『 ゴブリンとの戦いです 』
上に届こうとしている満月でさえも、生い茂った森の中までは十分に照らせない。人の手が殆ど入っていない木々たちは、少しでも日の光を得るために上へ上とその枝を伸ばし、葉を広げているからだ。さながら、緑の天井に遮られた、森の中は吸い込まれるように黒く染まっている。
そんな暗闇に、ぽうっとひとつ明かりが灯った。
明かりは、まるで蛍のごとくゆらゆらと揺れながら浮かんでおり、ひとりの人間の走る先を照らしている。
カエデ、いやリーチェが唱えた魔法、〈蛍光灯〉の明かりだ。
『こんなの、ありかよぉぉぉぉっ』
カエデの耳には、まだケビンの叫び声が残っていた。後ろを振り返っても、既に村は遠く見えない。ただただ、自然溢れる夜の森があるだけだ。
「ケビンくん……」
どんな思いで叫んだのかを思うと、ぎゅうっと胸が痛くなる。
彼は、たったひとりでも村を守ろうとしていた。
その理由の中には、カエデの存在もあったのだ。
なのに、そのカエデによって、ジャマされた。その役目を奪われた。
「……ごめん……ごめんなさい」
カエデは、その行動は間違っていないと思っている。むしろ、そのまま彼に任せてしまっていたら、それこそ、いくら後悔しても仕切れないほどの、悔悟になったことだろう。
すべてが終わったあと、死んでしまった彼を見て、泣くことしかできなかったことだろう。
そんな未来を変えたのだ。間違っているはずが無い。
それでも、それでも少年の思いを、決意を汚してしまった。裏切ってしまった。
「嫌われたですよね……。
でも、それでも……。ボクは、こうしたかったんです。
キミを失いたくなかったんです。それは……嫌われるよりも、怖がられるも嫌なことだって気がついたんです」
ひとりしかいない森の中で夜空に向けてひとり言葉をこぼす。それは、どこか懺悔にも似ていた。けれど、たったひとつだけ違う。だれも許してくれる者がいないのだ。
「身勝手なのです。ワガママなのです。裏切りなのです……。
嫌われたくないからって黙っていて……そのせいでケビン君が苦しい思いをしてしまって……」
最初から、冒険者として振舞っていればきっと、ケビンもひとりで戦おうと思わなかっただろう。
あんなに、悔しさのあまり叫び必要なんて無かったはずだ。
すべては、カエデの臆病が、躊躇が、保身が招いてしまったことだ。
ならば、どんな風に思われてしまっても、それは罰というものなのだろう。
「許してもらえないですよね。それでもせめて……ゴブリンたちは倒しますです。
怖いけど……上手くできるかわからないけれど……。ううん、わからなくてもやってみるのです。
それが、ボクの、リーチェのやり方です。リーチェ、らしい行動なのです」
カエデは、右手の指を使い、自分にしか見えないウィンドウのアイコンをクリックしていく。
マジックバックの中に仕舞っていたアイテムを選択して、装備メニューへ移す。
その瞬間、白いローブの上に金属の鎧が現れて、揺れる胸を包み込みしっかりと支えた。
それを確認すると、カエデは次々にアイテムを取り出していく。
右手には、魔法の杖を。左手には、盾を。白いローブの上に、青い鎧を身につけて。
暗い森を走る少女は、クレリックのリーチェへと変わっていく。
「ボクの本気を、見せるのですっ」
走る速度を一気に上げる。
リーチェは、暗い森をひとりで駆け抜けていく。
ゴブリンと戦うために。シャーウッド村を守るために。依頼を完遂するために。
ひとりの少年の思いを踏みにじってしまった、償いをするために。
◆
暗闇に、赤い火がぽつりぽつりと揺れている。ぱちりぱちりと枝がはじける音と、興奮を抑えきれない呼吸の音が交じり合う。
はだしが土を踏む。落ち葉を踏みにじる。手に持った、鉈や斧がぎらりぎらりと光を照り返す。
シャーウッドの森の奥深くを異形の怪物、緑子鬼たちが、松明を手に、ゆっくりと進んでいた。
