8. 恩師
今回、僕を招待してくれた恩師、アビディ・トーマック教授。
僕がこの船に配属された時点ではまだ准教授で、若々しくエネルギッシュで、研究に全てを捧げているような人だった。
そのアビディも、今では現場から退き、このソロン研究海域の幹部役員として、管理職に就いていた。その職からも、今回とうとう退く事になったという訳だった。
「ご無沙汰しておりました。アビディ先生」
御歳六十五歳のアビディは、にこにこしながら、「来てくれてありがとう。本当に久しぶりだ」と言い、僕の手を握った。
僕達は応接室のソファに向かい合って座った。
「レイイチ、少し前に出した君の論文は読ませてもらったよ。相変わらず、音楽をテーマにやっているらしいな」
「どうも、恐縮です」
「いや。面白い論文だったよ」
「ですが、惹き付けるような発見があった訳ではありませんですし」
「確かにそういう論文の方が持て囃されるのも事実だが、本来の論文とは、あのように地道なデータ整理をし、それを如何にわかりやすく纏めるかという事なのだと、私は思うよ」
「そう言ってくださると、嬉しいです」
「久しぶりに、現場に戻りたくなったよ」
二人は軽く笑った。
実際のところ、先日発表した論文の自己評価は余り高くなかった。我ながら、地味な論文だと思っていた。
例えば、同期のリカルドが三年前に発表した論文は、まだ陸地が三割程あった時代の、重要な都市遺跡の一つを発見したと伝えるものだった。
この論文は多くの研究者に、彼の名を広める事となった。
リカルドと言えば。
「先生。今回、リカルドは戻ってこないんですか?」
「ああ。彼は今、大変な状態にあるらしい」
軽く含み笑いを浮かべながら、アビディは言った。
「大変な状態とはどういう?」
「大きな遺跡を発見したのはいいが、それを鉄鋼に持っていかれそうになったんだ。それを防ぐ為に、早々と連合の保護認定を申請した。その手続きに追われているよ」
「それで、認定は受けられるんですか?」
「そういう見込みだそうだ」
海洋考古学者と鉄鋼の争い。この世界にいれば嫌でも耳に入ってくる事だが、余り現場に出る事のない僕には、その諍いがどのようなものなのか、いまいち想像できないでいた。きっと大変なのだろうという、実に曖昧でいい加減なものでしかなかった。
どこかの海上で忙殺されているであろうリカルドに思いを馳せていると、アビディが唐突に言った。「ミリーには会ったのかい」
またその話題かと、肩から力が抜け、僕は思わず小さな溜め息が洩れた。




