第八話 「ポンポンポーン?」
七月末。春とは言え夕方はまだ少し肌寒いこの季節。
茜色の空をバックに仁王立ちをする少女の前。
丸っこいのが二人、校門の前に正座させられていた――。
「で、なんだったっけ? キョーちゃんが迎えに行くと、しーちゃんがゴリラに襲われてて? ゴリラの側にタヌキまでいて? で、キョーちゃんがゴリラ投げたら、タヌキと仲良くどっか行ったって?」
「いぁ……あの、別に襲われてたわけでは……」
「だまらっしゃい!」
「はひっ!」
「まぁまぁ、マリ。シンも反省してるみたいだしさ――」
「お黙り! メガネ豚!」
「め、めがっ!」
「だいたいね! 今の話だけでどうしてこんなに遅くなるの? 一時間よ? 一時間! そんな長い間人気のない校門で! 可憐な乙女が一人待ちぼうけさせられて……もしもの事があったらどうするの!」
「さ、流石にマリを襲うのは……」
「そうだぞ? マリは自分で思ってるより強いんだぞ?」
「うるさい! 誰が喋っていいと言った! 土下座! 平伏!」
「「は、はは~~!」」
そんなやり取りをかれこれ三十分は続けている。
キョウの足の震えが治まるのを待ち、マリの事を思い出して慌てて校門に向かった頃には時既に遅し。
マリの顔はプンプンを遙かに通り越して、ボッコンボッコンと溶岩が煮えたぎっている様な有様だった。
もぅ凄かったのだ、もとも筋骨隆々な体をしているマリが、全身の筋肉をさらに二回り膨張させ、筋肉による熱なのか周りに陽炎までおきていたのだ。
それを見て……悟りの極地に立った様な顔でお互の顔を見合わせたのは言うまでもないだろう。
しかし、要らぬ心配をかける訳にはいかないから本当の事は言えない……。
遅れた理由を聞かれた時に、アイコンタクトでキョウに言い訳を任せたのは間違いだったのかもしれない。
なんで学校内を動物園にしちゃうかな!?
しかも名詞が変わっただけで殆ど事実じゃん!
いくら脳筋のマリでも気付いちゃうにきまってる!
「まぁ、ゴリラとタヌキの事はもう良いわよ! 信じてあげる」
信じちゃうんだ!?
「でも、ウチが待たされても大丈夫な存在だと思われているのが許せないわ! ウチは乙女なのよ!」
そっちだったのかー!
「ご、ごめんよマリ。乙女を一人で待たせちゃって……今度からはマリの安全のために一人にしないから……ね?」
「そ、そうだぞ? もぅマリを一人にしない! シンがズット側にいるから!」
あ、え? どうしてそうなるの?
「んも~、しーちゃんったらー! ウチの側を離れたくないだなんて~……エヘヘ」
マリもまに受けちゃうし。ってか飛躍してるし!
