第十二.五話「ぁぁ……守るさ、守るとも」
「どうしてこんな事に……」
ガラスケースの立ち並ぶ部屋の中央。下着以外身につけていない肥満児があぐらをかいて困惑していた。
昨日、ソラオと名乗った不思議な雰囲気の男の元から、シンを引き離そうとしたところまでは覚えているのだ。
「だが、その後が思い出せない! むむぬぅ……頭が割れるようだ……!」
それもそのはず、キョウイチロウの後頭部には特大サイズの保冷剤がくくり付けられている。
テッサロッサの処置だろう。ここに担ぎ込まれた時、巨大なたんこぶを作っていたのだ。命に別状がないのが分かると取りあえず冷やしておく事にしたのだった。
「それにこの惨事はなんだ?」
そう言うと自身の周りを見回す……いつもとさほど変わらない風景。ガラスケースの中には複数のフィギュア。
ただ一つ、違う事が有るとすれば……全てのフィギュアがキャストオフ状態だと言う事くらか。
コモモちゃんフィギュアに始め、アニメのキャラクター達までもその肌をあらわにされている。
丹精込めて作り上げたその洋服達は、挟み込み式で着脱可能なように改造されていた。
機械や日用品に至ってもその外装が取り払われるという徹底っぷりだ。
「これを……俺がやったのか……?」
「さようで御座います。坊ちゃま」
突如声をかけられ、体全身でビクリと反応し、体全身の脂肪がプルリンッと揺れた。
「びっ、ビックリさせないでくれテッサ!」
「申し訳ございません。お目覚めになられたようですので様子を伺いにまいりました」
そう言うと、ピンク色をした頭にヘッドドレスを乗せた、メイド服姿のアバターが深々とお辞儀をして現れる。
「一体、ここで何があったんだ?」
テッサに問う。その視線の先には大量のティッシュペーパーが丸められており。二、三個の塊を一つのコロニーとし、部屋中にいくつもの集まりを作り上げていた。
「ご覧になられますか?」
「録画していたのか!?」
了承も得ず、目の前に大画面ウタ窓が現れる。
映し出される映像はこの部屋だ、視点がやや見下す感じになっているのは天井の隅からの映像なのだろう。
部屋は特に荒れた様子も無く、床にティッシュペーパーのコロニーも出来てはいない。
部屋の隅には肥満児が頭に保冷剤をくくり付け、制服姿のままうつ伏せに横たえられている。
「テッサ、なぜ俺はベッドで眠っていないんだ?」
「はい、冷たいから床が良いと、おっしゃっておられました」
「そうか……」
しばらくは全く動きの無い映像が流れた。見ている本人でさえ『これ死んでんじゃないか?』と思えるほどピクリともしない。
そんな時間が数分続き、そろそろテッサに早送りを頼もうかと思った時。映像に映る肥満児に動きが有った。
ピクッ、ピクッと下半身だけが動いているのだ。それは、芋虫が体を進める時の動きを、前進せずに行っているかのようだった。
その動きはだんだん激しさを増し、映像も床を叩く音を微かにに拾っている。
どこまで激しくなるのかと眺めていると、突如その動きが止まり――。
『ォォオオオオパンティィィーーーーーーィィイイ!!』
立ち上がった。画面に背中を向けているため表情までは読めないが、一番の変化として股の間から見える床に、ティッシュペーパーのコロニーが出来ているのが見て取れた。
「テッサ! 俺はどこからティッシュを!?」
「申し訳ありません、存じ上げません」
映像を端から端まで見てもどこにもティッシュの発生源が見当たらない。
一体どこからティッシュを取り出して居るのだろうか……。
肥満児が動き出す。まるで酔っぱらったかのような千鳥足でフラフラと、ガラスケースに手をかけながら彷徨っている。
おもむろにガラスケースを開け、中のフィギュアを手に取る。
「ぁ、一番最近作ったコモモちゃんフィギュア」
「さようで御座いますね」
――瞬間、画面の中で黒い霧が渦巻き出す。
それは肥満児を中心として起こる竜巻のように加速し、中央にはフィギュアを両手で掲げた人影が見える。
「おい、またうつ伏せだぞ」
「さようで御座いますね」
竜巻が消え、映像に静寂が訪れた時。先ほどまで人影だった者はうづぶせで、両手に持ったフィギュアを頭上に掲げている。
「しかもいつの間にか服を脱いで……おい見ろ! 今の間にフィギュアのキャストオフ《脱衣》が完了している!」
「さようで御座いますね」
