第六話 「端数?知らないそんなの!」
今日最後の授業を行う教室に、凛とした声が響き渡る。その声の持ち主であるスメラギさんは、一人席を立ち目の前にあるウタ窓に表示される文章を読み上げている。
その声は、教室に落ちる静寂を、神聖な空気に染めるように。ゆっくりと聞く者の心にしみわたっていく。
世界は、焼けただれていた。
空は黒く濁り、大地は赤くそまっている。
世界は凍っていた。
どこまでも続く闇、水は全て分厚い氷で蓋われている。
神は嘆いた、その涙はアルスとなって世界を満たす。
アルスが満ちた世界には空が生まれた。
空が生まれた世界には海が生まれた。
海が生まれた世界には豊かな大地が生まれた。
そして神は人を作られた。
人は空に満ち、海に満ち、大地に満ちた。
そして人は〝人〟に満ちようとする。
神は激怒した、その血はアルスの巫女となって顕現した。
巫女は光の剣を持つ人と世界をすべり――。
世界は静謐を手に入れた。
「はい! ありがとう! クリスちゃん★」
「スメラギです!」
クラス委員長のスメラギ・ハジメは、先ほどまで読み上げさせられていたウタ窓を視線だけで机の端に追いやり、新たな空白のウタ窓を展開してから席についた。
「あらご免なさい、まちがえちった★」
テヘペロッっと今にも頭上に見えそうなポーズのみっちゃん
これっぽっちも悪いと思っていないらしい。
毎度の事なのでスメラギさんも諦めてクリスになってしまえば良いのにと、クラスの約半数が思っていた。
事実、始業式より三ヶ月近くが経過した七月下旬、みっちゃんはスメラギさんの名前を間違わずに進行できた授業は無い。
スメラギさんも最初の内は強く否定していたのに、今では最初の頃の覇気を感じない。諦め半分、意地半分といった感じだろうか。いつか間違わずに呼ばれる日が来ればと――クラスの半数程は思っていた。残り半数はクリスになっちゃえ派だ。
当人達には内緒だが、放課後『明日のクリスちゃんオッズ』が公開される。どこから回ってきたのかは不明だが、始業式のあった翌日から当人以外のウタ窓にランダムで転送されるようになり、今ではきちんとした連絡網として全員に行き渡るようになっていた。
名前を間違わずに進行できた授業が無いのになぜ賭けが成立するんだと思われるかもしれないが、そこは単純で――〝何も呼ばれなかった時〟もクリスと呼ばれなかった側にカウントされるからだ。
つまり、その日一日に『一回でもクリスと呼ばれる』対『一回もクリスと呼ばれない』のオッズとなって居るのである。
結果として、みっちゃんの授業が無い日なども有るので賭けとしては成立しているようだ。
成立しているとしても、徹頭徹尾参加者が居るとは想像できないのだが――。
「さて、いま聞いてもらったアルス神話だけど。皆一度は聞いた事あるよね?」
陰でそんな事が行われていると想像もしていないであろうみっちゃんは、今日もぶりっこに授業を進めていく。
つま先立ちで体全体を上下に動かしていたり、後ろで手を組んでクルリと一回転してみたり。そんな意味不明の行動をとるみっちゃんへの、皆の順応速度は目をみはるものがあった。初対面の人間が誰しも初日に思ったのだろう――あ、あれ触れたらダメな人だ……と。
「でね? なんで先生の考古アルス学の授業に神話が関係あるんだー! って思ったと思うの!」
みちゃんは教卓にバンッと両手を付き前のめりになると上半身を乗り出すような格好になる。両足を浮かしてプラプラさせているのはそれが可愛いと思っているからだ。