それにしても……。
ウネウネしている。そして大きな胸が右往左往している。なんでこんな凶悪な物が強悪な人間に付いているのか……はなはだ疑問だ。
■◇■◇■
機嫌を取り戻したマリ達と、他愛もない会話を交わしながら下校し、つい先ほど二人と別れた所だ。
マリは職人の多く住む住宅街へ、キョウは郊外行きのバス停へとそれぞれの道を歩む。
去り際、二人から箱を受け取った。
職業見学会の事で頭一杯で、すっかり忘れてたな~…
今日は僕の十六歳の誕生日だった。
受け取ったプレゼントを帰宅しながら見させてもらおう。
まずは、少し小ぶりの箱から……空箱は一緒に渡された紙袋に戻し、ショック吸収用に巻かれたプチプチを丁寧にはがしていく。
「あはは、キョウはまだコモモちゃんにご執心かー」
そこには、三つ網を二つ、頭の上でお団子にしたコモモちゃんフィギュアの上半身だけが入っていた。
そして、一緒に入っていたメッセージカードにはこう書いてある。
『毎度の事ながらすまん! 下半身は19月の祝歳日までお預けと言う事で! 誕生日オメデトウ! ――キョウイチロウ』
去年もそうだったが、祝歳日に下半身だけ送られた時のシュールさは今でも思い出す。
あの時はホント目のやり場に困ったな~。
「マリのはっと……次は何の動物なんだろ?」
コモモちゃんフィギュアにプチプチをまき直し、丁寧に袋に戻すと、次にマリのプレゼントへと手をかけた。
「うわ、今回は大きいな~、その割に軽い?」
今までの経験から、また大切な部分がなくなってしまった動物を想像してしまう。頭ほども大きさが有るのだ、今までで一番の大物を予想する。ゾウはもぅやった、ならクジラか? そんな事を考えながらプレゼントの箱を開けた。
「これ、は……ハート……なのかな?」
入っていたのはとても立体的に作られたハートのオブジェだった。ただ一つ、ヤッパリと言うか期待を裏切らないと言うか――変わったか所が一つある。
「なんでハートの真ん中に布が張ってあるんだろ?」
表と裏、立体的なハートの半分ほどの面積を円形上の布が縫いとめられていた。
おもむろに、ピンと張られたその布を指で触れ。軽く叩いてみる。すると――太鼓のような音をならし、音が内部で反響してハート事態が微振動する仕掛けになっているようだった。
今年のは凝ってるなー、何か音楽でも始めたのかな?
中心を大きくくり抜かれ、布の張ってある立体的なハート。それにはとても大きくメッセージが彫りこまれていた。
『震えろハート!』その裏に『響けビート!』と――。
何を思って作ったのか分らないけど、なんか熱意だけは伝わってくるようだ。
茜色の空を眺め、手にしたハート型の太鼓を気ままに鳴らしていると間もなく自宅に到着した。
「ただいま~」
「お帰りなさいませクニヒコさん」
帰宅の挨拶をすると、玄関を入ってすぐの空間に着物姿のリインが現れる。薄い桃色の生地に、空色で桜の花があしらえてあって何とも春らしい装いだ。頭に直接カンザシが刺さっているが、大丈夫なのだろうか?
「ただいまリイン、今日は着物なんだね」
カンザシの事には一切触れず、服の話題だけを振る。
「はい。ご家族の皆様から特にご要望が有りませんでしたので、今日のご夕食に合わてこのような格好をさせて頂いております。似合いますでしょうか?」
「よ、よく似合ってるよ!」
「ありがとうございます」
自主的なチョイスも出来たんだ、と感心してしまう。普段は母さんかミクにより、ほぼ強制的に服装を決められているリインにしては珍しかった。
しかし……ならカンザシのチョイスも自分でってことなのかな?リインの考えている事がわからない。
僕が紙袋を玄関に置いて、さあ靴を脱ごうとしたところでリビングからトッタッタッタッタと小動物が駆けているような音が――あ、ころんだ。
リビングのドアの向こう、こちらに駆けて来ようとして豪快に転んだのだろう。床に固いものを落とした時が玄関まで聞こえてくる。
「…………ふっ……えあぁぁあぇぇっぇ……にーちゃーん!」
「あーーも! だからいつも走るなって言ってるのに!」
脱ぎかけた靴を乱暴に脱ぎ捨て、慌ててリビングへと駆け込む。すると案の定、ドアの前でオデコを抱えて座り込む、我が家の末っ子三歳児が目から大粒の涙を流して出迎えてくれた。
あふれ出る涙は幾らか拭われるも、次々と小さな手をすり抜け、可愛らしい空色のワンピースに濃い青の跡を作っている。
「ふぇぇぇ……にーちゃん! おあえぃ! にーひゃん! ふぇ~」
「はい、ただいま! あーあ、せっかく前の傷も消えたのに……あ、でも赤くなってるだけか。リイン、テープいらないから!」
特に裂傷がない事を確認すると、恐らく傷用テープを持って来るだろうリインに一声かけておく。
膝をおり、ミクを正面から抱きしめて、背中を激しくさすってあげる。
「よーしよーし、もう痛くないからなー。もう痛く無くなるからなー」
子供の頃、両親に教わった事があるおまじない――詳しい理屈は分からないが、子供の神経系は大人より細い。それを利用して痛みを伝える以上の刺激を脳に送ると、情報を伝達する神経がパンクして痛みを脳に届かせないようにするのだそうだ。
あれ? でもそれって頭が痛みの元でもいいんだっけ?
