第十章
「ねえねえ、真琴ちゃんこれ見て。気をつけなきゃねぇ。」
仕事を終え、わたしの部屋に来た巴華は、今日はわたしの選んだワインを飲みながらテレビのドキュメンタリー番組を見て、行動とは裏腹な発言をしている。
何故裏腹なのかというと、その番組でアルコール依存症患者の事を取り上げていたからだ。
「全然説得力ないんだけど?」
わたしはワイングラス片手に上機嫌な巴華を見て微笑って言った。
「あっ、そうだね。でも依存はしてないよ!」
「お酒にはね。」
「特に依存してる物ってないと思うけどなぁ。」
「そうかしら。何かあるはずよ。人間って必ず何かに依存して生きていくものじゃないかしら?」
そう言うと納得したように考え込む巴華。
やはり彼女は白だ。
下手にくすんだ色をした人間は、他人の意見をなかなか受け入れる事が出来ない。
頭ごなしに否定してかかる者もいる。
そういうのは一言居士に多いだろうが。
「あっ!わたしにもあった!」
「そう。なあに?」
「・・・真琴ちゃん。」
「・・・・・・え?わたし?」
「うん。わたし真琴ちゃんが居ないと何も出来ないもの。居なくなったら困る。」
巴華はそう、少し照れくさそうに微笑う。
なんて愛らしい事を言ってくれるんだろう。
社交辞令でも嬉しいが、それが彼女の本音なのだろう。
「そんな事言ってくれたら照れるじゃない!」
「へへ。だって本当の事だし!仕事の事だって、恋愛の事だって、他にも色々真琴ちゃんに教えてもらわないと分からないもん。」
可愛らしい彼女はわたしもまた、彼女に依存していると知ったら驚くだろうか?
ソレがどんな意味を表すかも判らず、頷くだけだろうか?
「ああ、なーんか眠たくなってきちゃった!帰りたくなーい。」
「そんな事、男の前では簡単に言ったら駄目よ?」
「えー?なんで?」
そう言って酔った巴華はソファーに倒れこむ。
わたしは含み笑いをして、
「こうなるからよ。」
と、ソファーに倒れこんだ巴華の上に跨り両腕を押さえつけた。
「もう、真琴ちゃんてば。」
少しも警戒する様子もなく、全くの無防備な巴華はケラケラと微笑う。
彼女はわたしが同性というだけで、一毫の危機感も感じてはいないのだ。
同性=安全とそう思っているのだ。
ならば、それを、その考えを覆してやりたくなる。
わたしは酔ってにこにこ微笑う巴華の唇に、僅かに触れるように口付けた。
すると、これで二度目だった所為かあまり大袈裟な反応は返ってこなかった。
「真琴ちゃんのエッチ。」
たったそれだけ言うと、ついに睡魔に負けたのか気絶したように眠ってしまった。
巴華が飲んだのはハーフボトルの半分だ。
それでここまで気持ちよく酔えるとは・・・・・・。
前に巴華が選んだ安ワインではこうはいかないだろう。
「他愛ない。」
あどけない寝顔で可愛らしい寝息をたてる巴華を見ると、心が安らぐ。
ここで、「浅ましい心も浄化される」とも言いたいが、そこまでわたしも善人ではないし、普通愛しい者の寝姿なんて見たら、情欲が優先される方がよっぽど健全的だと思う。
浄化されるなんて、ただの綺麗事だ。
傍にいるだけでいいなんて、戯言だ。
欲のない人間なんていないと思う。
欲を捨てたら、生きてなんて行けないと思う。
所詮人間なんて、欲の塊。
欲しいものはとことんまで欲しい。
わたしがわたしで無かったら、欲を優先するのに・・・・・・。
わたしは失うことを怖れて、取るに足らない戯言を優先するしかなく、ソファーで気持ち良さそうに眠る巴華に毛布を掛けた。
そして、意気地のない男のように自らも眠りについた。
「最近調子いいみたいだな。」
唐突に翼から言われて、一瞬何の事を言ってるのか分からなかった。
「飲みすぎてないわよ?」
「ああ、そうだろうね。でも俺が言いたいのは体の事じゃなくて、巴華ちゃんとの事だよ。」
「ああ、その事。」
「旨くいってるだろう。」
「何故そう思うの?」
「君が最近俺に連絡して来ないのと、俺に最近どう?って聞かないから。」
「それとどんな関係が?」
「君は自分が不調だと、俺に最近どう?って聞く癖があるからね。」
───へえ、そうだったんだ。自分の事って分からないもんだ。
「最近どうなの?」