「んしょっ★ でねでね? 先生も最初はたかが神話、神さんなんていやしねー! 夢より現実! 未来より過去! って先生思ってたんだけどぉ……エイッ★」
教卓から降りると、生徒全員のウタ窓へ一枚の画像を飛ばす。
生徒全員がその画像を注視する。一体みっちゃんがどんな意図でこの画像を飛ばして来たのか全く想像する事が出来なかったからである。何故なら画像は……どう見ても、縦にしても横にしても……ただの土だったのだから。
土だった、ただその土は少し赤茶色をしていると言う事位しか判断材料が無い。
クラスの皆も「土だな」「土ね」「うちのカレー見たい」「ぁ、俺今朝会ったはコレ」「マジ?」「うん、家のトイレで」「コラ! ばか! 止めろよ!」
全く想像つかなすぎて徐々に脱線していってしまっていた。
パンッ、パンッとみっちゃんが手を打つ。可愛らしく、手の平の部分だけで。
「はい、静かに~★」
可愛らしく手を合わせたまま、体を上下に揺らして話し出す。
「ヤッパリ画像だけじゃ分んなかったかな? たかな? たかなピラフ? 先生あれ好きなの、冷食の。で、この土なんだけどね? なんと! ババーン!」
いつもなら脱線からの自虐ネタ、ネガティブ暴走が定番のみっちゃんにしては珍しく、早々に本題に入るようだ。右腕を大きく薙ぎ払い、明るい金髪がフワリと広がる。頭上にはアルスで『ババーン!』と文字を書くのを忘れない。
「この土は今から三千年以上前の土なのでーーす!! ファンファン! パフーパフー! ね? 凄いでしょ? 先生二百個分だよ? 端数? 知らないそんなの!」
はるか昔、この星に人間が生まれる前の土らしい。
人間は生まれた時から今の形をとっており、人間が人間として有る時からの年数がMC年号としてカウントされている。つまり、間もなく三千年を迎える人間の歴史以前――三千年前には人間が存在しなかったと言われている。
「先生たまたま、たまたまよ? 掘ってたのよ。地面。でね? ちょーっと掘りすぎちゃって~、気付くと地上が小さな光の点になっちゃってたの! いやー焦っちゃった。ほら、先生か弱い女の子だから~……てへっ★」
なぜかスメラギさんがピクリと反応したように見えたが、クラスの皆は教卓上に仁王立ちする先生に注目していて気付かなかったようだ。
身長の低い僕は、先生の方を向くとピンク色のスカートから何か〝見えてはいけない物〟が見えてしまいそうになる。それまずいと少し視線を落としていたので気付くことが出来た。
先生が地面を掘りまくる理由に心当たりでもあるのだろうか?
「でね? 先生せっかく掘ったじゃない? だから記念に持って帰ったの。何かレアメタル有ったらラッキーかなーって。で、持ち帰ったのが皆の前にある土ってわけ! とある研究機関に調べさせたら三千年以上前の土だってわかってね、その分析結果が――これ!」
画像が表示されているウタ窓の右側に『地質♪』と書かれた表が転送された――内容は以下のとおり。
地質♪ かんらん石・斜長石・輝石・角閃石・マグネタイト・黒雲母・チタン石・石英
土が赤いのはマグネタイトが酸化した結果だそうだ。
「この、どー見てもただの火山岩ですホントごくろうさまでした! な分析結果になぜか! なーぜーか! 微量のアミノ酸を確認したの!」
ドヤァ! っと教卓の上のみちゃんが無い胸を勢い良く張る。よほど自慢なのか体が弓なりに反り返り、教卓の前の席に座るスメラギさんにはおそらくパンモロの状態になっているのではなかろうか。顔に手を当てて大きくため息をついている。
スメラギさんの方しか向いてないから僕には確認できないんだけどね!