ゴブリンは、緑色の肌と小さな角を持つ、人間の子供よりも少し大きい程度のモンスターである。 その顔に浮かぶ表情は醜悪にゆがみ、放つ臭いは、つんと鼻につく。なにより、ぎらぎらと欲望をあふれ出した巨大な瞳は、見るものに不快さと恐ろしさを与えた。
群れの中心には、ドッカリと座って、みこしで運ばれている、一際大きな身体を持つゴブリン。彼は、美味そうに酒が入った壷を傾けて口に運んでいた。彼が群れのリーダーであることは一目瞭然だろう。
そしてその横には、派手な羽根を体や頭のあちこちに飾りつけたゴブリンが、ぶちぶちと何かを呟きながら、付き添っている。
冒険者たちは、緑子鬼小隊長と緑子鬼祈とう師と呼んでいる者たちだ。
ゴブリンチーフは、その体の大きさに見合った膂力を持ち、力ずくで群れを統率して率いる。
ゴブリンシャーマンは、邪悪な知恵を身につけ、様々な魔法と策略をもってチーフの右腕としての地位を得ていた。
彼らは、いま森をひたすら南に向かって、歩いている。そこに人間の小さな村があるらしいからだ。
そこへ向かう理由は、いつものように獲物を駆るためではない。〈王〉の命令なのだ。
彼らの群れは、〈王〉の率いる巨大な群れの一部でしかないのである。
ゴブリンシャーマンは、隣のみこしの上でご機嫌な直属の上司を見上げた。
先日、森の北にあった、小さな村を襲って上手くいったから、とても機嫌がいいのだ。たしかにこちらは、殆ど部下を失うことは無かったし、中々上等な食料を得ることもできた。
〈王〉の支配下に入る前であれば、そのまま村に留まり、しばらくの間は遊んで暮らせたはずだ。
だが、〈王〉はそれでは満足してくれない。人間の国というものを滅ぼすためには、まだまだ村を手に入れる必要があるという。
下を向き、何度目にかなるため息をこぼす。ゴブリンシャーマンは、知っていた。冒険者という存在を。
まだ未熟だったころ、戦ったことがあったからだ。彼らは恐ろしく強い。なにより死ぬことを恐れていないように思える。
先日襲った村には、冒険者はいなかった。だが今度の村にもいないとは限らないのだ。
なのに、このバカチーフにはそれがわからないらしい。もうすぐ獲物がいる場所に着くといういうのに、いまだ酒を飲み続けている。
ゴブリンシャーマンは、見えない月を見上げて、信じる神に祈った。どうか、今度も冒険者に出会わないようにと。
突然目の前が真っ白に染まった。
群れ中から悲鳴と怒号があがる。
ゴブリンシャーマンも痛み、涙が零れる目を押さえてうずくまった。
閃光の呪術。おそらく強烈な光を放つ魔法を何者かが使ったのだと気がつく。だがその次の行動を起こす前に、相手の次の魔法が来た。
爆音。そして熱気と熱風が吹き荒れる。
立て続けに起こる爆発に、群れは恐慌に陥る。まるで、落とした壷から零れた水のように、四方八方にゴブリンたちは、走って逃げ出した。
ゴブリンシャーマンは、落ち着けと声を荒げるが、誰も耳を貸さない。いつもこうなのだ。身体が小さく、力が弱い彼のいう事など、誰も聞きはしない。
何もわからない馬鹿どもに見下されることが、彼には我慢ならなかった。
太く重い咆哮が爆音を打ち消すように響く。
その瞬間、ゴブリンたちの騒ぎがぴたりと止まった。
シャーマンは、恐る恐ると顔を上げる。ゴブリンチーフが、みこしの上に堂々と立ち上がり、吼えていた。者ども戦だと。愚かな敵が現れたと。武器を取り戦えと。
そのチーフに向かって、炎の矢が飛んできた。
先ほどから魔法を使っている者の攻撃だろう。シャーマンは、思わず頭を抱えて再びしゃがみこむ。
ドゥンッ
鈍く爆発する音が響いた。だが悲鳴は上がらない。代わりに上がったのは、怒りの声。卑怯者をののしる罵倒だ。
シャーマンは、顔を上げてみこしの上の上司を見た。そこには、臆病な自分とは違う、偉大な勇者が立っていた。
