第二十六話 「行ってきます」
明日、僕は――。
一人この星を飛び出す。
■◇■◇■
小高い丘を下り、ソラオと一緒に家路を歩く。
道すがらキョウの家に寄った。
明日のお願いをするためだ。
明日未明の出発に……キョウには見送りに来てほしかったから。
結局、ロックに就職する事が決まったキョウには、リニアエクスプレスとのパイプ役として色々働いてもらっていたのだ。
迷惑ついでに僕の出発まで見届けてもらおう。
――マリとは、ここ最近連絡が付かない。
オリンポスより帰ってから、アースプロジェクトが開始すると学院に行く時間が極端に少なくなってしまい、自然と会う機会が激減してしまったのだ。
ほとんどが後任育成の訓練を一緒に模索し、その実験を見学していただけなのだが……。
最初の内は、会う度に逃げ出すと言う奇行に走っていたマリも、じょじょに逃げる回数が減り、一メートル離れれば会話が出来るくらいになって来ていた。
何度か一緒に遊びに行ったが、地球へ出発が近付いたここ一週間は完璧に音信不通となっている。
マリにも見送りに来て欲しかったな……。
数少ない親友に……そっと思いを寄せる。
そうこうしている内に家の前に付いてしまった。
ユックリ歩いたせいか、空は深い紺に染まっている。
「ソラオ……頼んでおいた事、やってくれたんだよね?」
視線は家から動かさない。
ソラオの姿は確認していないが、きっと僕の後ろをズット歩いていたはずだ。
黙って、ビーチサンダルの底を擦る音だけが聞こえていた。
「……ああ。言われた通り、お前の家族にした洗脳は解いてある。なあ? 何でだ? 別にそのままでも良かっただろ?」
そんなの、決まっているじゃないか。
「僕がいなくなっても、悲しくないようにさ」
「お前……色々ふっ切ったみたいで、結局バカなままなんだな」
「ソラオに言われたくないな……」
自分の子供がいなくなるのと、他人がいなくなるのとでは心の傷が全く違う。
僕はまた、必ずこの街に戻ってくる。
でも、この家には……もう戻って来られないんだ。
僕はこの家の子供じゃなかったのだから。
「じゃ、俺はココまでだな」
「入らないの?」
「流石に入れねえだろ? 一応洗脳解いた時に軽くあやまりはしたけどよ?」
「そっか……それじゃ、またね」
「ああ、またな」
僕は振り向かない。
この家を、瞳に焼き付けておくんだ。
シャペタン、シャペタンという音が遠ざかり、聞こえなくなったころ、僕はようやくドアの前まで来た。
右手の白いブレスレット状端末を木製のドアにかかげる。カシュッっと乾いた音がしてドアのロックが外れた。
心のどこかで安堵のため息が漏れる。
鍵が開かなかったら……と、考えなかった訳ではないのだ。
「ただいま~」
で、良いのかな?
返事はない――今聞こえるのは僕の鼓動の音だけだ。
ドアを開ける前まで、あんなにうるさかったのに……今は平常運行に戻っている。
でも……リインの『お帰りなさいませクニヒコさん』はいつまでたっても聞こえてこない。
流石リインだ。家族じゃない人間にお帰りなさいはないだろう。もしかしたら僕を招き入れるために、父によってシステムが落とされているのかもしれない。
長い廊下を進み、リビングのドアに手をかける。
僕の鼻をスパイスの良い香りが刺激した。
今日は……カレーかー。
そう、思いながらリビングに入る。
「お帰り、クニヒコ。遅かったんだな」
天然パーマの父が言う。アルス干渉が解除されてから、色々忙しかったらしく、アースプロジェクトも有って少し老けこんだように見える。
「た、ただいま――カイトさん。ご免なさい、出発を前にすこし街を見ておきたくって……」
「いや、気にしなくて良いんだ。それと、私の事は父さんと呼びなさい」
「有難う……父さん」
「ん~? にーちゃん? どうしたの?」
ミクは大きくなった。
五歳となったミクは以前のように走り回る事もなく、大人しく自分の定位置で座っている。
秋から学園生となって色んな事を経験していく事だろう。
