『 ひとりじゃないのです 』
少年が足を踏み出すたびに、枝がゆれ、草が音を立て、地面に跡が着く。春先とはいえ、まだまだ冷たい真夜中の空気が、走ることで火照った身体を、心地よく冷ましていく。
時々後ろを振り返ると、漂う灯りの向こうに、ゴブリンが持つ松明の赤い炎が揺れているのが見える。
(よし、いいぞ。こっちにも、ついてきた)
村の少年のケビンは、暗い森の中を必死に走っていた。ゴブリンが怖いから、逃げているのではない。大事な村を、大事な人たちを守るために、囮になって走っているのだ。
リーチェの作戦はシンプルなものだった。
一度にゴブリンたちと戦うのは無理。だから、小分けにして少しずつ倒そうというものだ。
そのために、ケビンたちは、リーチェからもらった祝筒という、アイテムを使って、大きな音をあちらこちらで立てて、ゴブリンたちをバラバラにおびき寄せたのである。
(へへへ。ゴブリンって結構バカだな。
簡単に引っかかりやがった)
あとは、そのまま少し大回りして、リーチェがまっている場所にまで、ゴブリンたちを連れて行けばいい。そうすれば、あの少女が倒してくれるはずだ。
(大丈夫だ。思ったより、怖くない)
ケビンの傍には、ふよふよと小さな球が、柔らかく輝きながら浮いている。それは、小さな少女が魔法で呼び出した、精霊の明かり。少年の周囲を、ランタンよりも明るく照らしてくれている。
ケビンの足には、ぼんやりと赤く輝く線で、不思議な文様が描かれていた。足が速くなる魔法らしい。おかげで、ゴブリンたちに追いつかれることなく、疲れない範囲で走ることができた。
〈装甲強化〉〈ダメージ軽減〉〈反応起動回復〉と他にもいくつもの魔法がかかっている。
(あいつ、本当に冒険者だったんだな)
ケビンには、全部を覚え切れなかったし、意味がわからないものもたくさんあった。
けれど、カエデがずっと傍にいて、手を握り締めてくれている。そんな、安心感がある。ひとりで逃げているのに、寂しさや怖さなんて感じない。
右足で、堅い岩を蹴り、上に駆け上る。枝を左手でつかんで、引き上げる。左足で、土を踏みしめて、右手でツタを払う。
(俺には、魔法を使ったりできないけれど。
できる事はあるんだ。
……最初から、いつだって、何かはできたんだ。俺が最初からあきらめていただけで。見つけれなかっただけで。
できることがある。それをすることができる。
それだけで、こんなに、頑張れる)
少年は、暗い森の中をゴブリンから逃げ回る。
それは、後ろ向きの後悔からじゃない。前向きな願望からだ。
「だから、こんなところで、負けてたまるかよっ」
ケビンは、叫んだ。ゴブリンたちが、自分を見失わないように。ついて来て貰わないとダメなのだから。
ケビンは、叫んだ。自分が、目的を見失わないように。カエデと一緒に村に戻るのだ。今度こそ、ふたりで両親の店をするために。
◆
岩だらけの丘の上に、一際大きな岩がそびえている。それは、一見すると巨大な岩に見えるが、近づいてみると、幾重にも重なりあい、後ろに洞窟が隠れていることに気がつける。岩は、天然のすだれの様に、入り口を隠していた。
そんな岩の前に、ひとり老人が立っていた。
丘の上から見下ろと、遠くに小さな村が見えるはずだった。だが、月明かりしかない夜の空の下では、それは海に沈んだ船のように、陰しかわからない。
見えないが、そこにはまだあるはずだ。彼が、村長としてずっとずっと守ってきたシャーウッド村が。なぜなら、守るために、あの小さな少女と大事な息子、そして勇敢な若者ふたりが戦っているはずだから。
「心配なのかい?」
ジェイムスは、ゆっくりと後ろを振り向く。紫色のスカーフを肩にかけた老女が、手に湯気を立てたカップをふたつ持って、立っていた。その表情はいつものように、なにかを恨むようにこちらを睨んでいる。
「カディナか。どうしたのじゃ?」
「余ったからね。捨てるのも、もったいないじゃないか」
