7. 僅かな違い
午後からは四人での行動となった。
リーダーシップをとったのがスコットマン兄妹であった事もあり、私達キサラギ兄妹が既に行った寒冷地エリアにも再度向かう事となった。私もレオもジャケットを借りそびれて、寒さに震えながらほとんど何も見ていなかったのだから、あながち重複したとも言えない。それどころか、予習していた分、寒さ対策が十分できて、スコットマン兄妹に良い格好が見せられたくらいだった。
あっという間に過ぎ去った時間。それは、総じて楽しいひと時であった事の証明に他ならない。
ただ一つ気がかりな事があった。レオの表情の変化が普段よりも少ないのではないかという想いが、私にはしていたのだ。
おそらく、誰も、もしかして本人さえも気が付かないほどの微細な事だったかもしれない。けれども、私にはそれが感じられた。そうなるという理由が、私にだけはあったのだから。
閉園にはまだ少し時間があったが、高速艇でやって来た人々は、移動の時間を逆算して出立しなければならないらしい。放送でそのように言っていた。
スコットマン兄妹は、近くに船が停泊しているという。
「ジャンナ、今日は楽しかったね」
私は、本心からの笑みを口許に浮かべて言った。
ジャンナも屈託のない笑顔で返したが、すぐに人の悪そうな笑みにすり替えて、小声でこんな事を宣った。
「ホントは二人切りが良かったんじゃなーい?」
「そ、そんな事は……」
「あー、あたふたしてるー。ひどーい」
「ふふふっ、冗談だって。みんなでホントに楽しかったんだから」
「くっ、冗談に冗談で返すような高等技術を身に付けてたのか……ルイのクセに。なーんて、ははは」
笑い声に包まれながら、四人は二人ずつに分かれて、別れた。
帰りの高速艇は、行く時のものよりも大型になったが、私とレオの二人しか乗っていないという事に変わりは無かった。
何というか、祭りの後のような寂しさが私の心を満たしていた。レオの胸中も、同様なのではないかと、漠然と考えていた。
無言のまま、二人は客室に入った。そして、レオは一番先頭のシートに座った。
二人掛けの赤いシートが六つ。合計で十二人座る事ができる。しかし、船内は決して広いとは言えない。天井が低く、レオが立つと拳二つ分くらいしか余裕が無い。シートに腰掛ければ、足を伸ばすのも困難だろう。
静けさは、エンジンを停止している今ならば、一番前のシートに座った人の話し声が、一番後ろに座った人に聞こえてしまうのではないだろうかという程だ。
イグニッションを入れてしまえば、最後の心配事は杞憂であったとわかる。狭いだけに、エンジンの駆動音は凄まじい。
私はまごまごしながら、結局レオの真後ろの席に座った。
中央ドームから離れた高速艇は、方向を少しずつ変えながら速度を上げていく。窓に目を向けていた私は、水平線ギリギリの所に浮かぶ夕日の臙脂色に、一瞬で悲しみを植え付けられたようになった。まるで、赤く燃える太陽に直接心臓を掴まれているようで、動けなかった。
その金縛りのような状態を解き放ったのもまた、同じ夕日だった。今度は、斜陽の光が直接目に飛び込んできて、私は目を背けた。
方向が定まって、高速艇は徐々に加速していく。目を閉じていると、たくさんの手に体中を押さえられているような想像をかき立てられた。
私は膝の上に両手を軽く握った状態で乗せ、身動き一つ取ろうとはしなかった。それは、加速が終わって、慣性力に押さえ付けられなくなった後も続いていた。
頭の中では何かを考えているのだけど、それが何なのか自分でもよくわからない。
何か言葉を紡ごうとしているのだけはなんとかわかってきた頃、レオは何の脈絡もなく突然、歌を口にした。
最初は何と歌っているのか聴き取れなかったが、聞き慣れたメロディが聞こえない部分の歌詞を補完してくれた。
「つーきーはのぼるーし、ひはしーずーむ」
私はその歌のおかげで、自分がどんな言葉を紡ごうと、脳をフル稼働させていたのか理解し、自分に幻滅した。
レオに笑って欲しかった。私を安心させてくれるような笑みを、向けて欲しかったのだ。
レオの歌は、二番に進んだ。
「うーみーにおふねを、うかべーたーら」
私は、レオの機嫌を取る為の言葉を探してたのだ。
「いってーみたいなー、よそのーくーに」
彼の歌は終わったが、ルイはまだ何も反応できないでいた。
そうじゃない……そうじゃない、私。私は自分にそう言い聞かせた。
再び下りてくる沈黙の幕。それを破る為に、私はまだ纏まっていないにも関わらず、破れかぶれで彼の名を呼んだ。
「レオ」
一拍か二拍ほどおいて、レオは返事をした。
「何?」
「歌、『海』だよね? どうして?」
またしてもすぐには返答しないレオ。彼の方も何か考えながら話しているのだろうか。
「そうだな。今の気持ちを正直に歌っただけなんだけど」
「そっか。でも……」
「……でも?」
それでも、やっぱり笑ってくれたなら。そんな思いで、私は言葉を紡いだ。
「でも……あんまり上手じゃない」
しかし、そうやって出て来た言葉は、茶化す為のものだった。
「……ごめん」
悄然とレオは謝った。
願いは届かなかった。
私は惨めな思いでいっぱいだった。冗談めかして言えば、レオも笑ってくれると信じていた私は、更なる自己嫌悪に苛まれた。
今、機嫌を取る事もできないなんて。自分が滑稽に思えてきた。
涙こそ流れはしなかったが、その表情はまさに泣き笑いというに相応しいものだっただろう。
レオの位置から、私の様子は見えない。それだけが救いだった。
やがて、高速艇は減速を始めた。遠くに家が見えてきた。
「家が、近すぎるよ」
小さく口にした。
私にはまだ、取り繕うだけの時間が必要だった。