アルスの大部分はタンパク質で構成されている。三千年の時をへてタンパク質としての形を成して居ないが、構成するアミノ酸が検出されたことにより、確かにその時代アルスが有ったのだと。
説明するにつれ、みちゃんの口調とテンションが若干変になりつつある。
触らぬ神に……といった感じで皆放置しているが、このままでは後に控える行事に差し支えが出てしまう。
本来ならスメラギさんの仕事なんだけどな……何か頭痛そうにしてるし。
しかたない――
「先生、つまり……どういう事なんですか?」
視線は向けない、スメラギさんを見つめながら短い腕を頭より少し高いくらいに上げてみっちゃんに申し立てる。周りの目が痛い……あれ? お前居たの? って
「ん? クニ君? つまり?」
質問したのに質問し返されてしまった……ただ少し思案した結果、意図は伝わったのか。みちゃんは教卓から『よいしょ』っと降りると
「ゴメンネ★ コホン! つまりアルス神話が眉唾じゃなく、私たち人類より前にアルスが生まれたってのは本当みたいって事」
最後の方だけは、これまたみっちゃんらしからぬ雰囲気。いつものニッコニコの表情ではなく、口元は笑っているのに目が真剣で、クラスの反応をうかがっているように見えた。
「わをスゲー、ファンタジーみてー」「えー、まっさかー」「神話って、おとぎ話だから神話なんじゃ……」「アルスってアミノ酸だったのか!」
伝えられた事実を漠然と不思議がる者、みっちゃんの言っている事だからと聞き流す者、アルスを食す事に目覚めた者など、それぞれの反応を見せるが……誰もみちゃんの求める反応をする者は居なかったようだ。
「やっぱり皆そう思っちゃうか~……先生が調べさせた研究機関もね~『アンタの操作系が混ざっただけじゃね?』って言うのよ!? ホント失礼しちゃう! だから皆は信じてくれるかなーって、これが本当だったらアルス考古学的に大発見なのにーって思ったんだけどねぇ…ショボボ~ン」
口調とは別に、いつもの調子にもどったみっちゃん。さほど残念そうでもないが、ポーズだけは色々残念なポーズをとっている。
みっちゃんは相当な操作系の使い手だ、土を手に入れた穴だって操作系の能力で掘ったんだろうから、研究機関とやらが言う事の信憑性は非常に高いとわかる。
しかし、いくらチャランポランなみっちゃんでも、何の根拠も無しに、何の核心も、何の証拠も無しにこんな大それたことを生徒に話すだろうか?
人間としてはかなり問題のある人では有るけど、先生としての信頼は結構厚い。授業自体には問題のある人だけど、みっちゃんの授業はどんな生徒にも分かりやすいと評判だ。野良犬と喧嘩してた噂が有る位素行に問題のある人だけど、ご近所の評判は良く。近所のお年寄りからお菓子を貰っているところを良く目撃されている。
こうして考えると問題だらけで、みっちゃんの何を信じたら良いのか分らなくなってしまった。
でも……もし本当だったら。もし、人より先にアルスが生まれていたんだとしたら、それって――
「|神さま《人じゃないアルス作成者》が居るって事になるんじゃ?」
今までに何度も聞いた鐘の音色が教室中に響き渡る。僕の心から漏れたつぶやきは、終業のチャイムによってかき消され、誰の耳にも入らなかったようだ。
一瞬みっちゃんと目が合ったような気がしたが、スメラギさんが立ち上がることでその視線も遮られた。
「モリイ君、いいかしら?」
「うん……わかった」
「先生、職業見学の組み分けをしますのでそこを空けていただけますか?」
僕達の通うカラキア学院。その三年生と四年生は、学院卒業後の進路を決めるために色々な職業に触れ、自分の適性に合った進路を選ぶ学年となっている。
そして、五年生と六年生の間、自分の選択した職業への適性訓練や試験などを受けるようになっているのである。
