『 さようならです 』
黒から藍色そして緑へと森の色が染め直されていく。東の空に、その姿はまだ見えないけれど、輝きは届きはじめている。そんなシャーウッドの森の深く奥。
ひとりの少女が空を見上げ、ひとりの怪物が地面を見下ろしていた。
場に残ったのは、戦いの後と、担ぐ者も乗る者もいなくなったみこしだけ。
「後は、ゴブリンシャーマンだけです」
撃ち終わった銃を静かに下ろして、リーチェはつぶやく。東の空を見ていた顔を、残った最後の敵へと向ける。
ゴブリンシャーマンは、生きる気力を失ったかのように、その場にがっくりと膝を着き、前に倒れていた。もう、リーチェのことなど目にも入っていないだろう。
シャーウッド村を守るために、挑んだ戦いは、リーチェの勝利で終わろうとしていた。
うなだられるシャーマンの姿は、痛々しいものだった。だが一歩違えば、このように嘆いたのは、きっとリーチェ、いやケビンだったことだろう。
(さすがです。あのめがねさんが、選び抜いた付与術士最大のダメージソース魔法なのです)
ワンドマスターの特技によって強化された〈ソーンバイド・ホステージ〉は、5回まで、攻撃を受けるたびに1000のダメージを対象に与える支援魔法だ。
つまり、5回攻撃すれば、合計で5000もの追加ダメージが発生する。
(問題は、5回攻撃する方法でした)
それでも、5回攻撃するだけでは、ダメージが足りなかった。殴っている途中で、茨を解除されたり、回復魔法をかけられてしまっては、意味が無いのだ。
それでは、チーフのHPを削りきることができずに、次の攻撃を受けてしまう。そして、リーチェは死んでしまうだろう。
少女は、ゆっくりと右手の銃、いや杖を目の高さまで持ち上げた。キャストワンドの名前をもつ回転式拳銃を。
(この形だったからこそ、できたことでした)
扇ぎ撃ち
かつてアメリカ、ゴールドラッシュの頃の西部。まるで銃を持つ反対の手を、扇のように扇ぐことから名づけられた、拳銃使いたちが、生み出した連続射撃術。
それは、リボルバーだからこそ可能な方法だった。
一秒の間に、6発の魔法の弾丸を撃つことを可能にし、〈ソーンバイド・ホステージ〉を5回発動させた。キャストワンドが与えるダメージは200点で固定である。
1000*5+200*6=6200
その累計ダメージが、辛うじてゴブリンチーフの最大HPを上回ったのだった。
「まさにぎりぎりでした……」
リーチェは、残ったゴブリンシャーマンの方へと歩いて近づいていく。
よほど、あのチーフのことを心酔していたのだろう。その顔は、涙とよだれでまだらに染まっていた。涙が枯れても、嗚咽をこぼしし続けている。
「……ごめ……」
あまりのいたいたしさに、同情が湧き上がり謝りそうになってしまった。
だが、それはやってはいけないことだと思いとどまる。
殺し合いだったのだ。謝るくらいならば、最初から命を奪い合うようなことをするべきではない。
そして、相手のことを思えばなおさら、すると決めた以上は、それについて後悔してはいけない。
カエデは、誰かから聞いたその言葉を思い出す。そして、今ならその意味をわかる気がした。
「……恨むなら、ボクだけを恨んでくださいです。
もし、生まれ変わりがあるなら……次は、一緒に歩める関係でありますように。
その魂に、救いがありますように」
リーチェはゆっくりとゴブリンシャーマンに近づいていく。手には、モーニングスターを構えなおしていた。
キャストワンドのダメージでは、おそらく6発当てても、彼は死なない。基本的なダメージが低すぎるのだ。
だがモーニングスターなら4回で倒れるだろう。一番苦しまずに、倒せるはずだ。
その選択が、カエデが選ぶことができる最大の慈悲だった。
そんな選択肢しか選べないことに、カエデは、世界を呪いそうになるくらい、苦しかった。
「さようなら、です」
リーチェはモーニングスターを、怪物の頭を目掛けて、振り下ろす。
こうして、シャーウッドを襲うはずだったゴブリンたちは、全滅したのである。
◆
朝日が、山の峰から顔をのぞかせる。モノトーンだった世界に、色が戻っていく。
それは、世界が新しい服へと着替えてたようにも見えて、とても清々しい。
夜の冷たさが残る朝もやの中を歩いて、リーチェは深い森を抜ける。ようやく懐かしいシャーウッド村へと戻ってこれた。
「あ……」