「……うっ……ぇぇ……ふぇぇぇぇ!」
ダメだったみたい。
「リイン! ちょっと玄関の紙袋持ってきて!」
「かしこまりました」
こおなったら仕方ない、早速出番がやってきたと言う事なんだろう。
リインは即座に動きだすと、瞬く間に僕の座る横に紙袋を置く。
「お待たせしました」
「ありがとう! ほら、ミクー太鼓だよー。ミクもやってごらーん」
僕は紙袋からマリから貰った『震えろハート太鼓』をミクの前で叩く。
「ふ、ぇっく……たあこ?」
「そお、太鼓だよ~。ほらポンポンポーン」
「……ポンポンポーン?」
「そお、ほら楽しいよ~」
「……ぇっく……ポンポンポーン」
「ミク――それはにーちゃんのお腹です」
ミクは太鼓を受け取ると叩くでもなく、投げるでもなく。ただ片手で抱き締めると、僕の豊満なお腹に顔を埋め顔をグシグシと擦りつけて、反対の手ではそのお腹を優しく叩いてきた。
「……っ……にーちゃん……あったあいね……にーちゃん」
――。
ねちゃった……かな?
「おやすみになられたみたいですね」
リインさん、心を読まないでくださいますか?
「それでは、寝室までお運び致しましょうか」
絶対分かっててやってるんだ。
腕の中のミクに視線を落とす。眼尻には薄らと涙の跡が残っているが、今は木製のハートを抱き枕にして規則正しい寝息を立てている。
この状態で起こさずに運ぶのは……僕には難しいかもしれない。
「そうだね、リインお願いできるかな?」
「かしこまりました、クニヒコさんをミクさんと同じ寝室に入れるなど危なっかしくて仕方ありませんものね」
「そう言う問題じゃないからね!? いったい僕をどんな人間にしたいの!」
「ミクさんさえ安全ならば何にでも。さぁ、いつまで抱き合っているおつもりですか、ソコをどいて頂けなくてはミクさんを運べません」
リインは僕の事本当にどうでもよさそうに話すなー。
「わかったよ。太鼓、放しそうに無いから一緒に持ってってもらえるかな?」
「そうですね、お放しになったら回収するといたしましょう」
失礼します、と言いながらミクの体をゆっくりと浮上させる。座ったままだった姿勢を、眠りやすい横向きにして静かに寝室へと消えていく。
「ウタム」
ミクも寝て、リインも居なくなったら途端に手持無沙汰になってウタ窓を出現させる。
軽くタッチし、キーボードが展開するのを確認すると、画面の角をつかんで適当な大きさに調整。その後、つかんだままのウタ窓をもってリイン達の消えた両親の寝室の方へ足を向けた。
脱衣場と寝室の間の壁にウタ窓をはっりつけ、自分の定位置へと戻って椅子に座ったところでリインから声をかけられる。
「クニヒコさん、お飲物はいりませんか?」
「ミクは――リインだから大丈夫か。そうだね、ズット抱き合ってたから汗かいちゃった。冷たいのを何か適当にお願い」
三歳児の体温は高い。泣きやんだ後も僕のお腹から離れず、そのまま寝入ってしまったミクは、まるで湯たんぽのようだった。
泣き疲れ、眠りに入ろうとするミクを、熱いからと言う理由で引きはがすことは出来ない。
「さぞ、良い気持ちだったでしょう」
「僕はそんなつもりで抱いてないよ!?」
「ミクさんの方ですよ」
「ぁ~……」
自分のお腹を見ながら納得してしまう。僕のお腹は何とも言えない柔らかさらしく、某筋肉脳筋少女をして『最高級ビーズクッションでもここまではいかないよ!』と言わしめるほどなのだ。
自分ではその感覚がサッパリ分からないのが悔やまれる……。
もしかしたら僕にとっての唯一の個性なのかもしれない。
あれ……おかしいな? 目から中性脂肪が――。
「お待たせしました、黒烏龍茶です」
僕の個性を刈り取りに来た!?
