7. アゴニー2
目の前で絶叫しながら涙を流し続けるルイ。
それを前にしていながら、俺はどうしていいのかわからず、いつまでも泣き止まない彼女をただ見ている事しかできず、自分自身の情けなさに両手に拳に力を入れた。
それから長い時間が過ぎ、ルイは落ち着きを取り戻して、一人にしてくれるよう言った。
俺が廊下へ出ると、そこにはハリーが心配そうにして、立ち尽くしていた。
「姐さん、どうですか?」
「ああ」
答えになっていない返しだったが、ハリーはそれ以上何かを聞こうとはしてこなかった。
俺は廊下を進み、甲板へ出た。ハリーもそれに続いて出てきた。
「そういえば、ゲイリーさんはどうしてるでしょうね」
ハリーはいつも側にいる相棒の事を口にした。
「ゲイリーか。どうしてあんな事したんだろうな」
「あんな事って、どんな事ですか?」
「まず、この船を繋いでいたロープを、ナイフか何かで切った。それから、停泊場の扉を開け閉めした」
「ええっ! ゲイリーさんがそんな事を……?」
「確かにあいつの仕業である証拠は無い。だが、実際にロープには切断された痕が残っているし、お前も見たんだろう? あいつが警備員室にいたのを」
ハリーは俯いて、「はい」と、控えめに返した。
昨晩はゲイリーの仕業である事を自らで否定したものの、今朝になって考えると、彼の仕業としか思えなくなっていた。
カモメが優雅に浮かぶ空を見上げ、二人はそれぞれ溜息を吐いた。上空はどこまでも青く、水平線の彼方には、昨晩の嵐だろうか、黒く強大な雲がせり出していた。
「あれ?」と、ハリー。
「どうかしたのか?」
ハリーは、俺が見ていた方とは逆の水平線を指差していた。
俺はじっとその方を見つめ、目を凝らしていく。すると、陽光の白んだ光の中に、小船のシルエットが見えてきた。
「こっちに来てるみたいだな」
しばらくすると、シルエットに加えて船体の模様が判別できるようになった。
ハリーが言う。
「あれって、うちらの船に積んである小船ではないですか?」
「ああ、どうもそうらしいな」
俺達は操舵室へ向かった。
「こちらエディ。そっちには誰が乗っているんだ?」
俺は、無線で近付きつつある小船にアクセスをとってみた。
「こちらはゲイリー。それに、ギリアムの旦那もいるぜ」
俺は安堵と共に、彼のあまりに不条理な行動に対する仄かな怒りを覚えた。
「ゲイリー? そんな奴、知らねーぞ。おいハリー、知ってるか?」
「えっと。ずっと飼っていて、去年寿命を迎えたミドリガメの名前じゃなかったですかね」
「おい、ハリー! ヘッドも! 昨夜はすんませんでした。ギリアムの旦那に仕事を頼まれたものですから。そんな事より、もうすぐ着きますよ」
壁に遮られ、鈍くなったエンジン音が徐々に大きくなってきた。ハリーが操舵室を出ていく。
ツンと船が押され、揺れる。小船が接舷されたようだ。
俺は二人を迎えに外へ出た。
小船からこちらに飛び乗ってくるギリアムとゲイリー。ハリーはゲイリーに、エディはギリアムに向き合った。
「何かあったのか? ギリアム」
「エディ、お迎えに参りました」
「どういう事だ? うちに門限でもあったかよ」
「冗談言ってる時じゃねーぞ」
ハリーと何やら言葉を交わしていたゲイリーが、こちらに相手を移して言った。
「そうです」
ギリアムは俺に要点を纏めて説明した。
結論から言うと、今、このキサラギ艇に、俺等捕縛の為、連合の警察が向かってきているらしい。
昨夜、パラケルスス号に入船する為にルイと受付が交した通信の際、偶然にも声が相手方に伝わって、通報されていたのだろう。ゲイリーが医療船に残ったのは、過去に多少の縁があった事もあって、俺の情報がパラケルスス号に残されている可能性があり、それを確認する為の事だったという。
幸いにも、昨夜は嵐の最中にあった為、すぐに連合警察が駆け付けてくる事は無かったが、もう既に、キサラギ艇の位置情報は解析されているだろう、という事だった。
ギリアムは俺の腕を掴み、小船に連れて行こうとした。が、俺はその腕を振り払った。そして、強い口調でこう言った。
「俺は行かねー!」
ゲイリーとハリーは小さく息を吐きながら、こちらから視線を外した。ギリアムは理由がわからず、冷静さの中にキョトンとした表情を浮かべ、尋ねる。
「どうしたんですか? エディ」
すると、ゲイリーがギリアムに少々長めの耳うちをした。
「なるほど。そういう事でしたか」
ゲイリーの解説が終わると、目を閉じ、腕組みをしたギリアムはそのように言った。
「今、あいつを一人にする訳にはいかない」
「ですがエディ、あなたがここに残ったとしても、ルイ殿を一人にする事になります。それは理解して頂けますか? 時期にここにやって来た連合警察のお縄になるのが確実ですから」
俺はギリアムから目を背け、悔しそうに舌打ちした。
ギリアムはさらに続けた。
「それに、もし警察がやってきた時にあなたがここにいたら、随分と面倒な事になります。ルイ殿にしましても、良くて任意同行で事情を聞かれるでしょうし、最悪の場合は海賊の首領を隠匿した罪で彼女自身も捕縛され、連行され兼ねませんよ」
俺は一言も発する事なく、ガクッと首を落とした。それは、事実上の負けを意味していた。
ギリアムは再び目を閉じ、告げた。
「議論の余地はありませんね。行きますよ、エディ」
しかし、俺の足は動こうとはしなかった。
「仕方ありません。ゲイリー、手伝ってください」
副長に命じられ、動き出すゲイリー。ギリアムとゲイリーは俺の両側に陣取り、腕を組むようにして、彫像のように動こうとしない俺を、無理矢理小船の方へと誘った。俺は抵抗できなかった。
二人が俺を小船に乗せ終えた後、ハリーが乗り込んできた。
ゲイリーは、ギリアムに言った。
「旦那よぉ、論破するのはいいが、少しくらいは逃げ道を残してやってくれてもいいんじゃないか? さっきのはちょっと、厳しすぎるように思うぜ」
ギリアムは意に介するような様子も見せず、ゲイリーに返答した。
「私は常にエディの為に行動しています。それはこれからも変わらないと思いますし、変えるつもりもありません。例え、エディが望まない事であったとしても、それが彼の為になるのであれば、私は……」
ゲイリーは一息吐き、やれやれといった様子で首を横に振った。
俺はそんな二人の会話を耳にしながら、自分の無力さ、情けなさに身動きを奪われてしまっていた。




