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7. 脱出

 母はきっと父の所にいる。そう考えて救急外来の受付を訪れたのだが、既に脳外科のある第九フロアに移されたと聞いて、そちらへ向かった。

 父の病状は依然として予断を許す事ができないようで、面会謝絶だった。

 飲み物でも買いに離れているだけかもしれないと、そこで二十七分待っていたが、母は姿を見せなかった。時計ばかりを見てたので、待っていた時間は正確に覚えていた。

 そこで、売店や化粧室など、自分の想像の中で母がいそうな場所を巡りながら、エレベーターを使わないで降りていった。

 その結果、何の収穫もないまま船着場まで戻ってきてしまった。ここまで来たのだから、一旦船に戻ろうと、そう思った。

 その船着場は、何だか物々しい感じがしていたが、さほど気にする事なく、私は自分の船を探し始めた。

 すると、警備員の一人が私のもとへやって来て、声を掛けた。

「これからお帰りですか?」

「はい」

その時はただの世間話程度に考えていて、精神的な疲労が募っていた事もあり、できるだけ短く返答するだけにとどめておいた。

「すみませんが、今、大変立て込んでおりまして、船着場の出入り口が封鎖されております。暫くはエンジン等などかけずに、お待ちください」

「え? まあ、いいですけど。何かあったんですか?」

これも、まあ機械トラブルか何かだろうと思い込んでいた。

「今、放送で言ってるでしょう?」

警備員は頭上を指差しながら、言葉を返した。

 私は耳をそばだてて、初めて意識して放送を聞いた。

「侵入者?」

「それが、どうも海賊らしくてねぇ。何が目的なんだか……」

「海賊」

私はボソッと力無く呟いた。

 無関係でありたかったが、嫌な予感がして、普段出ないようなじっとりとした汗が流れて背筋を冷やした。

「た、大変ですね」

「まあ、もうすぐ連合警察がやって来ますからね。それまでの仕事ですよ。では、ご協力お願いします」

 去り行く警備員のおじさんの背中を送りながら、私は引き攣った笑顔で手を振った。

 何やってるの、エディ!

 私は急ぐように船に乗り込んだ。その時、船尾の方から何か人為的とわかる音が聞こえてきた。船体を何かで軽く叩くような、そんな音だ。

 音のする方に行ってみると、音は確かに大きくなっていった。誘われるように舷に手を置いて、海面を覗き込む。眼鏡の奥から鋭い目を見せる銀髪の男が、ずぶ濡れになって船体を握り拳でコツコツ叩いていた。

