第七章
帰り際、酔い覚ましに歩きながら帰ると、ちらほら白い雪が舞い始めた。
「雪だよ!わあ、冷たい!」
わたしの家の側の公園の辺りに来たところで、足を止めた。
酔っ払っている巴華は公園のブランコに座り、初めて雪を見た子供のようにはしゃいでいる。
「翼さんて素敵な人だねー。真琴ちゃんとすごくお似合いだよ。なんだか羨ましいな!大人の関係って感じで。」
そう独り言のように軽やかに話す巴華の肩に、綿菓子のような真っ白な粉雪がかかる。
「わたしもゆうくんとそんな風になりたいなあ。」
まるで夢でも語るかのように続ける。
透き通るような細い、栗色をした髪の毛にも綿帽子を被せるように雪が積もる。
まるで雪が彼女を凍てつく寒さから守るかのように。
その様をなぞるように目で追っていたら、胸から喉に熱いものがこみ上げてきた。
熱くなる喉を冷たい両手で抑える。
つと、白い溜息が零れ、それと同時に一粒涙が落ちた。
降りしきる雪がやけに温かく感じられて、次々と頬を伝い俯いたわたしのブーツの爪先めがけて涙が落ちた。
珍しく酔ったのだろうか?
昔、好きだった友達が転校して行った時の事を思い出した。
目頭が熱くなって涙が止められない。
「どうしたの?」
心配した巴華がわたしの傍へやってきた。
「なんかね、甘ったれの妹が遠くに行っちゃう気がして寂しくなったのかもね?」
「だーいじょうぶだよっ。」
巴華がそう言ってわたしに抱きついてきた。
わたしは癒された気がした。
そしてそれとは裏腹に高鳴る鼓動に押しつぶされそうになり、耐え切れず巴華を抱きしめ返した。
ふわっと甘い女性特有の香りがして、わたしはさらに巴華を強く抱きしめた。
───醒めたわたしにも、まだ人間らしい所があったんだなあ。
「全く今だけはどっちが姉かわかんないねぇ。」
そう屈託なく微笑う巴華に気付かされてしまった。
心の奥底に眠った真実に。
この腕の中に居る女性が愛しいと。
・・・・・・わたしは・・・・・・
この子を放しはしない。
絶対にね・・・・・・
そう心の中で唱えるように呟いて、わたしは巴華の肩越しに不敵な笑みを浮かべた。
その夜───そう、わたしが自分の心の奥底にある真実に気付かされた夜。
わたしはなかなか眠りにつく事が出来なかった。
しかし、全ての糸が繋がった。
今までのあの得体の知れない苛つきは。
四人で会った日の胸騒ぎは。
あの安ワインに悩まされた夜のむかつきは。
巴華が元山くんの事で苦しむ度に零れた笑みは。
あの不思議な程の優越感は。
翼がついたあの意味深長な溜息は。
そう全て!
この真実あってのものだったのだ。
とすると、翼は”コレ”に気付いただろうか?
勘のいい男だもの。気付かないはずがない。
わたしは鼻で自らを嘲笑った。
これこそ、笑わずにはいられない。
驚くほど気持ちは落ち着いていた。
「可愛い」のではなく、「愛しい」のだ。
人である以上、この想いは性別を越えてしまう事を身をもって知った。
もう二度と翼を罵る事などしない、いや、出来るはずもない。
わたしと翼は同じ穴のムジナなのだから!
こんな気持ちになる事も、こんな状況をあっさり受け入れられる事にも、わたしは微塵も驚きはしなかった。
きっともう、普通じゃないんだ、何処かで感覚が狂ってしまったのだろう。
それでもいい。
気付いた以上、受け入れるまで。
気付いた以上、貫き通すまで。
それなら、いっそ旨く丸めこんでやる。
彼女はわたしのモノ・・・・・・。
誰かに貸すことはあっても、渡しはしない。
わたしは厚いカーテンを開き、月の見えない漆黒の空を睨んだ。
降っては消える細かい雪が、まるで不毛な自分と翼のように見えてしまう。
初冬の夜は気を失いそうなくらい長くて、思わしくない考えだけが独り歩きをする。
わたしは身震いをひとつした後、吸い込まれるようにベッドに入った。
───気分が良かった。
いつもとは明らかに違う。
毎朝といっていい程必ず、カーテンの隙間から僅かに零れる真明るい光に背を向けて起きる。
まるで自分の奥に秘めた何かを日陰に隠す様に。
しかし今日はどうだろう、驚く事に窓の方を顔を向けて目覚めたではないか。
ただ、白く瞼を抉じ開けてくる眩い光は見えなかった。
ひどくどんよりとした曇り空だったからだ。
とはいえ、いつもよりははるかに気分がいい。
何だか、胸のつかえが取れたような・・・・・・。
ああ、そうか。
取れたんだ、胸のつかえとやらが。
───巴華を愛しく想う───
普通、わたしはこの状況に驚愕すべきだろう。
しかしもう普通とは言い難いわたしは自分の気持ち、状況に一点の曇りも感じなかった。
でも・・・普通って何?
異常って何?
誰がその境目を決めるの?
考えても答えなんて出ないだろう。
わたしは迷わずに翼に電話をした。
「お早う。休みの日に掛けてくるなんて珍しいな?」
翼は恐らくまだ寝ていたのだろう。
掠れた声を搾り出しているように聞こえた。
「翼こそ・・・どっかに泊まってて電話に出ないと思ったわ。」
「・・・・・・かけてきてそれはないだろう?どうしたんだよ。」
「うん・・・。ちょっと話したい事があってね。」
「そう、うちへ来るか?」
「そうするわ。」
電話を切ったわたしは軽くシャワーを浴び、出かける用意をした。
今日は休みだというのに巴華と過ごさないのも、元山くんが現れてからは大して珍しくも感じなくなってきた。
元山くんといえば、今日から出張で海外に行くのだったっけ。
あんな事があった後だし、巴華も寂しいだろうな。
その思いが募り募って、わたしに電話をかけてくるだろう。
ご飯でも食べに行こうとか、買い物でも行こうとか、何とか言って。
わたしと一緒に居る事で寂しさを紛らわそうとする。
きっとあと何時間もすれば、寂しさに耐えられなくなって電話を手にする。
想像はついてる。
でも・・・そんなのまっぴらごめん。
誰かの代わりだなんて!
友達としてであろうとも、恋人としてであろうとも、誰かの代わりだなんて!
もうまっぴらなのよ。
だからわざと携帯の電源も切って、カーテンも閉めて、家の電話も留守番電話にはせずに出掛けて行く。
わたしと一日中連絡がつかなくて、家に来ても中の様子が分からなければ心配する。
考えて考えて不安になる。
そしてわたしと翌日会うまで、その不安は付いて回る。
わたしの顔を見る瞬間までわたしの事を考える。
そしてその間、自分が寂しい想いをしている時わたしが側に居ない事に腹を立てればいい。
その時気付けばいい、わたしがどれだけ彼女の心に深く侵食しているかを。