両手で握られたフィギュアの傍には、コモモフィギュアが先ほどまで着ていた服が、挟み込み式の着脱パーツとして転がっていた。
そして始まる芋虫ダンス。
『ォォオオオオアアパンティィィーーーーーーィィイイアア!!』
先ほどよりも更にハイテンションな映像に、思わず目を逸らしたくなる。
立ち上がった足元には、又もやティッシュのコロニーが――
「テッサ! 見ろ! あんな所にティッシュの箱が!」
「さようで御座いますね」
そう、ティッシュの箱が有った。見つける事が出来ないのも仕方ない。その箱は――キョウイチロウのお腹にピッタリとくっ付いていたのだから。
「なんと言う事だ! 俺はティッシュと何処でも一緒だったのか!」
「何をおっしゃっているのか分かりかねます」
それからも次々にガラスケースからフィギュアを取り出しては、芋虫ダンスを続ける映像が流れる。
途中からは早送りで見ているにもかかわらず、肥満児は休むことなく一連の動作を機械のようにこなしていくのであった。
それは映像の中が夜になり、朝になって初めて終了の兆しを見せる。
お腹にくっ付いているティッシュペーパーの箱が空になったのだ。そして、全てのフィギュアがキャストオフ済みとなる。
すでに部屋中にティッシュのコロニーだらけになっているが、これ以上のコロニーを作り出す事が出来ない状況となったわけだ。
『テッサー! テッサー!』
『お呼びでしょうか、坊ちゃま』
『テッサ! 服をぬ――』
「ストップ! テッサ! ストップだ!」
「かしこまりました」
テッサの顔は先ほどと変わらない、切れ長の目にはいつもの冷静さが見て取れる。
「テッサ……すまない……俺はこれ以上見る勇気がない」
「さようで御座いますか」
テッサの出していたウタ窓を消し、部屋の大窓を開ける。淀んだ空気が屋外に流れだし、新鮮な空気が部屋に入る事で頭の中もややスッキリとしてきた。
「ぁぁ……心も体も洗われるようだ」
窓の外には夕焼け空、芝生に植林。今の気持ちと同じ、少し寂しい感じがする。
「テッサ、今は何時なんだ?」
「はい。現在の時刻は午後四時五十分です」
「学院は?」
「身動きが取れないようでしたので、欠席の旨を伝えております」
「そうか……すまない。俺は一体どうしてしまったんだろうな」
部屋に向きなおり溜息をつく。とりあえず部屋に散らかるティッシュを片付けようと、重い一歩を踏み出した時。自身の眼前にウタ窓が出現する。画面にはマリの文字と、そこから波紋が広がるような演出の映像。
「マリから映像通信?」
ウタ窓の視界にティッシュの山が入らないように移動し、ウタ窓の通信に応えるように意識を向ける。
「マリ、どうしたんだ?」
だが通信相手のマリから返事はない。
「どうやらコチラからの音声は出力されていないようですね」
映し出された映像にマリの姿は無く、映るのは男二人の後ろ姿。
一人は普段見慣れた我親友。そしてもう一人は――
「ソラオ? なぜアイツがこの都市にいるんだ」
相手に聞こえていないのに声に出してしまう。当然、そんな疑問に答えはない。ただ黙々と夕日に染まる街路を進んでいる。
ただ歩く人を見るだけでは暇なので、画面の細部に意識を向け、現在何処を歩いているのか推測にかかる。
見受けられる町並みから、学校の周辺だと言う事は分かったのだが……一番注目されるべきは画面の下角。
左右共に少しだけ肌色の丸みが映し出されているのだ。
想像出来るウタ窓の設置場所に思わず股間が熱くなる。気付けばその肌色ばかりに視線がいっていた。
『ココでいいだろう』
「ハァ、ハァ、はっ!? 公園? いつのまに!」
「坊ちゃまが画面端に集中されておられる間にです」
突然発せられた声に、失いかけていた冷静さを取り戻す。
画面の中のソラオは手を上げたり下げたり、木材をクルクル回して遊んだりしている。
その間も視点はズットソラオに向いたままで、画面の端で聞こえていた物音には全く反応していなかった。
「マリはこれを見せるために俺に通信を?」
「どうでしょう……真意までは分かりかねます」
『よっし、じゃあ本題に入ろう』
遊びにもひと段落ついたのか、ようやく本来の目的へと移行するようだ。
『つまり、俺は人間じゃねぇ。俺の体はアルスで出来ているって言えばわかるか?』
『なっ!』『は?』「にしてもこのオパーイは一体……ん?」
