第五話 「チンしますかー?」
「おかえり、父さん母さん」
自室からリビングに入ると、大きなテーブルで僕が来るのを皆待っていた。そして美味しそうなカレーの香り。
テーブルを挟んだ向こう側、木造チェアーの真ん中に母が座り、母の左手側にミクが座っている。そして、卵をくり抜いたような斬新な椅子に父が座っていた。
リビングでは既に全員分のカレーがテーブルに置いてあり……約一名父だけは僕を待たずに既に食べ始めていた。
「ただいま。リインが起しに行ったはずだったけど、遅かったんだな?」
暗めの、茶色い天然パーマの父が言う。セットしたところを一度も見たことが無いその頭は、四方八方にウネウネと自由に方向を変え、ただ長さだけをそろえているといった感じだ。
ネクタイの外したワイシャツ姿で、細めの体格をした父の声は少し高く、迫力もないためひょうひょうとした印象を受けると良く言われる。
今も、グチャグチャに混ぜたカレーを右手のスプーンですくいながら、左手ではウタ窓をいじくっているのだから、印象を挽回する事は今後も無理だろう。
「はい、ただいま」
明るいブラウン髪の、セミロングの母は父とちがって緩みない。仕事帰りだと言うのにしわ一つないブラウスに、濃いグレーをしたフォーマルパンツは、一流のキャリアウーマンを思わせる。
これだけ対照的な二人だと言うのに、勤務しているのが同じ先進アルス研究所だと言うのだから、職場環境がいったいどんなものなのか全く想像がつかない。父はリインのようなホームプロセッサの開発を、母はホームプロセッサ用の各種装飾データを開発していると、以前聞いたことがある。
「いやぁ、久しぶりの学校で疲れちゃったみたいで……」
「あー、今日から学校だったのかーそっかー」
視線はウタ窓のまま、生返事で返される。
「あなた? 食事しながら仕事しないでください。さ、お兄ちゃんも座って? お母さんとミクは待ってたんだから」
「そおよー! おそよー!」
母に何を言われようとどこ吹く風の父は、未だウタ窓に没頭している。
リインの話を聞いてミクがどうしているかと思ったが、本当に何事もないようだ。実はリインの創作でした、なんて事は……疑似人格にそこまでは無理か。
父を横目に、モダンな椅子の真ん中に座ると……。
何故か、母とミクが僕を注視している。
「な……なに?」
「ん? ううん? 何でも無いのよ? ほら、カレー。早く食べないと冷めちゃうわよ?」
「ないのよー? さめうよー?」
二人が変だった。自分たちも食べればいいのに、あくまでも僕を先に食べさせようとしている。
まさ……カレーに何か入っているのだろうか? ミクが操作系をものにしたから僕を無きものとするために毒を?
そんな馬鹿な、もしそうなら父が色んな意味で一番に死んでいる。なら何だと言うのだろう。
考えながらも僕はスプーンを手に取る、二人の視線がスプーンに集まるのを感じる。
まさかスプーンに何か!? それだと父が第一被害者になる事なく僕にのみ工作を仕掛けることができる……しかし、いまさらスプーンを変えてくれだなんて言えるはずがない! 全くの杞憂だった場合『何言ってるんだコイツ』という視線に耐えられる自信がない! ならば……どうする!?
そうだ! 一度食べるふりをしよう! 一度カレーをすくい口に運ぶ、その後苦しむふりをしながら二人の様子を見ればいい! もしも二人が何か仕掛けていたのなら何らかの変化が表情から読み取れるだろう。もし何も仕掛けていないのだとしたら、二人はきっと心配してくれるに違いない。その時は喉にでも詰ったと言えばまるくおさまるだろう。これだ!
なにが、これだ! だ……馬鹿らしい。
僕は先ほどまでの考えを全て一蹴し、普通にカレーをすくって口に運んだ。
「いよっし!」「あーー! なあでーー!?」
とっさの事に椅子の上で体全体がビクッと跳ねてしまった!
