『 ここはどこなのです? 』
「良い天気じゃのう」
うららかな春の日差しの下、庭先にだした揺り椅子に腰かけて、老人はゆっくりとパイプをくゆらせる。まさに至福のひと時だ。
老人は、ジェイムスという。だが、いまやその名が呼ばれることは殆どなくなっていた。
村の者たちは「村長」と呼ぶし、領主や出入りの商人は「シャーウッド殿」と呼ぶ。義理の息子であるケビンにいたっては「じいさん」だ。
(……歳をとったという事じゃろうな)
ジェイムスは、しみじみと最近そのようなことを考えるようになってきた。
もう友人たちは、先に神様の下へいってしまった。自分も行くのは遠い日のことではあるまい。
街へ勉学に出ている息子が戻ってきたら、村長の仕事も引退できるだろう。
(そうなると……心残りはケビンのことじゃな)
パイプを口からはなし、ゆっくりと煙を吐き出す。ちょうど雲が流れてきて、太陽を隠した。まるで、吐き出した煙があたりを暗くしたかのように。
ケビンとは、養子として引き取った子供のことだ。
昔は、いたずら小僧として有名で、よく他の子供たちと一緒に騒いでいた。元気の良い笑顔は、こちらにまで元気を分けてくれていたものだ。
だが、二年前にそれが一変する。
緑小鬼と呼ばれる、怪物の集団が村を襲ったのだ。
それの突然の出来事だった。逃げ出すこともままならず、大勢の村人が、その手にかかって死んでいった。
そしてその中で、ケビンの両親は亡くなってしまった。ケビン自身も右足を失ってしまった。彼は、心も体も大きく傷ついたのだ。
そんな子供を哀れに思い、ジェイムスは養子に引き取った。幸いちょうど一人息子は大きく成長し街でひとり暮らしを始めたため、多少の余裕もあったからだ。
(じゃが……、それが良くなかったのかもしれんのう)
ケビンは、すっかり自分の殻に閉じこもってしまった。
暴れたりは、しない。だが、何事にも興味をもたず、積極的にしようとしなかった。
畑仕事の手伝いも、満足に動けないからといって、すぐにやめてしまう。そして、諦め交じりで呟くのだ。
(「しょうがない」……か。
それ自体は、悪い言葉というわけでもないのじゃがなぁ……)
最初は、同情していた村人たちも、だんだんと少年から距離をとるようになっていった。
少年の方も、それは感じているようで、最近は村の中に居ることが減って、いつも森へ出かけている。
(どうしたものじゃろうなぁ……)
パイプを口にくわえなおし、椅子をゆっくりと揺らした。
ケビンは、村でできる仕事が無いことが、負い目のようだった。
だが、老人には、彼にできる仕事に心当たりがある。いや、彼にやって欲しい仕事があるのだ。
(じゃが、今のケビンではなぁ)
何事にもやる気がなく、すぐ諦めてしまう。そんなケビンでは任せることができない。
さらに、彼一人では難しいことも確かだった。だれか、もうひとりくらいは手伝いが欲しい。
できることなら、ケビンをぐいぐいと引っ張っていくような、明るく元気でへこたれない様なものがいい。
(そうそう、都合がいいものはおらぬか)
老人は、自分の考えに苦笑する。
それでは、ケビンの仕事の手伝いではなくて、ケビンを立ち直らせるための者ではないか。
(やっぱり、歳なのかのう)
気を取り直して、パイプを深く吸い込んだ。
「じいちゃんっ!」
突然の大声。
「げふっ!? ごふ、ごほっ、げほっ」
ジェイムスは、吸い込んだ煙を思わず飲み込んでしまい、咳き込んだ。
声がしたほうを見ると、ケビンが慌てた様子でこちらへ向かって駆けてくる。
(あんな真剣な顔を見るのは、ひさしぶりじゃな)
老人は、咳を落ち着けながら、少年がそばに来るのを待った。何かが起きたことを、予感しながら。
「じいちゃん、じいちゃんっ」
「ちゃんと聞こえておるよ。慌てて、どうしたのじゃ?」
焦ってばかりなケビンに、ジェイムスは優しく問いかける。
だが、それに答えるのももどかしいらしく、ケビンは早口でまくし立てた。
「落ちてたんだ、森に。急いでひろいにかないと」
「……それでは、わからぬよ。
ケビン、何が落ちていたというのじゃ?」
逆に村長はゆっくりと話した。慌てるなと言外に伝えるために。
それでもケビンの言葉の速度は落ちない。
「女だ。い、いや女の子だ。まだ子供だと思う。
髪が黒かった。あと良い服着てた。
なんだか、苦しそうに寝ていた。怪我は無いみたいだけど。
でも、熊とか出るかもしれないし」
「森で、女子が倒れていたのじゃな?