そして、いつか兄の事も理解するに違いない。
なぜ、兄がいなくなったのかを。
「ううん、何でも無いよ。ごめん、待たせちゃったね」
「ミクまってないよ? これ、ミクがじゅんびしたの! えらい!?」
「偉いね、ミク。お母さんのお手伝いチャンと出来るんだね」
「うん!」
「さあ、冷めない内に食べなさい」
「あの……父さん、――母さんは?」
一瞬イオリさんと言いそうになったが、何とか踏みとどまる事ができた。
父は、少し寂しそうな顔で、自分の寝室へと視線を向ける。
「すこし……体調が悪いみたいだな。今はゆっくりさせてやろう」
「そう……だね。ごめんなさい」
僕の事が――余りにショックだったのだろう。
「なに、直ぐに元に戻るさ。さ、冷める前に食べよう」
「うん……ごめん、いただきます」
「いただきます」「いただきまっす!」
三人して目の前カレーをグチャグチャに混ぜる。
しかたない、止める人間は誰もいないのだから。
「にーちゃん! お母さんね? へんなの! 今日ね!?」
「ミク、食べながら話さないの。ほら、一杯飛ばして~……口の周りにも」
「いいーの! でね? お母さんばんごはん作ってるときからズッとへんなの! ミクのせい?」
「それは――」
「ミク、その話はしないってお父さん言っただろ?」
「お父さんはだまって! にーちゃんとお話してるの!」
父はミクに注意され、あっさりと引き下がってしまった。
本当に娘には甘い、この先どうなるのか一縷の不安が残るくらいだ。
「でね? ミクがんばったんだよ? おてつだい、がんばったけどお母さん元気にならないの……にーちゃん、なんでかな?」
ごめんミク……僕のせいなんだよ……。
そう言えればどれだけ楽だろうか。
こんな小さな子に理解出来るのだろうか。
無駄に怖がらせて、悲しませるだけじゃないのか。
そんな事ばかり考えてしまう。
「ミク、お母さんはきっと疲れてるんだよ。だから、今はそっとしておいてあげようね?」
「お母さん、つかれてるの?」
「うん、だから今日はミクがお母さんの代わりだよ?」
「ミクがお母さん? うん! ミクお母さんがんばる!!」
満面の笑みでそう答えると、均等に混ざったカレーを急いで口へと運び出した。
きっと、片付けを手伝ってくれるつもりなのだろう。
兄バカかも知れないが、将来はきっといいお嫁さんになるに違いない。
■◇■◇■
その後は、とりとめのない話をして夕食を終え、各自お風呂に入り自室へと戻ってきた。
「フフッ……カレー……少し苦かったなー」
ひとりごちる。
母が作ってくれたのだとすぐに分かった。
リインとは味付けが根本的に違うのだ。
そして、あまりキッチンに立たないのと、僕のことが相まって鍋を少し焦がしてしまったに違いない。
直接顔は見ていないが、気持ちだけは受け取った気になる。
ガンバレと言ってくれている気がするのは……都合よすぎるかな?
今までの日常と変わらない、そんな最後。
とても穏やかで理想的な感じがした。
明日は早いんだ。もう寝ないと。
僕が電気を消し、薄い睡魔に身をゆだねようとした時、部屋のドアが可愛らしく叩かれた気がした。
顔だけソチラに向け耳をすますと再び音がする――コンッ、コンッと。
ベッドから跳ね起き、ドアを開く。ソコにいたのは、自分の体ほど有る枕を抱えたミクだった。
「ミク? どうしたの?」
「にーちゃん……」
目はつむっていると言ってもおかしくない状態……こんなのでよくココまで歩いてきたものだ。
枕を抱えていない方の腕で目元をグシグシと擦って、上体をフラフラさせている。
「おっと!」
フラフラしていると思っていたら、そのまま僕の方へ倒れこんできた。
ミクの顔が僕の胸に納まり、その勢いで流れて来たシャンプーのいい匂いが僕の鼻孔をくすぐる。
気付かないうちに……こんなにも大きくなっていた。
僕のお腹に飛び込んできてはニヘラと笑う妹が今は懐かしく感じるほどだ。
