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9. レオの決意

 洋上での久々の雨。

 雨を受け、洗濯物を取り込みながら、私は呟いた。

「お父さん、明日から一人だけど、大丈夫かな」

 こうしている間にも、父は部屋で仕事をしている。多分、熱中していたら、こんな風に雨が降っても気が付かない。

 夏期休暇は今日で終わり、明日からはスクール・シップへ戻らなければならないのだが、私は一人残される父親を心配していた。

 やがて、全ての洗濯物は私の手で屋内に移された。

 溜め息一つ、額の汗を拭った。窓の外に目を遣り、雨音に耳を澄ます。

 レオと初めて会った日も、こんな急な雨だった。

 古い記憶にも関わらず、五感で感じた全ての事が、在り在りと思い出された。

 そのレオは、今も部屋に籠って何かをやっているようだ。最近では滅多に出てくる事も無くなっていた。

 私は、汗だか雨だかわからないが、べと付くTシャツが気持ち悪かったので、さっき取り込んだ洗濯物から自分のTシャツを探し出し、その場で着替えた。洗剤の微かな匂いを吸うと、汚れた方のシャツは洗濯機の暗い穴の中に落とした。

 シャワー室の脱衣所兼洗濯場を出ると、廊下でレオとすれ違った。何か声を掛けようと身を縮ませたが、結局何も言えなかった。そして、また自己嫌悪に陥る。

 だが、今回はそれで終わりはしなかった。背後でレオから私の名を呼んだのだ。

「あ、えっと、ルイ!」

救われたように明るく返事をした。

「何?」

「ちょっと、リビングまで来てくれるかな?」

「え、リビング? いいけど」

「今、父さんも呼んでくるから、先に行って待っていてくれよ」

「う、うん。わかった」

 レオは踵を返し、すぐそこにある父の書斎の戸を叩いた。その時の彼の表情がどこか思い詰めているように見えて、私は漠然とした不安を覚えた。

 それでも、寄り道一つする事なく、リビングへ向かった。

 リビングにはいつも音楽が流れている。それは、いつもソファに腰掛けた父がいるからだ。けれども、今は誰もいないので、音楽も無しだった。

 私は、先ほど植え付けられた不安を紛らわす為に、ディスクをプレイヤーに載せた。雨音にも負けない音量で、明るめの音楽が流れ出した。

 よくわからないが、確か父がボサノヴァと言っていたのを思い出した。

 間もなく部屋に二人が入ってきて、家族全員が揃った。

 何が始まるんだろうかと、私の心臓が俄に早鐘を打ち始めた。

 最初に口を開いたのは、父だった。

「ああ、いつの間に雨が降っていたんだねぇ」

やはり気付いていなかったか。私は胸の内でそう呟いて、誰にもわからないように俯いて微笑した。

「そう言えば、洗濯物は?」

これはレオの言葉。

 レオも気付いていなかったらしい。

「さっき取り込んだから。安心して」

 空気が少し和んだ雰囲気に変わり始めていた。回り続けるディスクはサンバのような明るいリズムを刻みつつも、ナイロンガットのギターが艶やかに哀愁を奏でている。雨音は相変わらず激しくて、音を所々圧し消してしまうのだが。

 私は少し気が楽になって、これから何が起ころうとも、受け止められるような思いがした。そして、場を進行させる手助けとなる合言葉を口にした。

「それで、レオ。一体みんなを集めて何をするの?」

それは本当の意味で、『軽い気持ち』だった。

 レオは一瞬にして表情を曇らせ、顔面を強ばらせた。

 私はすぐにこの先起こるであろう出来事を予感し、早々に後悔に似た想いを覚えた。

 レオは初めに私を、次に父をしっかりとした視線で見つめ、重々しく口を開いた。

「二人に聞いて欲しい事があるんだ」

父は少し間を置いて、こちらへ視線を移しながら応えた。

「わかった、聞こう。な、ルイ」

「う、うん」

今にも息が止まりそうになりながら頷いた。

「おれももう今年で十七歳になったよ。そろそろ、来年の事を考えなくちゃいけない時が来たんだ」

 雨音が一層強くなり、急にBGMはかき消された。それにも関わらずレオの声だけは、拍手喝采の中にいて、尚もはっきりと聞こえてくる歌い手の歌声のように、強調されて耳まで届いてきた。

「父さん、ルイ、おれは……来年、この船を出るよ」

その瞬間、私はあらゆる音を拒絶した。

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