どこでじゃ?」
「え、えっと……〈フェアリーリング〉がある場所の近く……」
「……また、そこへキノコを取りに行っておったのじゃな。
危険だから、近づくなと言っておるのに……」
バツが悪そうに下を向くケビンに、村長は、仕方ない奴じゃとため息だけで済ませた。
それよりも、今は気がかりなことがある。
(〈フェアリーリング〉のそばに倒れていたじゃと?
何者なのじゃろうか。このような辺境の村になにも用事などないじゃろうに……)
「じいちゃんっ。そ、それより、早く助けに行かないと」
ジェイムスの思考を、ケビンの焦る声が遮った。
「怪我は無いといっておったのに、何をそんなに慌てておるのじゃ?」
「あ、慌ててなんかいないっ。
じいちゃんが、とろすぎるんだよ」
ケビンは、ごまかすように大声で叫ぶ。
彼は、自分で村まで運べないことに引け目を感じていた。もし、これで間に合わなくて何かあったらと思うと、余裕がなくなるのだ。
だが、そんな少年の葛藤は老人にはわからない。
わかるのは、それほど取り乱すほど、ケビンがその女のこのことを、気にしていることだけだ。
「頼むよ、じいちゃん」
「わかった。わかった」
確かに、そのまま放置するわけにもいかない。ジェイムスは、よいこらしょっと椅子から立ち上がった、
「村のもんに声をかけて、運ばせよう。ケビンは、そのものたちを案内するのじゃぞ」
「わかった、じいちゃん」
杖をせわしなくついて駆け出したケビンの後を、ジェイムスはゆっくりと着いて歩く。
(やれやれ。どうやら騒動が起きそうじゃなぁ……)
遠くの東の空に、雨雲が見え始めていた。
◆
カエデは、夢を見た。それも、恐ろしい悪夢を見た。
それはこんな夢だ。
目を覚ますと、なぜか外に立っていたのだ。
そして目の前にゾンビがいた。
つんとした臭い。不気味な見た目。気持ち悪い声。
わけがわからなくて、頭の中が真っ白になった。
とにかく離れようと、後ろに下がる。
すると、そこにもゾンビがいた。いや、周り中にいっぱいいた。
怖かった。不気味だった。襲われた。
逃げた。逃げだした。逃げようとして、ぶつかった。
ぶつかった相手を見上げると、巨大なミノタウロスが立っていた。
ミノタウロスは、カエデの足をつかむと、空高く放り投げる。
ゆっくりと回転する風景が目に入る。
崖の上の怪物。
雲がゆっくり流れる青い空。
崖下には、キノコが作る輪があった。
やがて、身体はそのキノコの上へ落ちていく。
だが、それは夢だ。
なぜなら、崖の上から落ちたのに、痛みが無いのだから。
全部夢だったのだ。
ゾンビがいたことも。
変な格好をしていたのも。
崖の上から落下したことも。
きっと、目を覚ませば、いつもの部屋の天井が見えるはずだ。
いや、ちがう。もう英国じゃない。日本の大学に通うために引っ越したのだ。
そう、目がさめて見えるのは、これから過ごす新しい部屋。
――これから日本での毎日が始まるのだから。
カエデは、閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。
まず見えたのは、素朴な木の板でつくられた天井。
マンションとは、ちがう天井だ。
同時に夢と思っていたものが、記憶として一気によみがえる。
「……夢、じゃなかったのですね」
癖でぽつりと独り言をつぶやいた。
「ここは……一体……」
カエデは、自分がベッドに寝せられてることに驚いた。
確かに、崖に放り出されて落ちたはずなのに。
「おっ。起きたのか?」
カエデが戸惑っていると、横から元気そうな少年の声が飛んできた。
どうやら、ひとりで寝ていたようでは無いらしい。
「どっか痛いところ無いか? 喉、かわいてないか?」
カエデは、頭をそちらに向けると、声のイメージどおりの男の子がいた。
茶色の堅そうな短い髪が特徴的な子だ。多分歳は、中学生ぐらいだろう。
着ている服は、なんだか古臭いデザインのシンプルなシャツで、生地がごわごわしている。
彼の顔は、こちらをじっと見ていて、少し落ちつきなく視線が泳いでいた。
……寝ぼけていた頭がようやく回り始める。
カエデは、彼が自分を心配しているのだと気がついて、あわてて答えた。
「だ、大丈夫なのです。
どこも痛くは、ないのです。
喉は……ちょっとだけ、渇いてる、かもです」
「わかった」
カエデの返事を聞くと、少年は部屋を飛び出していった。とめる暇もない。