とにかく、このままにはしておけないもんな……。
リインに頼んだらそのまま寝室に送って貰えるのだが、今は応答しないようだし。
しかたない。
僕はミクの脇下に腕を回すと、僕のベッドの上へと誘導した。
まだ、完全に眠っている訳ではないようで、千鳥足で付いてくるミクが少し可愛い。
さて、僕はどこで寝ようかなっと――。
ミクを横たわらせ、ベッドから離れようとしたところで服の裾を引かれた。
「にーちゃん……いっちゃだめなの」
「ミク、もう学園生になるんでしょ? 一人で寝られるようにならなきゃだめだよ?」
「いーの……にーちゃんはいっちゃだめなの」
僕がミクの手を剥がそうとするのと、ミクの目尻に水滴が生まれるのは同時だった。
「ミク……どうしたの?」
僕の問いかけに……瞳を強く閉じ、剥がそうとした僕の手を強く握ると、食いしばるように細く息を吸って、続く言葉を絞り出した。
「……っ……みんな、いうの。にーちゃん、ひっ……いなくなるって。……くっ……帰ってこないって。ふっ……んんん……にー……ちゃん。ふぇぅぅ……いなくならない……よねぇ?」
それだけ言葉を押し出すと、静かに嗚咽を続けるミク。
僕は、たまらなくなってミクの横に寝そべるとミクの頭を抱え強く、強く抱きしめた。
「ごめん……ごめんよミク!」
「ううぅぅ……ええぅぅ……にー……ちゃ~ん」
両親やリインはミクに言わないと思っていた……だが、僕が甘かったのだ。
もうすぐ六歳になるミクのコミュニティーにまで口止めを出来るわけがない。
黙って行ける訳がなかったのだ。
「ミク、ごめん。ごめんね」
僕はひたすら謝りながら、ミクのその頭をなでることしかできなかった。
やがて、ミクも落ち着いたのか……じょじょに嗚咽がおさまってくる。
「ミク……よく聞いて?」
「……うん」
「にーちゃんね、お仕事に行かなきゃいけないんだ」
「……おしごと?」
「そう、お仕事。それがね、チョット遠いところに有るから直ぐに返ってこれないんだ」
「とおいの? お父さんのお仕事くらい?」
「ううん、もっと遠いの」
「たるしすくらい?」
良くニュースで耳にする都市の名前がでてくる。
「ううん、もっとなんだ……だから、それまでミクにお父さんとお母さんを見てて欲しいんだ」
「ミクが?」
「そう、にーちゃんが帰るまでの間ね」
「ミクががんばったらにーちゃん帰ってくる?」
心が締め付けられるようだ。
僕は、妹に……ウソを付かなくてはならない。
「ああ……ミクが頑張ってくれたら、にーちゃん直ぐにでも帰ってくるよ」
「ほんと? ミク、がんばったらにーちゃん帰ってくる?」
「本当だよ、だからミク。お願いできるかな?」
「うん……ミク、さみしいけどがんばるね……にーちゃんかえってくるまで、がんばるね?」
「ありがとう……ありがとう、ミク」
「にーちゃん、いたいよ」
嘘にしない為に……僕も頑張ろう。
思わず力を入れてしまった腕を解き、そっとミクの頭を撫でてやる。
次に会う時には、きっと叱られるんだろうから。
しばらく頭を撫でていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
このまま眠ってしまっても良いのだけど……ちょっと目がさえちゃったな……。
時間は分からないが結構な深夜のはずだ……僕はベッドから静かに抜け出し、リビングへ続く自室のドアに手をかける。
明かりが、まだ点いてる?
ドアを開くと、父が自分の定位置である卵型の椅子に座っていた。
父の視線の先にあるのは二枚のウタ窓。
そして、テーブルの上には氷の入った小さなグラスだ。
父さんがお酒を飲むなんて、いつ以来だろう。
「おや、クニヒコ。起きたのか?」
「うん、ミクに起こされちゃって……」
お酒の力なのか、いつもより幾分明るい口調の父に、僕も自然と明るく返してしまう。
「そうか……それにしても驚かされたよ」
「うん?」
「ソラオ君だ。彼が人間じゃなかったなんて驚きだ」
え? ソッチなの?