何!? 僕何かしたの!?
「えへぇー、ミクー。お母さんの勝ちねー」
「えー! なあでー!? にーちゃんなあれー!?」
目の前の母は何故か勝ち誇り、ミクは悔しがっている。
さっぱり訳が分からない上、先ほどまでの妄想が有ったため僕の背中に冷たい汗が吹き出し始めていた。
僕は一体何が有ったのか、答えを求めて視線をさまよわせる――リインと目が合った。
リインは何も言わず、軽く『ホレッ』とでも言いたふうに顎で二人のカレーを指す。
二人のカレー……勝ち誇る母のカレーは、僕の目の前にある物と全く同じだ……量はかなり少ないが。
そして、悔しがるミクのカレーは――グチャグチャに混ぜられていた。
余りにも簡単で拍子抜けする答えに、僕は思わず「あー」と声を漏らしてしまう。
「言ったでしょ? ミク、カレーはこうやって食べる人の方が多いのよ?」
「ちあうもん! おとうさんもまれるもん! らからおかしくないもん!」
二人は僕を待っている間、カレーの食べ方で言い合ったのだろう。普通に食べる派の母と、父と同じように混ぜる派のミクとどっちが普通なのか。結果、本当に一般的である混ぜない派の母は折れる事が無く。ミクも父が居るという多数派の見解から自分の主張が普通だとゆずらなかったに違いない。
だから僕がどちら派なのか、待ってたわけか。
理解した後、もう一度リインを見ると『ほんと仕方がないですね』とその視線が物語っていた。多分――二人にじゃなくて僕に向けて。何故!?
なら僕のとる行動は決まっている。
僕は一口食べた後の――
褐色と純白に分かれ、幾重にもスパイスを加えられ、さらに数多くの食材を加えて初めて完成される――
この食の小宇宙を――
「へっへーん……えっ、なんで!?」
「ちあうもん!……ぁ……にーちゃん!」
スプーンで思いっきり混ぜたのだった。何食わぬ顔で。
褐色から胡桃色ほどに色を薄めた小宇宙を口に運ぶ。
許せ、母よ。ミクには大きな借りがあるのだ。
「うん――うまい」
たいして味は変わらなかった。
別に小宇宙でもなかった。
■◇■◇■
「いーらっしゃいまーせー、カレーいーかがっすかー」
夕食後、自宅から少し離れているコンビニエンスストアに来ていた。
店の看板には「トゥエンティーフォーセブン」と書いてある。とてもマイナーなコンビニだが、目当ての物がここにしか置いてないのだから仕方ない。
「おーや坊ちゃん、今日はいつーもよりお早ーいでーすね」
来る途中に見た月の位置が、丁度西の空に頭が見える位だったから今は九時過ぎ位だろう。普段は十時過ぎに来ることが多い。
混ぜカレーを二杯おかわりしてこの時間なのだから、それだけ今日は両親がいつもより早く帰ってきたと言う事なんだろう。父がおかわりしたカレーを混ぜずに食べたのには驚いた。
「こんばんは、フヨシさん」
「こんばんはでーす、坊ちゃーん」
フヨシさんはこのコンビニのホームプロセッサで、いつも夜と朝に店番としてお店にでている。
褐色の肌に大きい鼻、鼻の下には立派な口ヒゲがたくわえられており、タワシみたいな太い眉が特徴のアバターで、頭には白い布をグルグル巻きにしている。二頭身の体は金属製の深鍋に首から下が完璧隠れていて――つまり深鍋にスッポリはまっている。
初めて見た時は、深鍋に首で蓋をするようなビジュアルがかなり怖かった記憶が有るけど……人間って慣れるとどうってことなくなるんだなー。
最初聞き取りづらかった、この独特なアクセントも今では難なく聞き取ることが出来る。
ちなみにフヨシさんの名前の由来は店名が二四七だからだそうだ。どうでもいい。
「今日もーいつものーを買って帰るのでーすか?」
「うん、そのつもりだけど」