「あ……」
そのときに、彼の右足の膝から先が無いのが見えた。松葉杖らしきもので器用に走っていたのだった。
「悪いこと、しちゃったかもです」
軽く頭を振って眠気を追い払いながら、カエデは、ゆっくりと身体を起こす。
かかっていた毛布が布団の上に落ちた。
ぐるりと見渡してみる。どうやらこの部屋は寝室らしい。
小さなテーブルと、チェスト。そして今寝ているベットだけが唯一の家具らしいものだ。
窓には、ガラスもなく、板で開け閉めするようになっていた。
電灯らしきものは見当たらない。照明器具は、テーブルの上に置いてあるランプだけのようだ。
「かなりアンティークのような家のようなのです」
まるで、映画の中に入ってしまったような不思議な感覚がした。
部屋を確認した後、カエデは、自分の手足や身体を確かめてみた。
着ているのは、少年と同じようなシャツとキャロットのようだ。ゾンビに襲われたときは別の服装だった。……だれかが着替えさせたのだろうか? と首をかしげる。
軽く腕を伸ばしてみたり、手を握ってみたり、身体をひねってみたりする。痛みはどこにも無い。怪我のあとも見当たらず、包帯が巻かれたりもしていないようだ。
あるのは、多少のダルさがだけだが、きっとこれはずっと寝ていたからだろう。
(怪我ひとつ無いなんて……。やっぱり、アレは夢だったのです?)
崖の上から落ちたのだ。手足が折れていて当然だし、他のところも怪我しないわけがない。死んでいてもおかしくなかったのだから。
(怪我が治ってしまうほど、長い時間寝ていたのかしれないけど……です)
「待たせたな」
そんな考え事をしている間に、少年が戻ってきた。器用に杖をつきながら木のコップを運んでくる。
「ありがとうなのです」
カエデは、差し出されたコップを受け取りながら笑顔で礼を告げると、少年は、急に顔を背けた。
(あう……なにかマズイことをしたのでしょうか)
「な、なんでもねーよ。いいから水、飲めよ」
困ったのが顔に出ていたのだろう、少年がぶっきらぼうに言い切った。
カエデは、よくわからないながらも、水をゆっくり飲み始めた。
水を一口、口に含んで中を湿らせる。そして、少しずつコップを傾けて、注ぐように口に入れていく。
こういう場合、口を近づけて吸うと一気に飲んでしまい、むせてしまうからだ。
こく。こく。こく。
何度かに分けて、喉を鳴らしながら、ゆっくりとコップの水を飲んだ。
そのようすを、少年はじっと見つめて続けていた。
「水、美味しかったのです。ありがとうなのです」
「ただの水だぞ」
カエデが、少年にコップを返すと、彼は視線をこちらに戻して、またぶっきらぼうに返事してくれた。
(うーん。嫌われては、いない、のかな。たぶん)
カエデは、安心してふと、笑みで頬が緩む。そんなことで喜んでしまうほど不安だったのだ。
ちょっと弾んだ声で改めてお礼を少年に言う。
「喉、からからだったのです。なので感謝なのですよ」
……なぜか、また少年は視線をそらしてしまった。
カエデは、また首をかしげる。なぜ少年は、こっちを向いてくれないのだろうと。
だけど、今はそれよりも聞きたいことがあった。
「あの……唐突に聞くのですが……」
「なんだよ」
「ボクは、どうして、ここにいるのです?」
まず最初に気になるのはそこだ。少年の態度から、変なところに捕まっているわけではなさそうではある。だが、やっぱりわからないと不安になってしまうのだ。
「ん? あ、ああ。俺が、近くの森で見つけたんだよ。
あんたは、倒れていたんだ」
ぶしつけ気味な質問に、少年は素直に答えてくれる。カエデの方を向いてはくれないけれど。
それが、ちょっとだけさびしく感じながら、カエデは小さく頭を下げた。
「倒れていたのを、助けてくれたのですか。
君は、命の恩人なのですね。
助けていただいて、ありがとうございますです」
「あんた、いちいちお礼言うんだな」
「変ですか?」
「変だろ、そんなの」
本気で変だと思っているようで、少年の顔にいぶかしげな表情が浮かぶ。
でもカエデにとっては、それが当たり前なのだから、仕方ない。
相手が怒るようだったら控えようと思いつつ、質問を続けた。
「ボクは、カエデ・ルイスって言いますです。ロンドンの……じゃないか、日本の大学生なのですよ」
「え? ああ、名前か。俺は、ケビンだぞ。
カエデっていうのが、名前でいいんだよな?