画面の端にばかり集中していて話を聞き逃してしまった。
「テッサ、今なんと言った?」
「画面の彼が、自分はアルス集合生命体だとおっしゃいました」
「それはテッサと同じものと言う事か?」
「厳密には違うと思われますが、似たような概念だと思われます」
「む……どういう事だ?」
「つまり。ホームプロセッサは、本体がアルスを使って実体であるアバターを作成していますが、アルス集合生命体とは実体を作り上げるアルスが本体だと推測されます」
「それは……似た概念と言っていいのか?」
そんなやり取りをしている間にも、画面では親友とソラオが難しい話を進めている。
『なあに、難しく考えることなんてねえ。俺が言う施設っつーか装置っつーか。それを止めて来てくれるだけで良い。無償とわ言わねえ、成功したら何でも一つ、願いを叶えてやる』
『な、何で僕なんだ? 僕なんかよりもっと優秀な人が――』
『お前じゃなきゃダメなんだよ! ……お前じゃなきゃダメなんだ。昨日言ったアルス精神干渉と五感干渉、覚えてるか?』
「うん、シンは優秀だ! 俺が保障する!」
「さようで御座いますか」
「ところで、アルス干渉とは何だろうな」
「申し訳ございません。分かりかねます」
「俺もそのアルス干渉を受けているのだろうか」
「申し訳ございません。分かりかねます」
どうやらソラオの言っている事は本当なのだろう。アルス干渉という〝知識自体〟にも干渉して来ている。
「都合の悪い情報を排除するアルスの意思……か。ん? なら何故俺には影響が無いんだ?」
『だからクニヒコ、お前じゃなきゃダメなんだ。アルス干渉を受けないお前じゃなきゃな?』
『で、でも! それならキョウが居るじゃないか! キョウみたいな人を沢山作れば全ての装置を――』
「小指が無いな」
「ございませんね」
画面のなかでソラオが左手を向けている。
手のひらをコチラに良く見えるように開いて。
『そのキョウって奴の頭の中に置いてきた。アルス干渉ってのはな、そんな簡単に無効化出来るもんじゃねえんだよ。俺の指揮下に有る俺の体を使って初めてオフに出来るんだ。もしそんな事複数人にやってみろ、俺の体が無くなっちまう』
「テッサ! 俺の頭をスキャンだ! 早く!」
「かしこまりました」
「どうだ! 指は有ったか!?」
「少々お待ち下さい……終了しました。指らしき物は御座いません」
「そうか……良かった。指がそのまま残されていたらどうしようかと思った」
「さようで御座いますね」
テッサロッサに向けていた頭を戻し、ホッとした表情で画面へと視線を戻す。
「しかし、テッサ。アイツは何故指を〝無いまま〟にしているのだ?」
「申し訳ございません。分かりかねます」
「テッサがもし、腕を失ったとして。その腕を修復せずにいる理由は考えられるか?」
「少々お待ち下さい……考えうる理由としましては――失った処を見せる為……位でしょうか」
そう、見せる為以外に考えられない。あたかも『それを行うのにリスクが有る』とアピールしているようだった。
そんな思考を巡らせている間、画面に大きな動きが有った。
視界から親友が消え、正面には眉間にシワを寄せたソラオ。
マリが両手にそれぞれ得物を持ち、胸の前で逆手に構えている。
その構えのせいか、胸が左右から圧迫され、画面端の肌色が更なる侵略を遂げていた。
「オパッ……」
『でも、しーちゃん! コイツやっぱり変だよ! コイツの言う通りにしたらしーちゃんが危ない気がする!』
アルス干渉の為に会話の内容は理解できなくとも、場の雰囲気から親友の危険を察知したのだろう。
「マリめ、なんて良いオパ――良い奴なんだ!」
下着一枚の姿で両腕を組み、画面の端を見つめながらウンウンと頷く変態がそこにいた。
『そのまんまだ。金、名誉、女、この星の支配者にだってしてやる。後、お前にアルスが使えるようにする事だって出来るぞ?』
画面端と睨めっこをしていたら聞き捨てならない言葉を耳にした。
「シンにアルスを使えるようにすると言ったか?」
「はい、確かにおっしゃっておられました」
ニヤニヤして画面を眺めていた顔に真剣みをおびる。
「テッサ、そんな事は可能だと思うか?」
「申し訳ございません。分かりかねます――しかし」
「しかし?」
「しかし、アルス集合生命体にならば可能なのかも知れません。坊ちゃまに施されたように、強制的な融合が可能なのであればあるいは」