村の入り口には、ケビンが待っていてくれていた。
一瞬、昨日のことがよぎる。冒険者だと気がつかれることが、怖くて、臆病になってしまって嘘をついてしまった。隠し事してしまった。
彼の足を治せたのに、治さなかった。そのことは、今でもカエデの心に傷となって残っている。
「おおーいっ。カーエーデー」
彼も、リーチェを見つけたらしい。大きく両手を振って、おかえりと大声で出迎えてくれている。
顔面いっぱいに笑顔を浮かべて、本当に嬉しそうに。
「たーだーいーまーでーすー」
その笑顔につられるように、リーチェも笑いながら大きな声で、帰ってきたと叫んだ。
それは、とても心地よくて、気持ちよくて、楽しかった。嬉しかった。
リーチェは、村までのわずかな道を、全力で走り出す。一秒でも早く、たどり着くために。
「やっと戻ってきたのかい。待たせるんじゃないよ」
「ご苦労じゃったのう。おかえり、カエデ嬢ちゃん」
「カエデが戻ってきたぞー」
「当然だあ。俺たちが一緒だったんだぞお」
「ほとんど、カエデが全部やっただろうが」
わっと声が溢れてきた。村の中から、大勢の人がこちらへと歩いてくる。
そこには、睨んでくるカディナがいた。にこにこしているジェイムスがいた。はしゃいでいるウォレンがいた。一緒にゴブリンと戦ってくれたふたりもいた。
他にも、羊飼いの人も、麦を作っていた人も、毎朝挨拶してくれた人も、あったことがない人もいた。
いっぱいいっぱいいた。
きっと本当は100人くらいだ。大学にはもっと大勢いたし、住んでいた近所にだってそれ以上の人がいたはずだ。
だけど、カエデには、それ以上の大勢の人から出迎えられたような気がした。
「「「おかえり」」」
何が正しいことかなんて、結局わからない。
カエデがやったことは、ただの大量殺人だったのかもしれない。
それでも。
それでも、こうやって出迎えてくれた人たちがいた。
この人たちが、悲しむのを防ぐことができた。
(ボクは……ちゃんと、やりたかったことができたですよ。
本気、だしたですよ。だせたのですよっ)
人の輪の中へと、飛び込む。笑いながら、泣きながら、はしゃぎながら。
「ただいまですっ」
◆
日がまた沈む。夜の時間がやってくる。森が再び黒へと変わっていく。
だが、シャーウッド村は、明々と照らされている。あちこちで、かがり火が燃えている。中央の広場には、たくさんの笑顔の人たちと、いいにおいのご馳走で、埋め尽くされていた。
村長宅の庭からカエデは、そんな光景を見下ろしていた。
まだまだ宴は続く。この様子なら朝まで盛り上がることだろう。
格好は、今まで着ていた麻のシャツとスカートに戻っている。この服装の方がシャーウッド村の一員という気持ちになれたからだ。
ゴブリンたちとの戦いでローブが血で汚れてしまっているというのもあるけれど。
「こんなところにいたのかよ。探したんだぞ」
ケビンが丘を登って、カエデのところへとやってくる。もちろん、もう杖をついてはいない。その両手に持っているのは、振舞われたワインが入っている木のカップだ。
カエデは、軽く微笑んでケビンがとなりに来るように場所を空ける。
「どうしたのです? ボクに用事ですか?」
「用事っていうか、祭りの主役だろ?
広場に大人しくいろよ」
ぶっきらぼうに言いながら、カエデへとカップのひとつを差し出してきた。少女は、ありがとうといいながら両手で受け取る。
冷蔵庫なんてないけれど、それは良く冷えていた。井戸で冷やすのがコツだと、村の誰かが、言っていたと、カエデは思いだした。
それも小さいけれどこの村の思い出になるのだろう。
「あんな風に、もちあげられたりするの、苦手なのですよ。
なんだか、恥ずかしいですし、気を使ってしまって疲れちゃうです
目立つのは、好きじゃないのです」
「あんなに、目立ちまくることをやっておいて、よく言うよ」
「〈アキバ〉の人たちにも、よく言われましたのですよ。でも、本当に苦手なのです。
みなさんが、楽しそうにしているのを、お茶でも飲みながら見ているほうが、ボクは好きです」
あきれ混じりなケビンに、困った笑顔をしながら、リーチェは再度念を押す。
そうすればするほど、逆効果だという事を、この少女はちっとも学習できない。
「まあ、いいけどさ」
「それで、ボクに何か用事です? 探していたのですよね?」