「あ、有難うリイン」
「いえ、ご家族の健康管理もホームプロセッサの勤めですので」
確実に分かってやっている、間違い無い。
「なんか、日に日にリインの思考アルゴリズムが複雑化してるように思うんだけど?」
「そうですね、ここ数日はカイトさんの『より人間に近いAI模索』により色々手が加えられています。なかなか上手くいっておられないようでして、複雑な演算機能や空間分析力などが次々と強化されております」
父さん! なんて事を! 改悪! それ改悪!
「お陰様で、皆様の些細な変化で状況を解析する事に成功しております」
リインさん――なんて恐ろしい子!!
冗談はさて置き、最近目に余るようになったリインの鋭さはこれが原因だったと見える。
いったい何故、人間に近いAIを模索しだしたのか分からないが……。
これ以上話を掘り下げるつもりが無い事を察知したのか、しつれいします、とだけ告げてリインが消えていく。
楽になったと言えば楽になったのか? とも考えるが。家族団らんの食卓で、リインが全ての人間の行動を先回りし、言葉に出すまでにソノ返事を伝え、終いにはリイン一人だけが喋り続けるという図を想像してしまった。
家庭崩壊の危機!?
流石にソコまでの事にはならないだろうが、これから先の家族円満は父の腕にかかっているようだ……。
一抹の不安を感じる中、どうする事も出来ないのも理解しているがゆえに――今は普段の日常を送ることで問題から逃避するのであった。
壁に貼り付けたままにして居たウタ窓をニュース番組に切り替える。
『はい!私は今第五都市パーシバルに来ています! 今日はリニアエクスプレス社開発の、最先端都市間移動列車ロケットスレッド公開記念試乗会と聞いて沢山の市民が押し寄せております!』
最近よく見る元気の良いリポーターが、今日は『第五都市パーシバル』にリポートに来ているようだ。
駅のホームと思われる会場には沢山の人。その誰もが薄く布のかかった本日お披露目予定の列車に視線を集めている。
『このロケットスレッドは、アルス研究所の協力を得て、通常のリニアには超える事の出来なかった時速千キロを達成した事で注目を集めていました。もしそれが可能なら実質一日で世界一周出来てしまう計算になります! 凄いですよねー!?』
列車の中で一日過ごして終わってしまいますけどね! と続ける。ソコまで言い終えると、画面がスタジオに切り替わり次のニュースを読み上げ始めた。
『次のニュースです。昨年から続いております家畜の変死事件ですが、当局の懸命な捜査も実らず、未だ犯人の足取りはつかめて居ないとの事です。反アルス団体シナプスは依然関与を否認しており、捜査協力として人類治安機構ロックの指示を仰ぎ引き続き捜査を続ける方針を固めております。住民の皆様は夜間の外出など十分気をつけて――』
なんとも物騒な話だ。こんなに世の中が平和なのに何かしら変わった事が起きてしまう。
精密に計算された編み物でも、一か所の綻びからその全体を崩壊せしめるように。この世界もいつか壊れてしまうんじゃないかと言う、漠然とした不安を感じてしまう。
僕にはもっと眼前の問題があるわけだけども……。
僕がニュースに見入っている間。リインが姿も見せず、操作系の力だけで夕飯の準備を始めていた。
今日の献立は――焼きシャケ、味噌汁、ホウレン草の御浸し、そして――。
誰も居ないキッチン、空飛ぶシャモジが炊飯ジャーの中身をかき混ぜる。そのかき混ぜられる炭水化物に、僕は目を奪われてしまう。
ホント……リインは何所を目指しているんだろう。
最後の献立は『お赤飯』だった――。
リインさん!? 一体何所まで知っておられるんですか!?