「ふ・・・、わざとらしいな。 俺のほうは何も変わりなしだよ。進展なし。」
「そうでしょうね。進展があれば言うだろうし。」
「まっ、そういう事。 君のほうはどうなの。」
「もう手をつけたわ。」
「・・・え!?どういう事?」
翼の焦りようが可笑しくて思わず吹き出してしまった。
「嘘よ。キスしただけ。」
「それも嘘?」
「それは本当。」
「巴華ちゃんどんな反応した?」
「一度目は真っ赤になって焦ってた。二度目はあの子が酔ってて、反応が薄かった。」
わたしは二度のキスを思い出して、不覚にも口角が上がってしまった。
「それいつの話?」
「もう一週間以上前だったと思うけど?」
「なんですぐ教えてくれないんだよ。」
「聞かれなきゃ言えないわよ。何て言うのよ?たかがキスくらいで。」
「たかがだなんて・・・。いいよなあ、女は。キスくらいなんて言えるんだから。」
「男じゃ、ただのジョークってわけにもいかないもんね。」
「ほんと、そうだよ。一世一代の大勝負に出るようなもんだ。」
「確かにそうかもね。」
「なあ、俺たちいつ結婚しようか?」
「・・・・・・いつでもいいわよ。」
───変な会話。食事に行く日時を決めるありふれた文句のように、結婚の日取りを決める人って私たち以外にも居るのかしら?
「まあ、前回の事があるし籍いれるだけになるけどな。」
「そうね。式なんてどの面下げて挙げたらいいのか判んないし。」
「これで真琴は本当に後悔しないのか?」
「後悔って先にするもんじゃないから今は何とも言えないけど、こうなるんだったら二年前に結婚しておくんだった。」
「でもあの時結婚してたら、こうなる事はなかったよ。」
「・・・・・・ああ、そっか。確かに。」
「じゃあ、年が明けてからにしようか。初詣で祈願してからの方が大願成就の御利益ありそうだし。」
「そうね。じゃ、四人で行きましょ。」
「ああ。そうだな。じゃあ、また連絡するよ。」
新年まであと僅か。
入籍するなら、親にも言わなくちゃならない。
二年前の事もあるし、言いづらいけど仕方ない。
遅かれ早かれ謝らないといけないんだし、いい機会かな。
───元旦。
わたしと巴華、そして翼と元山くんは四人で初詣に来ている。
各々、どんな思いを祈願したのだろう。
わたしは何も祈願しなかった。
というより、どう祈願すればいいのか分からなくてただ合掌するだけにしたのだ。
でも、祈願したところでそれが叶うような気がしない。
昔から行事だし、当然のようにこうして初詣に来ては、皆挙って合掌し、何かを祈願するが、必ず成就するわけでもない。
七夕の短冊も然り、ただの気休めのような気がしてならない。
確実に叶うならわたしだって必死に願う。
でもその保証がないのなら、期待するだけ無駄に思う。
───願ってかなう願いは、願わなくてもかなうものだ───
「真琴ちゃん真剣に手を合わせてたけど、何お願いしたの?」
「長生きしますようにって。」
「はは。真琴らしくないな!本当は何も祈願しなかったんだろう。」
「え?そうなんですか、真琴さん。」
「・・・・・・その通りデス。」
「真琴はどうせ叶わないのに、願うだけ無駄って考えるタイプだからな!」
「すっごーい翼さん!真琴ちゃんの事何でも分かるんですね!」
「まあ、大体はね。 そうだ。二人に言っておかないといけない事があるんだった。」
「え?何ですか?」
巴華と元山くんが声を揃える。
「俺ら、結婚する事にしたから。」
「ええ!?本当に!?」
巴華は目を丸くして驚いている。
元山くんはあんまり驚いていない様子で微笑している。
昔のわたしたちの事を知っているからだろうか。
「もう。真琴ちゃん何にも言ってくれないんだもん!」
「ごめん、ごめん。でも急に決まったのよ。」
「で?式はいつ?」
「式は挙げないのよ。」
「えー?そうなの?なんで?」
「なんだ、真琴。巴華ちゃんは知らないのか?」
「あ・・・うん。言ってないんだ。」
「え?何?ゆうくんは知ってるの?」
「うん。まあ、軽くはね。」
自分一人知らない事を救いを求めるように訊ねた巴華を、済まなそうに見る元山くん。
「巴華、それはまあ後で話すわ。」
「うん。わかった・・・。」
巴華は一人外れた所為か、少し気落ちしたようだった。