今度は、カエデの方から話を変えた。すると、今まで気楽にしていたケビンの顔が引きつった。
「あ、あ、ああ。そ、そうなんだけど……」
「なんです?」
「え、えっとな……それは……」
彼の口は上手く開かないようにパクパクとしていた。何かを話そうとして、止めるを数度繰りかえす。かなり緊張しているようだ。
その様子から、リーチェも大事な話だと察して、静かにケビンから話し出すのを待つことにする。
「……」
「……」
ふたりで見上げた夜空の星は、焚き火の炎で隠れてしまっているけれど、それでもきらきらと輝いていた。
「あ、あのさ、カエデはさ」
「はいです?」
「す……好きな奴とかいるのか?」
「いるですよ」
つっかえながらようやく搾り出したケビンの言葉を、カエデはすっぱっと切った。
ケビンは、慌てる。動揺する。汗がふきだす。
「だ、誰だよ!?」
「ケビン君です」
「お、おれ?」
思ってもみなかった言葉に、少年は再び驚く。驚きすぎて心臓が止まりそうになったんじゃないかと思えるほどに。
「それに、ジェイムスさんに、、カディナさんに、ウォレンさんに……」
「え、えええ……」
だが、続いた言葉でその驚きが、咲き終わった花弁のようにハラハラと散っていく。
ケビンは、カエデという少女の性格を、知っていたはずなのに、喜んでしまった自分が情けなくなる。なぜ、もっと言葉を選らばなかったのかと、頭を抱えた。
「でも、そうですね。
Like(好意)じゃなくてLove(愛情)って意味なら……」
「え?」
振り向いたケビンの目に、リーチェの小さくやわらかそうな唇が見えた。
「たぶん、ケビン君が限りなく近かったのです」
限りなく近かった。なぜだろう。欲しかった言葉と違ったのに、深い満足感が心を満たしていった。
今までの、緊張や驚きや色々なものが一気に解けて、穏やかな川のように流れていく。
「そっか……近かったのか。惜しかったな、俺」
静かにつぶやきケビンは顔を上げて星を見る。
「そうなのです。惜しかったのです」
リーチェも、同じように顔をあげて、星空を見上げる。
お互いの顔を見ないように、ふたりで、夜空を見上げる。
焚き火に照らされて、青と赤が交じり合っている向こう側に星が瞬く。
村の広場から、太鼓を叩く音が聞こえてきた。興が乗ってきた誰かが歌い始めたらしい。
賑やかな声が、この場の静かさを、際立たせる。
(もし……ボクが、冒険者じゃなかったら……。
別の出会い方をしていたら……。好きが、愛しているに、なったのかな……。
そうしたら、ずっとずっとシャーウッド村で生きていこうと思えたのかな……)
カエデにとって、彼は恩人で謝罪するべき人で、幸せになって欲しい人だった。
そして、カエデの愛しているとは、ずっと共にあることだ。そう、カエデの両親のようにずっと心が共にあることだ。
だが、カエデの心はもう、シャーウッド村には居ない。
「なあ……。また、会えるよな」
「はいです。
絶対に、また会いに来るのです」
祭りの夜はふけていく。
そして別れの朝がやってくる。
◆
古びたタンス。わらをシーツで包んだベッド。すす汚れが目立つ木の天井。窓には、ガラスなんてなくて、木の板で塞ぐようになっている。
もちろん電気なんてないから、照明はオイルランプだけだ。
「長かった気がするけれど……あっという間でしたのです」
リーチェは、この約10日間寝起きした、借り物の部屋を見てしみじみと呟いた。
身を包むのは、白いローブと皮のブーツ。腰には、魔法の鞄を下げている。
髪の毛も、髪飾りでいつものように、ふたつに結って束ね、背中に流していた。
「そういえば……切られたはずの、前髪戻っていたのです」
ちょんちょんと前髪をさわる。いつもどおりにさらさらしていて心地いい。
リーチェは、この世界のことや、この身体のことは、わからないことがまだまだあるのだと、しみじみ感じた。
「知るためにも……行かなくちゃですね」
部屋の窓を閉じて、最後にもう一度だけ全体を目に焼き付けると、そっと立て付けの悪いドアをしめた。
「もう、よいのか?」
廊下で待っていたジェイムスの方を向いて、少女は小さく頷く。
「はいです。また、来れるのですし」
「そうじゃな。楽しみにしておるよ」
ふたりは、廊下を歩いて玄関へと向かう。靴音が小気味良くリズムを刻んだ。
「……のう。もう少しゆっくりできぬのか?