ふーん。変わった名前なんだな。……やっぱり異国人だからなのか?」
「あはは、よく言われるです」
カエデとは、日本語なのだ。西欧の人間に馴染みがなくても仕方ない。
日本語で、楓のことだと、母親のモミジが教えてくれた。
名前の由来を聞いたら、母の名前が、紅葉という意味の日本語だったから、という実にらしい答えが返ってきたけれど。
そのことを聞いたときは、思わず一日中部屋に閉じこもっていじけてしまったのは良い思い出だ。
なので、英国人には、聞きなれないし、発音しにくい。大学の友人たちからは、よくカーデと呼ばれていたものだった。
「あや? カエデって発音上手ですね。びっくりです」
とそこで、気がついた。少年の言葉が流暢なことに。少し不思議な違和感を感じる。
「そうか? 普通だろ?
で、あんたは、どこから来たんだ?
にほんのなんとかって場所なのか?」
「え、ええと……どこからなのでしょう?」
少年の質問に、カエデは困った顔になってしまう。
覚えているのは、日本のマンションの部屋で引越しをしたところまでだ。
気がついたら、いきなり知らない場所に立っていた。
次に目を覚ましたら、ここで寝ていた。
何が起きたのか、どうして森で倒れていたのかさっぱりわからない。
「俺に、どこからって聞かれても、困るぞ」
当然そんな事情など、ケビンにはわかりはしない。目を細くして、怪しそうにこっちを睨んでくる。
「……っ」
睨んできたのだが、すぐに顔を壁に向けてしまった。
なんなのだろう? とカエデは、何度目か首をかしげる。
とりあえず、まずは事情をちゃんと伝えるべきだと、彼女は考えて話し始めた。
「ボクは、日本の東京に住んでいるのです。引っ越しをしたばかりですけれど。
それで、目を覚ましたら、知らない丘の上にいたのですよ。家の中にいたと思ったら、山の中にいたのです。
そして、ゾンビが目の前にいたのです。ボク、驚いてしまって。
慌てて逃げ出したら、今度は、ミノタウロスにぶつかって……そのまま崖の上から放り投げられたのです。
覚えているのは、ここまでなのです」
カエデは自分でも信じられない話をしているなと、感じながら話し終えた。
他人から、こんな話を聞かされたら、冗談か気が狂っているように考えてしまうだろう。
「なんか、大変な目にあったんだな」
だが、ケビンはその話を信じてくれた。同情をするように頷く。
その様子から、だんだんとカエデがここがどういう場所なのか、判ってきた気がしていた。
「あの……」
カエデが、漠然としたものを確定させるために質問しようとしたときに、老人の声が割り込む。
「その時に、輪を見たのじゃないか?
〈フェアリーリング〉をな」
軋みながらドアが開き、品のよさそうなお爺さんが部屋へ入ってきた。
頭頂部の髪は薄く白くなっており、顔には深いしわが年輪のように刻まれている。
枯れ木のような腕は、木の器を載せた盆を持っていた。
「ああ、気になったのでな。横から割り込んでしまってすまんの。
わしは、この村で村長と呼ばれておるじじいじゃよ。このケビンの親代わりをしておる。
それで、どうじゃ? おまえさんは、〈フェアリーリング〉に落ちたのではないかね?」
村長と名乗る老人の言葉に、カエデは記憶をたどる。
そういえば、最後に生えていたキノコが輪を作っているのを見た気がした。
「……見た、気がするです」
ちいさく頷く。
老人は、それで納得したように頷き、手に持っていた盆を彼女に差し出しながら、近くの椅子に腰かけた。
カエデは、盆をうけとり、膝の上に乗せる。深い木の器には、柔らかく煮た粥みたいなものが盛ってあった。
だが、今は食事よりも、村長の言葉が気になる。
「その、〈フェアリーリング〉で……ボクは、この村の森にやってきた、のです?」
「その通りじゃよ。お嬢ちゃん。
どうやら〈フェアリーリング〉がどういうものなのかは、知っておるようじゃな」
老人の答えに、カエデは少しだけいぶかしむ顔になってしまう。
お嬢ちゃんと呼ばれたからではない。そっちはもう慣れてしまっている。
そうではなく、〈フェアリーリング〉というおとぎ話を本気で信じていることに、である。
21世紀にもなって、そんなことを本気にしている人たちがいるとは、思わなかったのだ。もちろん科学が万能だとは思わない。まだまだ世界には未知が溢れている。