老人は、カディナが差し出したカップを両手で受け取った。じんわりと温もりがカップから手に染み込んでくる。さっそく、音を立てながら一口すすった。甘い香りと、爽やかな風味が口の中に広がる。
「美味い茶じゃのう」
「あの子に教えてもらった、やり方さ」
「あの子……か。なんと呼べばいいのじゃろうな」
村のさらに奥にある、黒くうっそうとした森を見ながら、ジェイムスは、もう一口お茶をすすった。
となりに来た、カディアも一緒に森を見ながら、コップを傾ける。
ふたりの間には、ずずずという音だけが続いた。
「好きに呼べば良いんじゃないかね」
「うむ? じゃが、あの子は、リーチェと名乗ったのじゃ。それが冒険者としての名じゃと。
もう……あのカエデ嬢ちゃんは、いなくなってしまった気がしてのう」
ジェイムスの背中が、ばんっと勢い良く叩かれた。
「あほだね、あんたも。
なぜ、あの子が森に行ったと思っているんだい?
なぜ、あの子が冒険者だって言えなかったと思っているんだい?」
げほげほと咳き込みながら、ジェイムスはカディナの怒っている声を聞いた。
彼女は本気で怒るほど、口調が淡々となっていくのだ。不機嫌に聞こえるうちは、実は機嫌がいい。
「あの子は、カエデさ。
リーチェっていう冒険者なのも違いないんだろうけど。
それでも、あたいにとっては、不器用で可愛げが無いカエデなのさ」
「カディナ……おぬし……」
「村長だって、わかっているんだろう?
だから、ケビンに話してやったんじゃないか?
だから、ケビンに行くことを許したんじゃないのかい?」
カディナの言葉に、ジェイムスは、しばらく前の出来事を振り返る。
カエデが、丘を降りていって、半刻(一時間)ほどたったくらいだっただろうか。
あのケビンが、坂を駆け上ってきた。杖を持たず、ふたつの足で走ってきた。
(あの時は、奇跡が起こったと思ったものじゃ)
その姿を見た、彼は驚きの声を上げ、そのまま跪いて天に感謝の祈りを捧げたほどだった。
だが、騒ぎはそれで終わらない。
何事かと集まった村人や、ジェイムスに、ケビンは必死に訴えたのだ。
『カエデを、手伝いたい』
と。そしてそのためには、ケビンひとりじゃダメなのだと。
(あの子が、自分から誰かに頼ろうと、手伝ってくれという日が来るとはな……)
ケビンは、けして上手く話せていなかった。正直半分もわからなかっただろう。
だが、カエデがリーチェという名前の冒険者だったこと。ケビンの足を治すほどの魔法が使えること。本当に強かったことなどはわかった。
村人の間から、それならば任せてしまってもいいのではないか? という意見が出るほどに。
そしてそれは、彼ら〈大地人〉としては、正しい認識なのだ。モンスターと戦うのは、騎士たちや冒険者の役割であり、英雄のみが許される偉業なのだから。
そんな意見が、大多数の中でもケビンは、訴え続けた。カエデを手伝いたいと。
(何かを感じたのじゃろうな。ひとりで森へと入っていったあの娘に)
やがて、感化されたのかケビンと一緒に行くと、ふたりの若者が名乗りでる。
村長である、ジェイムスは本来ならば、それでも止めるべきだったのだろう。今もそうするべきだったかもしれないと思わなくも無い。
それでも、許した。全員で生き残ることを約束させて許したのだ。
「なあ、村長。信じてみようじゃないか」
カディナが、遠くの森を見ながらしみじみと呟いた。
もしかすると彼女も同じように不安で、それでも自分に言い聞かせているのかもしれない。
ジェイムスは、そんな印象をその横顔から感じ取る。
「何を信じるのじゃ?」
「あの子の、臆病さと寂しがりをさ」
「うむ?」
もっと、いい言葉を予想していたジェイムスは、その答えに戸惑いの声をあげる。
それが面白かったらしい。カディナは、くくくと笑い声を上げる。
「ケビンに、わざわざ嫌われるようなことをしてまで、追い返そうとするような子だよ?