「シンにもアルス操作が身に付くかもしれないと……」
「さようで御座います」
ならばシンにとってこれほどのメリットは無いのではと思う。
ソラオについては未だ信用ならないが、失敗を想定した上での頼みごととは思えないのだ。
これほど計算して事態を動かしているのである、シンが行動さえすればそれは成功するのだろう。
「そして、シンが行動する事も恐らく織り込み済み……か」
なら、もしもの事を考えてシンに同行するのが良いだろう。
幸いアルス干渉は解除されているようだし。
「よし、今夜シンを誘おう。アイツも早い方が良いと言っていたからな」
「さようで御座いますね」
そう、決めた時だった。
画面から、強い風のような音がしたと思うと映像がプツリと消滅したのだ。
「テッサ、映像が消えたぞ?」
「通信が途絶えております。マリ様の方で通信を切られたようです」
「そうか……なら仕方ない。また夜に連絡するとしよう」
「かしこまりました」
シンにアルス操作を使わせられる。
キョウイチロウにとって、これほどの喜びは稀に見ない物だった。
一年前、マリと交わした約束が思い出される。
『一緒にしーちゃんを守ろう!』
学園三年生の頃、キョウイチロウは既に操作系の融合が進んでいた。
しかし、シンの融合が全く進まないのを側で見ていたがために打ち明ける事が出来ないでいたのだ。
もし打ち明けたら
もしクラスの人間に知られたら
今まで二人で受けていた迫害がシン一人に集中するのではないか……。
それが怖かったのだ。
キョウイチロウがまだ学園一年生の頃、自身の裕福な産まれもあって他者と一線を引いていた。
自分は偉いんだと、親の仕事に格好付けて近づく同級生に対して斜に構えていたのだ。
当然誰も近づかなくなり、誰とも話さず、誰とも触れ合わず、そんな生活を一月も続けた頃――シンが話しかけてくれた。
『一緒に遊ぼう』と。
嬉しかった、あの時の喜びは今も鮮明に残っている。
だが心とは反対にその好意を邪険に扱ってしまう。
それなのに、また次の日も、また次の日も誘ってくるのだ。
そんな日を繰り返す中いつしか、学園でも学園外でも一緒に過ごすようになっていた――。
そんな喜びを与えてくれたシンに辛い思いをさせたくない。そんな気持ち一心で操作系の融合を隠して来た。
だが、マリに見られてしまった。
学院の入学式直ぐ後のことだ。
長期休み明けで気が緩んでいたのだろう。普段ならそんな事で操作系を使ったりしなかったのだから……。
耳かきを、作ってしまったのだ……操作系で。
操作系の融合が進みだしてから、その力は見る見る成長していっていた。
学園卒業時には爪楊枝や耳かきなどの小物を即興で作っていたのだ。
だからその日も――入学式後の下校中、チョット耳が痒くなったから耳かきを作って耳を掻いていたのを……マリが驚いた目で見ていた。
しまった――と思った。
だが既に遅い。下校後マリに呼び出しを受ける事になる。
有無を言わさずぶん殴られ、なぜ黙っていたんだと詰め寄られた。
流石にコチラの事情を無視したその対応に腹が立ったので、殴り返そうと操作系で小さな棒を作って殴りかかった。
カウンターで見事にぶっ飛ばされた。
正直、まったく勝負にならい位の力量差が有ったのだろう……。
『なんで隠す必要があるの! 力が有るなら、なんでしーちゃんを守ろうと思わないの!』
そんな事を、言われた気がする。
守っているつもりでいた。
一緒に迫害を受ける事でシンの負担を減らしていると信じていた。
だがマリは違ったのだろう。
力があるなら、その迫害を取り払うのが友のする事ではないのか。
あの脳筋はそう言いたかったに違いない。
自分は逃げていたのだろう、強くなる事に。体をはって守ることに。
受動的ではなく攻撃的になることに。
数日間マリとは口も聞かなかった。
自分の覚悟が決まらなかったのが一番の原因だ。
だが、自分の肉体を鍛える事、戦闘技術を身に付けることを心に誓い。
シンに操作系の力を打ち明けると、マリに報告をしたのだ。
決断が遅いと文句を言われたが……顔は笑っていた。
その時、あの約束をし、三人はいつもの関係に戻ったのだった。
懐かしい事を思い出し、頬が緩むのを感じる。
「ぁぁ……守るさ、守るとも」
そう、ひとりごちり――
部屋に散らばるティッシュコロニーを拾い集めるのだった。