商人を待っても良いのじゃぞ?」
「すみませんです。少しでも急ぎたいのです」
リーチェは申し訳なさそうに、頭を下げる。それに対して、あわてて手を振って謝ることは無いと、ジェイムスは否定した。
「今のおぬしなら、ひとりで旅をしても何も問題はあるまい。
金もあったようじゃし」
ケビンが持ち出した、銀行に預けていたリーチェのアイテムの数々。その中には、袋に入った金貨もあった。『預かり屋』は銀行と違って引きだせる金額などに制限があり、これが全部ではない。
だが、旅をするのには十分な金額だった。
「はいです。本当なら、少しでもお礼のお金を渡したいのです」
「それはできぬな。おぬしが、家に戻ってから貰う契約なのじゃから」
「ですよね」
ふたりは、一緒に笑いあう。
そして、足音が止まった。玄関にたどり着いたからだ。
「達者でな」
「お世話になりましたです。本当にありがとうございました。
恩は一生忘れないです。絶対……絶対また来るのです」
腰を深く曲げて頭をあげる。背中に流していた髪の毛が前に落ちてきて、床に触れるほどに。
「ああ、楽しみにしておるよ。
できれば、早く来るのじゃぞ。このじじいが、くたばる前にな」
「はい、です……」
リーチェは、しばらく顔が上げれなかった。涙が零れて泣きそうになっていたから。
だが、別れに涙はダメだ。ずっと涙の顔を覚えられてしまう。
どうせ、思い出してくれるなら笑顔がいい。楽しいことがいい。だから笑うのだ。
笑ってわかれるのだ。また笑顔で会えることを祈って。
「ジェイムスさん、長生きしてですよ」
ようやく、涙をこらえて顔を上げる。リーチェは自分がちゃんと笑えているか不安になった。
だが、にかっと笑ってくれたジェイムスの顔をみて、安心する。
きっと自分は笑えているのだと。
「おぬしも気をつけるのじゃぞ。
……無茶はほどほどにな。
それと……レッドフィールド村を頼む」
「ばれていたのですね」
そう。これからリーチェは、南にあるノッティンダムそしてロンドンへと行くのではない。北にあるレッドフィールド村へと向かうのだ。
ゴブリンたちに今も占領されているだろう小さな村へと。
「助けられたのです。
できることを、全力でやるってことを思い出させたくれたのです。
ボクがリーチェであることを、気がつかせてくれたのです。
今度は、ボクができることをする番ですから」
「おぬしなら、きっとできるじゃろう。しっかりとな」
「はいっ」
リーチェは、もう一度礼をすると、後は振りむくことなく、家を後にした。
その小さく背中を見送りながら、ジェイムスは静かに見送る。
「最後まで……不器用な泣き虫じゃったのう」
だが、その泣き顔を思い出すたびに、きっと彼の心はぽかぽかと温かくなるのだ。
「やれやれ、長生きせねばな」
◆
まだ薄暗い中、ずっしりとそびえる木で作られた門。それは、内と外を分ける柵に作られた、唯一の通り道。
村をずっと守ってきた門を見ながら、ケビンは待っていた。ひとりの少女が来ることを。
その足元には、大きな麻袋が置いてある。中身でいっぱいにつめられているらしく、ぱんぱんに膨らんでいた。
もうすぐ、朝が早い村人が起きだしそうになった頃に、その少女がやってきた。
ケビンがこうして待っていることは、彼女も気がついていたのだろう。驚きもせずに、にっこりと笑顔で挨拶をしてくる。
「おはようですよ、ケビンくん」
「おはよう、カエデ。
遅かったじゃないか」
ケビンの足元に置いてある袋を、見つけたカエデは、困ったように眉をよせた。
「……ついてくるって言わないですよね?」
「いわねーよ」
本当は言いたかったに違いないケビンは、袋を持ち上げると、腕の中へと押し付けた。
「土産だ。村のみんなからの」
「そうでしたか。ありがとうなのですよ」
カエデは、嬉しそうに袋をぎゅっと抱きしめる。
村のみんなの暖かさが袋から感じるような気がした。
喜ぶ少女をみて、少年は気を引き締めて、一言一言ゆっくりと宣言する。
「俺、立派な、すっごい立派な、店にするから。してやるからっ」
「ケビンくん……」
「だから……。だから、絶対に見に来いっ」
「はいです」
柔らかく暖かい風が森から村へと吹きぬけていく。
どこかに咲いている花の、甘い匂いに包まれた。
「なあ、カエデの国では……別れのときってなんていうんだ?」
「“さようなら”ですね」
カエデは、日本語で別れの挨拶を教える。それは別離の言葉。
「“さようなら”か。なんだか悲しい響きだな」
「だから、ボクはこう付け加えるのです」
少年の耳へ、顔を近づけて少女は小さくささやいた。
少年の頬が赤くなるのは、不可抗力だろう。
そして、少女もやっぱり赤くなっていた。
「覚えたですか?」
「ばっちりだ。絶対忘れない」
ふたりは頷きあう。
「それじゃ、いくのです」
「ああ」
ふたりは重ねる。
笑顔で。
元気良く。
爽やかに。
別れの言葉を。
再会の誓いを。
「「“さようならっ。またねっ”」」
はぐれ神官娘 ~シャーウッドの迷子~ おしまい
最後までご愛読ありがとうございました。