第三章
わたしは今日翼を呼び出した。
わたしから彼を呼び出す事は、別れてからというもの、珍事になっていた。
翼はわたしがどんな話をするか察しているだろう。
怒っているか否かは別として、対処法を迫られるのも察している筈。
わたしは彼と別れてから、彼がそんな風にわたしの考えている事、言わんとする事を察してくれる様に仕向けていた。
最初からいちいち話すのが、決して面倒というわけでもない。
そうする事が彼の報いになるから。
婚約していた当時、わたしの事よりも、他の誰かの事を考えていた彼の報い。
わたしの、彼へのささやかな復讐なのだ。
案の定、翼は現れた途端、まずわたしに謝った。
「わたしに謝ってもどうしようもないでしょう?」
───謝ればどうにかなると思っている翼。わたしに謝ろうが誰に謝ろうが済むわけでもない。まあ、まだ事態がそこまで深刻ではないのでとりあえず、今は翼を責めるのはやめた。
「誰にでも過ちはあるじゃないか、真琴だって失敗する事あるだろう?」
「勿論。完璧な人間なんていないもの。でも、あんたの場合、許されない過ちが多すぎるのよ。」
「・・・・・・確かにそうだな。でも今回はまだ大丈夫だろ?元山に聞いたけど、食事の約束しかしてないんだって?」
「それがね、約束しかと言いたいとこなんだけどそうもいかないみたい。 巴華、元山くんの事結構気に入ってる感じなのよ。」
わたしがそう言うと翼は愕然とした。
「・・・・・・元山は真面目といやぁ真面目なんだよ。一度目で食事に誘うってのはよっぽど気に入ってる証拠だよ。 放っておけば二人が旨くいくのも時間の問題だな?」
「そう・・・ね。それでも後々あんたが横恋慕する姿がわたしにはみえるのよ。」
「絶対無い、なんて言えないのが面目ない。」
「でしょう? そうなったら巴華だって可愛そうだもの。わたしと同じような苦しみは、出来れば避けた方がいいと思わない?」
「確かに間違ってないよ。まだ時期は早いからはっきりは言えないけど、最悪の場合いや、旨くいけば結婚という事も考えられるしな・・・。」
「そうね、だから相手が元山くんてのは困るのよ。彼は誠実そうだし、悪くないと思うわよ?あんたさえ手を出さなければね。」
「そもそもは俺が悪いんだな・・・?」
「そうよ。普通自分の意中の相手を紹介するなんてどうかしてるわよ。同性愛の他に自虐愛まであるわけ?」
「なっ!そっそこまで言うなよ!言っとくけど俺はMでもSでもないからな。」
「・・・・・・そう。でもそういうものってある日目覚めるものなんでしょ。 とにかく、巴華を巻き込みたくないのよ。あの子結構純な所あるし。同じ女性に横やりを入れられるならまだしも、男性に自分の恋人を取られるなんて悔しいとかいう言葉では片付けられないものがあるわよ。」
「・・・真琴本当にごめん。謝ってすむわけじゃないけど、本当にごめん。」
「昔の事ならもういいわよ。人の気持ちだけはどうしようもないものね。」
「俺、また同じような事しようとしたんだな。」
「でも未遂ですみそうじゃない!今からならなんとかなるわよ。」
「そうか、それで今日ここにいるんだよな。」
翼は軽く笑みを漏らすと、何かに対して区切りを付けたかのように煙草を燻らせた。
わたしもつられて失笑してから本題に入った。
「そこでなんだけど、二人を邪魔する事にしたんだよね、少し汚い手にはなるけど。」
わたしには正直自信があった。
まだ出逢ったばかりで、淡い想いすら抱いてはいないであろう二人を引き離す事など容易いものだと・・・・・・。
事態はさほど大袈裟ではないが、大事な親友にわたしと同じ、辛い想いはして欲しくないから。
巴華の為なのだ。
今日、巴華は元山くんと食事に出掛けるらしい。
その前に、一つ蒔いておかないといけない種があった。
わたしの作戦のうちの一つ。
「巴華、今日は元山くんと出掛けるんでしょう?」
「そうなんだ。ちょっと気合入れてきちゃった。」
そう言ってくるりと回ってみせた巴華は、彼女にしては珍しい、淡いベージュ色の薄手のセーターに、サテン生地の濃茶のタイトスカート、胸元に杏地に象牙色の模様が入ったスカーフをして、足元を見るとこの前一緒に買いに行ったパンプスをおろしている。
いつもヴィヴィットな色使いの洋服を着ることが多い巴華にしたら、えらく落ち着いた雰囲気が漂うイデタチだ。
おそらくは、少し年齢よりも上に見せたいのだろう。
二度目に会うにしては大分、決めこんでいるようだ。
「いいんじゃない?落ち着いて見えるし、軽くは見えない!」
わたしは巴華の待ち望むコメントをした。 やはり、それは的中したようで満足そうな笑みを浮かべていた。
「ところでね、わたし思い出したんだけど、元山くんて変わった性癖の持ち主なのよね。」
「えっ?!変わってるってどんな?」
「わたしもちゃんとは覚えていないんだけど、SMとか、アブノーマルが好きらしいのよ。翼がちょっと前に本人から聞いたらしいよ。」
「ええ・・・そうなんだぁ、何か・・・ちょっと受け付けないなぁ。」
「まあでも今日すぐにどうにかなるってわけじゃないんだから、深くは考えないほうがいいかもね。ただ、一応ね、一応耳に入れておいた方がいいと思ってさ。」
そう言って巴華を一瞥すると、大分気落ちして、思い悩んだ様子だった。
少し意地悪かなと思ったが、致し方ない・・・。
あまりに時が経ってからよりかはまだマシであろう。
わたしは種を蒔き終えた後、すぐさま翼に電話をいれた。
「あはははは!!アブノーマルねえ!いいんじゃない?」
「ちょーっといいすぎたかなぁとは思ったけど、事実ではないけど”事実は小説より奇なり”っていうしね。」
「気が合うね!俺はさ、巴華ちゃんはああ見えて真性サディストだって言った。」
「そうなの?!変なとこで気が合うわね。」
「・・・なあ、気になるから尾けないか?」
「それってただのストーカーじゃない。」
「俺一人なら相当怪しいけどね。 頼むよ!真琴場所聞いてるんだろう?」
「・・・・・・まあね。」
「流石保護者!じゃあ決まりだな。俺ももう少ししたら終わるから、いつもの所で待ち合わせよう。」
「はいはい。」
一応反対はしたものの、満更気乗りしないわけでもない。
むしろ面白いかも。
・・・・・・悪趣味だな。
しかし横恋慕されるのを知ってて黙っておくのも悪趣味。
わたしはそそくさと会社を出て、足早にいつものバーへ向かった。
冷たい風が体に絡みついて、体内の熱を奪い去る。
秋の終わりを告げる木枯らしに、わたしは身震いした。