第一話 「アルスって何?」★
新学期、誰もが新たな発見や関係に胸躍らせるこの季節。
しみ一つ無い奇麗なクリーム色の壁で囲まれた教室には、均等に並べられた机と椅子が計四十組。
全ての席は新たな所有者を得、その拮抗が崩れるのを今か今かと待ち望んでいるように見える。
そんな教室の一番後ろ。窓際の席で一人陰鬱な面持ちの少年が座っている。
教室でただ一人黒髪である少年の体は、他の生徒と比較して余りにも小さかった。
身長が男子のお腹程しかないにも関わらず、胴回りなどは女子の三倍は有るのではなかろうか。
突出……より異質と言えよう。
そんな少年は机の上で腕を組み、体の重さを机に預けて、体全体を小さする。
そして――小さな、小さな声で。
しかし確かに聞き取れる発音でこう言った――。
「……ウタム……」
瞬時、A4サイズの画面が目の前に展開される。画面には「ようこそクニヒコ」の文字と、半透明の画面越し、前の席に座る男子の背中が見える。
他の生徒は、全員画面の展開が済んでいるようである。
大小様々な画面が浮遊し、中には二枚同時に展開している者もいた。
右手を素早く伸ばし画面に軽くタッチをする。机の上にキーボードのような物が展開され、先ほどまで事務的に挨拶を表示していた画面は薄い水色の半透明へと変わった――
教室の到る所でクスクスと笑い声が聞こえる
「プッ……アイツまだ声に出さなきゃウタ窓だせねぇのかよ、ダッセ~」
「うわっ、マジか普通十才までにだせんだろ……」
静まりかえった教室に、クニヒコ声は教室の端まで届いたらしい。
今まで同じクラスになった事がない生徒なのだろう、名前の知らない生徒が数名、クスクスと笑い合っている。
少年にとっては毎度の事である。
新学期と言っても全員が知らない顔となる訳ではない。当然、前学年での顔見知りも居るだろうし、たまたま運良く友人と近い席になる事もあるだろう。
すると人は変わったものを見つけ攻撃したくなる。
そんなものだ、自分の居場所が安全だから、そうでない人間を見下すのだ。
クラス替えの度に起きることなので、ほとんど気にする事は無くなったが、最近は「あの子可哀そう」と同情の目を向けられるのが耐えがたい。
「はい! そこ! ケインとコスギ! 授業中!!」
教卓の向こう――少し着崩した、ピンク色のスーツを着た小さな女の子が、首を少しかしげ両手でそれぞれおしゃべり生徒を指さしている。
女の子は胸から下が教卓に隠れてしまうほど小さい。顔は少し幼く、まるでお人形のように整っていた。髪は長く明るい金髪、膝下ま伸びた髪は軽くウェーブがかかり、所々に蛍光紫のメッシュがかかっている。
そんな、まるで童女に教室中の視線が集まる――。
瞬間、童女の指先に灰色の霧が集束した。
「あだっ!」「わっ……てっ!!」
五ミリ程に集束した霧の塊が射出され、ケインとコスギに命中する。
ケインはオデコを抑え唸り、コスギはとっさに回避してしまったのだろう。
塊はホーミングしてコスギのこめかみにクリーンヒット。今は机に突っ伏してこめかみを抑えながら呻き声を上げている。
「ってーな! 暴力担任! そんなんだからアラフォーなって彼氏の一人もいねえんだよ! てか、誰だよケインって!」
いち早く回復したケインと呼ばれた生徒が、チェゲラッチョポーズのままの担任に向かってまくしたてた。
――。
「さて、みんな学園生の時にならったと思いますが……」
ケインと呼ばれた生徒は自分の席で、突っ伏したまま動かなくなっていた。
足元には全長二十センチ程の塊。それは空気に解けるように灰色の霧を吐きながら小さくなっていっている。
「あいつ、みっちゃんクラス初めてだったのか」「名もなきケインよ安らかに」「みっちゃんやっぱおっかねー……」「私、人があのサイズの操作系操るの初めて見た」「みっちゃんあれさえなければねー……」「今ピシッてヒビが……ひっ……」
パンッ、パンッとみっちゃんが手を打つ。可愛らしく、手の平の部分だけで。にも関わらず乾いた……とても透通った音が教室に響いた。
「はい、静かに~★」
可愛らしく手を合わせたまま、体を左右に揺らして話し出す。
「いいですか~? 私たちの世界にはアルスが満ちています。それは皆習ったよね?」
先ほどの出来事に恐怖しているのか。または当たり前すぎて反応するほどでも無いからか。生徒達の反応は無い。それを肯定受け取ったみっちゃんは話を続ける。
「じゃ……クリスちゃん! アルスって何?」
みっちゃんが目の前の女子を指差し質問する。左手首を腰に当て、右手の平を上にする形で指差し、軽くウインクしている。
ダークブラウンの髪をストレートに伸ばした女子は、椅子から立ち上がるとハッキリとした口調で言った。
「スメラギです、私の名前はクリスじゃありません」
「あらご免なさい、まちがえちった★」