だが、〈フェアリーリング〉ときたのだ。異世界や妖精世界に行くことができる輪? そんな話はマンガやアニメの中だけにしてほしい。
(でも、ここ電気も無いような田舎みたいだし……そういうこともあるのかもです)
電灯さえないことを思い出して、カエデは考え直す。
それぞれの国には、それぞれの文化で生きている人たちがいる。その国のたちにとっては、それが常識であり、当たり前なのだ。
一介の異邦人が、色々文句を言うのはおかしい。第一、この人たちは自分を助けてくれたの恩人なのだ。怒らせたくはない。
「そうでしたか。ボクは、〈フェアリーリング〉で、ここへと来てしまったのですね……。
あの、それでは、ここがどこなのか教えて欲しいのです」
なので、カエデは話をあわせて問いを重ねることにした。
気のよさそうな老人は、いいともと頷いて答える。
「この村は、シャーウッドという小さな村じゃよ」
「シャーウッド、です?」
「ああ、異国から来たのじゃったな。これだけでは、わからんじゃろうな。
うむ。ここは、ユーレッド大陸の西の端。その北に浮かぶ、偉大なるアルビオン島。
そこを治める四王家の一つ、アグレテール王国。そのノッティンガム公爵領のノッティンガムの街から、さら北にある小さな村。それがここシャーウッド村じゃよ」
老人の言葉に、カエデは、開いた口がふさがらない。
地名の羅列が理解できなかったから、ではない。
理解できるのだ。理解できるからこそ驚いたのだ。
なぜなら、その理解を助けたのは、MMOの〈エルダー・テイル〉で得た知識だったのだから。
ユーレッド大陸というのは、〈エルダー・テイル〉でのユーラシア大陸のことを指していた。
アルビオン島というのは、古いブリテン島の呼び名の一つで白い島という意味だ。もちろん〈エルダー・テイル〉では、ブリテン島そのものを指す。
アグレテールは、フランス語でイングランドを意味する。〈エルダー・テイル〉では、イングランドそのものの名前になっていた。つまり四王家とは、おそらくイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズをそれぞれいうのだ。
ノッティンガムはそのままだ。ほぼブリテン島の中央に位置する、大きな都市だ。
なによりシャーウッド。ロビンフッドの話は、英国ではポピュラーな伝承だ。彼が守った森の名前、たしかそれがシャーウッドの森と呼ばれていた。
シャーウッドの森は、たしかにノッティンガムの北にある。
(つまり……この村は、英国のノッティンガムの近くなのですか!?
そんな、バカな……。
おかしいですよ、そんなのっ)
ありえなかった。ノッティンガムといえば、英国でも有数の工業都市で、多くの大学が集まっている学園都市だ。その周辺の開発が電気も通っていないほど遅れているはずが無い。
知っているのに、知らない場所にいる。立っている場所が水の上のような感覚。
(お、落ち着くのです。
そうです、アグレテール王国っていうのがおかしいのです。なぜフランス語なのですか。
い、いやそれは今は関係なくて……)
カエデは黙ってぐるぐる考える。
村長と少年は、きっと見も知らない土地にいると知って驚いたのだろうと、静かにその様子を見守っていた。
(まずお爺さんが、騙している可能性は、考えないです。
次に……さっきの夢は、どうかんがえます? 現実だったのですか?
アグレテール王国……アルビオン島……聞き覚えがあったのは〈エルダー・テイル〉に出てきていたから……)
そこまで考えて。
「アグレーテル王国の……ええと……。
王都。そう、王都は何と言うのですか?」
カエデは確かめるために老人に勢いよく質問した。
返ってきた答えは、彼女が予想した通りで、そして当たって欲しくなかった言葉だった。
「ああ。ロンデニウムじゃよ。白き霧の都ロンデニウムじゃ」
(ああ……ここは……)
ロンデニウムとは間違いなく、ロンドンのことをさす言葉。
カエデは、静かに理解する。
理解して絶望する。
ここは『地球』ですらない。地球の歴史でそんなめちゃくちゃな名前がついたことなどない。
つまり、ここは。
(ここは……〈エルダー・テイル〉に良く似た、地球とは違う世界……異世界なんだ……)
手に持った粥皿に、一粒の涙が落ちた。