「彼はどう見ても人間にしか見えなかっただろ? あれでアルスの集合体だと誰が思う?」
よくも悪くも父は研究者なのだなと。
でも、その方が出て行く側としては気が楽かな……など考えながら。
今日はどんな研究に考えを巡らせているのか、僕は父のウタ窓を覗き込むために卵型の椅子へと歩み寄った。
「しかも記憶まで操作できると言われたら、研究者として脱帽だ……。私達が目指す科学はその先なんだと思うと正直、眩暈すら感じたよ」
父のウタ窓に映るのは――。
「まさかと思って……疑ってみたんだがな」
僕のフォトアルバムだった――。
「驚いた、クニヒコの産まれてすぐの記録がどこにも見当たらないんだ」
元々覇気の無い父の顔が……眉毛をハの字にし、僕にウタ窓を見せてくれた。
「だが、それが何だ……とも思ったよ」
「父さん……」
「クニヒコは覚えているかな?」
そう言うと、僕に向けられたウタ窓に一枚のフォトが映し出される。
小さな男の子が家庭用の小さなプールで元気よく遊んでいた。
一緒に映る母も、とてもいい笑顔で写っている。
「ごめん、覚えてないや」
「小さかったものな……この後だったんだ、クニヒコの体質を知ったのは」
「アルス拒絶体質?」
「ああ……その夜初めて熱を出してね。大変だったんだぞ? まさかそんな体質が有るなんて知らなかったから。母さんと一緒に幾つもの病院を駆けずり回ったが、結局打つ手なしだった」
「その……ごめんなさい」
「あやまる必要は無い……親として当然のことをしただけさ」
そうか……と、僕はようやく父の言わんとしている事に気付く。
次々と流れるフォトには確かに産まれて直ぐの物は無い。
でも、僕はこれだけの長い時間を、この家族と一緒に過ごして来たんだ。
家族にリインが増え……ミクが増え……僕たちは全員で一つの家族なのだと……。
「お母さんも、そう思っているはずだよ」
寝室のドアを見つめながら父が言う。
「今は、ショックが大きいみたいだが」
素直じゃないんだから、と……細いなで肩をすくめ、軽くため息をつく。
父さんも十分捻てると思うけど……でも、ありがとう。気持ち、確かに受け取りました。
二人で昔の思い出話などをしていると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
薄ボンヤリとした意識の中、辺りを見回すと――父は椅子にうずくまるように眠っている。
「ウタム!」
慌ててウタ窓を出し、時間を確認する。
よかった……まだ十分に時間がある……。
父さん達には悪いけど、少し早めに出発させてもらおう。
ミクが起きて泣き出しちゃっても困るしね。
僕は手早くパワードスーツに着替え、小指程度のマッチをポケットにしまった。
最後の一本だったマッチの残りだ。
大部分を宇宙飛行士後任育成の為に提供し、現在は厳重管理の上で少数生産してもらっている。
手元に残してもらったのは記念的な意味合いが強い。
「さて……行きます」
玄関で振り返り、ジックリ眺めた後に小さくそう言った。
行ってきますではない……行きます、と。
玄関を抜け、もう振り向かないと心に決める。
僕は前に進むと、宇宙に出ると決めたのだから。
一歩、また一歩と家から離れる。
父とフォトを見たせいだろうか……楽しかった家族の思い出が次々と思いだされては消えていく。
足取りも徐々に重くなり、視界も少しぼやけてきた。
後一歩で、家の敷地から出る。
そんな時――後ろから家のドアを勢いよく開く音。
「クニちゃん!」
その声に……長年聞いた母の声に。僕は立ち止ってしまった。
ああ……ダメだ……。ガマン……してたのに。
棒立ちとなる僕の背中に柔らかく温かい匂いが包み込む。
僕の首に回される細い腕に、そっと手を重ねた。
「母さん……色々……ごめん、ね?」
涙は見せられない。
泣いていると思わせたくない。
母の返事はない、ただ回された腕に力が込められる。
背中の母は少し……震えていた。
「必ず……必ず帰って来なさい……ここはアナタの家なんだから」
僕の耳元で、絞り出すように母が言う。
「この家に……帰って来ても……ッ……いいの、かな?」
僕の言葉に、肩の上に置かれた頭が縦に振られた……。
「……ッ……ありがとう……ありがとう……母さん」
東の空が明るくなってくる。
母の包み込む腕をソットほどき、最後の一歩を踏み出してこう言った。
「行ってきます」




