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4. 一期一会

 アニーとマイクはその翌日船を降りた。近いうちに、アルバの方でコンサートを催すという話だった。

 私から生まれたという歌は、そのコンサートで披露される事になるのだろう。

 彼らが出て行った直後、父に尋ねた。

「ねぇ、お父さん。アニーがこの船に来た理由って、ずっと知ってたの?」

「ああ、知ってたよ」

 私は、その答えについて考えた。父はどれくらいの事まで知っていたのだろうか、と。

 アニーが手で触れると、その人や物が持っている音楽が伝わってくるといった、あの話まで知っていたのだろうか。それとも、アニーは、この船で父のコレクションを聴き、そこから得られるインスピレーションで新しい曲を作ると、最もありそうな言い訳をして父を納得させたのだろうか。

 考えていると、父は「さあ、行くか」と言った。

「え? どこに?」

「ちょっと、人と会わなくちゃいけないんだ」

「えー! アーヴィング・ファミリーのコンサート観たかったのにー。その人を、呼ぶ訳にはいかないのー?」

「馬鹿を言うなよ。僕の恩師の退官式なんだぞ。式に出席する全員をここに呼べって言うのかい?」

 私は精一杯悔しがって見せたり、拗ねてみたりした。出発が覆らない事は、初めからわかっていたにもかかわらず。

「はいはい、わかりましたー。でも、少しだけ時間ちょうだい。ATLASで知り合った人にご挨拶してくるから」

 その相手とは、ブルーだった。

 朝という事もあって、ATLASの内部は余り人の気が無かった。

 ブルーはきっと、まだ仕事中だろう。それは正しくて、彼はATLAS職員だという事を表す制服姿で、凛々しい姿のまま立っていた。

 私は彼のもとへ歩んでいった。ブルーの視線がこちらを捉えると共に、彼の相貌は緩んだ。

「ルイ。今日は随分と早いね。買い物?」

「うううん。今日は違う。あのね、私、今日でこの海域を離れなくちゃいけないの」

俯き加減で話す私は、その瞬間の彼の表情を見る事は無かった。

「それでね、ブルーにお別れを言いに来たんだ」

 そこでやっと私は顔を上げ、ブルーに目を向けた。

 ブルーは固まり、ただ立ち尽くしていた。

「いきなりで驚いてる?」

そう言われ、ブルーは我に帰った。

「う、うん。驚いたよ」

表情は依然として固まり、強張っているように見えた。

 その場がしんと静まり返ったように思われた。ちょうど、沈黙したままの二人に、周囲の音も気を使っているかのように。

 やがて、時と共にブルーの表情に穏やかさが戻ってきた。彼は悟り直していたのだろう。これがこの海における出会いの形なのだという事を。

 そう悟った上で、次の台詞を口にした。

「もう会えないかもしれないけど、言わないと後悔しそうだから、言うよ」

「何? 改まって」

「ルイ、僕は君の事が好きだ」

 この広い海での別れは、今生の別れになる事が多い。再会はいつも奇跡のようなものだ。私がATLASに残る事も、ブルーが私達の船に乗っていく事も、現実としてはとてもあり得ない。

 別れを変える事はできない。それなのに、そのような事を言うのは、全くの無意味な事に捉えられるかもしれない。しかし、だからこそ出会いを大切にし、別れの前に悔いの残らないよう心を尽くさなければならない。そのような考え方がこの海にはある。

 一方で、その言葉を受けた私は、内心戸惑っていた。私はブルーをそのような相手として見た事は無く、一人の友人として接していたつもりだった。その上、今後一緒にいられる事は無い。

 いろいろな意味で、決して実らない恋。

「気持ちは嬉しい」

結局私は、その言葉と共に黙り込んだ。そこに否定の語は含まれていないにもかかわらず、意味としては拒否に等しい。

 ブルーにも、その意味は十分理解できていた筈だ。

「ごめん。あんな事言って」

 私はその瞬間、急に強く胸を締め付けられるような気がした。

 どこかで聞いたような台詞。

 そうだ。ブルーの言葉は、私の中にもあって、ずっとひっそりと眠らせていた言葉なのだ。

 ブルーの気持ちが流れ込んで来たみたいで、痛い程彼の心の内がよくわかった気がした。

 複数の足音が床を叩き始めた。もうすぐここを買い物客が通る。

 彼らをもてなすというブルーの仕事が始まる。

「それじゃあ、私、行くね」

「ああ。さよなら」

「うん、さよなら」

交わされた言葉は、それっきりになった。

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