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2. 謎の多い客

 アニーは客という事だったが、彼女がまさか複数日この船に滞在するものだと、私は聞いていなかったし、思ってもいなかった。

 朝は当然のように食卓に現れ、一緒に食事をとる。お昼は基本的に食卓に来ず、船を出たような形跡が無い為、食べていないのだろう。もしかすると、普段から昼食をとらない生活をしているのかもしれなかった。夜はというと、夕食のおかずを肴に父と酒盛りをするのだ。

 では、アニーは一日中何をしているかというと、父と彼の書斎に篭って、一日中音楽を聴いたりしているのだ。

 郷に入れば郷に従え。そんな諺など、海にぶん投げてしまったようなマイペースな客を、私は正直扱い辛く感じていた。ATLASで買ってきたお茶を横目に、快調に消費されていくアルコール類。それを見ると、なんだか虚しくなりつつも、無くなってはいけないと買い出しに行く日々を送っていた。

 そんな破天荒な客なのだが、私は彼女を疎ましく思う事は無かった。それは、彼女の容貌や立ち居振る舞い、機知に富んだ話、何より醸し出す雰囲気がそうさせている。

 一層、彼女が何者なのか気になるのだが、何故か私は、彼女と一定の距離を保って生活していた。

 唯、アニーがどういう用件でこの船にやって来たのか、相変わらず不明だったが、少なくとも父の所有する音源コレクションに興味を持っているらしい事は、彼女の一日の過ごし方から明らかだ。

 ある日の事だった。一艘の小船が私たちの船、キサラギ艇に接近してきた。二人目の客の到着だった。

 新しくやって来た客人は、アニーと関係のある人物らしく、顔を合わせるなりこんな会話の遣り取りを交わした。

「マイクじゃない。どうしたの? 私みたいに礼一さんの音源コレクションを聴きたくなったの?」

「違う。イネスからお前の様子を見てくるように言われた」

「伯母さんが? どうしてよ」

「知らん。だが、もう七日になるぞ。そろそろいいんじゃないのか?」

「うううん、まだよ」

「全然なのか?」

「そう。全然よ」

「そうか」

二人の会話はそこで終わった。

 話の内容はさっぱり見えてこないが、取り敢えず、その日からもう一人居候が増えた。


 ある晴れた日の午前、私は食糧を買いにATLASを訪れた。何しろ、二人暮らしの家庭が今では倍の四人暮らしになってしまったのだから、食料庫はあれよあれよと底を尽いたのだ。

 私が食料品店を目指して歩いていると、偶然にもブルーと遭遇した。あの一件以来、彼を見掛けていなかった。彼は仕事中で、白地に青い稲妻のような模様の入ったATLASの制服姿だった。

 声を掛けようかどうか迷った末、折角できた海の上での貴重な友人を、そのまま素通りしていくには忍びないと思い、結局彼の方に向かっていった。

「ブルーじゃない!」

「あ、ルイ。そうだ。もう少ししたらお昼休みなんだけどさ、一緒にランチでも、どう?」

「いいよ。じゃ、私は先に買い物済ませちゃうから」

 彼と別れて、とある食料品店で買い物をしながら、ふと気付いた事があった。

 以前あの場所は何度か通ったが、いつも違う人がいたような気がしていた。少なくとも、ブルーではなかった筈だ。彼だったら、今日みたいに私から声を掛けていただろうから。

 一見、どうでもいいような事だったが、妙に気になってしまった。

 後で、ブルーに聞いてみようか。

 ブルーとの待ち合わせ場所は甲板の公園だった。買い物を済ませた私は、木陰のベンチで休んでいた。

 荷物はいつも通りにロッカーの中。食料品フロアのロッカーには保冷機能が付いていて、非常に便利だ。

 翼を休めに留まっていた一羽の海鳥に視線を合わせ、その動きを追う。目の届かない所まで飛んでいったら、別の一羽に視線を移す。そんな事をしながら時間を過ごしていると、仕事着のままのブルーが走り寄ってきた。

「ごめんごめん。待っただろう? 迷子の子に付きっ切りだったんだ」

「そんなに待ってないよ。それに、仕事なんだからしょうがないって。気にしないで。それより、迷子の子はどうなったの?」

「ちゃんと親に会えたよ」

「良かったね」

 私達は並んで歩き出した。

 会話は何気ない世間話から始まったが、やがてこの船の事に話題が移った。

「そういえば、この前の海賊の一件だけど、あれが原因でATLASの経営陣が変わったんだ。だから、内部は今大混乱なんだよ。僕もあれから所属が二回と仕事場が五回も変わっちゃって……」

「ああ。それで今日はあの場所に?」

「うん。さすがにもう、移動は落ち着いたけどね」

 それから話題は海賊、アルフォンソ一家に移っていく、そんな流れを感じた。それを忌み嫌ったは私は、話を無理無体に変えようと、家の居候についていきなり語り出した。

「そうだ! 今ね、うちに居候が二人も居てね……」と。

アニーとマイクの事を、今私自身が知り得ている限り説明した。

「居候かぁ」

ブルーは腕組みをした。

「そうなの。だから、食料がすぐに無くなっちゃって」

「でも、その二人、何の為にルイの船に乗ってるんだろうね」

「そう、そこよ。私にもよくわからないんだけど、初めアニーだけの時は彼女、ずっとお父さんの部屋で音楽を聴いてばかりだったんだ。それがだんだんそういう事も少なくなって、ずっと普通の生活を送ってたんだけど、マイクが現れてアニー、不思議な事をするようになったの」

「不思議な事?」

「いろいろあるんだけど、例えばねぇ、目覚し時計を持ったまま廊下の真ん中で固まっていたり、何も無い中空をじっと見ていたり……」

「それは確かに不思議だなぁ。マイクっていう人はどうしてる?」

「マイクはねぇ、アニーの傍にいて、じっと彼女の奇行を見守っていたりしてるけど、あんまり何かをしてるようには見えないなぁ」

 私達二人は、喫茶店に入っていった。その日のランチはブルーの推薦だった。

 店に入って、机を挟んで向かい合う少し固めの椅子に腰掛けた途端、話の内容はがらりと変わった。

「ここの喫茶店、コーヒーは激マズなんだけど、オムライスだけは最高なんだよ」

彼が小声で囁くように言うので、私もオムライスを注文した。オムライスがやって来るのを待っている時、ふとブルーが言った。

「そう言えば、海賊のヘッドの件はあれからどうなった?」

私はちょうどその時、口に含んでいた水を飲み込もうとしているところだったのだが、もう回ってくる事は無いだろうと安心しきっていた話題が、突拍子も無く降ってきた所為で、水は気管支の方へ流れていき、思い切りむせた。げほげほと何度も咳をし、涙まで流した。

 鳩尾辺りにまだ少し引っかかりは残っていたが、何とか話す事が出来るようになると、私は語気を強めて答えた。

「何言ってるの、何もある訳ないでしょ!」

「そ、そうだよね。ある訳ないよね」

 ブルーの目は店内のあちらこちらを泳いだ後、窓の外へ注がれた。

 そこに一瞬だけ灯った決意のようなもの。それがどういう意味を持っているのか、雑多な五感情報に押し流され、その時の私は忘れ去ってしまった。

 やがて、オムライスが運ばれてきた。確かにそれはとてもおいしくて、その後に飲んだコーヒーはお粗末なものだった。

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