そのケビンが傍にいるんだ。そりゃあ、一生懸命やるだろうさ」
「まったく根拠になっておらんよ」
ジェイムスは、やれやれと肩をすくめた。
まったくもって理屈になっていない。カエデ嬢ちゃんが一生懸命にやったからといって、ゴブリンたちを追い払えるとは限らないのだから。
そう、考えながら、彼は懐から一通の封筒をとりだした。カエデが受け取らなかった領主への手紙だ。シャーウッド村への騎士団派遣を陳情するためのものだ。
しばらく、眺めた後、勢い良くふたつに裂く。そのまま、小さく破り、風に飛ばした。
「まったく……困ったものじゃな。バカ者ばかりじゃよ」
「お互いにね」
「陳情書の書き直しじゃなぁ。レッドフィールド村への救援を頼むと。
急がねばならんのう。カエデ嬢ちゃんに、急いで届けてもらうことするかの」
「ああ、それがいいさ」
ふたりの老人は、空を見上げる。月は、ゆっくりと傾き始めていた。夜明けはもう遠くない。
◆
森の中にぽっかりと空いた緑色の空間。その中心に、月明かりに白く照らされた、小さな少女が静かに立っている。
まっすぐに前を見つめる瞳は、闇を吸い込むように黒く、風に時おり揺れる二本の髪は、さらに黒い。白いローブが小柄な身体を包み込み、手足と豊かな胸を覆う青い甲冑が、色にアクセントを加えていた。
ケビンたちが来るのを待っているリーチェである。
「……大丈夫です。みなさんのHPは減っていないのです。探知の点の動きにも問題ないです」
不安を堪えようとする表情が浮かんでいた。十分な支援魔法をかけてあるし、探知魔法などを使って、監視している。それでも、不安は抑えきれない。
(どこかで……信頼しきれないのですね。ダメですね、ボクは)
冒険者のパーティとは、違うのだ。背中を任せることはできそうにない。
だが、それでもできることをやるしかないのだ。彼らを信じるしかない。
「ケビン君……無茶しないでですよ」
ひとり待つ間、月を見上げてそっと祈るのだった。
やがて、探知魔法が映し出す点のひとつが、リーチェの方へとたどり着いたことを示した。
「きたです」
可愛らしい唇が、強い意思に満ちた響きを生み出す。
少女が見つめる木々の間から、少女よりも頭ひとつ分だけ大きい少年が、こちらに向かって飛び出してきた。
その顔には、疲労と怖さとそれ以上の嬉しさが浮かんでいる。
「カエデッ」
「そのまま走ってです、ケビンくんっ」
カエデと呼ばれた少女は、少年とすれ違うようにして、森へと駆け出す。
そこには、新たに松明の明かりが灯っていた。ケビンを追いかけてきた、ゴブリンたちだ。
走ってきた勢いそのままに、リーチェの前へと飛び出してくる。
「〈魔杖効果範囲拡大〉、発動、〈悪夢の漆黒球〉」
リーチェは、大きく杖を振り、チャージされた魔力を大きく消費しながら、魔法を発動させる。
杖からはなたれた、黒い球体は、頼りない放物線を描いて、ゴブリンたちの群れの中心に着弾、、バンッと破裂する。ゴブリンたちからいっせいにうめき声が上がった。
「や、やったのか?」
後ろに逃げていたケビンの期待をこめた声が、背中から聞こえてきた。
リーチェは、振り向かないまま、前に向かって走り出す。