「新せー品のNAがー入りましたけどどーでーすか?」
「へぇ~……どんなのだろ、見てもいいです?」
僕はフヨシさんに『「どーぞー」と案内されて雑誌と日用品コーナーの間を抜け、ドリンクの置いてある冷蔵コーナーへと向かった。
「これーでーす、スーパーアブサンZ」
そう言いながら、鼻の下の口ヒゲが伸びて手の形になり、そのヒゲ手でクリアグリーンの色をした奇麗な瓶を指さした。
「へぇ~、奇麗な色なんだね――ってアルコール九十%!? 飲める訳無いですこんなの!」
瓶のラベルを見て驚愕する、奇麗な物には刺があると言うが奇麗な飲み物は毒で出来ているのではないだろうか。こんな物飲んだら僕は確実に死んでしまう。
というか、こんなの強化系しか飲めないんだからNAにしちゃだめだろ……。
NAとはノットアルスの略称だ。
加熱済みの食品以外は基本、食品の中にアルスが融合している。
それが、どんな原理かは解らないがNA商品だけはアルスを完璧に除去した状態で販売されているのだ。
操作系の人間は肉体への融合率が低いため、アルス融合の高い食品ばかり食べると極まれにお腹を壊す人間が現れる。
そんな操作系の人達のためにNA製品が作られたと言われているのだが――本当に極まれにしか症状がでないため、かなり需要が少なく、アルスが融合していないために賞味期限も短いので置いているお店も少ないのが現状だ。
「おー、残念でーす。カレーの隠し味に最適でーすのに」
「え……」
「いーらっしゃいまーせー、カレーいーかがっすかー」
そんな話をしていたら他のお客が入ってきた。
上下黒いジャージ姿のお客はフードを被っているせいで性別まで分らない。
黒いフードのお客はカウンター前を直進し、お弁当コーナーに置いてある『特製カレー弁当』を手に取ると、そのまま出入り口へ直行し店から出て行った。
「あーらやっしたー」
「あれにも?」
「あれにも」
大丈夫なのだろうか今のお客。
「とりあえず、僕はいつもので」
そう言って棚から黒い炭酸飲料の入ったペットボトルを取り出す。
「ふくろーいりますかー? チンしますかー?」
「袋はいらないしチンもしないよ」
「チンいりませんかー……」
太い眉毛がハの字になっている――何故そんなに残念そうなんだ。
ペットボトルを左手で持ち直し、右手首をフヨシさんの顔の前に近づける。するとフヨシさんが両目をつむって唇をつきだし――。
「ぴっ、あーらやっしたー」
「それじゃあね、また来るよフヨシさん」
僕もアルス融合が出来れば、さっきの人みたいに商品をそのまま外に持って出て会計できるのにな……と思いながら出口へ向かう。
「坊ちゃんまーたね、カレーいーかがっすかー」
「いりません」
店を出るとキャップに手を掛けた。表面に細かなギザギザの刻まれた赤いキャップにはAの上から禁止マークの被さったプリントがされている。
プシュッっと爽快な音を立て、圧縮されていた容器の空間が解放される。
シュアーと音を立てる黒い炭酸飲料を軽くあおり、一度口の中にとどめてから、少しずつ飲み下していく。
もう一度、次は最初よりも深くあおり、そのまま真っ直ぐ喉をならしながら食道へと流し込む。
「んくっんくっ……っぷふ~」
喉に感じる刺激がシュワシュワと気持ちいい。その瞬間だけ色々な悩みを忘れられるようだった。
来る時に見たよりも月が一つ分進んでいる、今日も後二時間ほどだろう。
明日から、また学校が始まる。
教師に庇われ、親友に励まされ、妹に心配され――。
ここまでされて学校に行くのが怖いなどと言っていられない。
「よ~~っし!」
――がんばろう。
色々な思いと不安を胸に、家路へとつくのであった。