テヘペロッっと今にも頭上に見えそうなポーズのみっちゃん。
可愛らしく舌を出し、軽く握った手で自分の頭を軽く叩く。
これっぽっちも悪いと思っていないのだろう。
「じゃあスメラギさん、アルスってなぁ~に?」
スメラギと名乗った女子は嘆息し、肩に掛る長い髪を後ろに流すと、名乗った時のようにハッキリとした口調で答えた。
「アルスとは、私たちの生活する世界に昔からあるナノマシンの通称です」
そこまで言うと、スメラギは軽く前方に手を振る。すると三枚のウタ窓が同時展開しスメラギの頭上高さまで登っていった。
教室の到る所で「ぉぉ~」や「すご~ぃ」などの歓声が上がる。
「確認され、講評されているアルスの種類だけでも万を超えます。未確認のアルスを含めると数十万種は存在すると言われています」
先ほどの三枚のウタ窓に、デフォルメされたタコやらイカやら、よく分らない魚の映像が映し出され次々に切り替わる。
中には大きなヒレと大きな手だけで構成されている物や、電球を模した物などコミカルな造形の物も映し出されていた。
「能力も様々で、色を発する物、電気を起こす物、風を起こす物、自重の数万倍の物を持ち上げる物、鋭利な刃物のような物……そして生物と融合する物などもいます」
ウタ窓の映像が切り替わり、工場や農地、牧場が映し出された。映像の中では牛が美味しそうに牧草を食んでいる。
「私たちの体はそのアルスとの自然融合により、意識下のアルス操作や、筋力の強化をする事が出来るようになます。そして、様々な仕事にその能力を役立てて生活しています――以上が学園で習ったアルスについての説明です」
教室の全員が聞き入っていたのだろう、スメラギの説明が終わると教室を静けさが満たし――春の陽気と鳥の声だけを届ける。
「パチパチパチ~、スメラギさんありがとう~! 百点満点の委員長回答ね! もぅ座っていいわよ★」
すこしムッとしたのだろうか、回りからは見えないが。スメラギは少し間を空け、みっちゃんが「どぅぞっ、どぅ~ぞっ」と促して初めて席に着いた。
「さて、その便利なアルスなんだけども。何故か融合に個人差がでちゃうのよね~……。これから皆は習っていくことになると思うけど、未だにこの融合型アルスを自由にする事は人類に出来ていないの」
と、言うとみっちゃんは掌に灰色の霧を集束させ、直ぐに雲散させる……
「だからこれは仕方ないことなのよ? 先生だって操作系は得意だけど強化系が全然だからお箸より重い物なんて持てないし~……てへっ★」
可愛らしく舌を出して、頭をコチンッとやるみっちゃん。
しかし、可愛らしさを前面に押し出していた表情が徐々に変貌する。
星の浮かぶキラキラした瞳から、曇天に飛ぶカラスの様に。
お人形のようだった童顔は、人生に摩耗し未来を諦めた顔になる。
「だから~、アルスの扱いが下手なのも、女の子なのに肉体強化でパンッパンになっちゃうのも――先生が独身なのも、もうすぐ二回目の十七歳が終わっちゃうのも、同僚の男が年寄りばっかりでろくな男が居ないのも、こないだの合コンでチョット好いな~と思った男の子が二次会で私よりブス連れて消えたのも、交差点で運命的な出会いをしたから毎晩毎晩連絡してたのに『ゴメンナサイ、勘弁して』って言われたのも、一ヶ月も前から入念に準備したのにみんなみんなみんな全部全部全部――」
教卓を睨み殺さんが勢いでブルブルと震え、恐ろしい呪詛のような…悲しいポエムのような事を呟いている。
何故か背後に、邪悪なオーラが集まりつつ有るように見え――
実際集まってる。灰色の霧がゴゴゴゴゴという文字に見えいる。
「……コホン。つまり先生が言いたいのはね?」
しばらくすると冷静に戻ったのか、死んだ魚のような目を瞬き一回で星が飛び交う瞳に変貌させたみっちゃん。
腕を胸でクロスさせトリプルアクセルからのポーズ、今にも「キャピッ」と言いそうなポーズをとりながら――。
「差別! 駄目! 絶対! キャピッ★」
――言った。
■◇■◇■
僕たちが生きる世界には、アルスと呼ばれる小さな機械が空気中に満ちている。
アルスの扱える度合によって将来の職業が決まる。そんな世界だ。
操作系は、情報の処理伝達能力に長け、空気中のアルスを操作して細かい作業の職業に適している。
強化系は、身体能力の強化が出来、重い物が運べたり、高く跳べたり、疲れにくかったりするので建築や農作業に向いている。
ウタ窓も操作系の一種らしく、普通は強化系でも意識するだけで展開出来るらしい。
僕には操作系の融合がまったく進んでないので声に出して呼び出さなくてはならない。
なら、強化系が出来るのかと言えば身体能力も並以下でアルスを使っての筋力の増強など出来はしない。
つまり僕は、将来なんの仕事にも付けない
この世界に必要ない人間なのだ。