視線だけで装備ウィンドウを操作して、マジックワンドから鎖付き鉄球へと持ちかえた。
「まだですっ」
ゴブリンたちには、その顔には、苦痛が浮かんでいるものの身体には傷ひとつ無い。
その手に持った鉈を振り上げて、怒りの声を荒げる。
「ぜ、全然効いてないじゃないか!?」
「これで、いいのです」
〈ナイトメア・スフィア〉は、付与術士の魔法の一種だ。着弾した場所から広範囲に、無色透明のエネルギーを撒き散らす。 それは肉体ではなくて精神へと苦痛としてのダメージを与えるのだ。
そして、ここで大事なのはダメージではない。その付属効果である、「移動速度低下」こそが目的だった。
足が遅くなってしまったゴブリンたちは、もうケビンを追いかけることはできない。追いかけようとすれば、リーチェに後ろから殴られてしまう。
もう、彼らには、目の前の少女と戦うことしか選択肢は遺されていなかった。
「いきますですっ」
ざしゅっと右足を踏み込み、ゴブリンの頭をめがけて、大きく右腕のグリップを振ふる。鉄球は、鎖に引っ張られて、弧を描き始める。
武器に込められた魔法の力が発動する。鉄球が描く弧がオレンジ色に輝いて、まるで流れ星のごとく、ゴブリンの頭と伸びていった。
鈍い命中音が響く。
(く……っ)
その音にリーチェは、顔を歪める。やっぱり傷つけることになれることは出来ない。
殴られたゴブリンの体が、ぐらりと横へと傾いた。だが、一撃で倒れたりはしない。
しょせん、回復職の攻撃でしかないのだ。武器攻撃職に比べれば、半分に満たないほどのダメージにしか与えられない。
そして、一撃で倒せなければ、当然のごとく反撃がくる。
甲高い声が上がる。錆だらけの鉈が、リーチェめがけて振り回される。
(落ち着くです。ボクは、回避できるですっ)
ヒュオンッ。空気が切り裂かれたような音が、耳元で鳴る。
リーチェの体は、半歩だけ後ろに自然と下がっていた。
(ボクは、身体を動かすんじゃないのです。リーチェを操作するんです……。そうイメージするのです)
目の前のゴブリンのレベルは15だ。リーチェのレベルは90。自己強化魔法も既にかけてある。
回避率は90%を超えるはずなのだ。ならば当たるのは十回に一回あるかないか程度。
(避けないのが、おかしいのですっ)
村の仕事は、全然上手くいかなかった。それは、サブ職業があってないから、スキルが無いから判定に失敗したためだ。
ならば、逆はどうなのだろう? 成功する判定を試みれば、逆に成功するのではないだろうか?
だから、判定させたのだ。
そのために、ゲーム内でのリーチェの動きをそのまま、なぞった。トレースした。模倣した。再現してみせた。
回避の動作を入力することで、回避判定を要求した。そして、その結果が反映されたのだ。
「これが、ボクの……カエデというプレイヤーの戦い方なのですよっ」
攻撃が当たらなかったことに腹を立てたのだろう。ますますいきり立ち、ゴブリンが鉈を振り回してくる。
だが当たらない。次々に避けていく。右に左に、体が揺れる。時には、大きくジャンプして後ろに下がった。
(っとっと!? 回避入力難しいです……!?)