「酷い! 先生頑張って授業してたのにその扱い! 鬼なの!? でもクリスちゃんの言ってる事が正しくて憎い! 勉強も出来るもんだから先生には文句が言えなくてなお憎い! 悔しい! ええ、良いわ! この場所をゆずるわ、好きにすればいいじゃない! 先生の可愛い生徒達の視線を一身に受けて、思い通りに生徒たちを動かせば良いんだわ! この鬼! がり勉! クリスちゃんの憎勉鬼! へっぷっ!」
最後の悪口がみっちゃんの口から出るか出ないかの処で、スメラギさんの白くて細い指がみっちゃんの顔を覆った。
「クッ……先生? 私の名前はスメラギです。それと、授業も終わりましたので宜しければ職業見学の組み分けをさせて頂きたいのですがよろしいでしょうか?」
普段冷静なスメラギさんも、みっちゃんには調子を崩されるらしく。青筋浮かべた笑顔がヒクヒクしている。長い指にはかなりの力がかけられているのか、本来人体から聞こえてはいけないようなギチギチとした音が教卓まで歩いてきた僕の耳に入ってくる。
「モフッ……! モモフッ……!」
アイアンクローの拘束は緩むことなくみっちゃんの頭蓋を締め付ける。みっちゃんも何とか抜け出そうと手足をバタバタさせるがスメラギさん本人には届く長さを持たず、顔面を締め付けるる腕を掴んで引きはがそうとするのが精一杯のようだ。
「ぁ……あの、スメラギさん……そろそろ放してあげても……それじゃあ答えられないし……」
だんだん反応の鈍くなってきたみっちゃんを見かねてスメラギさんに提案する。このままではこのクラスで死者を出しかねない。
「ダメよ、この人は口で言っただけでは分らないんだから! 皆が先生に甘いものだから調子にのってるのよ、時にはしっかりと――キャッ!」
スメラギさんが此方に気を取られた一瞬の隙にみっちゃんが脱出に成功した。物凄い速度で教室を出ると、廊下からスメラギさんに向けてアッカンベーをしている。
「クリスちゃんのバーカ! バーカ! えぇっと……バーーカ!!」
普段のキャラを完璧に忘れて、ただの子供と化したみっちゃんはバカとだけ連呼して廊下を走っていってしまった。
スメラギさんの奇麗な手に可愛らしい歯形をのこして。
ほんと、あの先生は何なんだろう……。
「はぁ~~……じゃぁ、始めましょうか」
スメラギさんが今日一番の大きなため息を吐くと、教室の壁半分以上が隠れるほど大きなウタ窓を出現させる。
「それじゃあ、モリイ君。おねがい」
「は、はひっ!」
緊張で噛んでしまった。僕は教卓に隠れないようスメラギさんの横に立ち、誰にも目を合わせなくて済むように、視線は教室の後ろの壁を見つめながら。
「そっ、それでは! 一学期末職業見学会の組み分けを行います! 今期うちのクラスは、北の『第四都市ヴィルヘイム』に有る工業地区と、西の『第七都市メルトン』にある牧草地区の二組に分かれることになります!」
後ろは見えないがスメラギさんのウタ窓にも都市の名前が表示されているはずだ。
スメラギさんの事だから簡単な画像ものせているかもしれない。
「それでは、各自希望の都市を選択して下さい。目立つ程の偏りが有るようでしたら移動して貰う事も念頭タムに置いて下さい」
ぃぃいいよーーーしっ!!
さり気無くウタ窓を出す作戦! 誰も気付いてないよね!?
僕はウタ窓を意識下で出現させる事が出来ないし、発声によるウタ窓の出現には初期の大きさがA4サイズと決まっている。そのためスメラギさんの様な特大の窓を出現させる事が出来ないのだ。
よって、僕に進行を任されるのが必然。それに気付いた、三日前の夜から寝ながら考えた作戦
名づけて『気付かれずにさり気無くウタ窓だそう作戦』
作戦の大成功に、少しの安堵と大きな達成感で気分が高揚するのを感じる。
今日は祝杯だ! 帰ったらリインにお赤飯を炊いてもらおう!
必死に頬が緩むのを隠しながら、僕はウタ窓にタッチするのであった。