃないか。なのに、なんでこんな辛い目に! 酷い目にあわなければならないんだ!
恥しさより、悲しさより、悔しさが前に出てきた時。表情に力が入ってしまったのだろう。ギリギリ止めていた涙が一粒――廊下の上を濡らした。
「ほらな! パンツもこう言ってる。だからアカハタも笑ってやってくれよパンツのこ――」
「その辺で止めてやってくれないか? シンは俺の親友なんだ」
深く沈んでしまった心に。良く聞きなれた、暖かな声が響く。
「ぅっく……キョウ?」
濡れた瞳などお構いなしに、声の聞こえた方にゆっくりと顔を上げる。
ニジバヤシを挟んだ向こう側に――。
校門で待ち合わせをしていたはずの――。
「お前ら、シンを泣かせたな!?」
僕の親友が立っていた。
一番驚いていたのはニジバヤシだ。普通に話をしていて、普通に劣等生を励まして、普通に〝鍛えて〟やっていただけなのであろう。
僕と目が合った時、信じられない物を見たという顔をしていた。
「おいおいおいおい、何でそんな顔すんだよ!? 俺はお前の為にやってんだろ? なあ、分かるよな?」
悔しいが、分からなくはない――分からなくはないのが……また悔しいのだ! そんな物求めて居ない、そんな施し欲しくない!
僕は、激しく首を振る。シンが来てくれた嬉しさで、今にも零れ落ちそうだった涙が宙を舞った。
「何だそれ!? 何で分んないんだよ! 普通分かるだろ!?」
自分の伝えたい事が理解して貰えない。何としても理解させたい。そんな感情がニジバヤシの焦った表情から見て取れた……そうしないと自分が――道化師のようだから。
その気持ちの表れなのか、肩に置かれていた手に力が入る。
「いっ――」
「その手を放して貰おうか、シンが痛がってる」
「はぁ? 何言ってんだ!? 突然やってきて状況もわからねーくせに」
僕の側まで早足でやってきたキョウが、僕の肩を掴むニジバヤシの太い手首を掴んでいた。
「ああ、分からないさ。分かりたくもない。ただシンが嫌がってる――それだけは間違いない。だから放せ」
「偉そうに言いやがって! お前に何が分かるんだ! お前こそその手をっ! 放せっ!」
掴まれて無い方の腕が大きく振りかぶられる。筋肉が膨張し、普段より一回りほど大きくなっていた。革の強く張られる音が聞こえたかと思うと、その拳は大振に弧を描いて――狙いはキョウの顔面。
「キョウ、あぶなっ――」
僕を掴んだままという、無理な体勢から放たれた拳とは思えないほどの速度だ。強靭な強化系の拳が、親友の顔面を無残な形に潰す。そんなビジョンが思い浮かんで思わず声が出る。
「――へ?」
一瞬の事で思わず変な声が漏れてしまった。何が起きたのか頭でまったく理解できない。確かに、キョウの顔面に拳は向かっていたはずなのに。
僕の正面に居たはずのニジバヤシの体は消え、今はキョウの向こう側で仰向けに倒れている。
「っちょ、ニジモン! 何飛んでんの! 今のすごかったんだけど!」
気まずくなって、我関せずの雰囲気を出していたアカハタが驚きの声を上げるほどだ。
そう、飛んだのだ。
振りぬいた拳は、手首をキョウに掴まれ。僕の肩を掴んでいた腕は反対の手に握られて――まるで投げられたように。
「いてて……てめぇ、何しやがった!」
状況が掴めず、しきりに瞬きをしていたニジバヤシが、我に返って立ち上がる。
「喧嘩は強化系の専売特許じゃないってだけさ」
そう言うと、四角いメガネを軽く押し上げた。
「言うじゃないか! おもしれー! やってやるよ!」
野獣のような表情に変貌したニジバヤシの赤い髪が逆立って見える。一回り膨張した全身の筋肉が、革製のソファーに座った時のような音をあげた。
先ほどの無理な体勢からの拳撃ではない。正面に対峙し、下半身の力も利用した攻撃がくるはずだ。先ほどのようにキョウが上手くさばけるとは思えない。
もし、キョウに何かあったら……僕は!
何か出来るとは思えない。だが何かしなくてはならない。その思いを視線に込め、強く、強くニジバヤシを睨みつける――。
目が……合った。
「やめだ! やめやめー! あーぁ、しらけちまった!」
大声を出したかと思うと、ニジバヤシの緊張がみるみるとかれ。筋肉は収縮し、完全に戦意喪失したようだ。野獣のようだった表情は、薄い笑みの見える落ち着いたものに変わっていく。
「アカハタ、帰ろうぜ? ゲーセンいこ! ゲーセン!」
「あれ? ニジモン良いの? 超ー楽しそうだったんだけど?」
「いーんだよ! 弱い者苛めはすきじゃねーんだ」
そう言うと、未だ緊張をとかないキョウの横を通り抜ける。僕の横もそのまま通り抜けるように思えたが、小さな声で一言――。
「次ははっきり言えよな?」
と言い残し、アカハタの首に腕を掛け「っちょ! ニジモン汗臭い!」「いーじゃねーか、気にすんなよ」と、さっきまでの事など無かったかのように去っていったのだった。
二人の背中が見えなくなるまで、僕とキョウは何が起こったのか理解に苦しむ。
「ニジハタコンビ……恐ろしい相手だった……」
そんな、場にそぐわないセリフを話すキョウに。僕は思わず吹き出しでしまい、校門で待っているであろう、最も恐ろしい者の存在を忘れ、暫く二人で笑い合っていたのだった。
勇ましく戦った僕の親友の――――膝の震えが止まるまでの間。