だが内心ではカエデは、焦っていた。考えるのとやるとの違いに。
いくら10年以上、リーチェの動きをみていて覚えているといっても、その再現をするのは、やっぱり違うものなのだ。
さらに、自分の動きだけに注意してもダメだ。ゴブリンの動きに合わせて、避けるモーションをしなくてはいけない。結局、せいぜい2回に1回くらいしか上手くいかない。
後は、自分で身体能力の高さを使って無理やり避けている。
事前にかけた〈シャドウ・スフィア〉でゴブリンの動きが遅くなっていなけば、付け焼刃な回避方法では、囲まれて袋叩きにされていただろう。
「わっと!?」
しゃがんだリーチェの頭上を、鉈が通りすぎた。後ろに回りこんだ、別のゴブリンが攻撃してきたのだ。良く見ると、左右にも既にゴブリンたちがいる。
「やっぱり視界が違うと、やりにくいです……」
どうしても、目の前のゴブリンに気をとられて、周囲を上手く警戒できないのも問題だった。
「このまま囲まれると、マズイです。
無理やりにでも、全員を正面に捕らえないと、です」
リーチェは、思い切って前にいるゴブリンに盾ごと体当たりする。体格は、若干ゴブリンのほうが大きかったが、リーチェは金属の鎧を着けて巨大な盾を持っていた。そのまま押し倒される。
「ごめんなさいっ」
倒れたゴブリンの顔めがけてブーツを蹴りだして踏む。そのまま前に出て、囲まれた場所から移動した。骨が割れる嫌な感触が足から伝わってくる。
(うぐ……。ま、まだです)
囲いから逃げ出した、少女を追って怪物たちは追いかけるが、先ほど受けた魔法のせいで上手く体が動かせず、追いつけない。
「はあ、はぁ……」
間合いを十分に離して、リーチェは向き直る。ゴブリンたちが追いかけることで一直線に並んでいた。
ひとつ深く深呼吸をして、ぎゅっと右手のモーニングスターを握り締める。
「と、とりゃあっ」
ダッシュして、一気に間合いを無くす。ゴブリンたちも今度は油断していない鉈を構えて、迎えうつ。そして、白い少女と緑の化け物たちが次々と交差するっ。
金属音が響く。
骨が折れる。
肉が潰れる。
悲鳴が上がる。
うめき声が上がる。
流星が、上に下に左に上に流れてオレンジ色のラインを描く。
鉈が、斧が、剣が、何にも当たらずに、空を切る。
ゴブリンたちは、受けたダメージの大きさに耐え切れずに、地面に倒れていった。
「はあ……はあ……」
走り抜けた、リーチェは、追いかけてきたゴブリンたちを背にして、そのまま前に走る。
そこには、顔を抑えながらようやく起き上がる、最初のゴブリンの姿があった。
ヒュオンッ。
鉄球が舞い、まるでボーリングの球を横からぶつけたようにゴブリンの顔へとめり込んだ。そしてその勢いのまま後頭部へと抜けていく。スイカが砕けたように、灰色のものが飛び散っていった。
「うぐ……っ」
リーチェはしっかりと歯を食いしばり、その光景に手に伝わる感触に耐える。
決めたのだ。戦うと。わかっていたことだ。こうなると。
「予想通り、三回のヒットで倒せるです。たとえボクでも」
ゴブリンのHPは大体1500くらい。このモーニングスター〈夜明けの流星」を使ったリーチェが与えるダメージは、ゴブリンに対してなら500ほど。
つまり、三回殴れば、相手は死んでしまう。
腕力やタイミングは、あまり関係ない。命中してダメージが発生したという結果さえ起これば、相手のHPは減るのだから。
「つ、次ですっ」
白いローブを、ゴブリンの血で染めながら、再び振り向く。痛みのショックから回復したのだろう、先ほどのゴブリン三体は、武器を構えながらぎらぎらとした目で、リーチェを睨んできた。
仲間が殺されたというのに、まったく怯んでいない。当たり前のように感じているようだ。
「はあ、はあ……すうぅ……はぁぁ。
いきますですっ」
その異常性に、一瞬だけ躊躇する。だが、もう迷う時間は終わったのだ。今は、前に走り出す時。
リーチェは、モーニングスターを振るう。命中させるための動作を行う。