偉大な勇者は、みこしに置いてある斧をひとつ拾い上げて、大きく振りかぶる。
そして暗い森の中へと、勢いよく投げつけた。
ガコッン。バザザザザザ。
ゴブリンの胴よりも太い木が、大きく揺れて倒れていく。同時に、甲高い人間のメスの悲鳴が上がった。どうやらそこに、襲撃者、いや獲物は隠れていたらしい。
ゴブリンシャーマンは叫んだ。あそこだ、あそこに隠れているぞと。
いっせいに群れのゴブリンたちは、そこへめがけて殺到する。先ほどまでの恐怖はもう無い。口からよだれを、目から欲望を垂れ流し、舌なめずりしながら、獲物を追いかける。
その様子をみて、満足したのだろう。ゴブリンチーフは再びどかりとみこしに座り込み、酒を煽り始めた。だが、もうゴブリンシャーマンは不満をこぼさない。このオスについていけば、きっといい目を見ることができると悟ったからだ。
ゴブリンたちは、しばし足を止めて、人間のメス狩りを始める。ちょっとした余興の始まりだった。
◆
松明を手に、ゴブリンたちが口々に叫びながら、リーチェが隠れていた土手の方へとやってくる。
〈月光妖精の雫〉という魔法の目薬を差したリーチェには、夜の闇の中でも、その姿がはっきりと見えていた。
追いつかれる前に、身をひるがえして、ちょっとした斜面を滑り降りる。白いローブの裾が、ばたばたと揺れた。
「さすがに一撃では無理でした。
でも上手く、引き寄せたのです」
斜面の下にたどり着くと同時に、手にしていたマジックワンドを上に向けて、こめられた魔法を発動させる。魔法陣が光り輝き、灼熱の光弾が勢い良く打ち出された。
ばっと赤い光が輝き、悲鳴があがる。
こちらをのぞく為に顔をだしたゴブリンの小さな頭に、赤い光の弾丸が当たったのだ。そのままゴブリンは後ろに倒れ、リーチェの視界から消えた。斜面上から、怪物たちが動揺する声が聞こえてくる。
「次です」
少女は、使い切ったブレイジング・バレットのマジックワンドをほうり捨てる。転がった杖は、砕けて光になり消えていった。
すかさず、新しい杖をマジックバックから取りだして、今度は自分が立っている場所に、魔法を発動させて、魔法陣を描いた。
「こっちなのですっ」
準備ができると、バグスライトの光を、自分の周囲に呼びだす。そして、リーチェは森の奥へ向かって、五歩ほど後ろに下がった。
暗い森の中では、蛍のようなバグスライトの明かりでも十分に目立っている。当然、ゴブリンたちはそれを追いかけて、先ほどのリーチェと同じように斜面を滑り降りてきた。
それこそが、リーチェの狙い。
最初に降りたゴブリンが、リーチェが描いた魔法陣を踏んだ瞬間、魔法が発動する。
魔法陣が、ばあっと緑色に輝いた。
周囲に生えていた、ツタや葉が急激に成長し、伸びていき、ゴブリンたちを次々に絡め取っていく。
〈友なる柳の庭園〉という森呪遣いの高レベル魔法だ。設置した場所に、何者かが入ると周囲の植物が急成長して、相手を絡め取るという足止めの魔法である。
しかも庭園の名のごとく、その範囲は広範囲に及ぶ。斜面の途中で止まっていたゴブリンたちも次々に絡め取られていった。そこには、絡み合った植物の塊ができていく。
「うまくいきま……っ!?」
流れるように動いていたリーチェの動作が、ぴたりと止まる。
暗視装置をつけたように、暗闇でも見通せる今のリーチェは、見てしまったのだ。
手足や胴を絡み取られて、苦しむゴブリンたちの表情が、はっきりと。
それは、生きようともがいてる姿だ。
(……ゴブリンたちも……生きているのです!?)
浮かんだのは一瞬。だが、リーチェからカエデに思考が戻ってしまうのには十分だった。
(そ、そうです。ケビン君たちも……〈大地人〉の人たちも生きていたいのです。怪物だって、きっと生きているのです……)
このまま倒して……殺してしまってよいのだろうか?