「ギャッ!」

短く悲鳴を上げながら、私は後に倒れ、尻餅をついた。

 起き上がり、痛む臀部を摩りつつ、もう一度海面を恐々と覗き込んだ。

「姐さーん」

押し殺した声でそう呼ぶのは、ゲイリーだ。それに、ハリーも浮かんでいた。

 では、眼鏡で銀髪の男は副長のギリアムだと、私はようやく気付いた。

「どうしたの? 取り敢えず、水から上がったら? 風邪引いちゃうよ」

「どうもすみません」

そう言って、ギリアム達は警備員達の目が届かない船の影にちゃぷちゃぷ言わせながら移動し、甲板に上がってきた。

 私は警備員達から死角となる洗濯部屋から、三人を船内へ招き入れた。床にポタポタ落ちる水滴を見て、タオルをそれぞれに渡す。

「シャワー浴びてもいいけど」

私の言葉に三人は何故か表情を固くし、首を横に振った。代表してギリアムがその理由を告げる。

「あと十数分もすれば、わたし達はこの医療船を離れなければなりませんので。お気持ちだけ、ありがたく頂戴します」

「そうなんだ。そう言えば、放送で言ってる侵入者って、あなた達なんでしょう? 一番騒々しい人は一緒じゃないんだ」

「エディは今、あなたを探して船内を走り回っているところです」

「私を? どうして?」

「それは……」

ギリアムが言葉を濁した為、ゲイリーは話を変えるように言った。

「とにかく、姐さんがここにいるんだから、あいつを呼び戻さないといけない。端末は上着と一緒に海底だし、姐さん、ちょっと操舵室の通信機貸してもらっていいかな」

「うん、いいけど」

「何から何までお世話になります」

律儀にも深々と頭を下げるギリアム。それに習って、あとの二人も。

 みんなは小走りで操舵室へ移動した。

 通信機の前にはギリアムが陣取った。そして、長いコードを信じられないスピードで入力した。少し空白の時間があった後、騒々しい声が聞こえてきた。

「エディ、こちらは……」

『ああ、わかってる、船に戻ったんだな! もうすぐ戻って来る!』

「それですが……」

『ああ、わかってる、もう戻れって事だな! もう階段を下りている最中だ!』

「全然わかっておられないようで」

『ああ、そうだ! わかっていねー……よ?』

「はい、エディ。あなたはわかっていません。話を聞いてください。あと、嘘は吐かない約束ですが?」

通信機の向こう側にいるエディは、言葉を失っている様子だった。

「いいですか。まず、集合場所が変わりました。我々が乗って来た船は、既に警備員が押えてしまっていました。なので急遽、キサラギ艇に乗り込みました」

『全員無事なんだな?』

「はい」

『キサラギ艇があるって事は、ルイはやっぱりここにいるって事か……』

「いますよ。ここに」

『だよな!』

「だから戻って来てください。あとはエディ、あなただけです」

『はぁ?』

「ルイ殿はいますよ、ここに。この船、キサラギ艇に」

『ああ……そう、なのか』

「では、これで通信を……あ、待ってください。我々が引き付けていた追っ手が、おそらくすべてそちらに向かうと予想されます。十分気を付けてください。では、通信を切ります」

 通信が切られ、部屋は静かになった。

 三人の海賊達はしきりに時計を気にしている。

 どこか物寂しさの漂う室内に、通信の呼び出し音が響いた。すぐさま受信を許可すると、エディの声がけたたましく聞こえだした。

『ギリアム、何も言わずに聞け! 今すぐ船を出せ!』

「エディ? あなたはどうするのです?」

『いいから!』

 有無を言わせぬ口調に気圧されながら、ギリアムアは舵を握った。そして、船のエンジンを作動させた。

「ちょっ、エディは? それに、今は船のエンジンを入れるなって……」

「申し訳ありません。恩を仇で返すようになってしまい」

そう言われてしまうと、強く言う事ができなくなってしまう。

 もう、なるようになるか。

 彼らと関わるのはこれが初めてではないのだ。さすがに慣れを通り越して、悟りの境地にすら至っていた。

 船外の様子はやはり物々しい。そこに、あってはならないエンジンの駆動音が鳴り響いているのだから、注目が集まっても仕方がない。

 だが、出入り口の重そうな扉は、依然として閉ざされていた。どうやって外に出るのか。私はそれを後ろの方で、状況を傍観するように見ていた。

 外の僅かな混乱の中、船は動き出した。

 船首を扉の方に向けると、ギリアムは時計を見つめた。

 ギリアムは、何かを待ってる様子だ。誰かが助けにきてくれるのだろうか?

 停泊場の混乱はやがて治まり、警備員達の動きに統一性が出てきたようで、彼らは警備艇に乗り込み始めた。それは、ここにいる三人にとっては、あまり喜ばしくない事だろう。

 ギリアムは時計を見続けているし、ゲイリーも真剣な顔で硬直していた。ハリーは胃の辺りを右手で押さえ、時々擦ったりもしていた。

 突然、待てば海路の日和あり、そんな事態が起こった。鉄扉がぐぐぐと音を立てながら開き始めたのだ。

 数秒後、船は太陽の下を疾走していた。扉が開いたのは、連合警察が到着し、彼らを船内に招き入れる為だったらしい。

 やって来た二艇の内、一艇は転覆していた。キサラギ艇がすぐ脇すれすれを、猛スピードで走り去った為、発生した大波にバランスを失ったのだ。

 もう一艇の船もかなり揺れたが、何とか耐えていた。

 目下のところ、追いかけてくる船は無い。

 そう思っていたのもつかの間、ヘリが一台、あらゆる音をかき消しながら、船の頭上を飛び回り始めた。

「もう連合のヘリが来てたのか!」

ゲイリーが舌打ちして吐き捨てる。

「いえ、よく見てください、ゲイリーさん」

妙に目敏いハリーが、ヘリを指差しながら言った。

「救急ヘリだわ。うちの船に、どうして?」

「そういう事ですか」

ギリアムが小さく笑った。彼にはカラクリがわかったらしいが、他の三人はぽかんと口を開けてヘリをただ眺めていた。

 すると、ヘリから縄梯子が下りて来た。

「ああ、そういう事か!」

「凄いです、ヘッド!」

「え? エディ?」

最後までわからなかったのは、私唯一人だった。

 そんな私の腕をゲイリーが掴み、操舵室から連れ出した。甲板で腕を放された私は、傾いた太陽の光が眩しいながらも空を見上げた。

 縄梯子から人が下りてくる。逆光で黒い影のようになっているが、私にもようやく話が理解できた。

 ド派手な、エディの帰還だった。

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