判定が行われて、吸い込まれるようにゴブリンの胴に、腕に、足に当たっていく。
そのたびに、血が、骨が、肉が、怨嗟が、白いローブを青い鎧を汚していく。
◆
ケビンは、その光景を黙ってみていた。見ていることしかできなかった。
話は、聞いていた。既に理解して、受け入れたつもりだった。
「……」
カエデは、オレンジ色の光を描きながら、緑色の鬼たちと舞う。死の踊りを。
ひとすじ描かれるたびに、命が削られていく。
ふたすじ、みすじと増えていくたびに、怪物の体が砕けていく。
そして、最後には地面に倒れて、文字通り光になって消えていった。
「ちくしょう……」
ケビンは必死に堪えた。この場から逃げ出しそうになるのを。治ったばかりの足を、手でしっかりとつかみ、動かないように抑えた。
今ようやくわかったのだ。彼女が、なぜケビンに戦えないといったのか。彼女が、自分の仕事は戦うことなのだと言ったのか。
何を恐れていたのか。
(……こんな風にできるなら……確かに怖いよな。
自分が化け物だって思っちまうよな)
だからこそ、ケビンはこの場から逃げない。逃げ出したい身体を心を、押し込めてこの場に残る。残り続けなければいけない。
彼女をひとりにしないと言ったのだ。手伝いたいと言ったのだ。一緒に守ろうと言ったのだ。
ならば、最後まで傍にいなければならない。
(……カエデ、お前……本当に強かったんだな)
ゴブリンたちに一歩も引かないで、それどころか一方的に、殴っていっている。
間違いなく酷い光景だ。きっと悪夢に見ることになる。
英雄譚ならば、美しく描かれるのだろう。綺麗なものなのだろう。
だが、現実は、飛び散る血と肉、巻き散る悲鳴と怨嗟。そして少女の苦悶の顔。
とてもじゃないが、美しいなんていえるものじゃない。
(俺も……強くなって見せるから)
最後の一体を倒した後、カエデがケビンの方を振り向いた。そして無理やりに作ったとわかる笑顔を向けてくる。
「怪我、無いですか? もしあるならすぐに治しますですよ」
「平気だ。カエデの魔法が守ってくれたからな」
ケビンは自分がちゃんと答えられたことに、自分で褒めてやる。
そして、こういうときにカエデがなんていうのかは、だんだんと分かってきていた。
「じゃあ、後はボクがひとりで、やるですから……」
「最後まで、見るからな。見てやるからな。いまさら逃げろなんていうなよ」
だから、最後まで言わせない。
「い、いまさらだからな。みんなで、戦っているんだ。
お前だけが、汚れたわけじゃなんだからなっ。俺も、俺たちもいるんだからなっ」
彼女にとって、よっぽど驚きだったらしい。しばらく呆然と立っていた。
さっきまで、あんなにすごい動きで、ゴブリンたちを一方的に打ちのめした少女が、あんなに無防備にケビンを見ていた。
それは、とても滑稽にも見えて、彼は自然に笑いがこみ上げてくる。
「そんな顔するなよ。
ただ、見るだけだ。それしかできないからな。でも俺がやりたいんだ」
「自分が、やりたいと思ったことをやる、ですね」
「おうっ」
カエデの嬉しそうな声をようやく聞けた。
やりたいことをやる。簡単なようで難しい。同時にその結果をすべて自分で背負うという意味なのだから。
「……こっちに、コリンさんが向かっていますです。第二段が来ますですよ」
カエデが、ケビンが来た方向とは、すこしだけずれた方を見ながら、そう呟いた。
その声には、いつもの調子が戻っている。もう大丈夫だとケビンは安心した。
こんな自分でも、ちゃんと彼女を助けられたのだ。それはとても誇らしい。
「わかった。邪魔にならないように隠れるからな。
でも、ずっと見ているからな。だから、だから、かっこ悪いことするなよっ」
「はいっ。ボクの、全力を見てくださいですっ」
残りのふたりがひきつけた、ゴブリンをリーチェが倒していくのを、ケビンは見続ける。
それらが終わったときには、月が傾き、地平線へと落ち始めていた。
夜明けが、近づいてきている。