英国で日本で育ってきたカエデにとっては、殺人とは大罪である。どんな理由があっても許してはいけない禁忌だ。
ゴブリンは人間ではない。だが、彼らがみこしを担いでいたり、松明をもって歩いていたりするところを見てしまっている。知恵が無いわけじゃない。動物とは違うのだ。
叫び声が上がる。
ゴブリンたちが、仲間が傷つくのをお構い無しに鉈を振り回して、絡みつく植物を切り払い始めていた。その光景は、凄惨の一言に尽きる。さびた刃物が、ゴブリンたちの血に、草の汁に染められていく。
(カエデ……ボクはプレイヤーなのですよっ。しっかりしろですっ)
リーチェは、唇を血が出るほどかみ締めた。その痛みで意識を強引に切り替える。
もしかしたら今やっていることは、人殺しと同じなのかもしれない。大量殺人になるかもしれない。
それでも……
「それでも、ボクは依頼を引き受けたのですっ。恨むなら恨んでくださいですっ。
……ボクは、貴方たちを倒しますっ」
カエデは、リーチェは、爆発の火球のマジックワンドを取り出して、静かに構えた。
「〈魔杖威力最大化〉。発動、エクスプローシブ・ファイアボールッ」
そして、しっかりとゴブリンたちの顔を見つめたあと、大きく振るって魔法を発動させる。
杖の先に赤い魔法陣が力強く輝き、カエデの体よりも巨大な火の玉が轟音を上げながら、動けないゴブリンたちの中へと打ち込まれる。
耳がおかしくなるほどの爆音が起こった。
そして目が焼けそうなほどの、紅蓮の炎が嵐のごとく吹き上がる。
絡み付いていた草も一瞬で、発火して燃え尽きていく。
ゴブリンたちの悲鳴が、何重にも森中に響いていく。
「あ、ああ……」
杖を持つ手が震えた。燃えていく。全部燃えていく。
燃え狂って、唐突に炎は消えた。
残ったのは、焼け焦げた臭いと、斜面だけ。
いや、よく見ると、きらきらとドロップアイテムらしきものが落ちている。
それは酷く現実離れした作り物めいていた。
「……うぐっ」
それを見た瞬間、リーチェは吐き気がわいてきて蹲ってしまった。
湧き上がってきたのは、嫌悪なのだろうか? 恐怖なのだろうか? それとも自分の身勝手さに対する気持ち悪さなのだろうか?
(こ、この世界は……どこまで〈エルダー・テイル〉なのですか。
どこまで……現実で……どこからが作り物なのですか)
リーチェは、吐き気を強引に飲み込んで、ゆらりと立ち上がる。先ほどの爆発で気がついたのだろう。斜面の上からだけではなく、左右からのゴブリンたちの声が聞こえ始めた。
「今は、おいておくのです。棚の上にぽいです。
とにかく……上手く興味を引けたようなのです。上手くいっていますです。
慌てることはないのです。落ち着くのです」
湧き上がってきた疑問や、感情を押し殺す。今は、大学生カエデでは、ダメなのだ。冒険者リーチェとして動くときなのだと自分に言い聞かせる。
手が震えた。足も震えている。涙が滲んでくる。
気持ちが切り替えられない。燃えていくゴブリンたちの姿がまぶたから消えない。
「うぐ……。そ、そうです。ワンドの確認でもして、落ち着くです」
リーチェは、視線だけでメニューウィンドウを開き、マジックバックの中身を確かめる。
手持ちのマジックワンドが、予想よりもはるかに残り少なかった。
ミノタウロス戦のためだけの準備しか、していなかったこと、そしてその戦いで大量に消費していため、元々手持ちは多くなかったのだ。
また、ワンド自体の消費も予想以上に大きい。無意識に、近づくのを恐れて強力な魔法を立て続けに使ってしまったのが響いてしまっていた。
「……一旦撤退するです。このままだと、先に尽きてしまいます」
リーチェは、今の動揺した自分では思うように動けないと判断する。少なくても、ワンドを効率良く使えないようでは、これだけの敵を相手にすることは難しい。
クレリックもワンドマスターもプレイヤーの冷静さこそ必要なのだ。無駄にMPやワンドを使い切ってしまえば後に待っているのは、ジリ貧からの全滅だけである。
だが、ただ逃げるわけにも行かなかった。リーチェが逃げることでゴブリンたちが、また村の方へ進み始めても困るのだ。
「こっちですっ。ボクはここですよっ」
リーチェは、森中へ響けと大声を張り上げる。
返事をするかのように、ゴブリンたちが怒りをこめて吼えてくる。
びくりと怖さで震えるが、リーチェはぎゅっと自分を抱きしめてそれを押さえ込んだ。
「本番は……ここからなのです」
少女は、自分に、移動速度上昇の魔法をかけた。これでゴブリンたちよりも早く走ることができる。
このあたりの森の地形は、木こりの仕事を手伝ったときに大体把握している。
「大丈夫です。リーチェなら、できるですっ」
リーチェは、ひとつ頷くと暗い森のへと再び、逃げ込む。
後ろをちらりと見ると、数えるのが面倒なほどの松明が、追いかけてきていた。
「……時間を稼ぐのです」
今のカエデには、時間が必要だった。
落ち着くための時間が。ゴブリンたちに勝つための策を思いつくための時間が。
少女はひとり、暗い森の中を逃げはじめる。最後に勝つために。